新たなる出逢い
どれ程歩いただろう。
行く宛など無い私は、屯所の前の通りをただひたすら真っ直ぐ歩いてきた。
屯所はもうすでに見えはしない。
これからどうしようか?
みんなには、ウィリアムさんの屋敷に行くと告げたが……彼の屋敷は屯所から程近い。
私は、とにかく屯所から離れたかった。
屯所の近くや、この京に留まれば、思い出にすがって生きる事になってしまう。
私はきっと、前には進めない。
こんなに辛いのなら、早く忘れてしまいたい。
私を捨てたトシの事も、新選組のみんなの事も……
堀川通と四条通がぶつかるところに差し掛かった時、四条通から来た人にぶつかる。
下を向いて歩いていた私は、その衝撃で倒れこんでしまった。
「すまん! お嬢さん、大丈夫じゃったか?」
男は手を差し伸べ、私を立たせる。
「痛っ!!」
立ち上がった瞬間に響く足の痛み。
反射的に顔を歪ませた。
「足を痛めたかえ? それにしても……何じゃ、大荷物じゃなぁ。ほがーに、荷物を持ってどうしたが?」
「これくらいの怪我、少しすれば良くなりなりますから……大丈夫です」
荷物については、敢えて何も答えなかった。
見知らぬ人と関わっている余裕など、今は無かったからだ。
「ええから、荷物を貸しちょき! おまんの家まで送るぜよ」
「いえ……本当に大丈夫ですから」
私は男の申し出を、キッパリと断った。
「いんや! わしの責任やき、そうはいかんがじゃ! ええから、そん荷物よこしちょき」
そう言うと男は、無理矢理私の荷物を奪った。
「おまん……歩けるがか?」
「……はい」
「家は何処じゃ?」
男の質問に戸惑う。
「家は……ありません」
「どういて!? こがぁな若い娘がどういう事がえ?」
「新……いえ、あの……奉公先を出されてしまいましたので。ですから、家なんてありませんので……送って頂かなくて結構です」
私は男から荷物を取ろうとした。
「おまん、今夜の宿はありゆうがか?」
「まだ……考えていません」
「ほんじゃったら、代わりにええ宿を紹介しちゃるき」
「でも……」
「なんじゃ、銭が無いがかえ?」
男は首をかしげる。
「いえ……お金はありますけど……」
新選組で頂いた毎月の給金を貯めていた事に加え、屯所を去る際に近藤サンから30両もの大金を受け取っていた。
しばらくの間、何もしなくても暮らせるだけのお金は十分に持っている。
「ほいたら、何も問題あらんがじゃ。ええから、付いてきーや!」
「えっと、それでは……お願いします」
宿の宛も無かった私は、その人について行く事にした。
見知らぬ人に付いて行くなど、己の身の危険を案じなかった訳ではないが……別にどうなっても良い、と少し自暴自棄になっていたのかもしれない。
私たちは歩き始める。
その人は、私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれていた。
「名前は何というがかぇ?」
「桜……蓮見桜です。貴方は? その口調は土佐の方ですよね?」
「わしかえ? わしゃ、慎太郎。中岡慎太郎じゃ」
「な……中岡慎太郎!? あの……龍馬サンのお友達の?」
私は驚きのあまり、立ち止まる。
「何じゃ、龍馬を知っちゅうがかえ? 世の中は狭いのぉ」
中岡サンは豪快に笑った。
「ほいたら、今夜は龍馬を呼んじゃるき」
「龍馬サンは……京に居るのですか?」
「今頃、薩摩藩邸じゃろうなぁ……あっ!! えっと、今のは聞かんかった事にしてつかぁさい!!」
中岡サンは明らかに慌てている。
龍馬サンが薩摩藩邸に居る。
薩摩と言えば、西郷どん?
という事は……
「…………薩長同盟」
私はぼそっと呟いた。
「お……おまん、どういて……それを知っちゅうがか!?」
「あ……いえ、何でもありません。ふと頭に思い浮かんだもので……」
私は、誤魔化そうと必死になる。
「おまん、もしや……易者かえ?」
「え、易者? あ、えっと……まぁ、そんなようなモノ……かもしれませんね」
未来を知っているというのは本当の事だ。
それならいっそ……占い師として生計をたてようか?
そんなくだらない事を思い、フッと笑った。
「ほんなら、後で占うてもらおうかの」
中岡サンは楽しそうに言った。
「お登勢ぇ! 居るかいのう?」
辿り着いた宿で中岡サンが声を掛けると、奥から女性が現れた。
「はいはい、居りますよ。あら、中岡はん。今出て行きはったばかりやのに、戻って来はって……如何しはりましたの?」
「頼みがあるんじゃ……こん娘を泊まらせてもらえんじゃろうか?」
「お客としてどすか? 下働きとしてどすか?」
「もちろん、客としてじゃ」
お登勢サンは私を一瞥する。
「お客やったら大歓迎どす。さあさ、こちらへおこしやす」
「ほいたら、頼むけぇの! わしゃ、急いで龍馬の所へ向かわないかんき」
そう言うと、中岡サンは去って行った。
「あの……ここは、寺田屋……ですか?」
お登勢サンに案内されながら、私は尋ねた。
「そうどすえ。あんさんには……このお部屋で宜しおすか?」
「あ……ありがとうございます」
通された部屋に入ると、私は荷物を下ろした。
「あんさん、そないな荷物を持って……何や訳ありどすか? いえね、普段はお客の詮索なぞしはらへんのやけどなぁ。若い娘が大きな荷物抱えて来はったから……気になってしもて。何や困った事があるなら、うちにお話しやす」
「えっと…………」
そう言われても……どう答えて良いか分からない。
龍馬サンや中岡サンの馴染みの宿で、新選組の名前など出せるはずが無い。
「その……実は、奉公先と言いますか……仕事先を追い出されてしまいまして。あの、私が何かやったとかじゃないんですよ? ただ……その……」
「男がらみどすか? おおかた、その奉公先の主人か何かに捨てられはった……といった所やろな」
「えっと……まぁ、そんなところですかね。あ! でもお金はありますから! 一応、これでも医術の覚えがありまして……お給金の蓄えもあるので、お支払いはちゃんとできます」
私は、苦笑いを浮かべる。
「あんさん、まだ若いんや。男なんて星の数ほど居てはります! そないな男、早うお忘れやす」
お登勢サンの言葉は最もだが……それは、今の私にはかなり堪える一言だった。
「そないな顔してはったら、幸せも逃げて行きますえ? 今夜は美味しい物を食べて、ゆっくり休みやす」
お登勢サンは最後に笑顔を向けると、部屋から出て行った。
ここが寺田屋……か。
一人になるなり、畳に寝転がる。
今は慶応元年の六月。
来年になれば、薩長同盟が結ばれる。
龍馬サンや中岡サン達は、そのために奔走しているのだ。
新しい時代をつくる為に……
そうなると、徳川の時代もすぐに終わる。
新選組も……無くなる。
「最後まで……添い遂げられなかった……ね」
函館まで行こうと心に決めていたのに。
最期まで一緒に居たいと思っていたのに。
どうして、私を捨てたの?
私の何がいけなかったの?
自分が居ない間に、他の皆の手を借りて私を追い出すなんて……あまりに酷すぎる。
別れたいなら、私が要らなくなったのなら……はっきり、そう言ってくれれば良かったのに。
昨日あんなにたくさん泣いたのに、涙なんてもう枯れ果てたと思っていたのに……
私は小さく体を丸めると、声を押し殺して泣いた。




