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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第2章 新生活 ―非現実的な日常―
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初仕事



 屯所に戻ると、山崎さんが私の帰りを待っていた。



「朝説明があったと思うが、隊士たちの診察をこれから始めようと思う。支度が整ったら稽古場に来てくれ」


「わかりました」



 土方さんにお礼を告げると、私は足早に自室に戻り支度を整える。


 今日は検診と言っていたので、聴診器や血圧計等を持ち部屋を出た。





 稽古場に付くと、山崎さんが既に準備を進めており、何だか忙しそうだ。



「山崎さんは医術の覚えがあると伺いました。お医者様なのですか?」



 私は、手を動かしながら尋ねる。



「医者ではないが……家が針医者でな。子供の時分より教わってきたから、少しはわかるというだけだ」


「……そうですか」


 二言三言交わしている内に、支度が整う。



「山崎さん……診察を始める前にご相談があるのですが……少し、お時間はありますか?」


「何だ?」


「驚かずに聞いて下さいね。相談というのは……結核……いえ、労咳についてです」


「労咳だと!? ……まさか誰か労咳を患っているのか?」



 山崎さんは忙しなく動かしていた手を止め、私に向き直ると、真剣な表情で尋ねる。



「まだ確証はありませんが……私が知る歴史によると、総司サンが労咳だと伝えられています」


「沖田さんが?」



 山崎さんは何とも言えない表情をしている。


 これが、苦虫を噛み潰したような表情……とでもいうのだろうか?


 それもそのはずだ……私の時代では、万が一罹患したとしても薬剤がある。


 私達からしたら、結核は決して不治の病等ではない。



 余談ではあるが……結核の予防接種として有名なBCG。


 これについては乳幼児の粟粒結核や結核性髄膜炎を予防する効果のみがあるという。


 BCGでは、一般的な肺結核を予防する事はできない……と言うのがごく最近、WHOが出した結論だそうだ。



 つまり



 結核の罹患率の高い江戸時代に滞在していたら、私も結核に罹患する可能性がある……ということだ。



 話が少しそれてしまったが……



 今は江戸時代



 日本では明治時代の頃、海外でストレプトマイシンという結核の薬が開発され、昭和20年代に日本にその薬が伝わるまでは、結核は死病として恐れられ続けていたのだ。



「私に特効薬を作ることはできません。ですが……私の時代にある特効薬の1つが何を原料にし、どのようにして作られたかは解ります。それは、その薬程の効果は無いかもしれませんが……もしかしたら、労咳に有効かもしれないのです」



 私は、山崎さんにすがるような気持ちで話を続ける。



「まずは、労咳であるかどうかを見極めなければなりません。私に総司サンの診察をさせて下さい」


「……わかった。お前に頼もう」



 しばらくの間を要した後、山崎さんは静かに頷く。



「とはいえ……もとより、そのつもりだ。お前が医者でないとはいえ、俺より医術の知識があるのは確かだろう。だから、皆の診察はお前に任せようと思っていた」


「ありがとうございます」



 私は、ペコリと頭を下げた。






 診察は一日に十数名弱ずつ、数日間かけて行うらしい。



 さて……



 結核の診断とは言ったものの、初めての事なので内心は不安で仕方がない。


 現代では、レントゲンもあるしクオンティフェロンTBという結核専用の検査もある。


 この時代で診断の材料となるのは、病状と呼吸音の聴診くらいだ。


 看護技術の講義で聞いた、結核などで起きる異常呼吸音「水泡音」を必死で思い出す。





「桜、皆を呼ぶが……大丈夫か?」


「はい」



 山崎さんは私に確認を取ると、女中に声を掛けた。



「今日は局長と副長たち、それと沖田サンと平隊士数名だ」


「わかりました」





 しばらくすると、近藤さんと山南さん、土方さんの三人が訪れる。


 順番に体温測定と血圧測定を行い、脈拍や呼吸音、呼吸数などを確認し腹部聴診と触診をする。


 触診のみ山崎さんが担当した。



「異常はありませんね。桜……お前の所見はどうだ?」


「はい。こちらも皆さん全て良好でした」



 これといった不調症状は見られず、無事に三人の診察が終わった。





「いやぁ……その格好を見ると、本当に天女のようだなぁ。実に可愛らしい。その装いは、桜さんの世の物なのだろう?」



 近藤さんは目を細め言った。



「些か露出が多いのが気になりますが……他の隊士には見せたくなくなりますねぇ……土方君?」



 山南サンはニヤついた表情で、突然土方さんに話をふった。



「……フンッ。女の着物に興味なんざねぇよ」



 不機嫌な表情の土方さんは、私から視線を外す。



「おや、おや? 全く……土方君は素直じゃありませんねぇ」



 山南さんはきっと、土方さんをからかっているのだろう。



「おい……隊務が終わったら、すぐに俺の部屋に来い! お前に話がある」



 私が返事を返す間もなく、土方さんは私達に背を向け、部屋を後にした。



「さて、私達もお暇しましょうかねぇ……仕事の邪魔をするのは申し訳ありませんからね。それにしても、貴女の医術は実に興味深い。今度是非、色々と教えて下さいね」



 山南さんはそう言うと、近藤と共に去って行った。






 その後の私達は当初の手筈通り、隊士達の診察に取り掛かった。


 私の格好が珍しいせいか、異人なのか? とか、生まれは何処か? 等と様々な質問を投げ掛けられる。


 中には返答に困る質問もあったが、山崎さんがその都度助け船を出してくれたので、本当にありがたかった。


 他の隊士たちの健康状態も概ね良好であったが、風邪をひいている者や、擦過傷が軽く膿んでしまっている者などがいた為、処置等で随分と時間をとられてしまった。




 松本良順の言葉を借りるようだが……



 環境整備と栄養の向上が課題だと感じた。




 さて



 最後に総司さんが来るはずだが……いくら待っても、総司さんは来ない。



「総司さんは如何したのでしょう?」



 痺れを切らした私は、山崎さんに尋ねる。



「沖田さんの事だ。どうせ逃げ回ってるのだろう……これは、いつもの事だ」



 山崎さんは溜め息混じりに言った。



「私、探して来ます!」



 私は山崎さんにそう告げると、部屋を後にした。





 色々な隊士に総司さんの居場所を尋ねるが、皆口々に「知らない」と言う。



 諦めかけたその時。



 遠くで誰かの声がした。




「もぉ、離して下さいってば! 別に逃げたりしませんよ!」



 これは……総司さんの声だ。



「うるせぇ。おとなしくしてろ!」



 原田さんに軽々と抱えられた総司さんは、その肩で暴れている。



「おーい、嬢ちゃん。総司を捕まえてきたぜー!」


「あ……原田さん。ありがとうございます!」



 原田さんは私の目の前で、総司さんをひょいっと下ろした。



「総司、お前もガキじゃねぇんだから、嬢ちゃんに迷惑掛けんじゃねぇぞ!」



 原田さんはそう言うと、手をヒラヒラさせながら、この場を去って行った。



「総司さん……私に診察されるのは嫌ですか?」



 私は静かに尋ねる。



「……違うよ! 君じゃなくて、山崎に診察されるのが嫌だったの! 君がするなんて……本当に知らなかったんだ。……ごめん」



 総司さんは、本当に申し訳なさそうに謝る。



「それなら良かったです。それでは、一緒に稽古場に行ってくれますか?」



 私は総司さんに手を差し出す。



「お願い……します」



 総司さんは照れ臭そうに笑うと私の手を取り、二人並んで稽古場に向かった。


 稽古場につくと早速、皆と同じように体温や血圧などから測定していく。



 特に異常はない。



 脈をとりながら呼吸数を数え、その後は呼吸音を聴診する。



 念入りに聴くと……



 講義で聞いたあの音と同じ音が聴こえた。



 呼吸音に水っぽい雑音が混ざる。



 やはり……歴史は正しかったのだ。



 私は動揺を隠そうと、今にも震えてしまいそうになる手を必死で抑えた。



 聴診を終え、総司さんに尋ねる。



「最近、不調に感じるところはありませんか?」


「うーん。特に無いかな? ほら。こんなに元気だし!」


「そうですか……咳が出て困る事はありませんか?」


 総司さんは少し考える。


「そりゃあ、たまには出る時もあるけど……困る程ではないかな? この時期になると、僕はよく風邪をひくんだよねぇ」



 ほんの一瞬



 総司さんの表情が曇ったのを、私は見逃さなかった。



「わかりました。お部屋は一人部屋ですから大丈夫かと思いますが……風邪が皆さんにうつるといけませんので、咳をする際は注意して下さいね?」



 私の考えが総司さんに悟られないようにと、必死に笑顔を繕った。



「しっかり栄養を付けて、よく休めば……風邪なんてすぐに良くなりますよ。もし、何かあったらすぐに来てください」



 私がそう告げると



「ありがとう」



 と総司さんは一言だけ答え、部屋を後にした。





 後片付けをしている私に、山崎さんは尋ねた。



「労咳……なのか?」


「私の時代と違って詳しい検査が出来ないので確実では無いかもしれませんが……私は、労咳だろうと思います」



 山崎さんは大きな溜め息を一つついた。



「何故、本人に本当の事を言わなかったんだ?」


「そんなの、言えるわけがないじゃないですか! 特効薬なんて無いのに、何と言えば良かったのですか? ……貴方は労咳で、数年後には死にますよと言えとでも?」



 薬剤が無い苛立ちを、つい山崎さんにぶつけてしまった。



「すまん……」



 山崎さんの謝罪の言葉に、私はハッと我に返る。



「私こそ……ごめんなさい。山崎さんに当たっても仕方ないのに……」


「いや、良いんだ。気にしないでくれ」



 片付けが終わり、改めて山崎さんと話す。



「あの……先程の話ですが……薬は作れないけれど、治せるかもしれない。と言った事を覚えていますか?」


「ああ。そう言えばそんな不思議なことを言っていたな」



 結核について私の解る範囲で、一つ一つ山崎さんに説明する。


 労咳は、私の時代では結核という病。


 それは結核菌が原因であり、結核菌とは目には見えない物である事。


 浮遊している結核菌を吸い込む事で感染する、空気感染が主であること。


 吸い込んだといっても、それが肺にまで到達しなければ発症しないし、または健康体であり免疫力がある人であれば症状として現れない事もあるということ。


 後者のような不顕性感染をしている、いわゆる保菌者が結核を広める原因になっている可能性があるという事。



 そして……



 薬について。



 現代では、どういった薬を使って治療しているか。


 その中でも、この時代においては、一番頼りになりそうな薬のこと。



 それは



 土の中にいる菌である「放線菌」という物から発見された、ストレプトマイシンという結核に効く薬。



 そして、その薬の副作用。



「ここまでは分かりますが……薬を作るとなると私の力ではどうにもなりません。ですが、何か手だてがあるはずです。少し、私に時間を下さい」



 山崎さんは、私の話に質問をしつつ興味深そうに聞いてくれていた。



「そうか……。俺にはどうする事も出来ないが、言ってくれれば手伝うことはできる。何かあったら気兼ねなく頼ってくれ」


「ありがとうございます。失礼します」


「お前も……あまり一人で抱え込むなよ?」



 稽古場を出て部屋に戻る間、私は必死に頭を巡らせる。




 あの講義で、講師が何か言ってなかったっけ……




 思い出せ……




「あ!」




 結核の薬についての妙案は、残念ながら浮かばなかったが、一つだけ思い出した事がある。



「隊務が終わったら部屋に来い。話がある」



 ……すっかり忘れていた。


 私は、土方さんに呼ばれていたのだ。


 慌てて土方さんの部屋に向かった。












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