アマンダでの仕事.1
マグカップで寝る前にミルクティを飲むのが習慣となって三週間が経ち、辺境の街での暮らしにも馴染んできた。
お客さんにも名前を憶えてもらい、アマンダさんご夫妻を始め、ジゼルさんや常連さんとは冗談を言えるぐらいに親しくなった。
今のところ、私の手配書は届いていないらしく、お店を訪れる騎士から訝し気な視線を向けられることはない。もう少し様子を見て問題なさそうなら、手紙で私の無事を伝えるつもりだ。
「少し休憩したらどうだい?」
アマンダさんがエールの入ったジョッキをお客さんに手渡しながら、声をかけてくれる。
壁の時計は九時半前を指していた。お店はほぼ満員で、もうすぐジゼルさんの弾き語りが行われる時間だ。
「ジゼルさんの演奏が始まったら、少し休みます」
「そうかい。演奏中は注文をする客がいないからね。じゃ、もう少し頑張ってちょうだい。それにしても、こんなに働き者だと思わなかった。助かるわ」
「これぐらい、大したことないです」
休みなく、朝から晩まで薬を作っていた私にとって、六日働けば一日休めるこの職場は天国のようだし、労働時間も以前より短い。
しかも、昼と夕には美味しい食事が食べられるのだ。
以前にアマンダさんたちにその話をしたら、どんな酷い職場だったのかと驚かれ同情された。
まさか教会だとは言えずに言葉を濁し眉を下げる私に、良くない想像を広げた料理長はまかないの量を倍増したほどだ。
三食食べられることが稀だった私は、この一ヶ月で随分肌艶がよくなり、ウエストは自己記録を更新中。冗談でなく、一ヶ月後には服を買い変えなくてはいけないかも知れない。
エールの入ったジョッキをテーブルに運ぶと、すっかり顔見知りとなった鉱夫三人が「ありがとう」と受け取る。
「ルーシャちゃん、肉のマスタード和えとポテトを追加で」
「それから、鶏の肉団子が入ったスープも」
「はい、分かりました」
空いたお皿を片付けようと手を伸ばす。
すでに赤ら顔となった三人は、再び話を始めた。なんでも、最近身体の調子が良く、いつも以上に働けるらしい。
それを耳にした隣のテーブルの騎士が、自分たちもだと話に入る。
「疲れないのはもちろんだが、身体が以前より俊敏に動け、傷の治りも速い」
「怪我だけでなく、持病の腰痛もやわらいだ。二十歳若返った気分だ」
「その頭で二十は言い過ぎだろう」
「いや、それが最近産毛が生えてきたんだ」
ちょっと寂しくなった後頭部を、ほら、と同僚に見せれば、周りが一斉に気のせいだと笑った。
私は微笑むだけで何も言わず、そっと気配を消してその場を立ち去る。
すると、今度はカウンター席に座るふたりのお客さんの会話が耳に入ってきた。
「あのテーブルの連中も、身体の具合がいいらしいぞ」
「お前の片頭痛が治まったのも、何か関係があるんじゃないか」
「爺さんのさらに爺さんの話では、聖木の大女神様の近くにいるだけで、小さな傷や風邪が治るらしいぞ」
「こんな辺境の地に、女神様がいるはずないだろう。それに、女神様はヘルクライド殿下と婚約されたそうだ」
カルロッタの話題に、思わず足が止まった。
南の領地から国王陛下が帰ってくれば、もしかして第一皇子が企んだ暗殺計画を調べ直すのではと思っていたが、そんなことはなかった。
第二皇子であるヘルクライド殿下を暗殺しようとしたクロスフォード殿下は、隣国追放の移送中に盗賊に襲撃され亡くなったらしい。
騎士団員の話が偶然耳に入ってきただけなので、詳細については分からない。
ただ、暗殺計画に聖木の女神の姉が加わっていたことも、一緒に語られていた。
同情票が集まったヘルクライド殿下とカルロッタの結婚を、庶民は概ね良好に受け取っている。
でもそれば、あくまで庶民の話。ヘルクライド殿下の性格を知っている貴族がどう出るかはまた別問題だ。
国王陛下に至っては、暗殺未遂を調べ直し、うっかりヘルクライド殿下の自作自演だという証拠が出ては、目も当てられない状況になる。国王陛下の息子は二人しかいないのだ。諸々考え、飲み込んで、静観しているのかもしれない。
少し考えに耽っていると、ポン、と肩を叩かれた。振り返った先ではフォードさんとディン様がちょっと困ったように立っている。
「満席のようだな」
「そうですね。カウンターが一席空いているのですが……」
空席に視線をやると、ディン様が当たり前のようにそこに座った。上司なのだから、当然といえば当然である。
「フォードさん、調理場にある椅子を持ってきましょうか? 背もたれのない小さなものですが、よろしければそれを使ってください。まもなくジゼルさんの演奏が始まるので、それが終われば帰るお客さんもいらっしゃいますし」
「ではそうしてもらおうか」
調理場に行き、料理長に断りをいれ椅子を持っていき、カウンターの端に置く。
大きな身体に明らかに不釣り合いなそれにフォードさんが腰を掛けるとほぼ同時に、ジゼルさんが舞台へと上がった。
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