嵐の夜.2
ジゼルさんが住んでいたのは、想像していたより大きく、少し古びた二階建ての家だった。
入ってすぐにダイニングがあり、その裏が台所になっているらしい。
玄関すぐ脇に階段があり、二階には三部屋あるそうだ。
「ちょっと待ってて、タオルを持ってくるから」
シーツを頭から被って雨の中を走ってきた私たちは、当然のことながらぐっしょりと濡れている。
私が二階、ディン様とフォードさんが一階で濡れた服を脱ぎ、ジゼルさんは台所で着替えをしながらお湯を沸かしてくれた。
盥に入れ持ってきてくれたお湯で、顔と手足を拭いてさっぱりしたところで一階に下りると……
「きゃぁ、ごめんなさい」
私は顔を両手で隠し、慌てて後ろを向く。
でも、一瞬だけ見えた二人の裸の上半身が、瞼の裏でチカチカしている。
鍛えられた二の腕と、はっきりと割れた腹筋。ディン様は見た目にも逞しい体躯をしているので予想通りとはいえ、細身のフォードさんも鍛えられた身体をしていた。
「すまない、すぐに服を着る」
「あっ、ルーシャ。拭き終わったのね。二人とも私たちを優先してくれたから、今、お湯を渡したところなの」
盥も、一度に沸かせられるお湯も限られているから、フォードさんたちは先に私とジゼルさんにお湯を譲ってくれ、今、身体を拭いているようだ。
と、そこで気づく。ジゼルさん、普通にダイニングテーブルの椅子に座っていたような?
「真っ赤になってルーシャちゃんは可愛いなぁ。それに比べ、さすがジゼル姉さんは、男の上半身ぐらいじゃ恥ずかしがらないか」
「何? 年齢の違いって言いたいの? あのね、この辺りに住んでいれば、夏の夕暮れに裏の井戸で水浴びする鉱夫なんて珍しくないの。騎士だって、仕事終わりに汗を拭って帰っているわ」
フォードさんとディン様の着替えは、師匠さんの恋人のものらしい。
着替え終わった彼等から「もういいよ」と声をかけられ、階段途中で足を止めていた私は、勧められるままに椅子に座る。
大きなダイニングテーブルには、椅子がちょうど四つあった。
私とジゼルさんが並んで座り、前にフォードさんとディン様が腰掛ける。
失礼にならない程度に部屋を見渡すと、古いソファや古時計、大きな暖炉があり、暖炉の横には剣が立てかけられていた。
改めて沸かしてくれたお湯でミントティを入れ、ジゼルさんが手渡してくれる。
「大きな家ですね」
「師匠たちと一緒に住んでいたんだ。家は師匠の恋人だった騎士が一緒に住もうと用意してくれた」
吟遊詩人と騎士の悲恋を語った歌は、ジゼルさんの十八番で、実際にあった話だと聞いたことがある。
「私、八歳の時に両親を流行病で亡くしてね。両親の知り合いだった師匠が育ててくれたんだ。当時は師匠だってまだ十七歳だったし、二人で近くのぼろい小屋みたいな家に住んでいた」
ベルサートのはずれにあったその家で、三年間暮らしていたらしい。
師匠さんはリュートを演奏してこの辺りの食堂や酒場を周り、血の繋がらないジゼルさんを育てた、そう懐かしそうに目を細めジゼルさんが語ってくれる。
「優しい人だったんですね」
「うん、それからものすごい美人だった。で、そんな美人な師匠を射止めたのが、国境にいた騎士なんだ。燃えるような赤い髪をしていた」
「それって、二十年ぐらい前の話か?」
ディン様が指折りジゼルさんに聞けば、ジゼルさんはあからさまに眉を顰めた。
「そうだけど、今の話でどうして分かるの? あっ、もしかして誰かから私の年齢聞いたでしょう」
ぐいっと身を乗り出したジゼルさんに、ディン様は後ろに身を引き宥めるように両手の平をジゼルさんに向けた。
「まぁまぁ、落ち着け。レティシアが自分と同じ年だと言っていたのを思い出しただけだ」
「あぁ、彼女、年齢をまったく隠さないものね。別に私も隠すつもりも騙すつもりもないけれど、年相応に見られなくて驚かれるのが面倒なんだ」
こっそり頭で計算したところ、ジゼルさんは今、三十一歳らしい。
童顔で二十代前半に見えるジゼルさんは、私よりずっとお姉さんだったようだ。
「ほら、ルーシャが驚いて黙ってしまった。って、フォード、あんたは驚きすぎ。口が開いているよ」
まったく、と軽く舌打ちしながらジゼルさんは立ち上がると、エールが入った瓶を四つ持って戻ってきた。
男性二人の目がキランと輝く。
「あんたたちは、こっちの方がいいでしょう。ルーシャ、ミントティーがいいなら、お湯がまだ台所にあるから勝手に使ってね」
「はい、ありがとうございます」
三人は、揃ってエールに手をのばし、喉を鳴らして飲むと、これまた揃って「はぁ」と感嘆の息を吐き出した。
「では、師匠さんと騎士さんが一緒に暮らし始めてからも、ジゼルさんは一緒に暮らしていたんですか?」
「うん、当時はまだ十一歳だったからね。師匠が一緒に暮らそうと言ってくれたんだ。もしかして、騎士がこれだけ大きな家を用意したのは、私と暮らしたいと師匠が願ったからかもしれない」
三人での暮らしが、瞼に浮かぶ。
優しい師匠さんと、懐と愛情深い騎士さん、それから明るいジゼルさんの声がこの家には沁み込んでいるようだ。
「騎士は亡くなったそうだな。二十年前といえば、ちょうど隣国と揉めた頃か」
「うん、だから三人で住んでいた期間はすごく短かった」
フォードさんがしんみりとした声を出す。
そういえば、父も二十年前に騎士として辺境の地へ赴いたと、祖父から聞いたことがある。
きっと祖父はその土地の名前も教えてくれたのだろうけれど、子供だったのでそこまで覚えていない。
「私の父も騎士をしていて、二十年前に辺境の地へ行ったそうです。同じ時期に、東西の国境で諍いはありましたか?」
「いや、なかった。海に面した南はもう百年近く平和だから、ルーシャの父親が来たのはこの街かもしれないな」
とすれば、父はここでアディシアに出会ったのかもしれない。そしてカルロッタはこの土地で産声をあげ、四歳まで暮らした。
辺境伯の領地は広いので、ここ以外にも街はある。だから、父がここにいたとは限らないとは頭で分かっていても、胸がざわざわとした。
誰かが、ジゼルさんの師匠の想い人だった騎士は、王都へ帰ったと言っていた。
表向きは死んだことになっているが、王都に妻子がいて捨てられたんだと、酔っぱらった鉱夫が話し、アマンダさんに怒涛の如く叱られていたのを思い出す。
一緒に住み始めたのが二十年前で、すぐに亡くなったとしたなら、生まれた子供は私と同じぐらいの年齢のはず。
悲恋の恋の歌は願望であって、実際は不義の恋だった可能性もあるんだ。
もちろんジゼルさんなら、どちらが真実かを知っている。
でも、師匠さんの恋を悲恋として語ると決めて歌っているなら、たとえ真実が不義の恋であっても、否定するでしょう。
大好きな師匠さんの恋を、誰もが羨む恋物語にしたいと考えても、責められない。
胸のざわざわが大きくなっていくのは、父もまた赤い髪をしていたからだ。
私のブロンドの髪と、紫色の瞳はどれも母親ゆずりのものだ。
父はカルロッタと同じ、赤い髪に茶色の目をしていた。
でも、師匠さんが亡くなったのは確かで、アディシアは生きている。その二人が同一人物ではないということが、幾分か私を冷静にさせた。
「師匠さんが生んだ子供はどうしたんですか?」
私の問いに、ジゼルさんは悲しそうに目を伏せた。
「師匠が亡くなった時、子供は四歳、私はまだ十五歳だった。師匠は十七歳で私を引き取ったから育てるって言ったんだけど、皆が無理って、商人に預けたらしい」
「らしい」と言うのは、師匠さんは流行病で亡くなり、同じ時期にジゼルさんも病で生死を彷徨っていたから、詳しいいきさつはあとで知ったそうだ。
高熱に浮かされながら、それでも子供は自分が育てると、うわごとのように訴えたけれど、医師はジゼルさんが助からないだろうと判断した。
それで子供を誰かに預ける方向で話が進んでいたところ、偶然来た旅の商人が、それなら自分が預かると名乗り出たらしい。
身なりがよく、この街にも何度か訪れていた商人だったので信頼できると判断し、街の人は子供を商人に託したそうだ。
「今頃、どうしてるんだろう。幸せになっているといいなぁ」
「そう、ですね」
「実はまだ、一緒に暮らせるのを諦められなくて、彼女の部屋は当時のまま二階に残してあるんだ」
ジゼルさんが、くしゃっと笑いながら階段の上を指差した。
と同時に、すごい風が、窓をがたがたと鳴らす。
「これは、嵐が本格的になってきたな」
ディン様が眉を顰める。
「えっ、今までも充分酷い豪雨でしたよ」
「この時期の嵐は、あんなもんじゃない。それなのに、こいつはアマンダに行くと言ってきかなかったんだ」
ディン様が立てた親指でフォードさんを指差すと、フォードさんはちょっと慌てたように飲んでいたエールの瓶から口を離した。
「俺はそこまで聞きわけのない言い方はしていないぞ。ちょっと行って帰ってくるぐらいなら大丈夫だと判断して、だな」
「はいはい。お前、気が付いていないのか? 風が強まる中、馬を出そうとするお前を、騎士たち全員が残念そうに眺めていたぞ」
「残念そうってなんだ?」
「報われないイケメンは、面白さを通り越して、いまや哀れみの境地だ」
クツクツと喉を鳴らして笑うディン様の横で、ジゼルさんはお腹を抱えて笑い出した。
なにがそんなに面白いのだろうと、首を傾げていると、耳を赤くしたフォードさんと目が合う。
「どういう意味でしょうか?」
「……なかなか高い壁だという意味だ」
苦笑いでため息を洩らされ、私はますます困惑してしまう。
ひとしきり笑ったジゼルさんが、そろそろ寝ようと言ったところで、全員がグラスに残っていた飲み物を空けやっと席を立った。
洗い物は朝するからと言うジゼルさんの言葉に甘え、二階へと向かう。
師匠さんと騎士さんが使っていた部屋は、今は衣装が詰め込まれているらしく、私は子供部屋へと案内された。
子供部屋とはいえ、ベッドは大人が足を伸ばして眠れる大きさだった。
部屋に置かれたクレヨンやぬいぐるみが、かつては幼い子供の部屋だった名残を感じさせる。
「寒かったら、これも使って」
そう言いながら、シーツをもう一枚足元に置いてくれた。
相変わらず鳴り響く防雨の音に、ジゼルさんはちょっと眉を顰めると、一階にもシーツを持って行くと言って出て行こうとする。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。おやすみなさい」
「気にしないで。朝には嵐も通りすぎているだろうし、ゆっくり寝るんだよ」
バイバイ、と手を振り、ジゼルさんは扉を閉めた。
お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




