嵐の夜.1
花祭りから数日が経った夜、私は入り口の扉を開け空を見上げた。
重い雲が覆いかぶさり、じめっとした空気が肌に纏わりつく。
「これは、嵐になりそうだね」
隣に並んだアマンダさんが眉を顰める。
「今日は早仕舞いするしかないねぇ」
思案顔のアマンダさんの後ろから、商人たちの声がする。
なんでも、ヘルクライド殿下とカルロッタの婚約披露パレードに先立って、二人の姿絵が出回っているそうだ。
王都でパレードがあっても、全国民が見にいけるはずもない。
その代わり、姿絵を大量に配布しているようだ。
ベルサートまでまだ届いていないので、皆が興味深々とばかりに王都から来た商人の持つ絵に群がっている。
「まったく、あと数日待てばベルサートまで姿絵が届くでしょうに」
「各家庭に配布されるのですか?」
「まさか、そこまではしてくれないよ。比較的大きな店には届くだろうが、こんな小さな店には配られない。ただ、騎士団の手元にはそれなりの数が届くから、大通り沿いの掲示板や壁に貼られるよ」
呆れ顔のアマンダさんがもう一度窓に視線を向けると、とうとう雨が降ってきたようで、窓に雨粒のあとができてくる。
「まずいな、雨が降り始めたぞ」
「おーい、会計をしてくれ」
「こっちも」
雨音に気づいた数人の客が席を立ち、アマンダさんに硬貨を手渡す。
辺境にあるベルサートは、夏になると定期的に嵐に見舞われるらしい。
この街に住む人はそれを良く知っていて、今夜は早めに引き上げるようだ。
お客さんからお金を預かりお釣りの銅貨を渡していると、入り口扉が開き、湿った空気と一緒に聞きなれた声がした。
「あぁ、やっぱり今日はお終いかぁ」
「ジゼルさん、……それからディン様にフォードさんまで、お揃いで珍しいですね」
ジゼルさんの後ろから、騎士服姿のふたりが現れた。肩が少し濡れている。
ふたりはそのままカウンターまで来ると、空いている席にどかりと腰を下ろした。
「もう、店じまいかい? 腹が減ってるんだけど、無理かな」
「ディン、それは迷惑だろう?」
「だって、今から寮に帰ってもメシはもう残ってないぞ」
少し汚れたズボンの裾を折りながらディンさんが言えば、フォードさんも「たしかに」とお腹を撫でた。
「料理長に聞いてきましょうか?」
「それなら、私たちも夕飯としよう。もうお客さんはほとんど帰ったし、そこのテーブルをくっつけておくれ」
アマンダさんの声に、残っていた数人のお客さんも席を立つ。
アマンダさんがお会計をしている間に、フォードさんとディン様が机を動かしてくれ、私とジゼルさんで料理長から受け取った料理を机に並べる。
「アマンダさんも食べますよね?」
「いや、それが雨戸を閉めてこなかったのを思い出したから、料理を持って急いで家に帰るよ。ルーシャ、戸締りを頼んだよ」
アマンダさんは料理長から受け取った深皿をバスケットに詰め、ふたりは急ぎ足で店を出ていく。
そうして暫くすると、バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。
王都でも嵐はあったけれど、辺境の山あいの地形がさらに威力を倍増させているのか、驚くほどの雨音だ。
急いで雨戸を閉めていると、ピカッと窓の外が光り、暫くすると雷鳴が響いた。
ジゼルさんは動じることなく、それを聞きながら、料理をお皿にとりわけそれぞれの前に置いていく。
「すごい雨ですね。ジゼルさんは家が近いのでいいですが、フォードさんとディン様はどうしますか?」
席に着きながら、二人に問う。この雨の中、馬を走らせるのは騎士とはいえ危険だ。
私の問いに、ディン様がフォードさんをじとっと睨んだ。
「だから、今夜は止めておけと言っただろう」
「こんなに早く降り出すと思わなかったんだ」
こそこそとしたやり取りは、雷鳴のせいでところどころ聞こえない。
どうやらフォードさんがアマンダに行くと言いはったらしい。そんなにここの料理が気に入っているなんて、あとで料理長に教えてあげよう。
用意してもらった料理をあらかた食べ終えたところで、私はあっと、口に手を当てる。
「あっ、私、二階の雨戸を閉めていませんでした」
窓は閉めているけれど、雨戸はまだだ。
それを思い出し二階へ駆け上がった私は、そこで立ち尽くしてしまった。
「えっ、えっっ!!」
窓はきちんと閉まっている。それなのに私のベッドはびっしょりと濡れていた。
何これ、と駆け寄って布団とシーツをはぎ取り唖然としていると、私の声を聞きつけた三人が階段を上がる足音が聞こえてくる。
「何かあったのか?」
「どうしたの?」
「ううーん?」
フォードさんとジゼルさん、それからお肉を口一杯に頬張ったディン様が、シーツを持ったまま佇む私に目を丸くする。
そうしている間に、乾いていたベッドの木枠に新たな雨染みができていく。
ぽたりぽたり、なんて可愛らしいものではなく、ぼとぼとと大きな雨の雫が天井から絶え間なく降りそそぐ。
「あぁ、これはかなり酷い雨漏りだな」
「今まで気づかなかったの?」
「最近は、雨が降っていなかったからなぁ」
ディン様の言うとおり、最近、ここまでの大雨は降っていない。
私がここに来て初めての嵐だ。
一週間ほど前にも風が強い日があったけれど、そのときは雨が降らなかった。
「もしかして、強い風が吹いた日に、屋根に何かあったのかしら?」
「あぁ、それはあり得るな。その風が原因で、屋根にもともとあった穴を塞いでいた木板が吹き飛んだのかもしれない」
フォードさんは私の隣まできて、雨が滲む天井を見上げる。
言われてみれば、寝ているときにバキッと大きな音がしたような。
音で起きて、でも眠たかったので再び寝てしまった。
あのときに気が付いていればと悔やまれる。
これじゃ、今夜はここで眠れない。
二階にはもう一部屋あるけれど、大量の木箱が積み重なっているだけで、シーツや毛布といった類はなかった。
「冬に使っていた毛布を置いておけばよかったです」
毛布は、アマンダさんが「置き場所がないでしょう」と自宅へ持って帰ってくれている。
幸い被害はベッドだけなので、洋服や鞄、靴は無事だ。
これじゃ、今夜は床に寝るしかないかなぁ。
諦めるようにため息を吐くと、ジゼルさんがポンと私の肩を叩いた。
「今夜は私の家においで。師匠と住んでいたからベッドは余っている。ディンとフォードもお利口さんにしているなら来ていいよ。ただし、床で寝てもらうしかないけど」
面倒見がよく姉御肌のジゼルさんの言葉に、ディン様とフォードさんは顔を見合わせたあと、苦笑いを浮かべる。
そうして、珍しく貴族らしい礼をした。
胸に手を当て頭を下げる二人は、「仰せのままに」ととても紳士らしく口にする。
「却って嘘くさいわね」
「うわっ、酷いな、ジゼル」
「申し訳ないが、ディンと一緒にされるのは心外だ」
フォードさんが眉を顰めると、ディン様はそれに喰ってかかる。
私一人だと絶望的な光景なのに、気分は沈むことなく、それどころか笑いが込み上げてきた。
「ふふふっ」
「あっ、ルーシャが笑った」
「ディン、お前がはしゃぎすぎるからだ」
「ふたりともよ。まったく、子供じゃないんだから嵐でテンション上げないで」
そう言いながら、ジゼルさんが濡れたシーツを手に取る。
どうやらそれを広げて傘代わりにして、ジゼルさんの家まで走るらしい。
この嵐の中、それって意味があるのかしら?
とりあえず残りの食事を急いで平らげ、ジゼルさんが食器を洗ってくれている間に、私は着替えを濡れないよう油紙で包み、さらにタオルで包んで鞄に入れる。
戸締りと、火の始末をしたかを確認すると、私たちは嵐の中、数メートル先のジゼルさんの家へと走ったのだった。
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