6月 君と相合傘
お疲れと山本とビールで乾杯。5月に誘われたが都合が合わず、6月までずれ込んでしまった。
「そう言えば、桐島は今日男と飲みに行くって言ってたぞ。」
一杯目を飲み干した山本はおかわりを注文しながらそんなことを言ってきた。
「正しく言えよ。同期の岸田と新人の三人だろ。」
帰り際にユキから来ていたメールを思い出しながら訂正する。
「なんだつまんねぇな。もっと焦るかと思ったのに。」
山本はときどきこうやって俺とユキの仲を拗らせようとする。
「焦るも何も今更だろ。」
「お前そんなこと言ってたら、いつか他の男に拐われてくぞ。」
ユキは特別美人という訳でもない。いたって普通の中肉中背、どこにでもいるような子だ。でも結婚を考えはじめる男に人気があるのは知っている。それと、今日一緒に飲みに行っている新人の藤井とか言う男の顔が浮かんだと同時に、昨日偶然廊下ですれ違った時に睨まれた事を思い出した。
「…分かってるよ。」
かきけすように俺も残りのビールをを飲み干した。そして話題は仕事の愚痴へと変わっていった。
「良いからさっさと結婚してしまえ。」
時間がたった頃、酔いが回ってきた山本は唐突に言い出した。
「…一人前っていつから言うんだ?」
ユキと同じ仕事をしてるなら分かるかと聞いてみる。
「なんだ急に。」
脈略のない質問に山本も不思議そうだ。いいからと答えを促した。真面目に考える山本を見ながら俺はユキと初めて会った日の事を思い出していた。
ユキと初めて会ったのは2月14日じゃない。ちょうど5年前の今頃、雨の日だった。
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その日仕事を終えて会社を出たのは22時を回っていた。夕方から降りだした雨はやむ気配もなく、夜のオフィス街をより暗くしていた。
ビルの玄関に出たところでひとりの女の子が目に入った。その子は空を見上げ立ち尽くしていた。傘を持っておらず困っているのかと思ったが、その横顔は哀しげで別の事を考えているようだった。それがユキだった。
「駅まで行くなら一緒にどうぞ。」
駅までは歩いて10分程だが、この雨では風邪を引いてしまうだろう。普段ならさっさと通り抜けて帰るのだが、横顔が気になって声をかけていた。
声をかけられたユキはチラリと頭の上に差し出された俺の傘を見た後、もう一度空を見上げた。
「お言葉に甘えて…。」
遠慮がちだったが、断られずほっとした。ユキが濡れないように気をつけながら歩き出す。
「仕事にはもう慣れた?」
ユキが首から提げていたIDカードから山本の後輩だと気付き話題を振る。
「はい。でも先輩方に迷惑を掛けてばかりで…早く一人前になりたいです。」
詳しくは知らないが、3年いれば引く手あまた、5年いれば一生安泰と噂されるIT事業部のシステム部隊。そんなところで働いているのだから一人前になるなんてまだまだ先だろう。それでも早くと焦る姿が、入社したての俺と重なって笑いかこぼれた。
「ごめん。昔の自分を思い出してて。でも、焦らずゆっくりすることも時には必要だよ。」
笑ったことに気分を害したようだったので慌ててフォローする。それでもユキは納得していないようだった。
「でも、早く一人前になって家族を…安心させないといけないんです。」
そうつぶやいたユキの横顔は、先ほどひとり空を見上げていた時と同じものだった。
「ありがとうございました。」
ほどなくして駅に着き改札で分かれた。
結局一度もユキは俺の顔を見ることはなかった。
それから社内でユキを探すようになっていた。PC修理でよく社内を動き回っていたので見掛ける機会はたくさんあった。いつ見ても笑顔でひむきに頑張るユキからいつの間にか目が離せなくなっていた。
****
「一人前って結局人それぞれだろ。」
昔を思い出している間に山本の答えが出たようだ。
「…だよなぁ。」
思っていた通りの答えで少し落胆した。
「ただいま。」
あの後、山本の新婚生活を散々聞かされお開きとなった。玄関の明かりが消えているので、ユキはまだ帰ってないようだった。腕時計で時間を確認すれば10時だった。
弁当箱をキッチンへ持って行き、スーツ姿のままソファに座り込む。ユキがいない部屋は広く感じる。日曜日の夜だってそうだ、だけどユキなりのけじめなのかと理解している。TVの電源を入れ、このままユキの帰りを待つことにした。
リビングの時計は11時半になろうとしていた。それにしても…遅くなるなら連絡ぐらい欲しい。
藤井の顔が頭にチラつく。帰ってきた時に雨が降り出して来たことを思い出しユキにメールを入れる。
《雨が降ってきたから駅まで迎えに行く。着いたら連絡して。》
心配だからと書けばいいのに、理由がなければ迎えに行けない自分に呆れる。
スーツから普段着に着替え、リビングに戻ると携帯が点滅していた。どうやら、あと十分ほどでユキは着くらしい。その返信にほっと一息つき、玄関へと向かった。
大きい傘を差して駅へ向かう。別れ際に山本が結婚しろと念を押してきたのを思い出す。
きっかけとなった2月14日に俺のところへユキを差し向けたのは山本だ。だからか、ユキに対して変な責任感を持っている。
ユキとは結婚するだろう。たとえしなくても、5年後も10年後も変らず隣にいると思う。ユキの誕生日が近づくたびに考えはするが、いつも引っかかるのはあの雨の日にユキの言った事だ。
一人前になるのは待てないが、親を安心させたいと言うユキの言葉。始めのころは親思いなんだと単純に思っていたが違うようだった。何故なら、この4年間一度もユキは故郷に帰っていない。ユキの故郷へは日帰りでは厳しい。なのに長期休みは俺と過ごすか、友達と旅行に出掛けている。この前の正月なんてひとりでアメリカに行っていて驚かされた。子供の頃の話はよく聞く。だけど家族の話は一切出てこない。
気にならない訳じゃない。それでも、ユキに家族のことを聞かないのは俺のプライドだ。ユキから話して欲しいと言う俺の我儘だ。
駅に着くとユキが改札の前で待っていた。空を見上げる顔はあの日と同じ哀しい顔。
「おかえり。」
そっと傘を差し出す。
「ただいま。飲み過ぎちゃった。」
へにゃりと笑うその顔は、いつもの優しい顔に戻っていた。
せめて、こうして俺の隣いる時は笑顔でいて欲しいと思う。
読んで頂きありがどうございました。ユキの過去になにが!?はさて置き、今回はタクさんだって色々考えてるんですという話でした。




