嵐の夜.4
再びテーブルに着いた私たちは、少し緊張した空気の中でカップを手にする。
私の隣にフォードさん、向かいにディン様が座り、全員が同じタイミングでカップに口をつけた。
清涼な香りが口腔内に広がるのに、どんよりとした空気と激しい雨音に、部屋の雰囲気は重苦しいままだ。
「まずルーシャの手配書だけれど、俺の手元でもみ消している。その理由については、ちょっと遠回りになるけれど、俺がここにいる理由から説明させてくれ」
そう切り出したのは、私の前に座るディン様だった。
「俺は、ボーガン侯爵家の長男だった。結構有名な家柄なんだけれど、聞いたことはない?」
「申し訳ありません。叔父がバルトア伯爵家を継いでからは貴族としての教育も充分に受けてはいませんし、家名も朧げにしか覚えていなく……」
「あぁ、いいよ。そんなに申し訳なさそうにしないで。じゃ、俺の学生時代の話からはじめるけど」
そう言ってディン様は、かつて自分の身に起きた婚約破棄について語り始めた。
ディン様には、貴族学園に入学する前に、親が選んだ婚約者がいた。
でも、その彼女は派手な振る舞いが好きで、日頃から騎士訓練に勤しむディン様とはあまりうまくいっていなかったらしい。
そんな折、ディン様を慕う平民の女性が現れた。
騎士科の生徒のお世話係のような仕事をしていたその女性とディン様は、当初はそれほど親しくなかったそうだ。
でも、ディン様が訓練中に怪我をして、それを介抱したところから二人の距離は縮まった。
とはいっても、顔見知りから友人になった程度だと言う。
それなのに、ディン様の婚約者は、これみよがしにとその女性を虐めたそうだ。
服を破り、荷物を隠し、ときには人を使って襲おうとまでしたらしい。
そんなことをしたら大事になりそうだけれど、ディン様の婚約者は伯爵令嬢で、相手は平民、しかも学生ではなく騎士科で働く使用人だ。
当然学園がそのいざこざに介入するはずもなく、いじめはますます悪質なものになっていった。
「そうなると燃え上がるのが恋心っていうものだよな。俺は卒業式のパーティで婚約者に婚約破棄を言い渡した。会場内が騒然とする中、平民の彼女と結婚するとまで言い切った」
「それは、随分と大胆なことをされましたね」
かねてより、フォードさんがディン様の女性への態度を「反省していないだろう」と窘めていた理由が分かった。
それほどの大事件を起こしたのだから、苦言を呈するのも尤もだ。
うんうん、と納得する私に、ディン様はなんとも言えない酸っぱいものを食べたような顔をする。
「あれは、若気の至りだったねぇ」
「私が言うのもどうかと思いますが、何もそんな人前で宣言されなくても」
思わず言ってしまい口を押さえると、珍しくフォードさんがフォローを入れた。
「当時は、パーティや卒業式での婚約破棄が流行っていたんだ」
婚約破棄って流行る類いのものなのですか?
納得できず眉間に皺を寄せた私だけれど、もちろん話はこれで終わらない。
先を促すようにディン様に目をやれば、重いため息と一緒に再び口を開いた。
「俺は、何としても両親を説得するつもりだったし、何なら、面倒くさい貴族をやめてもいいと思っていた」
「それほどに、彼女が好きだったんですね」
「うーん、そうだけど、それだけじゃない。俺は、ボーガン侯爵家にうんざりしていたんだ。長男といっても俺は母の子ではない。父とメイドとの間にできた子供なんだ。当然ながら母は俺を嫌い、父は無関心を貫いていた。もちろん嫡男としての立場はとても危うい。母は実の子である弟に侯爵家を継がせたがっていたからな」
それなのに、婚約破棄とは大胆なことをしたものだ、と思っていると、フォードさんが口を挟んだ。
「まどろっこしい言い方をするな。お前はあの女が、弟や婚約者が仕向けてきた罠だと知っていたんだろう。その上で、罠にかかった。侯爵家を捨てる口実が欲しかったんだ」
「格好よく言えばそうだけど、彼女と一緒に生きたいと思っていたのも事実だ。だから、あの婚約破棄は二つの意味で俺にとって都合が良かったんだよ。だけど、彼女は婚約破棄が成立するやいなや、姿を消した。ま、ちょっと考えれば当然なんだけれど、俺は彼女もまた、本気になってくれたと思っていたんだ」
始めは弟と婚約者からディン様を攻略するよう言われ近づいてきた彼女と、いつしか本当に心を通わせるようになった、と当時のディン様は思っていたらしい。
「当然、俺は廃嫡となり、平民となった。それを助けてくれたのが、第一皇子のクロスフォード殿下だ。俺に騎士爵位をつけ、貴族のいない辺境の地へと派遣してくれた。周りから見たら、何のメリットもない国境騎士団の団長だが、俺にはもったいないほどの采配だ」
実家の跡継ぎ騒動からも、貴族の目からも離れられる辺境の地こそ、当時のディン様に相応しい居場所だった、というのはストンと理解できた。
「で、ここからが本題な」
そう言ってディン様は、居住まいを正すと、ダイニングテーブルに額が着くかと思うほど深く頭を下げた。
「王都で何が起こったかは、商人や昔の伝手を使い把握している。ルーシャ嬢を陥れたヘルクライド殿下の部下は、俺の弟のガイルだ」
突然頭を下げられた私は、唖然として栗色の髪の旋毛を眺める。
記憶を呼び起こし浮かんだのは、私の部屋で毒を見つけたと言った眼鏡をかけた文官。そういえば、彼もまたディン様と同じ灰色の目をしていたように思う。
「あ、あの。頭をあげてください。ディン様が悪いのではありません」
「そう言ってくれるのはありがたいが、そもそも俺が自分の置かれた状況――嫡男を捨てたのが原因だ。俺はクロスフォード殿下と親しく、ゆくゆくは彼の護衛騎士になる予定だった。そうなっていれば、ボーガン侯爵家は第一皇子派の筆頭となっていただろう。それが、俺が不甲斐ないばかりに、ヘルクライド殿下の派閥となってしまった」
クロスフォード殿下とディン様が同じ年、そのひとつ年下のヘルクライド殿下と弟ガイル様もまた年齢が一緒で学友だったそうだ。
弟が兄に対し、良くない感情を持っているという点も、双方で類似していた。
ディン様の婚約破棄騒動には、クロスフォード殿下の有力な後押しであるボーガン侯爵家を、自分の手元におきたいというヘルクライド殿下の企みもあったのかもしれない。
言葉を選びつつそう伝えれば、ふたりとも「そう思う」と同意してくれた。
「でもどうして、弟のガイルさんが私を陥れたと分かったのですか?」
「フォードの信頼できる知人が、王都にはまだ多く残っている。毒の成分を検出し、それを扱っている店まで特定できた。そこは王都の隅にある店で、教会と伯爵邸を行き来するだけの日々を送っていたルーシャ嬢に行ける時間はない」
ガイルさんが手に入れたがどうかは、いまだ調査中らしい。
「そういうわけで、罪滅ぼしとはいかないのは分かっているが、ルーシャ嬢の手配書は俺の元で留めることにした。ちなみに捜索は数週間で終了した。すべて半年前に終わったことだ」
私の捜索は終わったと聞いて、大きな息が口から洩れた。
この半年、穏やかな日々を過ごしつつも、常に頭の隅に手配書の存在はあった。
もしかして、明日にでも衛兵がアマンダに乗り込み、私を絞首台へ連れて行くのではないか。
そう考え眠れない夜も、悪夢を見たことも数知れない。
思ったより気を張っていたらしく、私はよろっと背もたれに身体を預けた。
そんな私の頭に、大きな手が触れる。
「随分と気を張っていたのだろう。教えずにいてすまない」
包み込むような声音に、じわりと涙が浮かんでくる。
ここで泣くのは違うと、慌てて目尻を指先で拭った。
「いいえ、私がずっと身分を隠していたので、言えなかったと理解しています。今まで守っていただきありがとうございます」
いつの間にか、知らないところで私はずっと守られていた。
フォードさんやディン様だけでない。
身元も明らかでない私を雇ってくれ、住むところまで用意してくれたアマンダさんや料理長。
不安で辛くなったときは、すっと傍にきて明るい笑顔を見せてくれるジゼルさん。
他にも、いろんな人に助けられて、私はここで生きている。
「ありがとう、ございます」
涙声で伝えれば、フォードさんが私の肩を引き寄せた。
近づく距離に驚きつつも、安堵が込み上げてくる。
ずっとひとりで生きてきた。これからもそうだと思っていた。
でも、私はもう、ひとりじゃない。
ポンポンとあやすように背中を叩く手は、どこまでも優しい。
ガタっと椅子を引く音がして、ディン様が立ちあがる気配がした。
いつまでもこうしていてはいけないと分かっているのに、フォードさんのぬくもりが手放しがたく、暫く私はその優しさに身をゆだねていた。
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