萩の街
長い船旅を経て、私たちは萩へと辿り着いた。
旅の道中、私は二人に長州のみんなとの出会いや藩邸で過ごした日々について話した。
藩邸での事を話した際に、二人は暗い表情を浮かべていたが、その理由については何故か教えてはくれなかった。
それについては、晋作から聞くと良いとだけ言うばかりで……
「高杉サン! 武器を無事調達することができました」
「伊藤に井上じゃねぇか……。よくやった! これで一歩前進と言うところか……」
「それと、もう一つ……」
「どうした?」
私は荷物を持ち、晋作の前へと歩み出る。
「さ……くら!? 何でお前がここに居やがる? 新選組はどうした!?」
「久しぶり……新選組は……追い出されちゃった」
苦笑いを浮かべる私に、晋作は目を見開く。
「それより、所サンは!? 新選組を追い出されちゃったから……所サンの元で働かせてもらいたいなぁ、なんて。それに私、まだあの日のお礼をちゃんと言っていなかったから」
その一言に、一瞬にして場の雰囲気が変わるのを感じた。
「所は……居ねぇよ」
「萩には居ないの!? もしかして京に居たとか? うわぁ……参ったなぁ、かなり宛にしてたんだよね」
「京にも居ねぇ……」
「? それなら何処に居るの?」
晋作は俯いた。
「所は…………死んだ」
「何を馬鹿な事を言ってるの!? 所サンが死ぬなんて……冗談なんて言わないで、会わせてよ」
所サンが死ぬなんて有り得ない。
彼は武士や侍ではない。
医者だ。
しかもまだ若い。
そんな彼が死ぬ理由なんて、思い当たらないのだ。
「アイツが死んだのはまぎれも無い事実だ」
晋作は、ポツリポツリと話し始めた。
元治元年、長州藩領の吉敷で所サンは開業し医者として生活していた。
その際に、刺客に襲われ瀕死の重傷を負った新助サンこと井上サンの命を、救った事もあったそうだ。
翌年、遊撃隊の参謀として晋作を助けていたが……
陣中でチフスに罹り吉敷村の陣営で亡くなったそうだ。
3月12日の事だった。
突然の悲報に私の頭は真っ白になる。
所サンが亡くなった。
その言葉だけが、頭の中をこだまする。
腸チフス……どうして、そんな物に?
腸チフスとは、サルモネラの代表菌である、チフス菌に感染して起こる病だ。
食べ物や飲み物に混じって口から入り、消化管などを基点にして病変を起こす、経口感染という感染の仕方をする。
チフス菌は腸壁に達するとそこで増殖し、血流中に入り菌血症を起こすのだ。
菌血症とは、血液中に細菌が居るという事で、その細菌が増殖した場合は敗血症となり、それは命にも関わる。
腸チフスの症状は悪寒や下痢に加え、極期では稽留熱というものもある。
38℃以上の熱が長期間持続的に続き、その間の一日の体温の変動は1℃以下で、平熱に戻る事は無いという特殊な発熱だ。
治療にはニューキノロン系の抗生物質を用いる。
ニューキノロン系で聞き覚えがあるものとすると、クラビットあたりだろうか。
私が一緒に居たなら……助けられたのかもしれないのに。
抗菌薬だって、医学所のみんなの研究のお蔭で、色々と開発されたのに……。
命を助けてくれたお礼を、改めてちゃんと言う事すら叶わなかった。
所サンのお蔭で、背中の傷もほとんど目立たないくらいになったというのに……
私は、恩人を……恩師を……助けられなかった。
「おい! 大丈夫か!?」
その場に崩れる私を、晋作は受け止めた。
「どうして……。私、何も知らなかった……所サンがそんな事になって居たなんて……助けられたかもしれないのに!」
悔しさと悲しさで、訳が分からなくなる。
そんな死に方をするなんて、知らなかった。
知っていたら、きっと助けられたのに!
「墓参り……行くか?」
晋作は、小さく尋ねた。
「高杉サン! 今はきっと無理ですよ。死を受け止める事で精一杯だと思います」
荘蔵サンこと伊藤サンは、高杉サンに異を唱える。
「私も……そう、思います」
井上サンまでもが賛同した。
「…………行きます」
二人の反対を押し切り、私は所サンのお墓参りに行く事にした。
私は心のどこかで、所サンの死など間違いだと信じていた……
お墓を前にして、所サンの名前が無い事を確認したかった……
私は、晋作に手を引かれて歩く。
「此処だ」
目の前に立つ墓石の文字に目を奪われる。
「どうして…………」
私は、墓石にすがるようにして泣いた。
いつか言っていた。
私を弟子にしてくれた理由。
「お前は……金や名誉でなく、ただ一心に人を救いたいという純粋な気持ちがある。そういう人間は……嫌いでない」
あの日、私達は必死に久坂サンを助けましたよね?
久坂サンも先に逝ってしまいました。
その知らせを聞いた時、貴方も私と同じ気持ちだったのでしょうか?
「心得た。高杉の事は任せてくれ。お前はいつまでも俺の弟子だ。お前なら立派な医者として、この時代に功績を残せる……誇りを持て!」
晋作の事は任せておけと……言っていたじゃないですか。
それが……晋作を残して先に逝ってしまうなんて、あんまりですよ。
功績を残したって……大切な人すら守れないようでは、意味がありませんよ。
私は、藩邸での日々と交わした言葉を一つ一つ思い出す。
池田屋事件後、屯所に変装してまで傷の処置をしに来てくれましたよね。
私……まだ、ちゃんとしたお礼もしていないのに……
あれが、今生の別れになってしまうだなんて……
私は、今でも貴方の弟子ですか?
返事など帰ってくるはずもないのに、質問を投げかける。
どれくらい泣いていたのだろう?
私は静かに立ち上がった。
「もう済んだのか?」
私の気が済むまで何も言わずただ傍に居てくれた晋作は、私が立ち上がったのを見て声を掛けた。
「……うん」
俯きながら小さく答えた。
「お前は、よく泣く奴だ」
晋作は私の涙を袖口で拭う。
「俺が死んでも、そうやって泣いてくれんのかねぇ?」
「縁起でもないことを言わないで!」
「……悪ぃ。不謹慎だったな」
そう謝ると、晋作は私の頭を撫でた。
「ここから見える景色は良いだろう? 所も長州の街が見下ろせて嬉しがっているはずさな」
「所サンって、長州の人なの?」
「いや……美濃だ」
「そうなの!?」
「だが、奴もきっと長州が好きだったはずだ。だから良いんだよ」
自信ありげにそう答える晋作に、思わず噴き出してしまった。
「いつまでも泣いてると、所も成仏できまい。お前は所の分も、そうやって笑って生きろ」
「そうだね……所サンや久坂サンに笑われないように……生きなきゃ……ね」
晋作の着物の袖口をギュっと掴むと、あふれそうになる涙を必死でこらえた。
所サン……
私
貴方の弟子として恥ずかしくない様に、精一杯生きて行きますから。
どうか
そちらで、久坂サンと楽しく過ごして下さいね……
「さて……帰ぇるぞ」
「あ! 待ってよ!」
私は最後に心の中で所サンにお礼を言うと、その場を後にした。




