再会 ― 坂本龍馬 ―
どれくらい泣いていたのだろう?
いつの間にか泣き疲れて眠ってしまっていたようだ。
無理もない……昨日はろくに寝ても居なかった。
辺りは薄暗くなり始めている。
今、何時だろうか?
気だるい体をゆっくりと起こした。
「なんや、やっと起きはったんどすか?」
「ひっ!?」
薄暗い部屋の片隅で突然女の声が聞こえた為、私は反射的に小さな悲鳴を上げた。
「そないな声出さんでも宜しいやないの。うちは化物ではありまへん」
「あ……ごめんなさい」
「おかみはんになぁ、あんさんの様子を見てくるよう頼まれたんやけど……何や気持ち良さそうに寝てはったからな。起きるのを待っとったんどすえ」
その女性は、部屋に灯りをともしながら言った。
灯りに照らされた彼女の美しさに息を飲む。
切れ長な目に鼻筋もスッと通っていて、気が強そうな顔立ちをしている。
「何や、そないにウチの顔じろじろ見て……」
「いえ……あまりに綺麗だったので……すみません」
「ほんま? あんさん、ええ子どすなぁ! そや、名前聞いてへんかったな」
不機嫌そうな表情から一変、女性は急に満面の笑みを浮かべた。
「桜……です」
「可愛らしい名前どすなぁ。ウチは、りょう! おりょう……とでも呼んでおくれやす」
「お……おりょうサン!? あ、あの……龍馬サンの恋人の?」
私は驚きのあまり声を上げる。
おりょうサン……つまり、楢崎龍。
龍馬サンが愛した女性だ。
確か二人は結婚して、日本で初めてハネムーンに行った夫婦だと聞いたような……
それにしても、おりょうサンが寺田屋に居たとは……知らなかった。
「そうどす。何や、あんさんも龍馬と知り合いどすか?」
「えっと……初めて会ったのは、以蔵サンと居た時でした。次に会ったのは、長州藩邸で……最後に会った時、私は龍馬サンに命を助けて頂きました」
「あんさんの……命を?」
「はい……。浪士に斬られて瀕死だった所を龍馬サンが、私の師である長州の医者に伝えてくれて……そのお蔭で私は助かりました」
「なんや、龍馬らしいわ。その命は、龍馬に助けられた命どす。あんさんに何があったか知りまへんけどなぁ……その命、無下にするなどウチは赦しまへんえ」
おりょうサンは真剣な表情で言った。
「無下に……って」
「あんさん、男に袖にされはったんやろ? おかみはんが言うてはりました。それに、今にも死んでしまいそうな表情をしてはるからなぁ……おかみはんも気になりはったんやろ?」
「私……そんな顔してますか?」
「してはりますえ。もうじき、龍馬も中岡はんも帰って来はります。少し身なりを整えやす」
そう言うと、おりょうサンは私の髪をとかし始めた。
「あんさんなぁ、こない可愛らしい顔してはるんや……今が一番辛いかもしれへんけどな、いつかもっと良い男に出逢って……今の事を忘れるくらい、幸せになれる時が必ず来はりますえ」
おりょうサンの言葉に、涙がこぼれ落ちた。
「女が泣くんは、あきまへん! そんなん、鬱陶しいだけどす。せやけど……今だけは見なかった事にしはります」
「今……だけ?」
「今だけどす。今だけ、思いっきり泣いて……明日からは、笑いやす! 辛い時ほど笑うんどす。いつまでも泣いてはったら、幸せは来やしまへんえ?」
「…………はい」
私は着物の袖で涙を拭った。
もう、泣かない!
二度と泣いたりするもんか!
全て忘れて、私は私で生きて行こう。
今この瞬間……そう心に強く誓った。
「おりょう! 居るかえ? わしを知っちゅう娘が来ちょるそうじゃが……何処の娘じゃろうか?」
「龍馬はそないに浮気モンじゃったかのう? おりょう一筋じゃ思うちょったが……こりゃあ、おりょうに絞られよるきに」
「やめぇ! わしゃ、おりょう以外の女は要らんがじゃ。おりょうさえ居ればええ!」
「龍馬は熱いのぉ」
二階に上がってくる足音と共に、二人の笑い声が聞こえて来る。
会話の内容は……申し訳ないが、丸聞こえだ。
おりょうサンは少し気恥ずかしそうにしていた。
「おりょう! 戻ったぜよ。わしゃ、おまんに早よう会いとぉて、会いとぉて……」
龍馬サンは襖を開けるなり、おりょうサンに抱きつく。
「ん?」
そのままの体勢で、隣に居た私と目が合った。
「おまんは……桜かえ!? ほうか、ほうか……生きちょったがか」
「その節は、本当にありがとうございました」
「礼などええ! ほんじゃが……何故おまんが此処に居ゆう? 新選組はどういたが?」
龍馬サンの言葉に、私はビクっと肩を震わせる。
「し……新選組!?」
驚きの声を上げたのは、中岡サンとおりょうサンだった。
「おまんは新選組なんかえ?」
「あんさん……男に袖にされたゆうてましたなぁ。それも新選組どすか?」
中岡サンとおりょうサンは次々に質問を投げ掛ける。
「龍馬サンの行っている事は……本当です。ですが……訳もわからず、追い出されてしまいました」
私は俯きながら言った。
「あんさんを追い出した男ゆうのは誰どすか?」
おりょうサンは、私の肩を掴む。
「…………土方……歳三……です」
私は思わず、おりょうサンから視線を反らした。
「土方……歳三。新選組の……副長やないの」
おりょうサンは、呟くように言った。
「龍馬! おまんは……どういて、こがぁな娘を知っちゅう!」
中岡サンは龍馬サンに詰問する。
「確かに新選組のモンじゃ。じゃが……今は違うち、ゆうとる」
「そんなん信用出来んきに! こん娘が間者じゃったら、どうするがかえ?」
更に声を荒げる中岡サンに、龍馬サンは困ったような表情を浮かべる。
「間者なんかじゃ……ない……ですよ」
もう決して泣かないと……おりょうサンと約束した私は、無理に笑顔を作った。
「一つだけ……聞いてもええどすか?」
おりょうサンに尋ねられ、私はコクりと頷く。
「どうして……新選組を追い出されてしもたんどすの?」
「それは……分かりません。トシが仕事で屯所を空けている間に……総司サンから、出て行った方が良いと突然言われました」
私は小さく深呼吸をする。
「理由を尋ねましたが……私が傷付かないようにと言うだけで、それ以外は教えてはもらえませんでした……」
「それで……あんさんは何も言わずに出て来はったの?」
「そうですけど……」
「副長はんとも話さへんと?」
私は着物をギュッと握りしめた。
「何を……話せと言うんですか?」
「何を……て、そりゃあ」
「トシは……わざわざ自分が居ない時に、他人の手を借りて、私を追い出したんですよ? それでも、別れたくはないと……私はトシにすがれば良かったのですか?」
おりょうサンは俯き、口をつぐんだ。
「私は、そんな風に惨めな生き方はしたくありません。捨てられたなら……その現実を受け入れます」
私は唇を噛み締めた。
「おまんは強か女がじゃ。気に入ったき!」
中岡サンは自分の太股をポンと叩くと、そう言った。
「慎太郎に桜! 二人とも手を出すがじゃ」
言われたように、私達は手を前に出す。
龍馬サンは私達の手を掴むと、手を繋がせる。
「なっ!? 龍馬……どういて、こないな事をするが?」
慌てる中岡サンを横目に、龍馬サンはニヤリと笑う。
「しぇいくはんず、ぜよ!!」
龍馬サンは握手と言いたかったらしい……
楽しそうな龍馬サンと困惑している中岡サンを見て、クスクスと笑うおりょうサン。
三人の姿を見て、私も自然と笑みがこぼれた。




