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【書籍化決定】搾取される人生は終わりにします  作者: 琴乃葉


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アディシアの噓


 アディシア・バルトアは苛立たし気に親指の爪を噛むと、御者に声を荒げた。


「もっと急ぎなさい。今日中には王都に入るのよ」

「で、ですがこれ以上は……」

「うるさい! 御者の分際で私に反論しようというの?」


 金切声に御者はぎゅっと唇を噛むと、バシッと手綱を振るった。

 馬は無理をさせると故障してしまう。今、馬車を引く二頭は御者が母馬から取り上げ大事に育てた、我が子のようなものだ。手綱を握る手が悔しさで震える。


 窓の外を流れる景色が速くなったことに、アディシアはふぅ、と息を吐き出し背もたれに身体を預けた。領地に残してきた夫のことは、頭にチラリとも浮かんでいない。


 窓の外は貧しい農村で、着の身着のままの姿は、それで寒さが防げるのか怪しいほどだ。靴はボロボロで、汚れた素足は枝のように細い。

 まるで昔の自分を見るようで、アディシアは彼等から目線を逸らした。


 酷い干ばつで生活ができなくなった彼女の両親は、何のためらいもなく娘を売った。

 売られた先は娼館で、彼女はそこで五年間、働いた。

 運命が変わったのは二十二歳の誕生日だ。


 カルロッタを連れバルトア伯爵を訪れたときは、さすがのアディシアの足も震えていた。

 追い返されたらと心配もしたが、手紙を見せるとバルトア伯爵は屋敷に住むのを許した。


 ただし、カルロッタを養女にするのは、聖木の審判を終えてからだと言われる。

 この国の貴族は全員、多かれ少なかれ魔力がある、とアディシアが知ったのはその時だ。

 聖木の審判の話は平民であるアディシアも聞いていたが、聖木の女神を探すためのもので、魔力の有無が分かるとは初耳だった。


 聖木の審判が近づくにつれ、アディシアは不安になった。

 連れてきた子供は、本当にバルトア伯爵家の血を引くのだろうか。

 焦燥ばかりが増していくアディシアの前に、タイミングよく昔なじみの客が現れた。


 その客は、異国とエプラゼール国を行き来するうさん臭い商人だったが、アディシアをとても気に入っていた。

 そして、資金援助をすることを条件に、アディシアに一組のネックレスを手渡したのだ。


 紋様の入ったネックレスから、別の紋様のネックレスへと魔力を送れるというそれは、アディシアがまさに欲していたものだった。

 半径五キロほどの距離にいれば、八割の魔力を送れるという。


 全部でないのは、アディシアにとって都合がよかった。

 ルーシャの魔力すべてを送ってしまっては、ルーシャが魔力無しだと判断されてしまう。美しい亡き母親にそっくりなルーシャが魔力無しは、あまりにも不自然だ。


 ネックレスがあれば、万が一、カルロッタがバルトア伯爵家の血を引いていなくても、聖木は魔力ありと判断する。

 そうなれば、アディシアはカルロッタと一緒に伯爵家で暮らすことができる。


 胸を高鳴らせながら聖木の審査に向かったアディシアを待っていたのは、予想を越える結果だった。まさかカルロッタが聖木の女神に選ばれるなんて。


 ルーシャより先に聖木に祈ったことも幸運だった。

 カルロッタほどではないが、ルーシャが聖木に祈ったときもわずかだが花は咲いた。

 でも、カルロッタにより大量に咲かせた花に加え数輪増えたところで、誰もそれに気づかないし、聖木の女神がふたり現れたことは今までなかった。


 だから、カルロッタのみが聖木の女神と認められたのだ。


 次々と届く祝いの手紙に、バルトア伯爵は、カルロッタをルーシャの妹として迎えざるを得なくなった。


 アディシアは、ルーシャとカルロッタにネックレスをいつも身に着けるよう言い聞かせ、その効果については口を噤んだ。

 ルーシャには死ぬまで言うつもりはなかったし、幼いカルロッタに話して万が一口を滑らせてはいけない。真実が明るみに出れば、アディシアは偽証罪で投獄されてしまう。


「それがまさか、こんな形で裏目に出るなんて」


 アディシアは苛立たし気に煙草を取り出し紫煙を吐き出すと、前の席にある握りつぶされた手紙を忌々し気に睨んだ。

 そこにはカルロッタの文字で『聖木が枯れだした』と書いてあった。




バルトア伯爵邸へ帰ると、カルロッタは第二皇子の離宮にいると言われた。


 ヘルクライドと結婚する旨も手紙に書かれていたが、まさかもう離宮にいるとは。

 再び馬車に乗り、無駄に広い城の庭にやきもきしながらやっと辿りついた離宮の一室で、アディシアはカルロッタに会うなりその頬をひっぱたいた。


「何をしているの! ルーシャはどこにいるの」

「お、お姉様は自分が処刑されると知って逃げたの。それよりお母様、聖木が祈っても光らないの。葉はどんどん枯れ落ち、花は咲かない。薬も底をついてしまって、教皇様にも叱られたのよ」

「ルーシャが逃げたって? どこへ行ったか分からない!?」


 祈りの効果がないことを訴えるカルロッタの頬を、アディシアは再びぶった。


「わ、分からない。ヘルクライド殿下が、お姉様は……第一皇子のクロスフォード殿下と一緒に暗殺を企んだって」

「暗殺? そういえば、あんたヘルクライド殿下と結婚するって本当なのかい?」


 カクカクとぎこちない動作でカルロッタは頷く。

 何がどうなっているのか分からないアディシアは、痛む頭に手を当てソファに座り込んだ。

 馴染んだはずの淑女の言葉と振る舞いは、とうにどこかに飛んでしまっている。

 すると、扉の向こうから、荒々しい足音が聞こえ、ノックされることなく扉が開かれた。


「バルトア夫人が来たと聞いたが……」

「で、殿下!」


 アディシアは慌てて立ち上がり、淑女の礼をする。どう取り繕うかと、嫌な汗が全身から噴き出した。

 そうして、恐る恐ると顔を上げる。


「娘から、殿下と結婚すると聞きました。それから、ルーシャがいなくなったそうですが、何があったのでしょう」

「結婚については、今日にでもバルトア伯爵家へ向かうつもりだった。改めて、そこでも言うが、俺はカルロッタを妻にと考えている」

「それは……大変ありがたいお言葉です。ふつつかな娘ですが、よろしくお願いいたします」


 頭を下げたアディシアは、目だけ上げヘルクライドの次の言葉を待った。


「数日前に、俺の暗殺未遂事件が起きた。クロスフォードは俺に毒を盛り、国外追放となった。しかし、移送途中で山賊に襲われ死亡したと連絡がきている。さらに、俺に盛った毒と同じものをルーシャが持っていた。俺とカルロッタが恋仲だと知ったクロスフォードが、ルーシャと共謀し暗殺計画を立てたと考えられる。ルーシャへの見返りは、王太子妃にすることだろう」


 続けてヘルクライドは、ルーシャは聖木の女神であるカルロッタを日頃から憎み、虐げており、その延長でこの暗殺に協力したのだろうと言った。


 アディシアは目だけ動かしカルロッタを見る。ぶるぶると青い顔で震える娘から、どうやら嘘を吐いたのだろうと察すると、薄く息を吐く。

 今ここでどう振る舞うかで、自分の首の行く末が決まる。


「……仰る通りです。私が至らなかったせいで、ルーシャは妹を虐げるような卑劣な娘に育ってしまいました。申し訳ありません」

「ルーシャの罪で、バルトア伯爵家を責めるつもりはない。先程国王陛下が城に戻ったので、結婚の了承を得た。暗殺未遂についても報告済みで、罪人死亡として捜査の終了が決まったところだ」

「ではルーシャは……」

「ルーシャについては捜索したが、足取りがまったく掴めないことにより、早々に自死したと結論づけた」


 その言葉に、カルロッタは胸の前で手を合わせ、アディシアは心の内で舌打ちした。


「では、私は本当にヘルクライド殿下と結婚できるのですね」

「そうだ。これからも聖木の女神として、頑張ってくれるのを期待している」


 そう言われ、カルロッタがさっと青ざめた。


 アディシアは、カルロッタの腕を引き自分の背中に隠すと「光栄です」と微笑んだ。


 アディシアのことをいまだに貴族として認めていない者もいるが、伯爵夫人として夜会に出れば、当然、王族の噂話ぐらいは耳にする。

 今回の暗殺未遂がどういう種類のものかもおおよそ想像がつくし、後ろ盾のない第二皇子が聖木の女神に目を付けたのも理解できる。


 それに、娼婦の経験から、ヘルクライドがカルロッタを愛していないのが手に取るように分かった。本気で愛に溺れた男の目は、もっと情熱的で妄信している。


 でも、真実がどうであれ、本音がどこにあろうとも、ヘルクライドの計画はアディシアに都合がいい。

なんたって、娼婦から貴族夫人、さらに王太子妃の母になれるのだ。


 ただ、ルーシャがいなくてはカルロッタは聖木の女神で居続けることができない。


(何か方法を考えなくては)


 自分はどれだけ嘘を重ねてここにいるのだろうとアディシアは思う。

 でも、突き通せばすべて真実になる。

 そう決意するアディシアの心情なんて知ることのないカルロッタが、無邪気に笑っていた。



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