クロスフォードの回想
初めてクロスフォードがルーシャを見たのは、茶会を抜け出しやってきた教会の森の中だった。
クロスフォードが十五歳になると、頻繁に婚約者を決めるための茶会が開かれるようになった。初めは一対一の小さなものが数ヶ月に一回。
それがやがて一対二、三と令嬢の数が増え、回数も月に一度二度となった。そうして、その数に比例するかのように、命を狙われる回数も増えていった。
クロスフォードの母である正妃は、彼が幼いときに亡くなり、弟のヘルクライドは当時側妃――現王妃の子供だ。
ゆえに、自分の命を狙うのが誰かは分かりやすかった。しかし、肝心の証拠はなかなか掴めない。
こんな状況で親密になる女性ができれば、彼女までも命の危険に晒してしまう。
いっそのこと、次期国王の座を弟に譲渡できれば清々するのにと思ったが、クロスフォードが文武共に優秀で、またヘルクライドがその横暴で野心的な性格から後ろ盾となる貴族が少ないために、そうはいかなかった。
クロスフォードを支持する貴族は多く、ヘルクライドが国王となっては彼等が反旗を企てるかもしれない。そうなれば、国が荒れ民が困ってしまう。
王族の血を引く者として、それだけは避けたかった。
どうすればよいかと悩み、しかし解決策がないままクロスフォードは十八歳となった。
その日は、十数人の令嬢が集められ、城の庭で盛大な茶会が開かれていた。
媚びを売る視線に、すり寄ってくる肢体。甘い声に、鼻にまとわりつく香水の香り、それらにうんざりしていたせいか、クロスフォードは自身の変化に疎くなっていた。
毒を盛られたと気づいたとき、傍にいたのが誰かは分からない。
ただ、自分のいる場所が人の気配のないバラ園で、このままではいけないと思った。
毒には耐性があるが、ここで誰かに襲われては抵抗できない。かといって、助けを求めた先が、犯人だったら笑えない事態だ。
幸いにも、お茶会をしていた庭から細い道を通った先にあるそのバラ園は、王族にとって特別な場所だった。
バラ園の真ん中にある噴水の下には、抜け道がある。
城が攻められた際に使うもので、その存在を知る者は限られていた。同じようなものが王族の部屋や夜会会場など数ヶ所にあり、それぞれ繋がる場所は異なる。
噴水の下の抜け道は、数キロ先にある教会の裏にある林へと続くものだった。
木々の中にひっそりとある石碑は、楕円形で祈りの言葉が書かれた簡素な誂えである。
存在に気づいている者もあまりいず、気づいても記憶にとどまらない。
それでいて教会という場所にしっくりとくる、不自然ではない造りをしていた。
抜け道を通り、石碑を退けたところでクロスフォードは倒れ込んだ。
意識が朦朧とする中、女性の声を聞いた気がしたが、言葉を聞き取れないまま目の前が暗くなった。
次に目を開けたとき、一番に目にしたのは紫色の瞳だった。
心配そうに自分を見下ろすその女性は、修道女の黒いワンピースを着ている。
平民と思われる容姿の女性は、クロスフォードが目を開けたことに、心底ほっとしたようにその場にへたり込んだ。
「万能薬を飲ませました。暫くすれば動けるようになります」
緊張感から解放されたかのように、ほわんとあどけない顔で笑う女性に、クロスフォードこそ肩の力が抜ける思いがした。
作り笑いの媚びた笑顔ばかり見慣れた彼の目に、それはとても新鮮なものに映った。
女性は体調を気遣いながらも、仕事に戻らなければいけないと言う。
クロスフォードは大丈夫だと女性の背を押し、その日は名前も聞かずに別れた。
それから、月に一度の頻度で、クロスフォードはこっそり教会を訪れるようになった。
いつ毒が盛られるか、敵がどこにいるか分からない緊張の日々。
それに加え過熱する婚約者探しから逃れるように来た教会で、彼は女性の名前がルーシャであること、聖木の女神の姉だと知った。
貴族とは思えない質素な容姿に、疲れた顔。
何度か足を運んでいるうちに、聖木に力を注いでいるのは妹であるカルロッタだが、薬を作っているのはルーシャだと知った。
労働時間で考えれば、ルーシャの方がはるかに多い。
本来であれば、数人で作る薬を何故一人で作っているのか。
気にはなったが、城を抜け来ているクロスフォードに、表立ってそのことを批判し、改善させることはできなかった。
のらりくらりと婚約者候補を躱し、命を狙う者を捕らえるために身の周りを固めつつあったクロスフォードであるが、思わぬところで足を掬われてしまった。
まさか、ヘルクライド自らが毒を飲むとは予想しなかったのだ。
謀られたと気づいたときにはもう遅く、あっという間に捕らえられ、牢に入れられてしまう。父である国王がいないうちに起きた、まさしく一瞬の隙をついた行いは、華麗過ぎて笑いがこみ上げるほどだった。
そこまでして王座に就きたいか、という投げやりな気持ちと、しかしヘルクライドが国王になれば国が荒れるという王族としての憂い。
複雑な思いが頭を占めるなか、裁判もなくクロスフォードの隣国追放が決まった。
クロスフォードは追放と聞いて、死を覚悟した。おそらく、途中で盗賊に襲わせ死んだことにするだろう。
絞首刑にすると反感を喰らうであろう立場の者に、昔から使われていた手法だ。
こんな強引なことをして、貴族が自分についてくると思っているのだろうかと呆れるほどの策略だが、牢にいては抵抗する術がない。
諦め馬車に揺られているところに駆けつけたのが、かつての悪友だったディン・ボーガンだった。
剣が首を両断する寸前で助けられたクロスフォードは、その足でディンが任されている国境へと行くことになった。
その道中で、助けたのがルーシャだ。
「仕事はもう慣れたか?」
そう聞いて部屋に入ってきたディンは、断ることなく壁際にあるソファに座った。
ディンのはからいで、臨時雇いの騎士として寮に住み始め一ヶ月半が経つ。
行きつけの店であるアマンダから帰ったのは、つい先ほどだ。
商人から聞いた話を頭の中で反芻しつつ湯あみを終えたばかりのクロスフォードは、頭を拭きながら椅子に座った。
騎士寮の中では広いほうだが、ベッドと机と椅子、それとソファセットが一つあるだけの簡素なものだ。
ディンはふざけた表情で、自分の隣の空席を叩く。
「つれないな。隣に座ればいいだろう」
「何が悲しくて、お前と相席しなくてはいけないんだ」
体格のいい男がふたり並んで座るには、少々狭すぎるソファだ。
クロスフォードは机の上にある酒瓶に手を伸ばし、お気に入りとなった硝子のグラスに酒を注ぐ。ディンは二つ持ってきていたエールの瓶のうち、ひとつを開けるとそのまま口を付けぐびぐびと飲んだ。
さっきも飲んだはずだが、風呂上がりの酒はまた違うらしい。
「なぜ商人に声をかけた?」
「そう怒るな。貴族ならまだしも、あの程度の商人なら王族のお前の顔を知らないだろうし、もし見たことがあっても、今のお前と同一人物とは思わないだろう。それに、王都の情報が不足しているのは確かだ」
そう言いながら、ディンは目の前のローテーブルの上にある紙を手にする。
三週間前、クロスフォードがルーシャと一緒に隣街に行った日に早馬で届けられたもので、以前に出した手配書は終了すると簡潔に書かれていた。
フォードが手を伸ばし、それを受け取る。
「それにしても、聖木の女神の姉の捜索が、たった二週間で終了するとはな」
「商人の話では、聖木の女神の姉は死体で見つかったらしい。手配書を送って捜索したものの見つからなかったから、そう結論づけたのだろう」
「そうだろうな。俺と聖木の女神の姉、暗殺未遂の首謀者二人が死んだのであれば、事件はそれ以上捜査されないだろう」
「そうして、死んだと思われた二人は手に手をとって愛の逃避行中!」
胸に手を当て、乙女のようなポーズをとるディンを「揶揄うな」とクロスフォードが睨む。
クロスフォードは以前よりルーシャを知っているが、ルーシャはクロスフォードを知らない。
二人が会話を交わしたのは、二年前の一度きりで、覚えてもいないようだ。
それなのに共謀して第二皇子の暗殺を謀るなど、ありえない。
まさか、跡目争いに巻き込んでしまうなんてと、重いものが肩にのし掛かる。
「この街に第一皇子である俺の顔を知る貴族はいないし、ルーシャの捜索願いは騎士団長のお前が握りつぶしてくれた。俺たちがここにいることが、まだ知られていないのだけが救いだな」
「ますます駆け落ちのようになってきたな」
この状況で冗談を言うディンの心臓は、鋼のように強いのだろう。
クロスフォードは、意地悪く目を細めた。
「そうだな、真実の愛の相手、みたいな?」
「うわっ、古傷をえぐってきた」
ディンが胸を押さえ、ぐっと唸る。
「弟が寄越してきた平民の女にうつつを抜かし、婚約破棄を宣言した翌日にその女に逃げられた。あげく、婚約者はその翌年、ちゃっかりお前の弟と結婚。婚約者がいながら平民の女と浮気して、一方的に婚約破棄したお前は、廃嫡となった。で、それを助け、騎士爵位を与え、貴族の居ないこの街に派遣してやったのが……」
「はいはい。分かっているよ。幼馴染であり、第一皇子のお前だろう。だから、命を助けてやった。感謝しろ」
胸を押さえていた手を今度は腰にやり、得意げにぐっと胸をはる。
その変わり身の早さに、クロスフォードは眉間を押さえた。
「……それについては感謝しているが」
「だろう。それに、今は俺が上司だ。こうやって気軽な口調で話せるのは子供の時以来で楽しい」
「そうだろうな。さらに、弟に嵌められたという点で同志でもある」
ディンの弟は、今ヘルクライドの補佐をしている。ゆくゆくは、宰相まで上り詰めるかもしれない。
「俺がヘマしなければ、お前は王太子いや、国王陛下になったかもしれない。悪かったな」
「お前にもいろいろ事情があってのことだ。今更謝られても困る」
クロスフォードは目を眇め、琥珀色の液体を喉に流し込む。
そんな旧友に、ディンはニヤリと口角を上げた。
「で、お揃いのマフラーを買ったんだって?」
「げほっ」
お前、わざとこのタイミングで言ったなと、目で訴えながらクロスフォードは口元を拭う。
「どこでそれを」
「この前、昼の警邏中に『アマンダ』に行ったらルーシャちゃんが教えてくれた。俺もお揃いにしたいと言ったら、買った店まで教えてくれたよ。何色にしようかな」
「店を……」と分かりやすく表情を曇らせたクロスフォードから、ディンは堪らず目を逸らし肩を震わせる。
顔を右手で覆い、左手をクロスフォードへと突き出した。
「大丈夫、大丈夫だ。買わないかっ、ら……!」
「あからさまに笑うのを堪えるな。身体に悪いぞ」
仏頂面でクロスフォードは酒を注ぎ足す。
クックッと耐え切れず漏れた笑い声がその後五分ほど続き、耐え兼ねたクロスフォードはディンを廊下へと放り出したのであった。
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