聖木に実った果実.2
カルロッタが三階にある客間に行くと、一人の貴婦人が待っていた。
またか、と内心思いつつ、カルロッタは優雅にカーテシーをする。
相手は、夜会でも何度か顔を合わせている伯爵夫人だ。
聖木に果実が実ったという話は瞬く間に王都に広がり、当初は金貨五枚のはずが、いつのまにか金貨十枚にまで値は跳ね上がった。
始めの一ヶ月は大病を患う患者に配られたが、残念ながら彼等には万能薬の方がよく効いた。
それによって、聖木の果実の効果に疑問が出たが、それはすぐに消える。
うっかり階段から落ち足を骨折した伯爵が試したところ、折れた骨がすぐに元通りになり、瞬く間に歩き走れるようになったのだ。
聖木の果実について書かれた文献は少なく、分かっているのはそのときの聖木の大女神の資質によって効果が大きく左右されると言う事実だけ。
よって、カルロッタが実らせた果実は、病には効き目が弱いが怪我にはよく効くと判断された。
エプラゼール国は、現在どこの国とも争いをしていない。
もちろん市井で大小の犯罪は起きるし、防犯の意味も含め警邏は欠かせない。
しかし、わざわざ金貨十枚を払って手に入れた聖木の果実を使うほどの怪我を負う者は少なく、早急な魔力の回復を必要とする機会はない。
それでも騎士たちが聖木の果実を買い求めたのは、あくまでも将来必要になった場合、念のためにという気持ちからだ。
ところが、間もなく妙な噂が広がり始めた。
騎士の妻が、夫が保管していた聖木の果実を興味本位で身に着けたところ、みるみる肌にハリと潤いが戻り若返ったそうだ。
それが分かると、今度は貴族女性がこぞって聖木の果実を手に入れようと、ひっきりなしに教会を訪れるようになった。
今回訪れた伯爵夫人も、他の夫人同様、その効果を求めて来たらしい。
カルロッタは、さっき渡されたばかりの箱を恭しく女性に手渡す。
「こちらが、聖木の果実でございます」
「あぁ、これが噂の。開けてもいいかしら」
「もちろんです」
箱の中には、ルビーに似た石がひとつ入っている。
夫人は嬉しそうにそれを手にとり、瞳を潤ませながら上下左右から眺めた。
それを横目にカルロッタは立ち上がると、部屋にある棚から同じ大きさの箱を取り出した。
「これは、私が使っているネックレスと同じものです。金の球体の中に聖木の果実を入れ、首からかけられるようになっております。ネックレスとして肌身離さず身に着けてください」
「ありがとうございます。聖木の大女神様とお揃いだなんて光栄です。こちら、どうぞお受け取りください」
すっと出された布に包まれていたのは、あきらかに十枚以上の金貨。
その重さが、受け取った手にずしりとくる。
カルロッタは思わず緩みそうになった頬を引き締め、聖木の女神らしく、未来の王太子妃らしく優雅に微笑んだ。
「聖木の大女神として、当然のことでございます」
伯爵夫人は羨望の眼差しでカルロッタを見ると、改めて深く腰を折ったのだった。
伯爵夫人を見送ったカルロッタは、大聖堂に戻ろうしたところで呼び止められた。
振り返ると、そこにはヘルクライドが立っている。
「少し休憩しないか?」
そう言って、ヘルクライドは手にしていた箱が見えるように少し上げる。流行の菓子店のロゴに、カルロッタが分かりやすく喜んだ。
さっきまでいた客間に戻ると、使用人を呼び止めお茶を持ってくるように頼む。
ヘルクライドに断りを入れ開けた箱には、宝石のようなチョコレートが綺麗に並んでいた。
「王太子教育に疲れたから、チョコレートを買ってきた。城に戻ると、俺の顔を見た文官がすぐに書類を持ってくるから、ここへ逃げてきたんだ。疲れたときは甘いものに限る。カルロッタも好きだろう?」
「ありがとうございます。最近、ずっと身体が重かったのですが、ヘルクライド殿下のお顔を見て元気になりました」
「それはよかった」
カルロッタの隣に座り直したヘルクライドは、チョコレートをひとつ摘まむとカルロッタの口に入れる。
少し頬を膨らませながら食べるカルロッタは、小動物のようで可愛らしい。
「最近、貴婦人の間でカルロッタの評判がよい。おかげで俺を支持する貴族も増えてきている。それにしても、カルロッタが聖木の大女神だったとは、実に心強い」
「葉も花もすっかり元通りに茂り咲いています。私、未来の王太子妃としてお役に立てていますでしょうか」
「もちろん。ところで、さっき大聖堂に行ったところ、聖職者が薬を配っていたように見えたのだが……」
ハッとカルロッタは顔を上げると、急いでヘルクライドに訴えた。
「決してサボっていたわけではありません。最近、私以外の者が手渡しても、薬の効果が変わらないと分かったのです。それなら、私が貴族を相手にしている間に、聖職者に手伝ってもらったほうが、患者を待たせないと考えました」
「そうなのか。カルロッタは優しいな。もしかすると、カルロッタが聖木の大女神ゆえ、葉や花の効果が高まり、他の者が手渡しても効き目が変わらなくなったのかもしれない」
なるほど、とカルロッタは瞳をパチリとさせる。
そんな考え方もあるのだと納得すると、パチンと胸の前で手を合わせた。
「では、これからは大聖堂は聖職者に任せていいですか? 貴族だけを相手すればいいのであれば、ヘルクライド殿下と一緒にいる時間を増やせられます」
「それはいい。是非、俺のために貴族との繋がりを作ってくれ。教皇には俺から伝えておこう」
ヘルクライドの言葉に、カルロッタは相好を崩す。
そんなカルロッタにゆっくり休憩をするよう伝えると、教皇に会いに行くといってヘルクライドは部屋を出ていった。
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
こうして話をするのは一週間ぶりだというのに、あまりにあっけない。
未来の王太子妃として役立っていると褒めてはくれたが、疲れているカルロッタに対し、「大丈夫か」の一言もなかった。
(私がどれだけ頑張っているか、本当に分かってくださっているのかしら)
それに、来週には婚約のお披露目パーティもあるというのに、まだドレスも贈られてこない。
婚約指輪こそ買ってくれたが、嬉々として選ぶカルロッタに対し、ヘルクライドは興味なさそうな顔をしていたように思う。
少しこけた頬に触れると、肌が随分と乾燥している。
胸にかけた新しいネックレスには、聖木の果実が入っている。肌も潤すはずだ。
不思議に思いつつペンダントトップに触れれば、いつもと何かが違うように感じた。
首からチェーンを外し、目の高さまで持ってきたカルロッタは、次の瞬間悲鳴と一緒にそれを部屋の隅に投げつけた。金の球体の繋ぎ目から、どろりとした液体が垂れていたのだ。
「な、なに? 何が起こっているの!?」
壁に当たった衝撃で、金の球体の中に入っていた聖木の果実が外へ転がり出た。その表面には黒いへどろのようなものがはりつき、一部がべろっとはがれている。はがれた場所から現れたのは、どうみても品質の悪いルビーだ。
「お、お母様! お母様に聞かなくては」
カルロッタはハンカチでネックレスを摘まみ上げると、転がるように部屋を飛び出し、王都にあるタウンハウスに駆け込んだ。
アディシアは、バルトア伯爵の寝室にいた。
伯爵は、ここ四ヶ月ほど容態が悪くずっと床に伏せている。
「どうしたの、カルロッタ、そんなに慌てて」
「お母様、いただいた宝石……聖木の果実がおかしいのです」
部屋の隅に侍女が控えていたのが目に留まり、慌てて言い直しながら、ハンカチごとネックレスを母親に渡す、
アディシアは侍女に退出するよう目配せをすると、それを受け取り結び目をほどいた。
「気づいたらこうなっていたのです。この黒い泥のようなものはなんでしょうか? 明日からどうやって葉を茂らせ花を咲かせればいいのか……。それに、聖木の果実は大勢の貴族に配っています。彼らにどう言い訳を……」
「落ち着きなさい、カルロッタ。まず、あなたには新しい聖木の果実をあげましょう。きっと力を使い過ぎたからこうなったのね」
そうだ、聖木の果実は沢山あったのだと、カルロッタはほっと息を吐く。
でも、配ったものはどうすれば、と再び問おうとすると、先にアディシアが言葉を続けた。
「それから、配った聖木の果実が黒くなったのであれば、果実なのだから当然だと言って、新しいのを売ればいいわ。果物が腐るのは当たり前でしょう?」
「で、でも。これ、本当は果実ではなく、宝石……」
「カルロッタ。これは聖木の果実よ。分かっているでしょう」
アディシアは有無を言わせぬ笑顔を貼り付け、カルロッタを見据える。
唇は弧を描いているのに、その目はまったく笑っていない。
カルロッタは背中にヒヤリと冷たいものを感じながら、コクコクと頭を動かした。
うすら寒いものを感じつつも、それでも幾分か気持ちが落ち着いたカルロッタは、横たわるバルトア伯爵のベッド脇に腰を掛ける。
寝込むバルトア伯爵の顔色は悪く、医師に見せても原因は分からないと言われてしまった。
もちろん、バルトア伯爵が体調を崩したことは、公にしていない。
聖木の女神なのに父親も治せないのかと、非難されるのを恐れたアディシアの指示だ。
バルトア伯爵の胸に、聖木の果実はない。
一度試したが効果が見られなかったとアディシアが言っていたし、病には効かないのはカルロッタも承知している。
その代わり、カルロッタが着けているもう一つのネックレスと同じものが、首に掛けられていた。
模様の入った金の球体のネックレスは、かつてルーシャもしていたものだ。
彫られた模様も、ルーシャと同じように見える。
「さぁ、これであなたの憂いは全て解決したでしょう。それにしても、肌荒れが酷いわね。結婚式まであと一週間なのだから、手入れを怠ってはだめよ」
「はい。お母様」
頭の隅でなにかが警戒音を鳴らしている気がするも、カルロッタはそれについて考えないように努めて明るい声で返事した。
(そうよ、私は間もなく、正式な婚約者、いえ、将来の王太子妃になるのだから)
婚約の許可はすでに取っているが、書類手続きは婚約披露パーティが終わってからすることになっている。
パーティでは、ヘルクライドが正式に王太子と認められる予定だとも聞いていた。
そうなれば、カルロッタは王太子妃だ。
輝くような未来を思い浮かべ、カルロッタは夢見心地で窓の外に目をやる。
夏の日差しが、自分を祝福しているかのように思えた。
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