嵐の夜.3
本日より朝のみの投稿となります。
部屋の中には、天井からぶら下がったランプがひとつ。それから、小さな机の上に燭台が置かれている。
もしかすると、ここにカルロッタがいたかもしれない。
師匠さんとアディシアが同一人物でないのは分かっている。
でも、師匠さんが生んで商人が預かった子供を、どこかでアディシアが手に入れたとしたら。
不安と一緒に知りたいという気持ちが、足もとから這い上がってくる。
「ジゼルさんは、部屋は当時のまま残していると言っていたわ」
そうなると、罪悪感より知りたい気持ちが勝ってしまい、私はためらいつつ机の引き出しを開けた。
中には小さくなったクレヨンと数枚の紙が入っている。
粗雑な紙は、貴族が使う物ではない。
でも、それでも平民には高価な品だっただろう。灯に透かすと、紙の中に草の繊維が見て取れ、どうやら異国の品のようだ。
国境に近いこの街に宿は無くても、通り過ぎる商人は多い。
彼らから買ったのかもしれない。
机にはお腹のあたりに二つの引き出しがあり、もうひとつを開けるとそこには額縁に入れられた絵があった。
両手で取り出したそれは、絵葉書を二回りほど大きくしたものだ。
そこに木炭でスケッチが描かれている。
夏場の水浴びを描いたのだろうか。
桶の中に、細い肩紐のワンピースを着た少女が座って、水を両手で掬い上げ笑い転げている。
背景から、それが裏の井戸だと分かる。
無邪気な笑顔に、かすかにカルロッタの面影があるように思うのは、私の気のせいだろうか。
誰が描いたのだろうと額縁から絵を取り出し裏を見れば、異国の名前が書いてあった。
おそらく、この街を訪れた絵描きが、スケッチしたのだろう。
師匠さんの演奏を聞いたお礼か、偶然目にした光景を書き留めたのか分からないけれど、少女の細い髪の一本一本まで丁寧に描かれていた。
髪はざっと頭の後ろでひとつに纏められている。
その首筋には。
「これ、もしかして……」
じとり、と手に汗が滲む。少女の首筋にある三つのホクロは、三角形を作るように並んでいた。
カルロッタは普段髪を降ろしているが、一緒に育った私は彼女の首に三角形を描くホクロがあるのを知っている。
絵を持つ手が震えた。
立っていられなくて、どかり、と床に腰を下ろしてしまう。
暫く震えながらその絵を見ていた。
見れば見るほど、少女はカルロッタに似ているように思えてくる。
まだ、バルトア伯爵家に来てまもないカルロッタの笑顔が、絵の少女と重なる。
呆然としていると、ノック音が聞こえ、遠慮がちな低い声がした。
よろよろと立ち上がり扉を開ければ、そこには戸惑うように眉を下げたフォードさんがいた。
「二階から物音がして気になったから来たのだが、大丈夫か?」
「……はい。いいえ、大丈夫、ではないのですが、平気、です」
もつれる舌で綴った言葉は、ほとんど意味をなしていない。
フォードさんは思案したのち、入っていいか? と室内を指差す。
それに私は小さく頷くと、身体を横にずらし、フォードさんを部屋へと招き入れた。
廊下の向こうにあるジゼルさんの部屋に目をやれば、出てくる気配はない。
どうやら、もう眠ったらしい。
「すみません。ちょっと蹲ってしまって。起こしてしまいましたか?」
「いいや、俺が音に敏感なだけだ。転んだか、倒れたのかと心配して覗きに来ただけだから、すぐに帰る」
言いながら、私の手を引きベッドに座らせると、自分は床に膝を突いた。
さりげなく、扉を全開にするのがフォードさんらしい。
「随分、顔色が悪い。エールは飲んでいなかったが、気分が優れないのか?」
心配そうに私を覗き込む顔に、縋りたくなってくる。
フォードさんにはまったく関係ないことだし、カルロッタがジゼルさんの師匠さんが生んだ子供だったとして、今の私にそれを証明する手段はない。
そう分かっているのに、不安で胸が埋め尽くされ息がうまくできない。
青ざめ、小さく震えるばかりの私の手が、大きな手に包まれた。
硬く筋張ったその手は、彼が異性だと私に印象付ける。
「俺でよければ話を聞く。何ができるんだと言われると困るが、吐き出して楽になることもあるだろう」
穏やかな声音が身体にジンと染み入り、じわじわとぬくもりが広がっていく。
甘えてもいいのだろうか。
思えば、自分から誰かに助けを求めたのは、祖父が死んで以来だ。
その優しい瞳に促されるように、私は父が亡くなったこと、その一年後に女性が現れ、一緒に連れて来た子供を妹だと紹介された話を、つっかえながらフォードさんに伝えた。
机の上に置いたままにしていた絵を指差せば、フォードさんは立ち上がりそれを手にする。
「その絵は、妹にほぼ間違いありません」
カルロッタには魔力がある。師匠さんは平民だから父親が貴族なのは間違いない。
そしてベルサートは貴族がほとんどいない土地だ。
辺境伯や鉱山を仕切っていた男爵は貴族だから、魔力があるだろう。
でも、彼等が下町の食堂に現れるとは思えない。
「父は二十年前に辺境の地へ赴いていました。父の髪は燃えるような赤で、瞳は茶色です」
「なるほど、聖木の女神と同じというわけか」
はい、と頷いた私は、違和を感じてそのまま動きを止める。
いま、フォードさんはなんて言った?
全身からさっと血の気が引いていく。さっきとは違う震えが足元からこみ上げてきた。
そんな私の異変に気付いたのか、フォードさんは絵を元の場所に置くと、ベッド脇へ駆け寄ってきた。
「どうしたんだ?」
「……いつからご存知だったんですか?」
声が震えている。手も足も、どんどん冷たくなっていく。
「えっ?」
「先程、『聖木の女神と同じ』と仰いました。私は妹について話しただけで、彼女が聖木の女神とは一言も口にしていません」
怯えながら問えば、フォードさんはしまったとばかりに口を押さえた。
「すまない、こんな形でつまびらかにするつもりはなかったんだが。最近忙しくて寝不足だったせいか、頭がうまく回っていなかった」
がしがしと黒髪を搔きながら、「それは言い訳だな」と苦々しそうに呟くと、フォードさんは再び膝を床に突いた。
「騙そうとか、様子を窺っていたとか、探っていたわけではない。俺は教会でルーシャの姿を見かけたことがあり、また聖木の女神とも面識がある。二人が姉妹なのも知っているし、カルロッタが平民との間にできた子供なのは有名だ」
「……知っていながら、今まで黙っていてくれたことに感謝します。でも、どうして誰にも言わなかったのですか? 私には第二皇子暗殺未遂に関わった容疑で、手配書が出ているかもと不安だったのですが、辺境の地までは連絡が届いていないのでしょうか?」
どこまで捜索の手が及んでいるのかは分からない。
もとが作り上げられた偽の罪だから、ヘルクライド殿下にしてみれば、安易に私を捕まえあれこれ話されるのは避けたいはずだ。
暫くして見つからなければ、早々に死んだことにして処理をすると思うけれど……。
私の問いに、フォードさんはどう答えるべきかと宙を睨む。
どんな言葉が出てくるのかと身構えていると、コンコンとノック音がする。
振り返れば、開けていた入り口にディン様が立っていた。
「帰りがあまりに遅いから、野暮と思いながらも様子を見に来た」
「だとすると、あまりにも野暮すぎるだろう」
「はは、そうだな。すまない、嘘を吐いた。扉を開けているせいか話が下まで筒抜けだ。ルーシャが聖木の女神の姉というのは俺も知っている。よければ話の仲間に入れてくれないか? フォードは肝心のところで口下手になるから、俺がいたほうがいいだろう」
いつもの軽い口調と明るい笑顔に、張り詰めていた気持ちがフッと抜けていく。
そうだ、別に恐れることはない。
この二人なら、信用できる。
たとえ私が聖木の女神の姉であっても、ヘルクライド殿下暗殺未遂の容疑をかけられているとしても、きっと私の言葉に耳を傾けてくれる。
そう思うと、不安な気持ちが幾分か和らいできた。
「ぜひ、お二人が知っていることをお伺いさせてください」
「もちろん。ジゼルが起きると行けないから一階に行こう。エスコートが必要なら俺が……」
冗談めかして胸に手を当てもう片方の手を伸ばしてきたディン様を、フォードさんが片手で振り払う。
「諸々、反省していないだろう」
「そう怒るな、冗談だ」
いつも通りの二人のやりとりに、くすっと私が笑えば二人揃ってこちらを振り返った。
その目は、慈愛に満ちている。
「ミントティーを淹れます」
「あぁ、頼む」
口角を上げるフォードさんのあとに続いて、私は階段を下りていった。
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