死の商人
8月26日
この日、私は朝から龍馬サンに連れ出され、とある大きな屋敷に来ていた。
洋風な佇まいの邸宅。
ここに住んでいる人が外国人である事は、その外観からも容易に想像できる。
「こちらは、どなたのお屋敷ですか?」
私は龍馬サンに尋ねた。
「異国の商人ぜよ」
「商人?」
何故、こんな所に連れて来られたのか、私には分からなかった。
「綺麗な娘が居った方が、グラバーも喜ぶがじゃ」
「グラバー? 今、グラバーと仰いましたか?」
「何じゃ、おまんはグラバーを知っちゅうががえ?」
龍馬サンは、目を丸くする。
「いえ……この長崎での生活も随分経ちますので、名前くらいは聞いたことがあります」
「ほうか」
龍馬サンはグラバーと言っていた。
トーマス・ブレーク・グラバー
二つ名を、死の商人。
武器商人として幕末の日本で活躍したスコットランド人だ。
ここが、グラバーさんの邸宅ならば……後世の観光地、グラバー園は此処であるということなのだろう。
私は彼の二つ名から、容貌も性格も恐ろしい人物なのだろうと想像していた。
龍馬サンと私は、案内されるがままに邸内に入って行く。
「スコットランド人は英語に訛りが強いと聞いた事があります。私の英語が通じるでしょうか?」
不意に不安になった私は、龍馬サンにこっそりと尋ねた。
「桜サンは英語が話せるがかえ? ほんじゃが、グラバーは日本語が上手いきに……心配せんでもええ」
「そうですか。言葉が通じなかったらどうしようかと思っていました」
「おまんは、まっこと心配性じゃのう」
龍馬サンは豪快に笑うと、私の頭をポンっと撫でた。
案内された部屋では、一人の男性が机で書き物をしていた。
「おぉ、グラバー。例の物は用意出来ちょるがか?」
龍馬サンが声を掛けるとグラバーさんはやっと気付いたようで、私たちの元へと近付いてきた。
「すみません、書類に熱中するあまり気付きませんでした。勿論、準備は整っています。それはそうと……こちらのレディはどなたですか? 龍馬サンの恋人ですか?」
「違うき! わしの恋人は、おりょうだけじゃ。おりょうはな、そりゃあ……まっこと愛らしゅうて……日の本一のはちきんぜよ!」
龍馬サンは、聞かれても居ないのに……勝手におりょうサンの話を始めてしまう。
唖然としているグラバーさんなど気にも留めず、延々とおりょうサンの素晴らしさを語っているのだ。
それだけ愛されているおりょうサンが羨ましいと思いつつも、とりあえず龍馬サンの事はそのまま放っておくことにした。
「桜……と申します。この長崎へは後学の為に参りました。龍馬サンのこの様子からも分かるように、私は龍馬サンとはそういった関係ではありません」
「そうでしたか。これは失礼しました。貴女は何を学びに来たのですか?」
「強いて言えば……医学、でしょうか? 養生所では、病院設備を拝見して参りました」
「それは素晴らしいですね。女性でありながら医学を学ぶ……聡明な女性は素敵ですよ」
グラバーさんは微笑んだ。
死の商人というので身構えていたが、実際に会ってみると物腰が柔らかく、好感が持てる人物だった。
「なんじゃ、二人で楽しそうに話しちょって……わしの話は聞きゆうがか?」
「龍馬の話は長すぎます。話だけでは、女性の美しさは伝わらないでしょう? 次はおりょうサンとやらを連れて来て紹介して下さい」
「ほうじゃのぉ。ほいたら、次は連れて来るぜよ」
「楽しみにしていますよ。さて……それでは、本題に入りましょう」
グラバーさんは急に真剣な表情に変わる。
同時に、場の空気も張りつめたものになったような気がした。
テーブルの上には2種類の洋式の銃が1挺ずつ置かれた。
龍馬サンはそれを手に取り眺める。
「この銃を7300挺、ご注文通り既に準備してあります」
「随分と早かったのう。お蔭で助かったがじゃ」
「このくらい、造作もありませんよ。商人は顧客の希望に沿う品を、迅速に仕入れなければ成り立ちませんからね」
「さすがはグラバーじゃ。ほいたら、また近い内に世話になるかと思うが……そん時は、よろしく頼むぜよ」
龍馬サンとグラバーサンは握手する。
私が龍馬サンの後を追い、部屋を出ようとしたその時。
「サクラ! 待ってください」
グラバーさんは私を呼び止め、棚の引き出しから何かを取り出した。
「これを持って行きなさい」
私の手にそっと握らせた物は、とても小さな拳銃だった。
その表面には彫刻が施されており、非常に高価な物の様にも見えた。
「これは……」
「レミントン・ダブル・デリンジャー」
「レミントン?」
突然手渡された拳銃に、私は困惑する。
「これはね、女性向けの護身用の銃です。装弾数は2発、命中精度も低いが……もしもの際の威嚇にはなりますよ。医学を学ぶ貴女にはこれくらいが丁度良いのでしょうね」
「どうして、これを私に?」
「さぁ……どうしてでしょうね? 何故か、貴女に渡したいと思ってしまったのですよ。大切な商品を差し上げてしまうとは、私は商人失格ですね」
グラバーさんは、そう言うと優しく微笑んだ。
「ありがとう……ございます」
「いつでも、遊びにいらして下さい。次は銃ではなく、美味しい紅茶を用意しておきますからね」
私はグラバーさんにお礼を告げると、今度こそ屋敷を後にした。
その後
龍馬サンは、グラバーさんから買い付けた全ての銃を、これから取引先に引き渡すのだと言っていた。
こんなにも大量の銃を、一体誰が買っていくのだろう?
気になった私は、取引に同席しても良いか龍馬サンに尋ねた。
大量の銃の引き渡し……ということは、きっと今回は大事な取引なのだろう。
絶対に渋られると思っていた私にとって、龍馬サンが二つ返事で承諾してくれた事は本当に意外だった。
私たちは、取引きを行う場へと歩みを進めた。
そこには意外な人物との再会が待っていたのであった。




