流行り病の恐怖
ある早朝、突然部屋に押し掛けてきた山南サンの声に、私は目を覚ます。
まだ夜も明けきらず、辺りは薄暗い。
「桜サン! すみませんが、失礼しますよ?」
「山南……サン? 如何されましたか?」
重い瞼をこすり、起き上がった。
「実は……隊士たちの間に、突然体調を崩す者がおりましてね。一人や二人でしたら、ただの風邪とでも思いましたが……何せ寝込んでいる人数が人数でしたので、取り急ぎ貴女に見てもらいたいのです」
山南サンは、申し訳なさそうに説明した。
「わかりました……すぐに伺います。体調を崩している隊士を、全て医務室の隣の部屋に移動させて下さい」
山南サンが部屋を去ってから、簡単に身仕度を済ますと、急いで医務室へと向かった。
医務室で必要になりそうな物を手に取る。
隣の部屋の襖を開けると、7人の隊士が臥していた。
風邪にしては、皆かなり辛そうだ。
体温を測ると、一名を除く全員が38℃前後だった。
「山南サン……ここは私一人でやりますので、部屋の外でお待ち頂けますか? 山南サンに伝染るといけません」
そう山南サンに告げ、私は隊士達を順番に診察する。
体温が38℃前後。
咳や鼻水、くしゃみを伴っている。
一見すると、インフルエンザや風邪の類いのようだが……この時期にインフルエンザが蔓延するとは考えにくい。
他にめぼしい症状は……結膜の充血、か。
元より医者では無い私には、判断のしようがなかった。
そういえば、一人だけ解熱傾向の隊士が居たという事を思い出す。
その隊士から何か分かるかもしれないと思い、入念に診察した。
すると
原因が判明するきっかけになる症状を見付けた。
コプリック斑
そう、つまりはこの隊士たちは、
麻疹……はしか
なのだろう。
コプリック斑とは麻疹の特徴的な症状で、熱が下がった頃に現れる。
頬の辺りの口腔粘膜内に生じる白い斑点の事だ。
麻疹には、カタル期~発疹期~回復期と三段階ある。
カタル期とは今臥している隊士の状態で、発熱や咳、鼻水に充血などを伴う。
この熱が下がった頃に、先程のコプリック斑が現れるのだ。
このカタル期が過ぎると次は発疹期で、40℃近い高熱と、耳の後ろから始まった発疹が顔、上肢、下肢と順番に全身へと広がる。
これを越せれば回復期へと移行するのだが……中耳炎や肺炎、麻疹性脳炎を合併する事もあり、とても恐ろしい病だ。
「山南サン……残念ながら……」
廊下に出るなり山南サンに声を掛ける。
「残念? まさか……何か重病ですか!?」
山南サンは咄嗟に私の両肩を掴む。
「麻疹……です」
私の言葉に、山南サンは目を丸くした。
「流行り病……ですか。それで……私たちはどうしたら良いのでしょうか?」
「麻疹に関しては……特効薬も、予防法もありません。本人の回復力に期待する他は……手立てはありません」
医学所で予防接種を作りたいと思っては居たが、ウイルスは電子顕微鏡でしか見られない。
加えて、培養方法も特殊なため江戸時代の技術では不可能だった。
「そう……ですか」
山南サンは肩を落とす。
「これ以上蔓延させない為にも、麻疹にかかった事の無い方は患者と接触させないで下さい。麻疹は咳やくしゃみから伝染ります」
「私は子供の時分、一度かかりました。私には伝染らないのですか?」
「一度かかった経験のある方には、余程でない限り伝染りません。ですが……かかった事の無い方が感染すると、確実に発症します。麻疹は……非常に感染力の強い病なのです」
麻疹にかかると終生免疫を獲得できる。
つまり……二度とかからないという事だ。
私はというと、入学の時点の抗体検査で幼い頃に受けた予防接種の効力が落ちている事が分かり、予防接種を受け直していたので、多分伝染る事は無いだろう。
「貴女は……大丈夫なのですか?」
山南サンは心配そうに尋ねた。
「私は大丈夫です。麻疹にかからない様な対策を施されているので、伝染しないと思いま。」
「そうですか……。昔から『疱瘡は見目定め、麻疹は命定め』と言われています。貴女に頼りきりの私が言うのも可笑しな話ですが……決して無理はなさらないで下さいね?」
「命……定め?」
私は首をかしげた。
「つまり……亡くなる方が多いという意味です。明確な治療法などありませんから、一度流行れば最後……そこかしこに屍の山ができる様な病です。町民が麻疹絵にすがる気持ちも何となく分かります」
「麻疹……絵? それは、何ですか?」
「疫病を広めんとする酒呑童子を医者などが倒す……という錦絵ですよ。麻疹よけだそうです」
「絵などで病が防げるなら、医者は存在しませんよ!」
「それもそうですね」
山南サンはフッと笑うと、近藤サンらに現状を報告しに向かった。
既に、朝日は登りきっていた。
初めて目にする麻疹という病。
不安だらけではあるが……私がやるしかない!
そう己を奮い起たせ、麻疹に苦しむ隊士たちの元へと戻った。




