10月 君と十六夜の使者
お久しぶりです。以前投稿しました10月のお話に納得出来ず書き直しました。そして、全く別のお話になりました。以前のはまた何処かで出します。
2014.03.09 誤字訂正
日曜の午後3時。いつもよりも早めに夕食の支度を終わらせたユキは、寝室に向かい1週間分は入るキャリーケースを取りだし着替えを詰め出した。どこに行くのかと慌てて聞けば、
「研修?」
「明日から2週間ホテルでみっちり。」
嬉しそうな顔でユキは答えた。そう言えば技術職には数年に一度そのような研修があったことを思い出す。
「いってきます。」
「いってらっしゃい。」
ユキを駅まで見送った帰り道、太陽も落ちきった夜空に輝く三日月を見つけた。
ユキが研修に出掛けて三日目の夜に電話が掛かってきた。
「…も…もし。」
どうも電波が悪いようで、ベランダに出る。
「もしもし?聞こえる?」
「聞こえた。」
冷たい風に体が少し震えた。部屋着のまま出たことを後悔した。こうしてユキと電話で話すのも久しぶりな気がした。付き合い始めの頃はよく電話していたことを思い出していると、電話の向こうからクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「どうした?」
「こうやって電話で話すのも久しぶりだね。」
ユキも同じ事を思っていたらしい。それからしばらく他愛のない話をしていると、ユキの声が次第に元気をなくしていった。
「どうした?」
「うん…あのね、明日兄に会うかもしれないけど気にしないでね。」
言いにくそうに伝えてきた事は予想もしなかったことだ。ユキの田舎からわざわざあのお兄さんが俺に会いに来る理由なんて思い付かない。
「どういうこと?」
「ごめん。ミーティングの時間だ。ごめん、またね。」
詳しく聞きたかったが、それだけ言うとユキは電話を切ってしまった。
翌日思わぬところからユキのお兄さんは現れた。
その日の午前中は、午後からの来客者に渡す資料作りに追われていた。来客者というのは、少し前からメールなどでやり取りをしていたアメリカ企業の担当者。別件で日本に来るので、こちらにも挨拶に伺いたいと連絡があったのは一昨日だった。来客を伝える電話が鳴り、来客室に向かえば白人男性と日本人男性が待っていた。
『キース・ホフマンです。』
『桐島龍次です。』
部長が二人とあいさつをすませ、続いて俺と部下の紺野があいさつをした。
『長原拓真です。いつもお世話になっております。』
『紺野夏実です。よろしくお願いします。』
握手で挨拶をしあい、そのまま資料の説明へ移っていった。
『本日はわざわざご足労頂きありがとうございました。』
部長の締めの言葉で、特に問題も起きることなく無事に終わった。前方も納得しているようで、肩の荷が少しだけおりた。
ふたりを玄関まで案内する課長の後ろに続き廊下に出る。
「桐島さんてもしかして?」
ユキと同期の紺野が前の三人に聞こえないように話しかけてきた。
「たぶんな…」
曖昧に笑って答えたが、目の前を歩く桐島さんはユキの兄だろう。龍次とうい名前には心当たりがある。最近よくユキは家族の話をしてくれるようになった。そこにはいつも“兄と龍ちゃん”というフレーズがよく出てきていた。龍ちゃんは幼馴染みだと思っていた。それに桐島さんが兄ならば、ユキが今年の正月にひとりでアメリカに行けたのも納得できる。
「そう言えば…最近帰りが遅いのはなんでですか?仕事量もたいして増えてないですよね?」
ユキと仲のいい紺野なら聞かなくても分かる質問をわざとしてくるなんて、なかなかいい性格をしていると思う。
「なんでだろうな。」
ユキが居ないからなんて素直に言うわけもなく適当に流していると、玄関に先に着いた三人が立ち止まった。そして、桐島さんは振り返り迷うことなく俺を見てきた。
「あいさつが遅れましたが、妹がいつもお世話になっております。」
おれをよく思っていないのははっきりとわかった。答えようと口を開く前に課長が答えてしまった。
「やはり、お兄さんでしたか。世話になっているのはむしろ長原の方ですよ。」
「というのは?」
さらに視線はきつくなるがそんなことはお構いなしに部長は話を続ける。
「毎日弁当持たせてもらって家に帰れば、飯はもちろんある。そのYシャツだってやってもらってるんだろ?仕事も出来て、家事もこなして本当によく出来た妹さんですよ。」
豪快に笑う部長の口を思わず塞ぎたくなった。
「良くご存知なんですね?」
「社内じゃ有名ですからね。この前社長にも結婚をせっつかれてましたよ。」
もう苦笑いで通すのも辛く感じてきた
『龍次そろそろ時間だ。』
『そうだった。悪い。』
ホフマン氏が割って入ってくれたおかげで俺の話は終わった。
もう一度あいさつし終えた別れ際、また桐島さんが俺に話しかけてきた。
「長原さん、明日の夜は暇ですか?幸の兄としてお話したいんですが、いかがですか?」
断る理由もないので、名刺に私用の連絡先を書き込み渡した。名刺を受け取り帰っていく二人を見送るが、嫌な予感しかしなかった。
金曜の夜、指定された居酒屋へ向かう。店員に通された個室には桐島さんはまだ居なかった。15分ほど遅れてきた桐島さんは昨日よりもずいぶん砕けた雰囲気だった。
「遅れてごめん。とりあえずビールでいいかな?」
「はい。」
ビールが届き、お疲れさまと乾杯しジョッキに口をつける。2/3ほど飲み干しテーブルに置く。思いのほか、緊張しているらしい。
「緊張してる?」
「はい。桐島さん」
「龍次でいいよ。」
昨日とは打って変わって柔らかい声に少し緊張が緩む。
「龍次さんはいつまで日本に?」
「来週の土曜日に帰る予定だ。」
注文した料理が届くまでの間は仕事の話をしたが、料理が全て揃い店員が居なくなると龍次さんは表情を固くした。
「雑談はこの辺りにして、本題に入ろうか。」
その言葉に身を硬くする。
「長原君は幸の事をどう思っているんだ?」
どうと言う曖昧な問になんと答えようか考えていると、龍次さんはさらに質問を重ねてきた。
「つまり…長原君は幸と結婚する気はあるのか?」
予想はしていたが責める口調に言葉が詰まる。
「もちろん僕はそのつもりです。しかし結婚はひとりでは出来ないですし、二人で話し合って決めたいと思っています。」
なんとか絞り出した言葉を龍次さんは鼻で笑った。
「うまく逃げたな。」
「そんなつもりは…」
「ないのか?」
俺の言葉を引き取った龍次さんは三杯目のビールをいっきに飲み干し空のグラスを勢いよくテーブルに置いた。
「結婚のけの字も出てないと幸は言ってたぞ。」
「ユキが?」
ユキは二人のことを他人に話さないことが多いのでその言葉に驚かされた。
しかし、理由は簡単だった。龍次さんはユキが家を出たとき東京に住んでいて、ユキが大学を卒業するまで一緒に住んでいたらしい。生活費は一応貰っていたが、東京での面倒を見ていたのは龍次さんだった。
「だから、幸は俺には逆らえないんだ。」
勝ち誇った顔に少し怒りを覚えたが、次の言葉に怒りなんて吹き飛ばされてしまった。
「俺は幸をアメリカに呼び寄せようと思う。」
「え?」
「一昨日一緒だったキースが幸ならアメリカでもやっていけると言ってくれてるんだ。もし、幸が行くと答えたなら長原君はなにも言わず送り出して欲しい。」
龍次さんは俺を試しているのでもなく、真剣にユキの将来を考えてるんだと声を聞いて思った。ユキはアメリカに行くのか想像したとき、研修前の嬉しそうな笑顔が思い出された。
週末の金曜日は終電際の方が混んでいる。龍次さんと駅で別れひとり、つり革に掴まり電車に揺られる。
「俺にどうしても長原君が誠実な男には見えないんだ。幸を実家に帰られせてくれたことには感謝している。でも俺は幸の兄で家族なんだ。わかって欲しい。」
改札前で別れ際に龍次さんに言われた言葉に正直腹が立った。
「ユキさんの人生はユキさんの物です。ユキさんが決めたことに僕は従います。」
売り言葉に買い言葉だったと思う。気付けば口から言葉が出ていた。そして言った後に後悔した。
先ほどのやり取りを思い出しイラついた。ユキはアメリカへ行くのだろうか…。
車窓から見える半月は、まるで片割れをなくし悲しんでいるかのように見えた。
自宅に帰り、冷蔵庫を物色していると冷凍庫にユキが作り置きしていたきんぴらを発見した。
缶ビール片手に、電子レンジで解凍していると携帯がなった。
《ごめん。土日は兄と会うことになった。》
ユキのメールに分かったとだけ返信し、解凍さえれたきんぴらをダイニングテーブルへ運ぶ。
「美味しい。」
久しぶりに食べたユキの味はいつの間にか自分に馴染んだ物でゆっくりと心と体に染み渡っていった。
「ユキ、会いたい。」
ぽつりとごぼした言葉が部屋に響いた。
ひとりで暮らすにはやはりこの部屋は広すぎる。
ユキ、早く帰ってこい。
2週間の研修が終わった日の金曜日、私は龍ちゃんに呼び出されて居酒屋で飲んでいた。
1時間経った頃、仕事帰りのタクさんがやってきた。
「えなんで?」
2週間ぶりのタクさんはどこが疲れているようだった。
「俺が呼んだんだ。」
龍ちゃんは店員さんをつかめてタクさんのビールを頼んでくれた。ビールがとどき、あらためて三人で乾杯すると龍ちゃんはトイレへと席を立った。
「お疲れさま。」
隣に座るタクさんへ話しかける。
「お疲れ。研修はどうだった?」
「楽しかったよ。普段から勉強しているつもりだったんだけと、まだまだ足りなかった。」
2週間の研修は本当に身のあるものだった。まだまだ自分の力不足を再確認させられた。
「そうか。よったな。」
そう言ったタクさんはどこか、寂しそうだった。
トイレから帰ってきた龍ちゃんは居住まいをただし話始めた。
「長原君にはもう言ったけど…幸、アメリカに来ないか。」
「え?」
龍ちゃんがタクさんを呼んだ時点で何かあるとは思っていたが、それは予想外のものだった。
「今年の正月に俺の友達に会っただろ?」
「キース?」
龍ちゃんの友達で真面目な同僚のキース・ホフマンと言う人を思い出す。
「そう。そいつが幸と仕事をしたいって言ってる。」
「うそ。冗談だと思ってた。」
正月に会ったときに少し話したがアメリカ流のジョークだと思ってその時は流していた。
「でも…」
そっとタクさんの顔を伺ったが、タクさんは何も言わずじっとビールの入ったジョッキを見つめていた。
「長原君は幸の好きにすればいいそうだ。」
龍ちゃんはいつタクさんに会っていたのだろう。勝手に話を進める龍ちゃんを睨みつけても、龍ちゃんは痛くも痒くもなさそうだった。
「…わかった。考えてみる。」
もう一度タクさんを見たが、タクさんは前を見つめたままだった。
「明日朝10時に空港で待ってるから答えを教えてくれ。」
そう言って龍ちゃんはホテルへと帰っていった。
「どうする?」
同じように見送りながらタクさんが聞いてきた。
「今日は自分の家に帰ってゆっくり考えてみる。」
「その方がいい。」
結局、タクさんとは一度も目が合うことはなかった。
ユキと別れてひとり自宅へ帰る。空気を入れ替えるためにベランダの扉を開けていると携帯が着信を知らせた。
「タクさん…。」
電話越しのユキはどこが寂しげで、ひとりで帰したことを後悔した。
「ん?」
「今日は月が綺麗だよ。」
「ほんとだな。」
フローリングに腰を下ろし足をベランダに投げ出す。見上げた空には、満月が浮んでいた。それはまるでユキを迎えに来た使者のようだった。
「ねぇ、私どうしたらいい?」
「ユキの人生なんだ。ユキの思う通りにすればいいよ。」
「…タクさんはずるいね。」
ユキの言って欲しい言葉は分かっている。その言葉を言えばきっとユキはここに残るだろう。それでも、俺は言わないと決めた。
「言うのは簡単だよ。でも、俺はユキに後悔して欲しくないんだ。自分の選んだ道ならばどんな辛くても進んでいけるだろ。」
「わかってる。」
突き放されたと感じたのか、ユキの少しムッとした声が聞こえてきた。
後悔だけはして欲しくない。
それがユキに願うたったひとつのこと。
「ひまわりは太陽に向かって咲くから向日葵なんだぞ。」
オレンジに輝く月を見上げユキを思い出す。向日葵のように輝くユキに俺はいつだって元気を貰ってきた。今度は俺がユキに与える番だろう。
「知ってる。今日の月は向日葵色だね。」
くすりと笑うユキの声を聞いてもう大丈夫だと何故か確信した。
翌日午前10時。私は龍ちゃんに見送るため空港へと来ていた。タクさんはまだ来ていないようだった。
「おはよう。」
「おはよう。答えは出たか?」
昨日の真面目な顔とは違いいつもの飄々とした龍ちゃんだった。決めた言葉を龍ちゃんに告げる。
「私は行かない。」
「あいつの為か?」
龍ちゃんが私を鋭く見つめてくる。
幼い頃から私にとって龍ちゃんの言うことは絶対だった。何故ならそうしていれば、必ず龍ちゃんは私の味方でいてくれると知っていたから。家を飛び出した時も、突然押し掛けたのになにも言わず龍ちゃんは住まわしてくれた。いつも私の生きやすいように手を差し伸べてくれる人だった。だけど、それに甘えるのももう終わり。
「自分の為。私の居場所はここにしかないの。」
“ひまわりは太陽に向かって咲くから向日葵なんだぞ。”
昨日タクさんが言った言葉を思い出す。
タクさんはきっと仕事を太陽に例えたんだろうけど、私にとっての太陽はタクさんだ。
確かにアメリカで働くことはとても魅力的だ。しかし、2週間タクさんと離れてわかったことはタクさんが居るから私は何処へでも行けると言うことだった。
タクさんが居るから仕事にも打ち込める。
タクさんが居たから、アメリカでもいつも通り振る舞えた。
きっと今ひとりアメリカへ行っても通用しないだろう。
他人からすれば恋に溺れる愚かな女かも知れない。例えそう見えても私は気にしない。
タクさんの隣が私の輝ける場所
「龍ちゃん、私は行かない。」
もう一度言えば龍ちゃんはにこりと笑いながら私の後ろを見た。
「だそうだ。」
つられて振り向けばタクさんが立っていた。
「長原君。」
「はい。」
私の隣にまで来たタクさんはしっかりと龍ちゃんを見ていた。
「ユキをよろしく頼む。」
「はい。」
龍ちゃんの言葉が嬉しかった。
「忘れてたが…父もそう言っていた。」
茶化して誤魔化す龍ちゃんを睨みつける。
「悪い。でも、もうこれで心配の種も無くなった。安心して結婚が出来る。」
龍ちゃんは一枚の招待状を出してきた。
「これ。」
そこには龍ちゃんと龍ちゃんの恋人の名前が書かれていた。
「二人で来てくれ。」
龍ちゃんは迷わず招待状をタクさんへと手渡した。
「ありがとうごさいます。」
「ありがとう。」
龍ちゃんがタクさんを認めてくれたようで嬉しかった。
タクさんと二人で滑走路が見渡せる屋上展望台から龍ちゃんの乗る飛行機を見送る。次に会うのは龍ちゃんの結婚式だろう。
別れ際の清々しく笑う龍ちゃんの顔を思い出す。きっと龍ちゃんにはこれまでたくさん心配を掛けたと思う。ごめんさないとありがとうを呟きながら、飛行機を見つめる。
そして、時間通りに飛行機は無事アメリカへと飛び立って行った。
「ユキ、帰ろうか。」
雲ひとつない晴天の空をしばらく見つめていると隣に立っていたタクさんが出入口へと体を向けた。
「うん。」
迷わずタクさんの手を取る。
私は何があってもタクさんと歩いていくと決めた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。次回からは最終回へ向けてラストスパートかけて行くつもりです。頑張ります。
追伸その1
短編「卒業式」と言うのを書きました。
お時間ありましたらそちらもよろしくお願いいたします。
追伸その2
試験的にtwitterにアカウントを作りました。詳しくはヒロタのページをご覧ください




