来客
ここ一週間は、様々な菌の培養を行った。
ワクチンを作るにも、血清や特効薬を作るにも、まずは菌の培養が必要だからだ。
培養も一度では無く、二度三度と繰り返し行う事で、できる限り対象の菌のみ増やす環境を作っていく。
破傷風菌に始まり、結核菌にライ菌、淋菌そして梅毒トレポネーマを培養した。
他にも、抗生物質の原料として、放線菌や青カビも培養している。
はしかや風疹などのワクチンも作りたかったのだが……ウイルスというのは細菌とは異なり、普通の培地には育たないばかりか、電子顕微鏡を用いないとその姿を確認できない事などから断念した。
「流石に、この量を培養するのはこたえますねぇ」
伊之助サンは溜め息をつく。
「まだまだこれからですよ! ワクチンや薬を完成させるまでは、私は帰れません」
「そうですね! もう一頑張りしますか!!」
私と伊之助サンは目配せすると、作業を再開させた。
流石は松本先生の一番弟子。
伊之助サンの理解力や記憶力は人並外れたもので、教科書の知識をたった数日で全て記憶し、更にはそれを応用して独自の理論を立てていた。
「桜サン居ますか? 桜サンに来客ですよ!」
門下生の方に声を掛けられ、私は顔を上げる。
「来客……ですか? 誰だろう」
心当たりの無い私は首をかしげる。
「えらい男前なお侍サンでしたよ!? 門の所でお待ち頂いて……って、あっ!! 桜サン!?」
その言葉に、私は慌てて研究室を飛び出した。
門の所には見覚えのある姿があった。
一週間ぶりの、その姿に胸が高鳴る。
「土方サンっっ!!!」
飛びかかる私を、土方サンは反射的に抱き止めた。
「お……おい! いきなり何だ!?」
「わぁ、本当に土方サンだぁ!! ひさしぶりです!」
私は顔を上げると、笑顔を向けた。
「元気に……してたか?」
「はい! 土方サンこそ、ご無事で良かった……」
土方サンは私の頭を撫でる。
「少し、時間はあるか?」
「えっと……松本先生に許可を頂いて来ます。少し待っていて下さいね?」
「あぁ……わかった。慌てなくて良いから気を付けて行け」
「はぁい!」
土方サンと別れると、松本先生を探した。
「松本先生!!」
「おや、桜サン。どうしました?」
「新選組の方がいらしてまして……今日は暇を頂いても宜しいでしょうか?」
「そうですか……培養の方は一段落していますので、結構ですよ。この一週間、貴女はよくやってくれました。今日はゆっくりして来なさい」
「ありがとうございます! 失礼します。」
松本先生に許可を頂いた私は、すぐに自室で着替え、土方サンが待つ門の所へと急いだ。
「お待たせしました」
「早かったな」
一言二言会話を交わすと、私たちは医学所を後にした。
「どちらに行くんですか?」
「そうだなぁ……とりあえず、何か食うか? 少し話でもしながら……な」
さすがは江戸。
街は活気に溢れており、京と並ぶほどの人の多さだった。
「此処で良いか」
土方サンは一軒の料亭を選び、入っていく。
高級そうな佇まいに、少し緊張した。
店の者が案内してくれたのは、個室だった。
「これならば、ゆっくり話ができるな」
「話……ですか?」
私は首をかしげる。
「ほら、色々とあるだろう? 医学所はどうだ、とか……」
「医学所……ですか。毎日楽しくやってますよ? 松本先生は柔軟な考えをお持ちで、素晴らしい方ですし……伊之助サンもとても優秀な方で、しかも物腰が優しくて素敵な方ですし」
「伊之助……?」
土方サンは眉をひそめる。
「伊之助サンというのは、松本先生のお弟子サンです。それも、一番弟子なんですよ? 凄いですよねぇ」
楽しそうに話す私とは反対に、何故か土方サンは不機嫌そうな表情をしている。
「お前は随分とそいつが気に入ったみてぇじゃねぇか。何なら、そのまんま嫁にでもいくか?」
「えっ!?」
土方サンの一言に、私は言葉に詰まらせた。
「土方サン……何を言ってるんですか? 嫁……だなんて」
「医者同士、お似合いじゃねぇか」
土方サンは鼻で笑う。
「私と伊之助サンをくっつけて……土方サンはどうしたいのですか? やっぱり……お琴サン……ですか?」
私は唇を噛みしめた。
「何で、あいつが出てくるんだよ?」
「それなら……どうして、そんな事を言うのですか?」
土方サンは深く溜め息をつく。
「本当に解らねぇのか?」
「解りません!」
私はハッキリと言った。
「お前が、その男をえらく気に入った様子だったからだ。そいつを好いているなら……そいつの所に嫁に行った方がお前も幸せだろう?」
土方サンの答えに、私は拍子抜けする。
「土方サンこそ解っていません! 私は……土方サン以外を好きになったりはしません!!」
「お前は……いつも、馬鹿みてぇに真っ直ぐだなぁ。だが、俺らの様な明日をもしれねぇ男と一緒になったところで……辛ぇだけかもしれねぇぞ?」
「そんなの……覚悟の上です!! それに、辛いかどうかは私が決める事です。私は……土方サンから離れる事の方が辛いと思います。土方サンは……私から離れたいのですか?」
土方サンは単に妬いているだけかと、勝手に思っていたのだが……何故か私を突き離そうとしている様な物言いに、私は少しだけ不安になる。
「離れたいなどと……思うわけがないだろう?」
「なら……」
「だがな……お前には幸せになってもらいてぇんだよ。俺らみたいのは、いつ死ぬかもわかんねぇ。そんな俺が、お前を縛りつけて良い筈がねぇだろう?」
土方サンは私の言葉を遮るように言った。
「近藤サンがな……言ってたんだ」
「何を……ですか?」
私は、恐る恐る尋ねる。
「近藤サンは江戸に妻子が居る。京には雛菊みてぇな女が何人か居るだろう?」
「そうですね……」
「あの人は、嫁サンの事はどうでも良いんだとばかり思っていたが……そんなあの人がポツリと呟いたんだよ」
土方サンは心苦しそうな表情で話し続ける。
「俺らの様な明日をも知れない生き方をしている男は嫁をもらっちゃなんねぇって……普通の男の様に、江戸の妻子を幸せにしてはやれなかったって」
「それは……離れて暮らしているからですか?」
「まぁ、それもあるだろうな。だが……好いている男が突然命を落としたら、残された者はどうなる?」
土方サンは真剣な表情で私に尋ねた。
「毎日……泣いて暮らすかも……しれません」
「女は特にそうだろうな……だから、近藤サンは嫁を貰った事に後悔しているそうだ」
「後悔……ですか?」
「俺らみてぇのは……きっと、嫁サンを独り残して死んでいく事になるだろうから、だとさ」
私は着物を握り締め、土方サンの話を聞く。
「江戸に帰っても、嫁サンの所にあまり居着かないのは……嫁サンには自分の事を、家庭を顧みない酷い男と思わせておけば、自分がいつ死んだとしても、嫁サンはあまり悲しまずに余生を生きていけるだろう……とも言ってやがったよ」
私は少し考え込む。
近藤サンの考え方を否定するつもりは無い。
だが……
それは本当に、お互いにとって良いことだとは思えない。
「それを聞いてな……俺も柄にもなく考えちまったんだよ。俺の我が儘でお前を手元に置くことが、本当にお前の為になるのかって……」
「そんなの……」
まるで、別れ話をされているかの様だった。
離れたくないと強く想うのに……上手い言葉が見付からない。
「でも! 私は、土方サンと一緒に……居たいんです。離れたく……ないんです」
私は土方サンに捨てられたくない一心で、必死に言った。
土方サンは少し考え込む様な素振りを見せる。
「そう……か」
急に笑顔を見せると、土方サンは小さく呟いた。
「土方サンが私に飽きるまで……土方サンと一緒に居させて下さい」
そう懇願する私の頭を一撫ですると、土方サンは静かに言った。
「ならば……。俺の死に際を決して逃さねぇように……お前は常に俺の傍に居ろよ?」
私はその一言に、土方サンから拒絶されなかった事に、安堵する。
「はいっ!!」
明るく返事をすると、笑顔をみせた。
この先も
ずっとずっと貴方と共に歩み続けたい。
死が二人を別つまで……




