聖木に実った果実.1
後半の推敲が終わったので、朝夕の2回投稿に戻します!
夏の日差しのもと、王都はいつも以上に賑わっていた。
一時は万能薬も回復薬も出回らず市場は混乱に陥ったが、春の訪れとともにそれらの騒動は収束を迎えた。
「聖木の女神様が大女神様の力に目覚めたらしいぞ」
「ヘルクライド殿下との婚約が決まって間もなく覚醒されるなんて、きっとお二人は結ばれる運命だったのよ」
「葉も茂り花も咲き始めたっていうから、もう心配ないな」
大聖堂に並ぶ人の列は、この四ヶ月途絶えることはない。
冬の間、聖木に葉も花も咲かず、薬がなくなったときは国中が騒然となったが、今はもうあのときの殺伐とした空気は微塵もなく、王都は祝福に包まれている。
大聖堂の女神像の前に誂えられたテーブルにカルロッタが白い衣装を纏って座ると、彼女の登場を今か今かと待ち望んでいた患者たちから拍手が沸き起こるほどだ。
「子供が熱を出したので、回復薬をください」
まだ一歳にも満たない子供を腕に抱いた女が、期待で頬を紅潮させながらそう請えば、カルロッタは一瞬ため息を吐いた後、小さな小瓶を手渡した。
「これを飲ませなさい」
小指程の大きさのそれに、女がパチパチと瞬きをする。そうしておずおずと顔を上げた。
「あのう。上の子供が熱を出した際にいただいた回復薬は、もう少し大きな瓶に入っていたように思うのですが……」
「あのねぇ、これだけの患者が目に入らないの? 困っているのはあなただけじゃないの。大勢の人に行き渡るようにするには、量を減らす必要があるのが分からない?」
いらいらとした口調で吐き捨てるように言えば、女はかぁ、と顔を赤くする。
後ろを振り返れば、幼子よりも症状の重い患者もいた。
「も、申し訳ありません」
「文句があるなら、万能薬を置いていってくれない? 他の人に渡してあげたいから」
「い、いえ。図々しいことを言って申し訳ありません」
女は何度も頭を下げ小瓶を受け取ると、背を丸めそそくさと大聖堂を後にした。
その後ろ姿に、カルロッタが軽く舌打ちをする。
朝から頭が痛いし、身体が重い。もう何ヶ月もこんな症状が続けば、愛想笑いを浮かべるのさえ億劫になってしまう。
(あぁ、早く帰って眠りたい)
朝に聖木に祈りを捧げた途端、身体が鉛のように重くなる。
歩くのさえままならず、暫くその場にへたり込み、息を整えてからしか動くことができない。
それでも、聖木に芽生える葉や咲く花は、ルーシャがいた頃の半分にも満たない。
数ヶ月、市場に薬が出回っていなかったので、薬を求めて来る患者は以前より多いのにこれでは数が圧倒的に足りなかった。
「だったら、一人当たりの薬の量を少なくすればいいじゃない」
そう言ったのは、カルロッタの母であるアディシアだ。
教皇に半ば強引に命じ、以前の半分の大きさの小瓶を用意させた。
見た目は半分だけれど、分厚い硝子で作り底を上げているので、実際に入る薬の量は三分の一ほどになる。
もちろんそれだけでは足りない場合も多く、何度も教会に足を運ばなくてはいけない患者が増えた。
それがさらに、教会を訪れる患者の数に拍車をかけ、今や人の列は門扉を越え道にまで達するほどだ。
当然のごとく薬の精製は教会の聖職者と修道女に丸投げで、カルロッタは朝の祈りのあとは別室で身体を休めている。
教会から比較的近くに、ヘルクライドに与えられた離宮もあるが、患者が多いのと疲労が激しいので帰宅もままならない。
最近は、どれだけ患者がいても夕暮れには門を閉め、教皇の私室の隣に用意させた部屋で眠ることも多くなった。
それでも、肌はどんどん荒れ、髪は艶をなくしていく。
まるでルーシャを思い出させる自分の容貌に、いらいらは募るばかりだ。
「カルロッタ様、貴族様が客間でお待ちです」
聖職者がおずおずとそう言えば、カルロッタはふぅ、と息を吐き席を立った。
立ち上がると、人の列が永遠と続くのが見える。
「ちょっとあんた、私の代わりに薬を配っておいて」
「えっ、しかし。薬は聖木の女神様が手渡しをしてこそ、威力を発揮するとされています」
「そんなの迷信よ。試しに、私を介さずにヘルクライド殿下に薬をお渡ししたけど、元気になったわ」
「殿下、がですか」
「そうよ。最近お疲れだから届けさせたの。だから、あなたが手渡しても問題ないわ。私が戻ってくるまでにできるだけ多くの患者を捌いておきなさい」
気だるげにそう言うと、カルロッタは大聖堂に隣接する建物へと続く扉へと向かう。
大聖堂内にある扉は三つで、ひとつは患者が入ってくる正面入口。女神像に向かって右側にある扉は、聖職者や教皇たちの私室や客間がある別棟へと続く。
最後のひとつは女神像脇にある小さな扉で、そこからタイミングよく薬の精製を頼んでいる修道女が出てきた。
「貴族様が聖木の果実をお求めと聞きましたので、お持ちいたしました」
「これは昨日の残りかしら?」
「いえ、先程バルトア夫人が収穫されたものです」
カルロッタは手のひらの上に乗るぐらいの紺色の箱を受け取ると、蓋を開け中身を確かめる。
そこにはルビーによく似た真っ赤な果実が入っていた。
(これはいったい、何なのかしら?)
もう何度も見てきたが、「聖木の果実」が一体なんなのか、カルロッタは知らなかった。
カルロッタが初めて聖木の果実を見たのは、ルーシャがいなくなって二ヶ月が過ぎた頃だ。葉も茂らず花も咲かないのを体調不良のせいだと言って閉じこもっていた離宮に、突然アディシアが訪ねて来た。
「聖木の果実が手に入ったわ」
侍女を部屋から退出させるや否や、気だるげにカウチに横たわるカルロッタに駆け寄り、カウチの空いている場所に強引に腰を掛けた。
「果実?」
怪訝そうな表情で身体を起こしたカルロッタに、アディシアはポケットから赤い宝石を取り出して見せる。
ルビーに似たそれは、直径五センチほどの丸い形をしていた。
昔、アディシアからもらったネックレスと同じぐらいの大きさの赤い球体を、カルロッタは眉根を寄せじっと見る。
「お母様、これはいったい何なの?」
「だから、聖木の果実って言ったじゃない」
「聖木に果実がなったのですか!? 葉は? 花は? …‥待って、それじゃ、私は女神ではなく大女神ということ!?」
急にはしゃぎだしたカルロッタを落ち着かせるように、アディシアはゆっくりと口を開いた。
「いいえ、聖木には葉も花も咲いていないわ」
「えっ?」
分かりやすく落胆したカルロッタの肩を、アディシアは両手で包む。
「でも、これがあれば、きっと葉が茂り花が咲くわ。さらに、この宝石を『聖木の果実』として売れば、あなたは大女神として敬われ、その地位は盤石なものとなるのよ」
「葉が茂り花が咲く? 果実として売る?」
それってどういう意味だと口をぽかんと開けるカルロッタに、アディシアは子供に言い聞かせるかのように語りかけた。
「この宝石は、あなたのために私が取り寄せたの。特別な力があって、願望を叶える力を持っているわ。あなたはこれを身に着け、聖木に祈りを捧げなさい。きっと今まで以上に葉が茂り、花が咲くわ」
戸惑っていたカルロッタの表情に明るさが戻る。
どんな手段を使っても、葉を茂らせ花を咲かせないといけない。
そのプレッシャーに追い詰められていたカルロッタは、深く考えず母の持つ宝石を手にした。
すると、ただそれだけで手のひらが温かくなってくる。
「お母様、ありがとうございます。すぐにでも、聖木へ祈りに行ってきます」
「ちょっと待って。まだ話は終わっていないわ」
腰を浮かしたカルロッタの手を引きもう一度座らせると、アディシアはにんまりと口角を上げた。
「この宝石は、お母様がいくらでも手に入れてあげるわ。だから、これを聖木の果実として販売しましょう?」
「……それは、嘘を吐くという意味ですか?」
さすがに青ざめたカルロッタだが、アディシアははっきりと頷いた。
「あなた、ヘルクライド殿下と結婚するのでしょう? 今、貴族だけでなく平民の間でどんな噂が流れているか知っている? 聖木の女神の力が無くなったのは神を怒らせたからだ、偽物だって言われているのよ」
「そんな。酷い」
あれだけ尽くしてきたのに。なんて言われようだと、カルロッタは悔しさと悲しさで顔を歪める。
毎朝、暑い日も、雪の日も祈りを欠かすことはなかった。
大聖堂で薬を手渡し、欠伸が出そうなほどつまらない平民の話を聞いてやり、聖木の女神らしく微笑んでやったではないか。
それを偽物だと言うなんて。考えれば考えるほど怒りがこみ上げてくる。
今まで、施しを与えてあげていたのに、なんという手のひら返しだ。
「ええ、酷い話ね。あなたはいつもこの国のために心を砕いていたのに」
よしよし、とまるで子供を宥めるようにアディシアはカルロッタの頭を撫でると、だから、と言葉を続けた。
「だから、あなたの素晴らしさを国民全員にしらしめたいの。そのためには女神であるだけではダメだわ。カルロッタ、あなたはこれから大女神になるのよ」
「でも……。果実が偽物だと知れたら」
「大丈夫。絶対バレないわ。一説では聖木の果実を食していたと言われているけれど、時代によって諸説あるそうよ。色も形も様々なようだし。だからカルロッタの場合はこの宝石だとしてしまえばいいのよ」
聖木の大女神が現れるのは、ごくごく稀だ。そのため、残っている文献も少ない。先代の聖木の大女神については聖木の果実を食したと書かれていたが、それ以前についてはあやふやでしかない。
アディシアはたたみかけるかのように言葉を続けた。
「これは、沢山作ることができるの。何も心配はいらない。ただ、作るのにはお金が必要だから、万能薬や回復薬のように無償で配ることはできない。そうね、一粒につき金貨五枚にしましょう。貴族なら、充分手が届く金額よ」
カルロッタだって、自分の悪評は耳に入っている。
ヘルクライドと結婚するためにも、自分自身の価値を高める必要がある。
それに、母が大丈夫だと言っているのだ。
「分かったわ。お母様、それを私にちょうだい」
「賢い子。ではネックレスにしてあげるわ」
アディシアはポケットから金のチェーンを取り出す。
その先には丸い球体がついていて、半分に開くことができた。つるりとした球体が、カルロッタの顔を映す。
球体を開き、中に宝石を入れ、またカチリと閉じた。
金の球体からチェーンが伸びていて、ネックレスとして首につけれるようになっていた。
以前からしている模様の彫られた金のネックレスも外し難く、二つ一緒に着けてみたが、これはこれで華やかでよい。
「お母様、ありがとう。聖木に行ってくるわ」
「ええ、そうしなさい。それから、果実は祈りを捧げて数時間後に実ることにしましょう。それまで誰も近づけず、収穫は私がすると教皇に伝えておくわ」
教皇の幼い子供は身体が弱い。
その子に優先的に万能薬を渡すと言えば、教皇は何も言えないだろう。
いままでも、そう言って教皇を意のままに操っていたアディシアは、部屋を嬉しそうに飛びだしていくカルロッタにスッと目を細める。
「本当、あの子は幸運の木ね」
その声が、静かな部屋に黒い染みのように落ちた。
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