自由の地
翌日
私は龍馬サンと話をしたいと思い、おりょうサンに相談した。
龍馬サンに話そうと思っていた内容は、先におりょうサンに伝えた。
それを聞いたおりょうサンは非常に驚いていたが、私の意志が固い事を悟ると、龍馬サンを私の部屋に呼んでくれた。
「桜サンが呼んじょると聞いたき、来てみたが……どういた?」
龍馬サンはまだ眠そうな表情をしており、大きなアクビをしながら私に尋ねる。
「龍馬サン……お願いがあります!」
「何じゃあ、ゆうてみぃ」
畳にゴロンと寝転びながら、龍馬サンは答えた。
「私を……長崎に連れて行って下さい! これから、龍馬サンは長崎へ行くんですよね?」
「おまん……どういて、それを知っちゅう?」
龍馬サンは驚き、飛び起きた。
「私には……ある程度の歴史の流れが分かるからです」
「何じゃ、医者だけでのぉて易者でもあるちゆう事がかえ?」
「まぁ……似たような物ですよ。真相は……私が晋作や所サンと会えた時にでも話します」
私は笑顔で言った。
「桜サンは……高杉に会いたいが?」
「晋作に会いたい、というのではなくて……今の私には行く宛など無いので、所サンの元で働かせて頂くのも良いのかなぁって思っているんです」
「ほうか、ほうか。もしかすると、そん方がええかもしれん。高杉も桜サンを気に入っちょったし……長州に行くんも、ええにゃあ。とりあえず……わしらは明日ここを発って長崎へ向かうき」
龍馬サンの言葉に、私は小さく笑った。
「では、私も長崎へ連れて行って頂けますか?」
「ほんじゃが、どういて長崎に行くがかえ? 萩に行くなら、送っちゃるき」
「いえ、長崎へも行きたいんです。少し街並みを見てみたいので。萩へは……龍馬サンが行く機会が出来た時に連れて行って頂ければそれで結構です」
「分かった! ほいたら、桜さんも連れてっちゃる」
「ありがとうございます!」
こうして私は、龍馬サンたちと長崎へと向かう事となった。
早く京を離れたかった私にとって、龍馬サンとの再会は好都合だった。
屯所を去ってから三日と経たない内に、京を離れる事ができるのだ。
それは願ってもいない事だ。
そして
私たちは長崎へ向けて、京を出発する。
その道中、龍馬サンは色々な話を聞かせてくれた。
おりょうサンとの出逢い。
これは9割がた、のろけ話だったのだが……
他には、龍馬サンが長崎でしたい事。
それは、最近作った貿易会社を軌道に乗せたいという事。
そして、それを礎に薩摩と長州を結び付け、新しい世を創りたいという事。
生き生きと夢を語る龍馬サンを、私は少し羨ましく感じた。
たった20年の私の人生の中で、抱いた夢は二度潰えた。
一度目は、この時代に飛ばされてしまったが為、あと一年というところで看護学校を卒業できなかったこと。
二度目は、屯所を追い出されてしまい、看護塾を最後まで見届けられなかったこと。
もしも、また何か夢を持ったとして……三度目のその夢は叶うのだろうか?
幸せになることはできるのだろうか?
そう考えると、気が滅入る。
「どういた?」
龍馬サンは私の顔を覗き込む。
「いえ、何でもありませんよ」
私は無理に笑顔を作った。
「何でも無い顔じゃないき。わしゃな、辛い時は辛いき言うてもええと思うちょる」
「私……そんな顔してますか?」
「しゆうぜよ。辛いのに辛いち言えんで苦しいっちゅう顔をしゆう」
「そう……かなぁ」
もう泣かないと、おりょうサンと約束したものの……私は、感情を抑え込むことで精一杯だった。
辛いなら辛いと言えば良い。
おりょうサンとは正反対な事を言う龍馬サン。
そんな二人が、あんなに仲が良いなんて……何だか不思議だと思った。
「道は一つじゃないきに。おまんの前には千にも万にも、道はあるがじゃ」
「道……ですか?」
「ほうじゃ! 今の様に視野が狭くなっちゆう時は、別の視点から見てみるがじゃ。ほいたら、色んなモンが見えて気持ちに余裕が出来るきに」
龍馬サンはニカっと笑った。
「今はまだ、分からんでもえい。いつか分かる時がきっと来るがじゃ」
道が一つではない。
今まで、新選組で……トシと最期まで添い遂げる事しか考えていなかった。
その道が無くなってしまった今、他の道が私の前に現れた……ということなのだろうか?
龍馬サンと行動を共にするという道。
長州に滞在するという道。
他にも、医学所で研究をするという道。
更には
診療所を開いたり、また新しく塾を開く等……よくよく考えてみれば、確かに様々な道がある。
新選組に固執していた私は、私の前に広がる多くの道という選択肢に気付けないでいたようだ。
龍馬サンの言うとおり、私は視野が狭まっていたのかもしれない。
幕末の偉人の言葉には重みがある……そう痛感した。
それから数日後
旅を重ねた私たちは、長崎に辿り着いた。
長崎に着くなり、龍馬サンは忙しく飛び回っている。
自由の地と称される通り、長崎は本当に賑やかな街だった。
夢の実現に向けて活動的に行動する龍馬サンとは対照的に、私は一日一日をゆったりと過ごす。
宿に泊まり、長崎の街並みを見てまわる。
ここに来てまずは、この街の医療事情を知るべく様々な診療所や、病院を訪れた。
有名な小島養生所にも行き、ボードウィンさんに会う事ができた。
何より驚いたのは、以前私の元に届けてくれた薬剤や物品を伊之助サンが、此処にも持ち込んでいたそうで、それらがかなり改良されていたという事だった。
この時代の医者たちの勤勉さは尊敬に値する。
その際に、伊之助サンは研究の功労者として私の名前を残していてくれたようで、お蔭で施設内をじっくり見学するなど、多くの事を学ぶことが出来た。
医療とは関係は無いが、この街には職人が多いという印象も受けた。
ガラス細工などは特に素晴らしく、日本人は手先が器用だという印象を受ける。
時には息抜きとして、南蛮菓子や唐菓子を買い求めたり、大道芸を観に行くこともあった。
大道芸というのがこれまたスゴイもので、時には外国の動物を見世物にしていることもある。
久々に見る、動物たちに大興奮だ。
私がこうした毎日を過ごしている最中、龍馬サンは夢の断片を私に見せてくれた。
亀山社中だ。
これはとても画期的な仕組みを備えており、史実としても薩長同盟の締結には不可欠なものの一つだ。
何が画期的なのか?
それは、資本と経営の分離にある。
資金を出資してもらい、龍馬サンらが事業を行う。
その利益の一部を出資者に配当するのだ。
実際は株式の発行や有限責任性は無いので、株式会社とは言えないのかもしれないが……現代の株式会社と近いものがあると感じた。
そんな事を思い付く龍馬サンはこの時代のおいて、今まで出逢った偉人の中でも圧巻の才なのではと私は思う。
時代は、明治の世に向け少しずつ……そして、確実に動き出していた。
一方、この長崎にて私に新たな出逢いがあろうとは、この時はまだ知る由もない……




