吐露
夕餉後
私とトシは近藤サンの部屋へと向かった。
何からどう話せば良いのだろうか?
考えを纏めようとすればする程、上手い言葉が浮かばない。
今日は一日中、昨夜の山南サンの……あの苦しそうな笑顔が頭から離れなかった。
私の提案が受け入れて貰えなかったら……
悲しい運命を変える事が出来なかったとしたら……
どんどん悪い方へ、悪い方へと考えてしまう。
「おい……大丈夫か?」
近藤サンの部屋の前で、トシが私に声を掛ける。
「う……うん、大丈夫」
その言葉を聞き、トシは襖を開けた。
「近藤サン、邪魔するぜ?」
「あぁ……来たか。まぁ座ってくれ」
「失礼します」
私とトシは腰を下ろした。
「で……話とは何かな?」
「えっと……」
どこからどう話せば良いか、考えがまだ纏まって居なかった私はうろたえる。
「時間はたっぷりあるんだ……言いにくい事ならば焦らずとも良い。ゆっくり話してくれれば大丈夫だ」
私の様子を見た近藤サンは、優しくそう言った。
しばらくの沈黙の後、私は口を開く。
「離隊を……新選組は、離隊をする事は可能なのですか?」
「離隊? 理由にもよるが……平隊士の中には、離隊をしていった者も、過去には居たな。実家の都合であったり、新選組の厳しい稽古についていけない者であったり……その理由は様々だ」
「そう……ですか。もし、それが……平隊士でなく、幹部だとしたら如何ですか?」
近藤サンは、珍しく訝しげな表情になる。
「それは……桜サンが離隊したい、という事かね?」
「い……いえ! 私ではありません!! 私は出来る事なら、ずっと……新選組に居たいです」
「そうか……それはそれは、嬉しい事を言ってくれる」
近藤サンは笑顔で言った。
「要するに……だ。幹部の中に、離隊してぇ奴が居るって事なんだろ?」
私の言葉の端々から推測したのか、トシが口を開く。
「そう……です」
「まぁ……誰だかは大方予想がつくがな?」
トシは苦笑いする。
きっと、勘の鋭いトシには分かってしまったのだろう。
それが、山南サンの事だと。
「離隊をしたい幹部とは……誰の事、かね?」
近藤サンの問い掛けに、私は小さく深呼吸する。
「山南サン……です」
「やっぱり……な。どうせ、俺の遣り方が気に食わねぇってんだろう? 屯所の引っ越しにも、偉く食らい付いて居やがったしな」
トシは吐き捨てるように呟いた。
「出来る事ならば、山南サンを穏便に離隊させてあげて欲しいんです。でなければ……」
私は俯く。
「離隊を認めなければ、どうなるのだろうか?」
近藤サンが不安気に尋ねた。
「脱走の罪により…………切腹、です」
「まさか……私達が山南クンを粛正するなんて事はありえん」
「史実では……そう、なんです。介錯は……山南サンの希望で、総司サンが」
近藤サンは考え込む。
「だがなぁ。幹部を離隊させるなんざ、出来ねぇよ。隊の士気に関わる」
「隊の士気と山南サンの命……どちらが大事なの!?」
私はトシをキッと睨む。
「俺はなぁ、山南サンの事が嫌いで言っているんじゃねぇ……だが、新選組に悪影響となる事を分かっていて、みすみす見逃す事もできねぇさ」
「山南サンが……死んでも良い、トシはそう言うのね?」
「んな事ぁ言っちゃあいねぇだろうが!!」
私とトシが言い合いしている間、近藤サンは目を閉じ眉間にシワを寄せていた。
「そう……か。山南クンが……な」
近藤サンが突然口を開く。
「私は、山南クンの事を理解しきれていなかったのだな……何とも情けない」
「近藤……サン?」
近藤サンの悲痛な表情に、私とトシは顔を見合わせる。
「私……思うんです。山南サンは、病ではないのかと……」
私はここ数日、山南サンの事を観察し考えて至った結論を話した。
「病……? 何の病かね?」
近藤サンは心配そうな表情で尋ねる。
「心の……病です」
「心の病? どういう事だね?」
私は一つ一つ丁寧に説明する。
「私には、山南サンの脱走の理由が分からないのです。先見の明のある山南サンが……脱走などするとは思えません」
「私もそう思うな」
近藤サンは頷いた。
「それに、山南サンが捕まったのは大津でした。本気で逃げようとしている人が、そんな近場に滞在するなんて……有り得ません」
私は小さく深呼吸する。
「だから、脱走は……病ゆえの、突発的なものだったのでは無いでしょうか?」
「それで……その病とは?」
「気分障害の一つ……うつ病です」
「う……つ病?」
聞きなれない病名に、近藤サンとトシは顔を見合わせ、首をかしげる。
「うつ病とは、心の風邪のようなもの。誰でもかかる病です。ストレス……いえ、心に重圧がかかると人は次第に、体調や心の均衡を崩していきます」
「心の……風邪」
「屯所の移転などの問題で、かつての仲間たちとの意見の相違や行き違いから……少し疲れてしまったのでしょう」
私は説明しながらも、山南サンとの話を思い出していた。
「山南サンはここしばらく、あまり食が進まない日が続いて居たように感じました。それと、あまり良くは眠れて居ないのか、目の下にクマが出来ていました。昨夜、山南サンと話をした際に……新選組には居場所が無い、とも言っていました」
「居場所? 私も皆も、そんな風には思ってはいない!」
近藤サンは悔しそうに言った。
「私は精神の分野には詳しくは無いので、私の憶測に過ぎませんが……その言葉は、自己肯定感の低下によるものでしょう。自分が必要の無い存在だと感じ……最悪の場合は、自分の手で……その命を絶つ事もあるそうです」
山南サンが気分障害……それも、うつ病なのでは無いか?
昨夜の話を聞いた事と、ここ数日の山南サンの様子を観察した結果、私はその結論に達した。
史実にあるように、山南サンが脱走する事自体が私には腑に落ちなかったのだ。
先見の明のある山南サン。
脱走という行動が、自分やその周囲にどういった影響を及ぼすのかなど……山南サンに分からない筈はない。
穏和な山南サンが、離隊を認められなかったからと言って脱走……それも中途半端に抜け出すとは思えない。
本気で脱走するならば……聡明な山南サンの事だ、きっと入念な計画を練り、難なく逃げおおせるだろう。
自分の死をもってして新選組の体勢を非難した、という見解が通説だが……それならば、死ぬ事以外にもっと何か出来たような気がする。
もっとも、死ぬ事こそが武士の美学だ、と言われてしまえば元も子も無いのだが……
だから私は、気分障害ゆえの突発的な行動だったのではないか?と考えたのだ。
「それで……その病はどうやったら治るんだ?」
今まで黙って聞いていたトシが不意に口を開く。
「休む事……かなぁ?」
「休む事だぁ? 何だ、そりゃあ。」
トシは拍子抜けしたように呟く。
「私の時代には専用の薬があるけど……そんなの、さすがに作れないもの。出来る事なんて、新選組から離れてゆっくり休む事と、お日様に当たる事くらいだよ」
「日に当たるだぁ?」
「うん。お日様に当たるとね、セロトニンっていう物質が体の中で作られるの。そのセロトニンが少なくなると、気分が滅入っちゃったり攻撃的になったりしちゃうんだよ。でも、生成にはトリプトファンが必要だから……大豆とか鰹節を食べなきゃね」
気分障害はセロトニンという神経伝達物質の不足との関連があるという。
セロトニンは精神の安定に不可欠な物質であり、それは日に当たる事でよく生成されるようになる。
だが、そこで必要なのがトリプトファンだ。
必須アミノ酸……と言えば、聞き覚えがあるかもしれないが、必須アミノ酸は人体に必要ながらも、体内では生成出来ない為、食物から摂取しなければならない。
トリプトファンも必須アミノ酸の一つで、食品では大豆や牛乳やチーズ等に多く含まれる。
また、鰹節は必須アミノ酸が全て含まれている優れた食品なのだ。
「お前の言葉は良くわかんねぇが……要するに、山南サンを休ませろって事なのか?」
トシは頭をかきながら言った。
「そう! 離隊が無理なら、せめて……しばらくの間、山南サンを休ませてあげられないかなぁ? 江戸でゆっくりするとか、明里サンと旅に出るとか……。休ませるにしても、独りきりにさせるのは駄目だから……気兼ねしない明里サンに付いていてもらうのが良いと思うの。」
トシも近藤サンも考え込む。
「山南サンを……死なせたくはないでしょう?」
そう言った私は、そのまま近藤サンに目を移す。
「近藤サン、如何ですか?」
「そうだな……山南クンに新選組から離れてもらうのは困る。しかし……しばらくの間、休みを与えるというのならば……まぁ、可能だろう。明里サンに付いていてもらうというのも、賛成だ。……だが、決断は明日まで待ってもらえないだろうか?」
近藤サンは、少し頭を整理したいから……と付け加えた。
「分かりました。ご検討よろしくお願いします!」
そう告げると、私は部屋を後にした。
絶対に……山南サンを死なせはしない!!
夜空に瞬く星々に、そう堅く誓った。




