Ep.03 君とラストダンス
少々長くなってしまいました。「」は日本語『』は英語と思ってお読みください。
12月末。私とタクさんは、クリスマス休暇を利用して行われる龍ちゃんの結婚式に出席する為にNYへと来ていた。伝統ある教会で行われた式は、厳かで神聖なものだった。新婦のキャシーは金髪碧眼、スレンダーな女性でマーメイドラインのドレスがよく似合っていた。いつも飄々としている龍ちゃんの滅多に見れない緊張気味の顔に、家族一同は顔がゆるみ真面目な顔をするのに必死だった。
こちらの披露宴は日本の披露宴とは違い、初めのスピーチだけで後は各々が新郎新婦に話しかけたり、新郎新婦が回ったりとカジュアルな雰囲気で過ごしやすかった。
披露宴も終盤に差し掛かった頃、甥っ子達に数本で出来た小さな花束を持たせキャシーの元へ向かわせる。
「あいらぶゆー」
甥っ子達の拙い英語は無事にキャシーに伝わったらしく、両手を広げ2人まとめて抱きしめた。
「I love you,too.」
そう言いいながら2人の頬にキスを落とすキャシーは嬉しそうだった。甥っ子達の可愛いサプライズに周囲も、ドリンクカウンターから見守っていた私と兄も笑顔がこぼれた。
「どっちだよ。あれ仕込んだの。」
式とは打って変わり、いつも通りに戻った龍ちゃんは少し嫌そうにこちらにやって来た。
「さぁ。」
私と兄はお互い顔を見合わせとぼける。
「誰かさんと違ってうちの息子たちは素直なんだよ。」
兄がからかうように言えば、龍ちゃんは苦い顔をしていた。
「悪かったな。」
何か心当たりがあるのか不貞腐れた龍ちゃんを見ていると、よくキャシーは龍ちゃんに付き合っていられるなとつくづく思う。ゆっくり話す間も無く、司会の人に呼ばれて龍ちゃんは会場中央にぽっかり空いたダンスペースへと戻って行った。
アメリカでは定番の新郎新婦が結婚後初めて踊るファーストダンスがこれから始まる。ダンススペースには新郎新婦二人だけが立つ。招待客はダンススペースをぐるりと囲むように並び、2人のファーストダンスが始まるのを今か今かと待ちわびていた。
丁度、新郎新婦を挟んで向こう側にタクさんと両親、それから晶子さんと甥っ子達が並んでいた。司会者が何か話すたびに、タクさんが両親に話しかけているのが見えてきっと通訳してくれているのだろう。式が始まる直前、タクさんは改めて両親に挨拶をしてくれた。その時のどこか堅い雰囲気とは打って変わり、仲良く話す3人の姿にほっとした。
タクさんと両親から新郎新婦へと視線を戻せば、いつも笑顔の絶えないキャシーも少し緊張しているようだった。
そもそも甥っ子たちに花束を持って行かせたのは、昨日キャシーの元気がなかったから。式の準備で疲れているのかと思っていたら、そうではなく龍ちゃんの本心がわからなくて悩んでいると言われた。付き合う前も付き合ってからも愛してると言われたのは数える程で、結婚を決めたのもキャシーが迫ったからだと思っているみたいだった。
-私は日本人じゃないから言葉にしてくれないとわからない。-
今にも泣きそうな顔でそう呟くキャシーを見兼ねて、私と兄が甥っ子達に花束を持っていくサプライズを用意したのだった。
司会者からマイクを受け取る龍ちゃんを見つめながら兄へ話しかける。
「ちゃんと言えると思う?」
「さぁな。でもあいつはやる時はやる男だよ。」
上手くいくかは分からないが、先程の龍ちゃんの表情を見ると大丈夫な気がした。
龍ちゃんとキャシーが向き合うと、先ほどまで流れていたBGMは止まり会場は水を打ったように静かになった。龍ちゃんはキャシーの手を取るとマイクを構え、ゆっくりと息を吸い込んでから話し始めた。
『俺は自分の気持ちを伝えるのが苦手で、典型的な日本人だと思う。俺の気持ちが分からないとキャシーを何度も泣かせたね。でも、これだけは分かって欲しい。口にしないだけで、いつもキャシーを大切に思っている。』
ここまでキャシーから一度も視線を外すことなく話し切った龍ちゃんは、キャシーをそっと引き寄せた。
『キャシー…一度しか言わないからしっかり聴いて。』
マイクは持ってはいるがそれはまるで、キャシーの耳元へささやきかけるような口調だった。
「I love you.」
その言葉をきっかけにバラード曲が流れだし、新郎新婦のファーストダンスが始まった。二人のファーストダンスは、ダンススペースを動き回る訳でもなくただその場で抱きしめ合うように曲に合わせて揺れているだけだ。涙を流しながらも今日一番の笑顔を見せるキャシーとそんなキャシーを優しく抱きしめる龍ちゃんは本当に幸せそうだった。しかし会場にいる誰もが二人の幸せを感じている中、私は独り寂しさを感じていた。
ファーストダンスが終われば次は新婦が父親と踊るラストダンスへと移る。新郎も母親と踊るのだが、あいにく母は日本から持ち込んだ留袖を着ていた。義姉の晶子さんも母と揃えるかのように色留袖を着ていたので、必然的に私が龍ちゃんと踊ることがアナウンスされた。
迎えに来た龍ちゃんにエスコートされ、ダンススペースの中央への向かいながら母と晶子さんに恨めしい視線を向ける。私の視線に気付いた2人は、クスクスと笑いながら楽しそうな笑顔で手を振ってきた。
嵌められた
そう気付いた時には既に遅く、龍ちゃんの肩に両腕を乗せ曲に合わせ揺れていた。龍ちゃんの肩越しに、キャシーとキャシーの父親が見える。何を話しているのかここからは聴こえないが、父親の言葉に静かに頷くキャシーの涙には寂しさが溢れていた。
「お前が何で泣いてるんだよ。」
龍ちゃんに涙が溜まった目を指摘された私はキャシー達から目を離し、そっと龍ちゃんの肩に顔を埋めた。
「まだ泣いてないよ。」
「…まだな。」
龍ちゃんは呆れながらも私を優しく抱きしめ直してくれた。それはまるでキャシーと踊ったファーストダンスのようで、更に涙が溢れてきた。涙がこぼれないように、私はそっと目を閉じた。
「泣くなって。」
「だから、まだ泣いてないって。」
「はいはい。」
頭をぽんぽんとされると幼い頃に戻ったかのように感じる。家を飛び出したあの日も今日のように優しく頭を撫でてくれた。何も言わずに出してくれたブラックコーヒーにあの日の私は泣いた。
龍ちゃんはきっと私の涙の意味を分かっていると思う。この涙は嬉し涙なんかじゃなく、ただいつまでも兄離れ出来ない我儘な妹の涙。
いつも強がりな私が涙を流せるのは龍ちゃんの前だけだった。それももうお終い。今日からこの胸はキャシーのものだから、もう龍ちゃんの前で泣かないと決めていた。
「幸を守るのも今日で最後だな。」
「…そうだね。」
止まったはずの涙が再び溢れ出す。
「でも何かあったらいつでも来い。コーヒーぐらいは飲ませてやる。」
自然と涙は引っ込み笑みがこぼれる。泊めはしないからなと釘を刺す龍ちゃんの声は優しさそのものだった。
「コーヒー1杯にNYは遠いなぁ。」
「だったら長原君といつまでも幸せでいろ。」
不器用な龍ちゃんの優しさに少しだけ笑みを取り戻す。
「龍ちゃんもね。」
「当たり前だ。」
2人の間に流れる空気はどこまでも穏やかだった。
深呼吸をひとつ。龍ちゃんの背中に回した腕に少しだけ力を込めてから体を離す。まだおめでとうは心から言えない。ゆっくりと龍ちゃんの顔を見上げ今日1番の笑顔を見せる。
「今日までありがとう、お兄ちゃん。」
一瞬驚いた顔を見せた龍ちゃんは、昔と変わらない笑顔で私の頭をそっと撫でてくれた。
『お別れは言えたかい?』
龍ちゃんとのラストダンスを終えた私はキャシーの父親であるロジャーと踊っていた。
『はい。』
お別れを言えたかどうかは分からないが、伝えたかった言葉は伝わったと思う。ロジャーはNYで暮らす龍ちゃんの様子を面白おかしく教えてくれた。
『リュウはね、いつも君の自慢ばかりしていたよ。意地っ張りだとか、手が掛かるだとか、心配ばかりかけるとかいつも言っていたよ。』
『それは、自慢じゃなくて愚痴だと思います。』
龍ちゃんがどんな風に話し聞かせているのか、容易に想像がついた。グットニュースの様に話してくれるロジャーに苦笑いで返すしかなかった。
『そうかな?そう言っているリュウの顔には、妹が可愛くて仕方ないって書いてあったよ。』
俯く私をよそにロジャーは話し続ける。
『リュウもユキも素直じゃないところはそっくりだって事かな。』
『…』
全てを見透かされた様な言葉に私は黙り込むしかなかった。
『ユキ、結婚はゴールじゃないんだよ。人生の通過点なんだ。ここで終わりじゃないんだよ。』
ロジャーの声は哀しいものだった。
“結婚はゴールではない”
日本でも良く聞くその言葉だが今の私に言う意図が分からず、ロジャーに続きを促した。
『私はね父親の役目は今日が最後だとずっと思ってきたんだ。キャシーを…娘を守るのは今日で終わりだとずっと自分に言い聞かせてきた。』
その言葉に私は思わずロジャーの顔を見つめた。
『そう、君とおなじだよ。しかし、今日1日キャシーの嬉しそうな顔を見ても、その目に写すのは私ではなくリュウなんだと頭では分かっているのに心はついていけなかった。』
私もそうだった。今日1日龍ちゃんの今まで見たこともないような笑顔を見て、そんな顔をさせるのは私ではなくキャシーなんだと頭では分かっているのに心の中では淋しかった。ロジャーをもう一度見ると何かを思い出しているのか、遠い目をして口元は少し笑っていた。
『キャシーはそんな私の気持ちなんてお見通しだったよ。』
『何か言われたんですか?』
『ダディは一生私のダディだって。今日で終わりなんて言わないってね…。』
ロジャーから聞かされたキャシーの言葉に私は目を見開く。
『恥ずかしながら、家族に終わりはないんだって娘に気付かされたよ。今日でキャシーを守る役目はお終いだ。しかしこの先キャシーがやがて子を産み母となっても、キャシーは私の大切な娘で、大切な家族だ。どんなに形を変えようと家族に変わりはないんだ。』
そう言い切ったロジャーは清々しい表情でキャシーを見つめていた。
龍ちゃんはもしかしたらそれを伝えたかったのかもしれない。ラストダンスの最後に向けられた昔と変わらない龍ちゃんの笑顔を思い出した。今日は泣かないと決めたのにまた涙が溢れ出した。
優しく頭に添えられたロジャーの手は、当たり前だか龍ちゃんの手とは違うものでそれがまた悲しかった。
『さて、そろそろ老いぼれの役目は終わりかな。』
顔を上げロジャーの視線の先をたどると、タクさんがダンススペースの人混みをかき分けこちらへ向かって来ていた。
『これからはちゃんと君の騎士の胸で泣くんだよ。婚約おめでとう。幸せにね。』
ほんの僅かに溢れた涙を優しく親指で拭いながらも、茶目っ気たっぷりに祝福してくれるロジャーの言葉が少しだけくすぐったく感じた。
ロジャーはどこまでも紳士でタクさんの元へとエスコートしてくれた。
タクさんはロジャーから私の手を受け取ると迷わずテラスへと繋がる扉へと向かい始めた。
テラスに出ると日はすっかり落ち、夕方からちらつき始めた雪はNYを白い世界へと変え始めていた。予報外れの雪のせいか通りにはひとっこひとり居らず、まるで世界には私とタクさんしか居ない様な錯覚に陥るほど静かだった。
「タクさん…。」
背中に回された右手も、頭に添えられた左手も、龍ちゃんの手とは違うけれど優しく包み込む様な手の温もりは既に私には馴染んだもので、気付けば私を支えてくれる掛け替えのないもの。
「いつも、いつも私の1番の味方は龍ちゃんだった。優しく時に厳しくいつでも私の背中を押してくれたのも龍ちゃんだった。」
これまでの思い出が走馬灯の様に駆け巡り、タクさんの存在を確かめたくて背中に回した手に力を込める。
「自慢の兄だったんだね。」
思い出すのは龍ちゃんの優しい笑顔。
そう…自慢の兄だった。そしてこれからも龍ちゃんは私の自慢の兄。
披露宴会場はたくさんの笑顔で溢れていた。
再びキャシーと楽しそうに踊る龍ちゃんへ
こんな我儘な私を本当の妹の様に可愛がってくれるキャシーへ
心からの祝福を
「結婚おめでとう。」
静かなこの世界に私の声だけが響いた。
長々とありがとうございました。また2人を書けたら嬉しいです。その時はよろしくお願いします。




