京巡り
「お待たせ致しました。伊東サン……お仕度は整いましたか?」
伊東サンの部屋の前で声を掛ける。
「ああ……忙しいところ、申し訳ないね?」
伊東サンが部屋から出てくる。
「今日は、どのような所をご覧になられますか?」
「そうですねぇ……京には歴史的な建造物がたくさんあるそうですね? 私は京には不慣れですので、貴女にお任せします」
お任せします……と言われても、私も京生まれでは無いので、無理ですよ。
などとは言えず……ありきたりだが、近場から案内する事にした。
それにしても、何故私なのだろう?
策士家のイメージの強い伊東サンだ。
何か、考えがあるに違いない。
私は少しだけ警戒する。
屯所を出るなり、私と伊東サンは並んで歩いた。
「あっ!!」
伊東サンが突然声をあげる。
「如何しましたか?」
「そうだ! 少しだけ予定を変更しても良いでしょうか?」
「私は構いませんよ」
私の一言に、伊東サンは安堵の表情を浮かべる。
「実はね……私の妹の須磨に京土産を送りたいのです」
伊東サンは照れ臭そうに言った。
「伊東サンは妹サンがいらっしゃるのですね。伊東サンに似ていらしたら、とても美人な方なんでしょうね?」
美女の様な繊細な顔立ちの伊東サン。
この方の妹サンなら、きっとさぞや美しいのだろう。
そう思い、何気なく呟いた言葉だった。
すると
その一言に、伊東サンは目を輝かせる。
「そうなのです! 須磨は、私の故郷でも評判の美人でね。着物でも何でも、須磨が身に付ける物は全て、彼女の為に存在するかの様だ。例えるならば、まさに天女の様な容姿なのです。それに、容姿だけでなく……」
私は……地雷を踏んでしまったらしい。
伊東サンはその後も、延々と須磨サンについて語っていた。
冷静で穏やかな策士
という伊東サンの印象が、音を立てて崩れていくのを感じた。
「少し話しすぎてしまいましたね……つまらない話をしてしまいました」
ひとしきり話した伊東サンは満足したのか、照れ臭そうに言った。
「いえ……伊東サンのお話が聞けて良かったです」
私は心にも無い事を、笑顔で言う。
「さて、須磨への土産だが……若い娘には何が良いのだろうか?」
「そうですねぇ……京の着物や帯は如何ですか? 京には、華やかな物から淑やかな物まで様々ありますし、江戸の物とは異なる美しさがありますよ?」
「そうですか。では一つ探してみましょう。申し訳ありませんが、貴女もお手伝い頂けますか?」
「喜んで!」
笑みを浮かべる伊東サンを見てクスリと笑うと、私はそう答えた。
「思ったよりも色々とありますねぇ……」
京でも人気の大店にやって来た。
所狭しと並べられた数々の着物に、伊東サンは苦笑いする。
「私は紫色が好みなのですが……若い娘には好まれないでしょうか?」
私は少し考える。
「色白な方でしたら、紫色がはえるでしょうね。艶やかな柄にすれば、若い方でも気に入ると思いますよ?」
店主に頼み、紫色の着物をいくつか並べてもらった。
「これ……可愛い!!」
美しい花に誘われた蝶を表現しているかの様な柄の着物に目を留める。
「お気に召しはりましたか? この着物は髪飾りや下駄も揃うてはります。如何ですか?」
店主は笑顔で尋ねた。
私の物であれば、即決するのだが……伊東サンの妹サンへのお土産なので、私はすぐには答えられずにいた。
「これにしましょう」
伊東サンは私に笑顔を向けると、店主に包んで貰えるよう言付けた。
「私の好みで選んでしまって良かったのですか?」
「もちろんです。素敵な着物で、須磨もきっと喜びます」
包んでもらった着物を受け取ると、私たちは店を後にした。
「さて、貴女には何かお礼をしなくてはなりませんね」
伊東サンの言葉に私は慌てて断る。
「お礼なんて……そんな、結構です」
「貴女の貴重な一日を頂いてしまったのです。それくらいさせて下さい」
「駄目です! そんなの、申し訳ないです!」
伊東サンはフッと笑う。
「それでは、休憩を兼ねて甘味屋にでも御一緒して頂けますか? たいしたお礼にはなりませんが、それなら貴女も気兼ねしないでしょう」
「はい……それなら」
「良かった。断られてしまったらどうしようかと思いました」
私たちは、近くの甘味屋に寄った。
餡蜜を食べながら、ふと伊東サンを見る。
土方サンも綺麗な顔をしているが、伊東サンも負けず劣らず綺麗な顔をしている。
男性なのに羨ましいなぁ……と考えていた。
「私の顔に何か付いていますか?」
伊東サンに突然尋ねられ、私はあからさまに慌てる。
「い……いえ!!」
「そうですか? 熱い視線を感じたものですから、少しだけ期待してしまいましたよ」
伊東サンは、表情すら変えず淡々と言う。
「それにしても……かの有名な新選組に、貴女の様な方がいらっしゃるとはね」
「?」
伊東サンが意図する物を汲み取れず、私はキョトンとした表情になる。
「貴女は何故、新選組に身を寄せているのですか? 貴女ほどの娘ならば、縁談も多くあるでしょう」
「縁談……?」
「おや、縁談には興味がありませんか?」
伊東サンは苦笑いで言った。
「お言葉ですが……私にはやりたい事がまだ多く残っています。ですから、縁談とかそういう類いの話はちょっと……」
「確か、貴女は医者……でしたよね? 女性の医者など珍しいものですが、何故医術を学ぼうと思い立ったのですか?」
何故……
そう改めて尋ねられると返答に困る。
私が看護師になりたいと思った理由は多々あるが、医者になりたいと思った事は無かったからだ。
この時代には看護師という概念は無いので、そんな時代で医療行為を行うとなれば、周りからは必然的に医者として捉えられてしまう……
私は、少し考え込むと口を開いた。
「新選組を……救いたいからです」
「新選組を救う?」
伊東サンは首をかしげた。
「私の医術で、新選組の皆さんの役に立ちたいのです」
伊東サンの表情を見て、私は言い直した。
「そうですか……貴女は真っ直ぐな信念をお持ちなのですね。とても器量の良い娘サンでしたので、良い縁談を口利きしようかと思いましたが……それは、出過ぎた真似ですね」
伊東サンは小さく笑った。
甘味屋を出ると、既に日が傾きかけていた。
屯所へと帰り道を急ぐ。
「今日はありがとうございました。お蔭で有意義な一日となりました」
屯所に戻るなり、伊東サンは私に頭を下げた。
「これは貴女へのお礼です」
いつの間に買ったのだろうか?
伊東サンは小さな包み紙を私にそっと手渡した。
促されるままに、私は包み紙を開く。
「……可愛い」
中身は、蝶の細工が施された帯飾りだった。
「お気に召しましたか?」
「はい! でも……お気を遣わせてしまって申し訳ありません」
「あの場では受け取って頂けなそうでしたからね……渡す頃合いをずっと見計らっていました」
伊東サンは照れ臭そうに言った。
「ありがとうございます!」
伊東サンにお礼を言うと、頂いた帯飾りを早速付け、その場を後にした。
「随分と遅かったじゃねぇか?」
自室へ戻ろうとしていた私は、トシに呼び止められる。
「ただいま戻りました」
「ああ。それで……あの男、伊東はどうだった?」
「伊東サン……の事? 私には、妹サン想いのとても優しい方に見えたけど……」
「ふうん」
面白くなさそうに呟くトシの態度に、私は答えを誤ってしまった事に気付く。
「お前……あの男に下手に近付くんじゃねぇぞ? 懐柔されるなぞ、もってのほかだ!」
トシは私の帯飾りに触れ、そう言い放ち去っていった。
確かに……
トシの言う事は最もだ。
史実では……伊東サンの入隊から、新選組に歪みが生じ始めてしまう。
山南サンの切腹のくだりに関しても、少なからず伊東サンの存在が影響している。
何故、そうなってしまうのだろうか?
元々、攘夷思想であった事は近藤サンも伊東サンも同じだ。
しかし
尊王敬幕である近藤サンと、度重なる功績で強烈な佐幕集団としての確固たる位置を築き始めた新選組。
対して
水戸学を修め、熱烈な尊王派である伊東サン。
特別な思想など無い私には、全くと言って良い程ピンと来ない話だが、この幕末では……そういった思想こそが、人や組織の関係性や行動に多大な影響を及ぼすらしい。
伊東サンが何の為に新選組に入隊したのかは、私には良く分からない……
今日の出来事ですっかり伊東サンに気を許してしまって居たが……やはり、トシの言う通り私も少し警戒心を持った方が良いのかもしれない。
帯飾りに触れながら、私はそう感じた。




