お国訛り
どれ程走った……いや、走らされただろう。
気付くとそこは京の街を一望できる小高い丘だった。
追っ手をまく事ができた様で、男性は息を切らしながら地面に座り込む。
深くかぶっていた笠を脱ぎ捨てると、彼は驚く程に端正な顔立ちをしていた。
「す……すまん」
男はそう呟くと頬を紅潮させながら、慌てて手を離す。
私は息を整えると、その男性に尋ねた。
「えっと……貴方は誰? というか……どうして追われているの?」
「……それは言われんきに。慌てていたとはいえ、お嬢さんを捲き込んでしもうたのは、まっことすまんと思うちゅうがじゃ……」
んん?
これはあの有名な……土佐訛り?
追ってたのは……確か、新選組の平隊士だったよね?
と言うことは……
まさか!
「坂本龍馬!? ……さん?」
私が出した名前に、男は目を丸くする。
「おまん……坂本さんを知っちゅうがか?」
えぇっと……
あれ?
人違い……なの!?
よく時代劇とかで坂本龍馬がこんな話し方をしているので、私には土佐弁イコール坂本龍馬というイメージがあった。
「あれれ? 人違いだったみたい……です。わぁ……ごめんなさい!」
私は、慌てて男に謝った。
「おまん、名前は……何ちゅうがかえ?」
「……桜ですけど」
「ほうか、桜か……ええ名じゃあ。俺の名はなぁ、以蔵じゃ。岡田以蔵! 坂本サンを知っちょる者になら、名乗ってもええじゃろう」
岡田……
以……蔵!?
まさか……あの有名な……
「人斬り以蔵!?」
驚きのあまり、私の考えは声として出てしまっていた。
しまった!!!
以蔵さんの機嫌を損ねたりして、斬られてしまったら……どうしよう。
そんな私の不安とは反対に、笑い声が高々と響く。
「ほうか、ほうか。こがぁな娘にまで、この名前は響いちょるのか……まっこと忌々しい」
以蔵さんは自嘲気味に呟くと、どこか寂しげな表情で空を仰ぐ。
その表情に何だか罪悪感を覚えた。
「私……以蔵サンの事、怖くないよ! 良くわからないけど……不思議と貴方に怖さは感じない……気がする。今のは、いきなりでビックリしただけで……貴方は悪い人じゃないと思うの! 初対面なのにこんな事を言うなんて笑われてしまうかもしれないけど……でも!」
私が苦し紛れにそう言うと、以蔵さんは更に笑う。
「まっこと不思議な娘じゃのう。そがぁに気なんぞ遣う必要は無いねや。それにしても、人を斬り過ぎた俺が良い人か……有り得ん。ほんじゃが、生まれ変わったら……人斬りの無い世の中がええ。ほいたら、真っ当な人になれるじゃろうなぁ」
以蔵さんは淋しそうな表情で呟いた。
「ほうじゃ、ほうじゃ……」
以蔵さんは自分の懐をまさぐると、指輪のような物を取り出した。
「こりゃあなぁ……おまんの言う坂本さんに貰ったんじゃ。なんでも異国じゃあ、好いた女と祝言を挙げる時に送る……とか言うちょったなぁ? ほんじゃが……わしには送る相手もおらんきに。笑かしてくれた礼に、おまんにやるがじゃ」
以蔵さんは、指輪を私に差し出した。
「るびい……ちゅう石じゃそうだ。この緋色がほんに綺麗じゃろ?」
私は差し出された指輪を、反射的に受け取ってしまう。
「駄目! えっと、もしかしたら……この先、以蔵さんにも本当に渡したい人ができるかもしれないでしょう? だから……こんな高価な物を私なんかが貰えないよ……」
私はしばらく指輪を眺めて居たが不意に我に返り、以蔵さんに指輪を差し出すとそう言った。
その言葉に以蔵さんは優しく笑うだけで、この指輪を受け取ろうとはしなかった。
「こがぁなモンは、先の無い者には不要じゃき……」
そう一言だけ呟き、以蔵さんは私に背を向け足早に去って行ってしまった。
「ねぇ……待ってよ」
私は、何故か彼の後を追うことが出来なかった。
ぶっきらぼうに手渡された指輪を握り締めると、不思議なことに自然と涙が溢れた。
先が無い……
彼はまるで自分の運命を知っているかのような口振りだった。
もう二度と、以蔵さんとは生きて逢うことは無いのだろう。
彼はそう遠くはない将来、捕縛される運命なのだから……
歴史を知っているが故の苦悩もある。
それを初めて痛感させられた気がした。
歴史を知っていたところで、私にはどうする事も出来ないのだ。
まして、私は新選組に拾われた身なのだから……
その後、どうやって丘を下ったのか……全く覚えていない。
京の街外れの畦道にまで戻って来た時、私は土方サンに出逢った。
土方さんは巡察から戻った際に門番から「私が土方さんを追って屯所を出た」という事を聞きつけ、ずっと私を探してくれていたらしい。
私は土方さんの顔を見るなりしがみつくと、そのままの状態で気が済むまで泣いた。
「お……おい! 一体、何があった!? お前……誰かに何かされたのか!?」
土方さんは私の突然の涙に、慌てた様子で尋ねる。
「ち……違うんです! 私……結局、何もできないんですよね。 悲しい運命を辿る人に会っても……どうして良いのか分からないんです。何のために此処にいるのか……全然解らない……」
何が何だか訳が解らない様子の土方さんは、突然の事に戸惑いつつも困った表情を浮かべた。
仕方無しにか私を優しく抱き止めると、まるで泣いている子供を落ち着かせるかの様に背中を擦ってくれていた。
どれ程経っただろう。
私は少しずつ落ち着きを取り戻す。
「おい……落ち着いたか?」
土方さんの言葉に私はコクりと小さく頷くと、その懐からそっと離れた。
「えっと……ごめんなさい……」
「何で謝んだ?」
「それは……昨夜と今朝と今の分……です。何だか……土方さんには迷惑ばかり掛けてるなぁと思いまして」
「まぁ……確かに昨夜はなぁ……相当重かったからなぁ。雛菊の倍はあるな……ありゃあ」
「っ……土方さん……酷いです!」
私がぷうっと頬を膨らませると、土方さんの大きな手が私の頭を撫でる。
「帰るぞ」
「……はい」
帰り道
私は以蔵さんに貰った指輪を握り締め、心の中で呟いた。
私……少しでも多くの人の命を救いたい!
この人を……この人達を死なせたくはない!
なにか……何かきっと、必ずできる事があるはずだ。
その何かを、まずは見付けよう。




