晋作と龍馬
乙丑丸の件も一段落したある日の事。
俺は坂本に呼ばれ、とある料亭に足を運んでいた。
坂本は話があるとだけ言い、俺を呼び出したのだ。
「お前から呼び出しておいて、随分と遅かったじゃねぇか」
俺は坂本に、嫌味を含めて言った。
「すまんのぉ。わしゃ、こう見えて色々と急がしゅうて仕方が無いがじゃ」
口ではそう謝りつつも、悪びれる様子の無い坂本に何だか腹が立つ。
「で……話というのは何だ?」
「ほうじゃった! 高杉には大事な話があったがぜよ」
「フン……勿体ぶらねぇで、早く話せや」
「相変わらず、おまんは可愛いげが無いのぉ」
「お前にどう思われようが、俺ぁどうでも良い」
その言葉に、坂本は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「ほいたら、単刀直入に言おうかのぉ」
坂本は急に真剣な表情に変わる。
「わしゃあ、京へ向かおうと思うちょる」
「何だ……そんな話なら、わざわざ呼び出す事もあるまいよ」
坂本はこれだけの話の為に、わざわざ俺を呼び出したのだろうか?
「最後まで聞けっちゅうに……おまんは、まっこと人の話を聞かんのぉ」
坂本はそう言うと、話を続けた。
「京へ行くのは、わし一人じゃないきに」
「誰と行く? 木戸か? 言っておくが、俺ぁ共には行かねぇぞ」
俺は坂本にキッパリと言い放つ。
「おまんなぞ連れては行かん! わしの身が余計に危なくなるき、こっちから願い下げじゃ。わしゃあなぁ……桜サンを連れて行こうち思うちゆう」
「な……に!? 何故、お前が桜を連れて行く」
坂本の言葉に、俺は耳を疑った。
「確かに、桜サンは長州に来てからというもの、よう笑う様になったがじゃ。けんどのぅ……やはりわしにゃあ、あの子が無理しちゅう様に見えるがぜよ」
「……どういう意味だ?」
「ほれ、新選組を追い出されたち言うちょったろう? その事が、あの子の中ではまだ引っ掛かっているように思えるがじゃ」
坂本は深い溜め息を一つつく。
「そんなもん……俺がすぐに忘れてさせてやるさ」
「……高杉にそれが出来るかのぉ?」
「何が言いたい?」
「高杉……おまんは、まっこと良い男じゃ。けんどなぁ、桜サンはいまだに新選組の副長とやらの事を想うちょる」
「そんな事ぁ、共に居る俺が一番よく分かっているさ! だが……」
坂本は俺の言葉を遮るように、口を開く。
「いつか、心が……壊れるき」
心が壊れる……だと?
坂本には悪ぃが、俺はこれでも桜を大切に扱ってきたつもりだ。
アイツが壬生狼を忘れ、気持ちが俺の方に向くまでは、決して手は出すまいと……そう思う程に。
アイツの気が紛れるよう、アイツが面白可笑しく暮らせるよう……俺は、ずっと心を砕いてきた。
俺の何が足りないと言う?
そんな俺の怒りの矛先は、何故か坂本へと向いていた。
「お前に何故、そんな事を言われなきゃなんねぇんだ? 俺たちは……上手くやっている」
本当に上手くやっているのか?
坂本にそう言いながらも、心の中では自問自答を繰り返していた。
「よく聞くがじゃ、高杉。確かに、おまんと居る時のあの子は、一見楽しそうに見えるきに。けんど……あの子は自分の感情を抑え過ぎちょる」
「あの男を……忘れようと必死なんだろうよ」
「必死過ぎるからこそ危なっかしいがじゃ。おまんは本当は解っちゅうがじゃろ?」
坂本の言葉がやけに胸に突き刺さる。
お前に言われなくとも……それくらいの事ぁ解っているさ。
だが……
折角、手元に置いておける状況になったというのに……みすみす手離す様な真似は御免だ。
「で、桜はどうしたいと言っていた?」
「桜サンにゃまだ言うちょらん。まずは、おまんに話してからち……思うたぜよ」
「…………そうか」
俺は小さく呟いた。
アイツにとって何が幸せなのだろうか?
ふと考える。
この先、俺の方に気持ちが向く事があるのか?
俺では……駄目なのだろうか?
「もう一度京へ連れて行って……桜サンに選ばせてやりたいがじゃ」
「選ばせる……だと?」
「ほうじゃ。京へ行って、京の街並みを見て……それでも長州へ帰りたいち言うたら、そん時は高杉の元へ帰すつもりじゃ」
「もしも……壬生狼に戻ると言ったら?」
「わしゃあ、新選組へ帰しちゃろうち思うちゆう。そもそも……何も話をせずに別れるき、苦しむがじゃ。いっぺん、副長と話をせにゃあ……桜サンが前に進む事は出来んち思うがぜよ」
「そうかも……しれねぇなぁ」
「おぉ? 高杉が反論しないなど、まっこと珍しいのぉ」
坂本は目を丸くする。
「俺ぁ、そこまで馬鹿ではあるまいよ。だが……あの頑固者が、京へ行くと言うモンかねぇ?」
「そりゃあ簡単な事じゃ。西郷サンが京に居るがじゃ。そして、木戸サンも既に京へ向こうちょる。薩摩と長州を結ぶ手伝いをして欲しい……それが、表向きの理由じゃき」
「アイツにとって……幸せってぇのは何だろうな?」
「おまんが他人の気持ちを考えるようになるとはのぅ……高杉も成長したもんじゃのぉ」
坂本はそう言うと、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「チッ……気安く触るんじゃねぇよ」
坂本の手を振り払いながら、俺は言った。
「おまんは、まっこと猫の様な男じゃのぉ」
そんな俺の様子を見て、坂本はいつまでも笑っていた。




