予防接種
今日は朝からバタバタと慌ただしかった。
何故なら、今日は予防接種を行うからだ。
伊之助サンが届けてくれた破傷風トキソイド
これを全隊士に接種させる。
その仕度を行っていた。
予防接種に加えて、ついでに簡単な健康診断も行う予定だ。
島原が近いせいか、毎晩のように島原通いする者が多く、労咳や梅毒に感染している者がいれば、投薬治療を行う事が目的だった。
「これで完了です!」
私は笑顔で山崎サンに言った。
「それでは……まずは俺に打ってもらおうか?」
「分かりました」
注射器にワクチンを吸い上げると、山崎サンの皮膚にアルコール消毒を行い、ワクチンを注入した。
「こんな物か……それにしても、これで破傷風に掛からなくなるとはな。お前はこの日の本一の名医だな」
「それもこれも、医学所のみなさんのお蔭です。私は先の世の医学書を与えただけであって……有能なのは、この時代の医者のみなさんですよ!」
「そう謙遜するな」
山崎サンは優しく笑うと、私の頭を撫でた。
「山崎サンは、労咳や梅毒は大丈夫ですか?」
「労咳は分からないが……梅毒は大丈夫だ。何より身に覚えが無いからな」
山崎サンは気恥ずかしそうに呟いた。
聴診では労咳の気はなく、安心する。
「さて……皆を呼ぶが、良いか?」
「お願いします!」
平隊士たちが訪れる。
初めて見る予防接種というものに、隊士たちはざわめきだっていた。
「新選組の男がこれくらいの事で何を騒ぐ? 刀傷の方が余程の痛みだろう?」
山崎サンは怯える隊士たちを一喝した。
「そうですよ。破傷風は刀傷から感染しやすいんですよ? 発症したら死んじゃいますからね! さて、一番勇気のある方は……誰ですか?」
その言葉に隊士たちは覚悟を決めた様で、我先にと列をなした。
実施前は怯えていた者も、いざ終わってみるとスッキリした表情になり、笑顔で医務室から去っていく。
平隊士たちの予防接種は無事に終わった。
しかし
労咳が1名居た他、梅毒は5名と……決して少なくない数字であった。
労咳の1名は即隔離し、ストレプトマイシンを投与する。
心配なのは、不顕性感染……つまり、菌に感染しているのに発症していない者が居ないかどうかだった。
不顕性感染者は、自分でも気付かぬ内に菌を広めてしまうからだ。
梅毒の5名に関してはペニシリンを投与し、禁欲を命じた。
昼餉の後は幹部の予防接種だ。
昼餉の間は小休止とはいえ、先程の予防接種の副反応が起こらないかどうか危惧していた。
昼餉の後、医務室に戻るとすぐに幹部達が集まった。
「一番手は左之だろう?」
「いやいや……新ぱっつぁんに譲るよ!」
原田サンと永倉サンは互いに押し合っている。
「こんな時に、魁先生が居てくれたらなぁ……」
二人は、今なお江戸に居る平助クンを想い、深い溜め息をついた。
「それでは、誰が一番手か……桜サンに決めて頂きましょうか?」
山南サンが楽しそうに言った。
「私……ですか!? それでは……原田サンでお願いします」
その言葉に、永倉サンはニヤリと笑う。
「左之~。嬢ちゃんからのご指名だ!」
「何で俺なんだよ~」
原田サンは渋々私の前に来る。
「切腹しても大丈夫な人は、予防接種くらいでは死にません!!」
私はピシャリと言い切った。
原田サンは注射器から顔をそむけている。
私はそんな原田サンを気にする事なく、テキパキと済ませた。
「あれ? もう終わったの!? 何だよ、何だよ……怯えて損しちまったよ」
原田サンは終わるなり、笑顔を浮かべた。
原田サンの様子を見ていた皆は安心した様で、その後はスムーズに予防接種を行う事ができた。
労咳の方は皆クリアしたが、問題は梅毒だった。
幹部にもなれば、その給金は平隊士と比べて格段に高くなる。
島原通いも平隊士の比ではない。
「梅毒の疑いがある人! 正直に手を挙げて下さい。」
梅毒は吉原や島原をはじめ、多くの歓楽街で深刻な病であり、この時代ではいつ誰がかかっても不思議でない程だ。
しかし
梅毒にかかっているか調べる検査である、ワッセルマン反応による検査に関しては未だ研究段階だそうで、確実に調べる事は出来ない。
そうなると、それに近しい症状が出ているかどうかで判断するしかないのだ。
この時代の日本では、梅毒の感染率が異常に高かったので、たいていの人がその症状がどんな物なのかを知っている。
症状が出ている者ならば、その感染者を発見する事は案外容易いようだ。
「左之と新八はよく診てもらった方が良いな」
トシがぼそりと言う。
「そう言う土方サンはどうなんですか~?」
総司サンが意地悪そうに尋ねた。
「なっ!? ……俺は身に覚えがねぇ!!」
眉間にシワを寄せ、トシは総司サンを睨む。
「だよなぁ……土方サンが梅毒になっちまったら、嬢ちゃんも梅毒になっちまうもんなぁ?」
「は……原田サン!! な、何を言ってるんですか!?」
原田サンの言葉に、全身が一気に紅潮する。
「嬢ちゃんは可愛いなぁ……すぐに真っ赤になっちまう」
永倉サンは私の頬をつつきながら笑った。
「もうッ!知りませんっっ!!」
私は頬を膨らませた。
「あまり……からかってやっては可哀想ですよ?」
斎藤サンが二人を制止した。
今のところ、皆にそれらしい症状は無い様で、予防接種と健康診断は無事に終了した。
「もうっ……原田サンと永倉サンったら、いつも私をからかって!」
独り言を言いながら、後片付けを行う。
「良いじゃないか」
山崎サンがフッと笑った。
「……何が良いんですか?」
訝しげな表情で尋ねる。
「お前は皆から愛されている……」
「意味がわかりません!」
「副長以外の皆は……お前を妹の様に可愛がって居る、という事だ」
山崎サンは私の頭にポンっと手を置いた。
「妹……ねぇ」
山崎サンの言葉が本当かは分からないが、何となく嬉しくなり、自然と顔がほころんだ。
本当にそうだったら、少し……嬉しい、な。




