無敵の二人組
長崎に着いてから早数週間。
もう7月も終わろうとしていた。
この頃になると私の行動範囲もかなり広まっており、独りであっても若干の遠出をすることがしばしばあった。
地理に慣れた事で、危機感も薄れていたのだろう。
今日も長崎見物に乗じていたところ、辺りはすっかり薄暗くなってしまっていた。
少し奥まった道に行ってしまえば、街灯など無いこの時代。
そんな夜道には、さすがに恐怖心を覚えた。
もう少し行けば歓楽街……その中の一角に私の泊まっている宿はある。
龍馬サンから紹介された宿なので、こんな立地の宿なのだが……実際過ごしてみると、これはこれで良かったように感じる。
何故なら、夜でも灯りが灯されているので郊外よりは安全なように感じるからだ。
少し先にぼんやり見える街の灯りに向け、更に歩みを速めた。
華やかな灯りを放つ歓楽街まであと僅か……
その時
私は何者かに手首を掴まれ、路地裏に引きずり込まれる。
強い力に引っ張られ、そのまま地面に倒れ込んだ。
「痛っ……な、何!?」
私は顔を上げる。
二人……組?
暗闇で顔はよくは分からなかったが、二人の男が目の前に佇んでいた。
じりじりと近付いてくる男たちに身の危険を感じた私は、座り込んだままの状態で後ずさりする。
背中に壁の感触を感じた私は、懐に手を入れる。
久坂サンの懐刀に手が触れた瞬間、二人のうちの一人にその手を掴まれた。
懐刀が地面に落ちる音だけが、ただむなしく響く。
「…………長州、か」
背後に居た男は懐刀を拾い上げると、呟いた。
「それを……それだけは、返して下さい!!」
男たちは懇願する私の姿を、さも面白いとでもいう表情で眺めて居た。
「な……何ですか!? 貴方たちは! 手を離して下さい」
「うるさい女だ……だが、上等な着物にこの懐刀。長州の武家娘だろうか」
男は私の顔を覗き込む。
その時、近くで人の声が聞こえた。
「助けて!! お願いっっ!!」
私は一厘の望みをかけて、声の限り叫んだ。
「うるせぇ! 静かにしろ」
男は慌てて私の口をふさぐ。
「なんだぁ? 今、女の声がしなかったか?」
「そんなモン聞こえなかったが……って、おい! 待て」
通りがかった人の声と同時に、二人の男が路地裏に飛び込んで来た。
「お前ら……何やってやがんだ!? おい、新助……行くぞ!」
「まったく……荘蔵、お前は先走り過ぎなんだよ!」
新助と荘蔵という名の二人組は刀に手を掛けると、二人の暴漢に向かって切り込んだ。
刹那
辺りは紅蓮に染まる。
その光景はあの日、総司サンと出かけた日に見たものと同じだった。
「おい! 大丈夫か?」
新助サンは私に駆け寄ると、肩を抱き寄せる。
「あ……懐刀!」
新助サンの言葉にふと我に返った私は、お礼も言わずに久坂サンの遺品を探す。
「お前が探しているのは、これか?」
私の探し物は、荘蔵サンの手の中にあった。
「それを……お返し下さい! それは、私の大切なものなんです! 先程は危ないところをありがとうございました」
荘蔵サンは私に歩み寄る。
「その口調……アンタ、萩のモンじゃねぇな。だが、この懐刀は長州の印が入っている……どういう事だ?」
「それは、私の友人の遺品です……」
「遺品? 何でそんなものを」
その言葉に私は俯く。
「荘蔵、人が来てはまずい……場所を変えるぞ」
「でしたら! 私の宿にお越しください。何かお礼をさせて欲しいので。話の続きはそちらで……」
私の提案に、二人は頷いた。
宿に着くなり女将に頼み、三人分の食事を用意してもらった。
二人は私の部屋に着くなり、腰を下ろす。
「で……その懐刀は何処で手に入れたんだ?」
荘蔵サンは、早速私に尋ねた。
「心配しなくても良い……私たちも長州の者だ」
新助サンの言葉に、私は目を見開いた。
「そうでしたか……では、晋作や桂サンの事もご存じなのですね?」
「お前……高杉サンや桂サンを知っているのか?」
「……はい」
私は小さく返事を返した。
「では……その懐刀は誰の遺品だ?」
荘蔵サンに代わり、新助サンが尋ねた。
「…………久坂……玄瑞です」
私のその答えに、二人は一瞬動きを止める。
「久坂サン……だと?」
「そうです。御所での戦の際、自刃前に私は久坂サンに会いました。その際に受け取った大切な物……なのです」
あの瞬間を思い出し溢れそうになる涙を、私は必死にこらえた。
「そう……か。先の戦では本当に惜しい事をした。久坂サンを亡くしたことは長州にとっても大打撃だった」
「お二人も……あの場にいらしたのですか?」
私は新助サンに尋ねた。
「いや……私たちは、参加しては居なかった。私たちは英国に渡航していたのだが、長州が異国の船に砲撃を加えたと聞いてな。列国との戦の回避の為に急いで帰国したのだ。御所での戦はその混乱の最中だった。長州で動き回る事に精一杯で……私たちは久坂サンを止める事にまで手が回らなかったのだよ」
新助サンは悔しそうに呟いた。
「一つ……伺っても宜しいでしょうか?」
「何だ?」
私は気になっていた事を、新助サンに投げかける。
「お二人は、イギリスに留学していたんですよね? そして、その途中で帰国した……」
「そうだが……それがどうした?」
英国に密航した長州の者に、私は心当たりがあった。
長州五傑。
書籍や映画にもなった有名アレ……だ。
メンバーは、井上聞多こと井上馨
遠藤謹助
山尾庸三
伊藤俊輔こと伊藤博文
野村弥吉こと井上勝の5人の長州藩士。
その中でも途中帰国したのは、井上馨と伊藤博文だったはず……
だが、おかしい。
この二人は、新助サンと荘蔵サンという名のようだ。
人違いなのだろうか?
「お二人は……井上聞多サンと伊藤俊輔サン……ですか?」
真相が気になった私は、思い切って尋ねた。
「そう……だが、今は違う。ここでは、私は井上聞多ではなく山田新助と名乗っている。伊藤は、吉村荘蔵だ。私たちの事は久坂サンから聞いていたのか? お前とは初めて会ったのだと思うのだが……」
「えっと……そんなところです」
久坂サン……嘘をついて、ごめんなさい。
私は心の中で小さく謝った。
「そういや、荘蔵……先程から一言も発して居らぬが、どうした。気分が優れぬのか?」
新助サンが荘蔵サンに目を移すと同時に、私も荘蔵サンを見た。
「いや……ちっとばっかし考え事をしていたもんでな」
荘蔵サンは険しい表情で言った。
「何だ、そんな顔をして。一体、何を考えて居た?」
新助サンは尋ねる。
「いやぁ……この娘をどう口説こうかと思ってさ。真剣に考えて居たのだが……率直に行く以外に思い付かなくて」
荘蔵サンの言葉に、私たちは唖然とする。
「お前と言う奴は……大事な話をしていたのに、そんなくだらない事を考えて居たのか?」
「くだらなくなんてねぇさ。俺にとっちゃあ、これも大事な事なんだよ! 新助だって似たようなモンじゃねぇか」
荘蔵サンは口をとがらせる。
「そういや、まだ名前を聞いていなかったよね」
「桜……蓮見桜です」
「桜チャンかぁ! 名前まで可愛いなんて……もう困っちゃうなぁ」
私の手をとる荘蔵サンに困惑していると、新助サンが私から荘蔵サンを引きはがしてくれた。
「いい加減にしろ! 困りたければ独りで勝手に困っていれば良い」
「なんだよ、お前だって堅物ぶっている割に……」
「…………荘蔵」
「わー、分かったって! もう何も言わねぇよ。だから、そんなおっかない顔するんじゃねぇよ」
二人のやり取りに、私はクスクスと笑った。
「さて、こいつが暴走しない内に私たちは帰るとしよう」
新助サンは立ち上がる。
「さっきは、本当にありがとうございました」
「お前も女なんだから、夜道を安易に歩くんじゃないぞ」
「はい……」
「今日はすっかり馳走になったな。その懐刀……大切にしてやってくれ」
新助サンは微笑んだ。
「私もその内、長州へ参ります。師である所サンや、晋作たちに会いに! また……長州でお会いしましょう」
「……そうだな。長州で待っている」
そう言うと、新助サンは荘蔵サンを連れ、宿を出て行った。
龍馬サンは、今回の一連の取引がひと段落ついたら、長州へ向かうと言っていた。
その際、二人にはまた会えるだろうか?
それにしても……
私はこのまま長州に行っても良いのだろうか?
この長崎で一人ゆったりと日々を過ごす内に、気持ちが落ち着いてきたからなのか……一度トシと、ちゃんとした話をした方が良いのではないか? という考えが心の片隅に芽生えていた。
反面、そういった女々しい感情を、必死で掻き消そうとする自分も居た。
そんな葛藤の中、私はめくるめく日々にただ流されていく。
龍馬サンの言葉は頭では理解できていても、いまだに私の心は辛い現実に追いついて居ないようで、相変わらずその視野は狭いままだ。
今日こそは忘れよう。
明日こそは忘れよう。
訪れる朝日に、訪れる月夜に……日付や時間が変わるごとに、私は心の中で呟いている。
しかし
私の心は、新選組での思い出をその記憶を……消し去ってくれる気配は一向に無かった。




