8月 君と肉じゃが
たくさんのお気に入り登録ありがとうございます。仕事内容については想像の賜物ですので、さらりと流してください。
2014.03.09 誤字訂正
お盆休みの初日。そろそろ昼御飯の支度でもしようかとソファーから立ち上がった時、テーブルの上の携帯が振るえた。実家で暮らしている兄からだった。
「もしもし」
「幸か?父さんが、病院に運ばれた。今すぐ帰って来い。」
少し焦った様子の兄はそれだけ言うと電話を切ってしまった。
「ちょっと?お兄ちゃん?」
「どうした?」
隣でテレビを見ていたタクさんが心配そうに聞いてきた。どう答えようか考えていると、兄がメールで病院名を送ってきた。
「…なんでもない。」
「ユキ。」
無視しようとしたが、タクさんが許してくれなった。
「父が病院に運ばれたって。…今すぐ帰って来いって。」
仕方なくタクさんに電話の内容を伝える。
「行くぞ。」
それだけ言うと、タクさんは私の手を引き玄関へ歩き出す。
「でも…。」
帰りたくない。駄々をこねる子供のように首を横に振るが、タクさんは許してはくれなかった。
「でもじゃない。こんな時帰らなくていつ帰るんだ。」
それだけ言うと後は何も言わず、タクさんは私を東京駅へ連れて行った。
「どちらまで?」
窓口の駅員さんがにこやかに聞いてくる。
「ユキ?」
タクさんはどこまで買うかなんて知らない。
「…。」
駅員さんがこちらを見てくる。分かっているけれど中々口には出せない。子供の私が帰りたくないと訴えている。
「幸。」
硬い表情で名前を呼ぶタクさんに身がすくむ。けれど、家からここまできつく握りしめられた手は優しく握り直された。
それだけなのに、9年ぶりに告げる駅名は思ったよりもすんなりと出てきてしまった。
新幹線が動き出してからしばらくして、兄からまたメールが届いた。
「お兄さんなんだって?」
「迎えに行けそうにないからタクシーで来いって。」
「そうか。」
相変わらず手はタクさんに握りしめられたまま、窓際の私は景色を眺めた。
「…タクさん。」
「うん?」
外の景色が田園風景に変わり始めた頃、タクさんに語りかける。
「私ね、18の時に家を飛び出したの。」
また、タクさんは優しく手を握り直してくれた。
高校3年生の冬、私は父と進路のことで喧嘩した。
「大人しく短大へ行きなさい。家から出ることは許さない。」
最初は父がすすめた実家から通える距離にある短大へ行く予定だった。でも、私には本当に勉強したいことが別にあった。どうしても諦められなくて、第一志望だった東京の四大を親に内緒で受験したら合格通知が家に届いた。その日の夜、父は諦めろと私に言った。
「どうして?」
「東京なんてお前には向いてない。お前は家に居ればいいんだ。」
当時兄が東京で働いてたので、父と二人で何度も東京へ遊びに行っていた。だから、すんなりと許してくれると思っていた。
「それは、私が娘だから?」
「そうだ。」
「…わかった。」
それだけ言うと私は自室に戻り、声を殺して泣いた。悔しかった、私にはどうにも出来ないことで諦めなければならないことが。
だから、次の日東京に行くと書置きして家を出た。
兄の家に転がり込み、奨学金と兄に借りたお金で大学に行った。
卒業間際、4年間のバイトで貯めたお金を兄に渡したとき、大学の授業料は兄じゃなくて父が払ってくれていたことを知った。
その時素直になって実家に連絡入れれば良かったのに意地を張ってしまい、なんとなく今日まで来た。
「私、どんな顔して会えばいい?」
静かに聞いていたタクさんに聞く。タクさんは私とは違って家族仲が良く、長期休みになると顔を見せに帰っている。
「大丈夫。家族なんだから、普通にしていればいいよ。」
そういって優しくタクさんは笑った。家族なんだから、その言葉がやけに重く響く。私はまだ家族なんだろうか…
家を出てから3時間弱、やっと地元の駅に着き電車から降りると、雨がポツポツと降ってきた。おもわず空を見上げる。実家を飛び出した日も朝から雨が降っていた。始発電車を待合室で待ちながら、雨をぼんやり眺めていたことを思い出す。
「ユキ?」
心配そうな顔でタクさんがこちらを見る。
「ごめん。行こう。」
病院に着くと受付ロビーに兄嫁の晶子さんがひとり椅子に座っていた。
「ゆきちゃん?どうしてここに?」
「お兄ちゃんから連絡あって、お父さんが病院に運ばれたから今すぐ帰って来いって。それより、お父さんは?」
驚く晶子さんに事情を説明する。
「幸?」
名前を呼ばれ振り向くと、車椅子に乗った父とそれを押す母が立っていた。
「どうしてここに?」
驚く母に晶子さんが説明してくれる。
「大丈夫なの?」
車椅子に乗った父は足にギブスをつけていた。階段から落ちたらしい。
「あぁ。」
相変わらず無口だが、元気そうな様子にホッとする。
「まったく、あの子は…それよりそちらの方は?」
呆れた母が私の後ろへ視線を向ける。タクさんを紹介する。
「こちらは、長原拓真さん。…お付き合いさせてもらってる。」
「はじめまして。長原拓真と申します。」
仕事でするようなお辞儀をしたタクさんは少し緊張しているようだった。晶子さんに小声で茶化された。
「ゆきちゃんやるじゃない。」
苦笑いで答えていると、車を取りに行っていた兄がやって来た。
「幸帰ってきたか。」
ニヤリと笑う兄に腹が立ってくる。昔から兄にはよく騙され笑われていたことを思い出す。今年で40歳のいい大人がやることじゃない。
「お兄ちゃんどういうことよ。」
「まぁまぁとりあえず帰るぞ。」
怒りを軽く流され、実家へと向かった。
9年ぶりの実家はよくも悪くも何も変っていなかった。
「修くんと優くんは?」
早めの夕飯をすることになった。母と晶子さんは食事の用意をしているので、それを待つ間近況を聞くことにした。修くんと優ちゃんは兄の子供で、可愛い私の甥っ子達だ。だが、見当たらない。
「晶子の実家にお泊まりだ。」
「いくつになったっけ?」
「七歳と五歳だ。」
そういって見せてくれた写メの甥っ子達は4年前に東京で会ったときよりも当たり前だが大きくなっていた。
「大きくなったね。優くんなんてこの間までヨチヨチ歩いてたのに。」
クスッと隣から笑いが聞こえる。
「その台詞、まるで親戚のおばさんみたいだな。」
そう言ったタクさんは病院に居たときよりも少し緊張がほぐれたようだった。
「長原くんはどんな仕事を?」
同時に兄の緊張もほぐれたようだった。
「ユキさんと同じ会社で北米の渉外を担当しています。簡単に言うとアメリカとの連絡係ですかね。」
「じゃあアメリカとかよく行くの?」
タクさんは兄とふたりでアメリカの話で盛り上がり始めた。
「仕事はどうだ?」
二人の話を隣で聴いていると父が話しかけてきた。
「どうって…普通。」
さっきまでは気が動転していたこともあり普通に話せていたが、こうしてゆっくり落ち着いてとなると、どう話していいのか分からなくなった。
「お前もっと答え方があるだろう。」
呆れて兄が話しかけてきたが、言葉が見つからない。
「ユキさんの仕事に関してはあまり詳しくありませんが、他社から引き抜きの話もあったみたいですよ。」
見かねたタクさんが変わりに答えてくれたが…。
「知ってたの?」
「あれだけコソコソしてたら気になるよ。」
2年ほど前、大学の先輩にしつこくうちの会社に来ないかと誘われていた時期があった。誘いに乗るきもなかったのでタクさんには黙っていた。
「なんで何も言わなかったの?」
「それはユキ自身が決めることだから、当たり前だろ?」
当たり前と言われたその言葉は私を信じてくれているようで嬉しかった。
「お待たせしました。」
母と晶子さんが料理を運んできた。
「それにしてもゆきちゃん綺麗になったね。病院で見たとき最初誰だか分からなかった。それにこんな素敵な人連れてきて。」
兄の隣に座ったとたん話してきた。
「どうせ、お前のことだから行かないとか言って無視したのを長原君がここまで連れてきたんだろ。」
まるで見てたかのような兄の言葉に驚かされる。
「そうなんですか?」
私の隣に座った母の質問にタクさんは苦笑いで答えた。
「ありがとうございます。この子の頑固なところは、本当に父親にそっくりなんです。機械いじりが好きなところもそっくりなんですよ。」
確かに、私のPCオタクは父親譲りだった。小さい頃は休みの日になるとふたりで大阪の電気街まで1時間半電車に揺られて出掛けた。兄が東京に住みだしてからは、夏休みや冬休みになると父と秋葉原まで遊びに行ったこともあった。だから、私が情報システム系の大学へ行きたいと思うようになったのも当たり前のことだった。
「なのにお父さんたら、嬉しいばずなのに、家から出したくないって理由だけで進学反対したのよ。あなたが出て行った後のお父さんの落ち込みようは凄かったんだから。」
母は出ていった後の様子をニコニコと話してくれた。
「そうなの?」
喜んでくれていたことが信じられなくて父に問いかける。
「余計なことまで言いすぎだ。」
気まずそうにお茶をすすっているところを見ればどうやら本当らしい。
父は話題を変えるように向かいに座るタクさんに話しかけた。
「長原君、遠いところまで来て頂いて申し訳ない。こんな物しかないですが沢山食べて行ってください。」
「ありがとうございます。」
その言葉を皮切りに皆ご飯に手を伸ばし始めた。唐揚げ、肉じゃが、なすとししとうの炒めもの、そしてサラダと母の手作りドレッシング。父はこんなものと言ったが私にとっては懐かしいご馳走ばかりだった。タクさんが肉じゃがを一口食べたとき、箸の手が止まった。
「お口に合いますか?関東と関西じゃ味付けも違うでしょう?」
母が心配そうにタクさんに尋ねた。
「いつもユキさんが作ってくれる料理と同じ味がしました。特にこの肉じゃがなんか、ユキさんと全く一緒の味付けで驚きました。」
「いつも?」
タクさんの言葉に父が聞き返してきた。タクさんは持っていた箸を置き、崩していた足を正座へと座り直した。
「はい。僕は幸さんと2年程前から一緒に暮しております。ご挨拶が遅くなりましたが、お許し頂けますでしょうか?」
包み隠さず話すタクさんの言葉に、涙が出そうだった。私も座り直し、頭を下げ父の返事を待つタクさんと一緒に頭を下げた。
「…。」
「許すも何も妹が、家族の話なんて一切しなかったんでしょう。頑固な妹ですが、これからもよろしくお願いします。」
なにも言わない父をみかねて、兄が変わりに答えてくれた。
「幸はちゃんと出来てますか?何も教えないまま外に出してしまったので。」
勝手に出ていった私を心配する母の言葉に胸が痛む。
「駄目だと思いながらも、家の事はユキさんに任せっきりになっていて…この間もユキさんが留守の間に洗濯しようとしたら、どの洗剤を使えばいいのか分かりませんでした。」
そう言ったタクさんは本当に恥ずかしそうだった。
「俺も似たようなもんですよ。」
胸を張ってそう言った兄は隣の晶子さんに怒られていた。
「いつでも、帰って来い。」
新幹線のホームまで兄が見送りに来てくれた。泊まっていけと言われたが、私は最終の新幹線で帰ることにした。
「ありがとう」
新幹線が動き出し、兄と別れを告げる。離れていく9年ぶりの故郷は、懐かしかったがどこか落ち着かなかった。
社会人になってお金稼ぐ大変さを知った。だけど、早く一人前になって親見返そうって頑張ったけど空回ってばっかりだった。
ほんの少し親に感謝なんかしたけど、今更帰れなくて…
「…ありがとう。」
連れて来てくれてありがとう。
今日一日握られていた手を握り、そっとタクさんにつぶやく。
「ん?何?」
目をつぶっているタクさんには聞こえていなかったようだった。
「なんでもない。それより口に合わないならはっきり言ってよ。」
ごまかすために、昼間の話を持ち出す。
「そうじゃない。本当にユキとユキのお母さんの味が同じで驚いたんだ。変な話だけど当たり前にそれを食べているユキを見て、ここに居る人達はユキの家族なんだって思った。」
「ありがとう。」
母から預かった封筒を思い出した。中には、私名義の通帳が入っていた。それは、大学4年間のバイトを貯めていた通帳だった。兄から本当のことを知った私は、その通帳を両親に送っていた。預金残高を確認すれば、送ったときのままだった。
そして、母の字で《幸が貯めたお金は、幸の好きに使いなさい。》と書かれていた。きっと、このお金で旅行を贈ったところで両親は断るだろう。
「幸、幸せか?」
帰り際、玄関先で父が尋ねてきた。
「うん。幸せだよ。」
兄夫婦と楽しく話すタクさんを見ながら答える。
家を飛び出して9年、楽しいことも嬉しいこともあったし、辛いときも苦しいときももちろんあった。それでも、自分で決めたことだから後悔はしていない。
そうかとホッとした風に笑った父の顔にはシワが増えていた。
私は両親にこれから何を返せるのだろう…。
来月私は28になる。
眠るふりをして私は、タクさんにそっともたれかかった。
過去という過去ではないので、さっさとばらすことにしました。次はユキちゃんの誕生日です。また、近々出します。




