月夜
長州楼に留まる井上サンや伊藤サンらと別れた帰り道。
私は、夜道を晋作と歩く。
「お前……本当にもう良いのか?」
晋作は不意に尋ねた。
「良いって……何の事?」
意図するものが汲み取れず、質問に質問で返す。
「あの男の事さ」
「あの男?」
晋作は深い溜め息を一つつく。
「新選組……いや、土方の事さな」
私はその名前に、何も答えられずに俯く。
「俺には、お前が無理しているように見えるがなぁ」
「…………そう……かな?」
「未練があるんじゃねぇのか?」
「それは……あるよ。あれから数ヵ月経つのに……いまだに夢に見るもの」
唇をぐっと噛み締める。
「夢ではね……あの頃の笑顔を見せてくれるの。その夢のせいで、トシの顔や声が……今でもチラつく時があるんだよね。早く……忘れたい……のに」
「そもそも、どうして奴に捨てられたんだ? 他に女でもできたのか?」
「わからない……よ」
「お前は、分からねぇ事ばかりだな」
晋作は、今にも泣き出しそうな私の頭を、そっと撫でる。
「だって……トシが仕事で居ない間に……みんなから屯所を出た方が良いって言われたから。トシに会う事なく、新選組を離れたから」
「何だそりゃ……」
「多分、私の事が本当に嫌で……自分が居ない間に他の人を使って追い出したんだろうね。みんなに理由を尋ねた時に、私が傷つかないようにって……言ってたから」
話の途中で医院に辿り着く。
「もう着いちまったか……意外と早かったな。まぁ良い、とにかく今日はゆっくり休め」
そう言って、晋作は背を向ける。
「待って!」
私は不意に呼び止めてしまった。
「どうした?」
「えっと……」
「言いたい事があるならば、ハッキリ言え」
「話…………途中なんだけど……帰っちゃうの?」
晋作は少し考える素振りを見せたかと思うと、突然クスリと笑う。
「お前に誘われては断れまいよ」
「……ありがとう」
家に入ると晋作は縁側に腰を下ろした。
「ねぇ、これ……飲めるかなぁ?」
私は、台所から酒瓶を持ってくる。
「…………飲めるんじゃねぇのか?」
「その間が怖いなぁ……やっぱり、止めた方が良いかなぁ」
「いや、大丈夫だろう」
「お腹を壊したら……晋作のせいだからね」
そう言いながら、お酒を注いだ。
「月……まんまるだぁ。人ってさぁ、死んだらどうなるんだろうね。天国ってあるのかなぁ」
「そんなモンは死んでみなけりゃ、分かるまいよ」
「そりゃそうだ!」
晋作の実に率直な答えに、私はクスクスと笑う。
「私ね……本当は、そんなに強く無いんだよ?」
「何だ、急に……そんなのは当たり前だろうが。よく泣くお前が、強ぇはずがねぇさ」
「……正反対の事を言うんだね」
私は笑いながら言った。
「あの男と……か?」
「そう。私が屯所を出る少し前に、お前は強いなって言われたの。そんな事は無いって言いたかったのに……結局、言えなかったんだ。それ以来まともに話すらしなくなっちゃって……ある日、突然って感じ」
「……そうか」
晋作は静かに杯を飲み干した。
「でも、いい加減忘れなきゃね!」
「……忘れる必要などあるまいよ」
「えっ……どうして?」
意外な答えに、私は目を丸くする。
「忘れようとして忘れられるものではねぇだろう?」
「そう……かもしれないけど。でも……」
「無理矢理忘れるモンでもねぇさ。強いて言うならば、時が解決するのみという事だ。毎日を面白可笑しく過ごしている内に、気付けば忘れている……そんなモンさな」
「本当に、時が解決してくれるのかなぁ……」
「此処に居りゃあ、忘れたくなくてもすぐに忘れちまうだろうよ」
晋作は不敵な笑みを浮かべる。
「随分と自信満々ですねぇ」
「自身があるのだから、仕方あるまいよ」
私たちは顔を見合わせると、微笑んだ。
「そういや、お前……久坂の死に際に会ったんだってな」
晋作は静かに尋ねる。
「どうして……それを?」
「桂から聞いた。お前が、アイツの遺髪を持ってきた……と」
「そうだよ……私ね、あの戦には行かないようにって、久坂サンには言ったんだよ? でも、あの場に久坂サンは居た。どうしてだろうね? 死ぬって分かっているのに」
あの日の出来事は、今思い出しても悔やまれる。
「……アイツは真っ直ぐすぎたのさ」
「そうかもしれないね」
「あの戦の最中、俺が何処に居たか知っているか?」
「……さぁ」
私は首をかしげる。
「牢……さな。俺ぁ……アイツが苦しんでいる間、のうのうと座敷牢で謹慎中だったってわけだ。お蔭でアイツを止める事も、救う事もできやしなかった……友であるのにな」
「……そっか」
「お前に言われ、アイツの運命を知っていたのに……俺ぁ何も出来なかった。結局のところ、俺もお前と同じだ」
その言葉に顔を上げる。
私と同じ思いを……この人はしていたのだ。
私が不用意に未来を告げたせいで……
「これ……きっと、晋作が持っていた方が良いと思う」
私は、遺品の懐刀を差し出した。
「久坂の……か」
「そうだよ。最期に手渡された物……でも、晋作に持っていてもらう方が久坂サンも喜ぶ気がするの」
「いや、これはお前が持っていろ」
「……どうして?」
「アイツがお前に渡した物だ。こんな大切な物を譲るなど……きっと、これはお前に持っていて欲しかったのだろうよ」
「本当に、良いの?」
「……当たり前だ」
そう言うと、晋作は懐刀を私にそっと握らせた。
「久坂サンと所サン……仲良くやってるかなぁ?」
「松陰先生も寺島も居るからなぁ……きっと楽しくやってるだろうよ。まぁ、来島のオヤジらとは喧嘩してるもしれねぇがなぁ?」
「フフ……そうかもしれないね」
月明かりに照らされる中、私たちはお酒を酌み交わし、たくさんの事を語り合った。
初めて出逢った時は、最悪な男だと思っていたのに……
今では不思議な事に、何でも話せる相手となっていた。
生憎、恋愛感情は持ち合わせては居ないが……晋作と居ると、何故だか安心する。
それは
晋作を纏う雰囲気が、その性格が……どことなくトシと似ているからなのだろうか?
そんな事をぼんやりと考えながら、私は杯に口を付け、月を見上げた。




