人斬り以蔵
慶応元年5月11日
この日はかの有名な『人斬り以蔵』こと岡田以蔵が処刑されたと伝えられる日。
私と以蔵サンが会ったのはたった二回だった。
一回目は追われた以蔵サンが、街角でぶつかった時。
この時に以蔵サンから指輪をもらった。
笑わせてくれたお礼に……と。
今考えれば、なんと可笑しな理由なのだろう。
二回目は葵チャンと定食屋に入った時。
この時、以蔵サンは龍馬サンと共に居た。
これは新選組が西本願寺へ屯所を移転するよりも少し前のお話……
この日は、近藤サンをはじめ副長助勤の私たちは、休みをとる山南サンを見送っていた。
山南サンは今回の事を利用して、明里サンを身請けし共に旅に出るのだという。
肩の荷が降りた様子の山南サンは、明里さん同様笑顔で屯所を去って行った。
「山南サン、行っちまったなぁ」
原田サンが少し寂しそうに呟く。
「きっと、また戻って来てくれますよ!」
「……だと良いけどな」
私と原田サンは同時に溜め息をついた。
「そう言えばさぁ……左之、あの話聞いたか?」
「あの話って何だよ? 新ぱっつぁん」
不意に尋ねる永倉サンに、原田サンは興味津々な様子だ。
「実はな……」
永倉サンの話に私もコッソリ聞き耳を立てる。
「何だ? 嬢ちゃんも気になるのか? 仕方ねぇなぁ、教えてやるからもっと近くに来い!」
永倉サンの言葉に、私と原田サンは永倉サンに近付いた。
「かの有名な大物が捕縛されたんだよ!」
「有名な人?」
私は永倉サンに問いかける。
「聞いて驚くなよ? その名も岡田以蔵!」
「以……蔵サ……ン?」
私はその名前に全身から血の気が引くのを感じた。
そんな私の様子など気付かない永倉サンは話し続ける。
「何でもよ。池田屋の事件辺りに追剥ぎの罪か何かで捕えられていたみてぇなんだが、それが今度土佐に送られるんだとよ」
「何でまた土佐に? 京で処刑じゃねぇのか?」
「それが俺にもわかんねぇんだよなぁ。まぁ、土佐に帰ったところで、斬首かなんかだろうけどな」
「岡田以蔵っちゃあ、かなりの人間を斬ったんだろう? そんな大捕り物があったとはねぇ……」
立ち尽くす私を放り、永倉サンと原田サンは噂話に花を咲かせる。
「ねぇ。何の話?」
集まっている私たちに気付いた総司サンと斎藤サンが近付いてきた。
「おう、総司! 気になるか? 気になるよなぁ?」
「左之サンの話なんてどうせ女性がらみなんでしょう? でも僕、今暇してるから聞いてやらなくもないですよ?」
「なんだ、総司は可愛げがねぇなぁ。まぁ良いや、新ぱっつぁん! 総司と斎藤にも話してやってくれ」
永倉サンは、総司サンや斎藤サンにも同様に話して聞かせた。
「へぇ……人斬り以蔵ねぇ。何人も斬ってきたとかいうけどさぁ……僕らだって変わんないよねぇ? 僕だって何人斬ったかなんて、もう覚えてないし」
「総司……」
総司サンの一言に、その場が凍り付く。
「それよりさぁ……桜チャン。さっきからおとなしいけど、大丈夫? 気分でも悪いの? それとも……岡田以蔵に何か思い入れでもあるのかなぁ?」
総司サンの言葉に、私はふと我に返る。
「いえ……少し考え事をしていただけですから」
心の中を見透かされたような一言にドキッとしたが、笑顔を無理矢理つくり答えた。
「考え事ってなぁに?」
総司サンは意地悪く尋ねた。
「それは……えっと……そう! その以蔵サンっていう人と総司サン。どちらが強いのかなぁ……なんて、ね」
私は苦し紛れにそう答えた。
「そんなの決まってるでしょ? 僕の方が絶対に強いよ」
「そう……ですよ、ね。えっと、私……そろそろ医務室に戻ります」
そう告げると、私はその場を駆け出した。
「トシっっ!!!」
屯所内に戻るなり、トシを捕まえる。
「ん? そんな血相かいてどうした?」
「どうした? じゃないよ。何で教えてくれなかったの?」
「はぁ? いったい何のことだよ」
「以蔵サンのこと……捕縛、されていたんだってね? 土佐に……送られるんでしょう?」
「お前……どうしてそれを?」
「永倉サンに聞いたの! どうして教えてくれなかったの?」
私はトシに掴みかかる勢いでまくしたてる。
「言ったところで……どうすんだよ」
「でも……」
「捕縛されちまってるモンは、どうにもなんねぇんだよ! それに、今回の件は機密事項だ」
「機密……事項?」
「町奉行所が追剥ぎを捕縛したんだがな、そいつが土佐の生まれという事で顔見せに土佐藩士を呼び出した。その藩士は、こんな奴ぁ知らねぇと言ったそうだが……それがどうも、きな臭ぇ。奉行所内では、岡田以蔵じゃあねぇかとの声も上がったそうだが……何故か、尋問前に京洛追放の沙汰が出た。結局、土佐への送還で済んじまったんだよ。どうせ、上の力が働いてやがんだろうな」
トシは、事の顛末を詳しく話してくれた。
私は黙ってそれを聞いていた。
「だいたいなぁ……そいつは、捕縛されるだけの事をしてきたんだ。それだけの罪がある。違うか?」
トシは真剣な表情で私を見据える。
「そんなモンはなぁ……自業自得なんだよ」
「そうかもしれない……けど、私には悪い人には見えなかったもん」
「お前がそうは思っていてもなぁ、何人もの幕臣を暗殺してきたアイツは……立派な大罪人だ」
トシの言葉に、私は何も言い返せなかった。
私は歯痒さに、俯き涙を流す。
「お前は絶対に泣くと思ったさ。だから敢えて言わなかったんだ」
トシは私を包み込むと、そう呟いた。
「以蔵サンは……処刑、されちゃうの?」
「おそらく……な」
「そう……だよね。大罪人……だもんね」
私は唇を噛み締めた。
「捕縛されちまったモンはもうどうにもなんねぇ。生かすことはできやしねぇ。だが……最後に一度、会いに行きてぇんじゃねぇのか?」
トシの意外な一言に、耳を疑った。
「会いに……行って良いの?」
「それで、お前の気持ちの整理がつくなら……な」
「会いたい!! 私、以蔵サンに会ってきたい!!」
私を顔を上げると、そう言った。
「他の男に会いに行きたいなんざ言われるとはなぁ……わかっちゃいるが、どうにも複雑だ。だが……お前がそう願うなら、叶えてやるよ」
トシは苦笑いを浮かべた。
翌日
私とトシは、町奉行所へ向かった。
本来ならば、土佐への送還を控えている以蔵サンに会うことなどできはしない。
ここは職権濫用というか……仮にも京に名を轟かせる新選組だ。
町奉行所が相手であれば、不可能な事も可能になってしまう。
「何用だ?」
奉行所の門前で、門番に止められる。
「京都守護職 会津藩御預 新選組副長 土方歳三、訳あって捕縛されている鉄蔵という男に相見させて頂く。」
鉄蔵というのは、以蔵サンが語った偽名のことだ。
「新選組だと? そのような話は伺ってはおらんが……」
「此度の相見は内密なことだ」
「だが、しかし……」
「町奉行は所司代だろう? こちらは守護職だ。分かったら、とっとと案内してもらおうか?」
「承知した」
町奉行所は京都所司代の下に、新選組は京都守護職の下に置かれている。
権力的にみると、京都守護職は京都所司代の上に位置する。
新選組と町奉行所、どちらが上かは計れないのかもしれないが、先程のトシように新選組が上と言い切ってしまう事のほうが多いという。
奉行所の役人に案内してもらった牢の前で、私は小さく深呼吸をする。
役人はそそくさと仕事に戻り、トシは少し時間を潰すがてら役人に口止めをしてくると言い残して去って行った。
「以蔵……サン?」
私は人影に向かい、問いかけた。
その人影はゆっくりと振り返り、私の元へと近付いてきた。
その姿に私は呆然とする。
あれ程までに端正な顔立ちだった以蔵サンの姿はそこには無く、衣類も髪も顔ですらも汚れ果て、心なしかやつれている様にも見えた。
「以蔵サン……なのですよね?」
「お……おまん、何故此処にいるがじゃ? わしゃ、幻でも見ちょるがか?」
「幻ではありません。ほら……」
以蔵サンから受け取った指輪を差し出すと、以蔵サンは震える手でそれを受け取った。
「こんな姿を晒す羽目になるねゃ……まっこと、ずつないきに」
以蔵サンはそう呟くと、唇を噛み締めた。
「わしゃ、行く末は分かっちゅう。土佐に戻った後は尋問と斬首が待っちょる。ほんじゃが……最期におまんに会えちゆうがじゃ。はや思い残すことは無いきに」
「そんな……」
以蔵サンの行く末を知っている私は否定も肯定もできず、ただただ俯いた。
「己の業は己が一番よく知ちゅう。わしには先はないきに」
あの日と同じ言葉に、涙があふれる。
「以蔵……サン。私ね、一緒に食べようと思って……金平糖、持ってきたんですよ」
可愛らしい和紙に包まれた金平糖を、以蔵サンに手渡した。
「金平糖……か」
以蔵さんは二つ、三つ口の中に放り込む。
「甘いのう……まるで京の街のようじゃ」
「……京の街?」
「京で過ごやっちゅう日々は、今思えば甘く儚いもの……武市先生のもとで剣術を学び、筋がしょうえいと……先生に褒められることこそ、わしの生き甲斐じゃっちゅうが。ほんじゃが、次に生まれて来よる時は……人斬りの居ない世がええ 」
以蔵サンは、目を細めて言った。
「やだなぁ……以蔵サンったら、次だなんて……縁起でもない」
「おまんは……生きろ。わしが死ったら、おまんの後ろで守っちゃるから……幸せに生きておせ」
「後ろでって……背後霊なんてお断りですよ。それに、最後かどうかなんて……分からないじゃないですか」
そう言いつつも、とめどなく溢れる涙にうまく笑顔が作れなかった。
「おまんは、はや帰れ」
「どうして?」
「こがあ所に長く居ては、おまんまで皆に怪しまれてしまう」
「でも……」
「しょうえいから帰れ。おまんの顔を見られただけで、満足ちや。出来ることならば……この指輪……持っていとおせ。 さぁ、行きいや」
私はこくりと頷くと、指輪を受け取りその場を後にした。
最後の面会……というには、あまりにあっけなかった。
以蔵サンとは、さほど親交があったというわけではないが……やはり、顔を知っている者が、というのは悲しい。
久坂サンに続き、次は以蔵サン……この時代に辿りついた私は、この先一体、どれ程の人を見送れば良いのだろう?
新選組の皆とも、別れなければならない日が訪れるのだろうか?
総司サンを救い、山南サンを生き永らえさせた。
次は、誰を救えるのだろう。
救える命と、救えぬ命
その狭間で揺れ動く。
その後、以蔵サンは土佐へと送還されたという。
土佐へ戻されてからは、史実の通り。
厳しい尋問の後、処刑されるそうだ。
だが、私がこのことを知るのはもう少し後になってからのお話……
君が為
尽くす心は 水の泡
消えにし後は 澄み渡る空
慶応元年5月11日
岡田 以蔵
享年 28




