辺境の街.3
自分で選んだオレンジのカップを包んでもらい、次に足を運んだのは服飾のお店。
少々押しの強い店員さんがあれこれ持ってくるのに苦笑いを零しつつ、マフラーやひざ掛け、厚めのセーターをひと揃い選んだ。選ぶ、というよりほぼ押し付けられていた気もするけれど。
フォードさんも手持ちの服がないそうで、一式見繕う。
すると、私の服と合わせてお会計をしようとしたので、慌てて止めた。
「二週間分のお給金をいただいているので、お金はあります」
「ディンから学生時代の貸しを返してもらったので、懐は潤っている。気にしないでプレゼントさせてくれ」
「そんな。命を助けていただいたうえに、プレゼントしてもらうなんて申し訳ないです」
焦る私を宥めると、フォードさんはさっさと店員さんに銀貨数枚を渡した。
「たいした金額ではないのだから、遠慮せず受け取って欲しい」
そう言いながら、買った品まで持ってくれる。
貴族令嬢として生まれながら、私は男性と話した経験がほとんどない。
だから、こういう場合どうすればよいか分からない。
落ち着かなくフォードさんの後ろを歩いていると、その足がぴたりと止まった。
「そういえば、昼飯を食べるのを忘れていたな」
「あっ、そうですね」
私がカップを選ぶのにもたもたしていたせいで、すでに太陽は真上を通りすぎていた。
「私は一食ぐらい摂らなくても平気ですが、体躯のいいフォードさんは辛いですよね」
「……いったいどんな環境で生きてきたんだ。アマンダが、餌付けしたくなると言っていた意味が分かる」
「餌付け……。それもまた良しですね」
料理長の、温かくボリュームたっぷりの食事に、すでに胃袋は掴まれている。
食べきれるか心配になるほどの量を渡されるのは困りものだけれど、おいしいので完食できてしまうところが恐ろしい。
「今日買った服が着れなくなる日も、遠くないかも知れません」
「だったら、また新しいのをプレゼントしよう」
「いえいえ、次は自分で買いますよ?」
そう言えば、逞しい肩がちょっとしょぼんとした。
フォードさんは辺りを見回すと、少し先にある青色のひさしの店を指差した。
「あそこで食べよう」
道に張り出したひさしの下にはテーブルとイスが並び、店内にも空席がある。お昼を過ぎたせいか、人は少なそうだ。
自然な仕草で扉を開けエスコートをしてくれる。
フォードさんが入るなり、店員さんが頬を染めたのを私は見逃さない。やはり、フォードさんの顔面力は半端ない。
うっとりとした顔の店員さんが席に案内してくれ、おすすめのランチセットを二つ頼むと、すぐにパンとサラダが運ばれてきた。
メインはささみのソテーに香草ソースらしい。飲み物には、珍しいことに紅茶が出て来た。
「ベルサートでは茶葉が手に入らないと聞いていたのですが、ここではあるのですね」
「この辺りは二十年前までは隣国で、戦争に勝って手に入れた領地だ。隣国は僻地でも茶葉を育てていたそうだから、その名残だろう。ただ、数は少なく、一般家庭ではベルサートと変わらずヤギのミルクが飲まれている」
辺境の地は国境に沿うよう東西に長い。
ベルサートはそのほぼ中央で、今いる赤い屋根のこの街は西側になる。
二十年前まで隣国の土地だったと聞けば、異国の色が濃いのも納得できた。
戦いは、国境の向こう側で行われたので、街に被害はなかったそうだ。
そんな話を聞きながら、私は紅茶に口をつける。実家の出がらし紅茶の百倍は美味しい。
店内のカウンターの端では茶葉も売っているから、買って帰ろう。
ヤギのミルクでミルクティーを作って、オレンジのマグカップで飲む自分を想像しただけで、嬉しくなってふふっと笑ってしまう。
「どうしたんだ」
「すみません。自分で選んだものに囲まれるって幸せなことなんだな、と思いまして」
「なるほど。確かにそうかもしれないな」
フォードさんの妙に納得した顔に、私は思わず問い返した。
「フォードさんはいつも自分で選んでいるのではないのですか?」
「選べるものと選べないものがある。自分にとって大事なものほど選べない」
いつも穏やかな笑みを浮かべる顔に、影がさした。
初めて会ったときの姿を思い出し、彼もまたわけありだったと考える。
どこまで踏み込んでいいのかと迷いつつ、問いかけた。
「この辺境の地へ来たのは、何か理由があるのですか?」
「そうだな。いつかこうなるかもと杞憂していたのに、実際に起こると全てが後手に回ってしまった、と言う感じだ」
「大変、なんですね」
獏然とした物言いがわざとなのが分かるので、これ以上は踏み込まないことにする。
ただ、自分が大変なときに周りに親切にできるフォードさんは、本当に強い人なのだろう。
沈黙を破るように、タイミングよくメイン料理が運ばれてきた。
料理の感想を言いながら、食事を進める。ただそれだけなのに、はしゃいでいる自分が少し恥ずかしくもあり嬉しい。
こんな楽しい時間が続けばと願ってしまう。
食事が終わったところで、思い出したようにフォードさんがチェーンの切れたネックレスはどうしたのかと聞いてきた。
「覚えてくれていたのですね。今日、修理屋があれば頼もうと持ってきたのですが、生憎そのようなお店はありませんでした」
ポケットから千切れたチェーンと丸い金の飾りを出して、テーブルに置く。フォードさんは「触れてもいいか」と確認してから、それらを手に取った。
「チェーンは純金製で間違いないだろう。しかし、この飾りは……」
「他の金属が混ざっているのでしょうか?」
アディシアが唯一私にくれたものだから、幼いときは握りしめて眠っていた。
でもアディシアの態度が冷たくなり邪険にされるようになってからは、まるで首輪で繋がれているように感じる。
気のせいなのは分かっているけれど、ネックレスに身体を縛られて搾取されるような感覚に陥るときがあった。
壊れたら直すというのが私の習慣であって、修理できても身に着けるつもりはない。
「重さから考えて純金製ではない。表面の輝きは金に間違いないので、おそらく中心部分に別の鉱物があり、それを金でコーティングしているんじゃないだろうか。それから表面に紋様が入っているな」
フォードさんが金の飾りを軽く握り、重さを確かめるように手を上下させる。
私が手を差し出せば、手のひらに置いてくれた。
「フォードさんは貴金属に詳しいのですね。私には違いがまったく分かりません。そもそもアクセサリーはこれしか持っていませんし」
「……そうなのか?」
「はい。身につけて出かけるような機会もなかったので、特段困っていません」
金の球体を親指と人差し指で摘んで目の高さまで上げると、凹凸のある面に、私の顔が歪んで映った。
「だったら今度は……」
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。ちょっと浮かれているようだ」
苦笑いで言葉を止めたフォードさんに首を傾げつつ、私はそれらをポケットに戻した。
店を出ると少し日が翳り肌寒くなっていたので、早速買ったばかりのマフラーを取り出して首に巻く。
そんな私につられるように、フォードさんも「俺も使おう」とがさがさ袋を開けるとマフラーを取り出した。
「ふふ、お揃いですね」
店員さんに押し付けられるようにして買ったマフラーは、編目模様が同じで、私がアイボリー、フォードさんは青色だ。
「うーん。これは少し恥ずかしいな」
「そうですか? いいじゃないですか。お揃い! 私は嬉しいですよ」
「えっ?」
「他にも色がありましたし、ディン様やジゼルさん、アマンダさんにも買えば良かったです」
一瞬、パッと輝いたフォードさんの顔がしゅんと沈む。どうしたのだろう。
「それから、料理長も」
「今、忘れていただろう」
「まさか。だって私の胃袋は彼にがっしりと掴まれていますから」
「あぁ、その調子だと、来月には服を買い替えなくてはいけないな」
「そこまで食い意地張っていませんよ?」
ジト目で睨んで、こっそりとウェストの肉を摘まむ。
骨と皮でできていた私の身体は、たった二週間で肉がちょっと摘まめるようになった。
これは、喜んでいいのだろうか。先々がちょっと怖い。
「危ない!」
腹肉に思考を奪われていた私の肩を、フォードさんが引き寄せる。
それと同時に、すぐ横を早馬が駆けていった。ものすごい速さに、髪の毛が風で舞い上がる。
「大丈夫か?」
「は、はい」
まるで抱きしめられるような体勢に、私は慌てて離れようとする。だけれど、フォードさんの腕は緩まらない。
「あ、あの」
フォードさんは早馬をじっと睨んでいた。乱暴な手綱の扱いに腹を立てているのかと思ったけれど、鋭い瞳は何かを考えているようでもある。
今度はさっきよりも大きな声で呼びかけると、はっとして慌てて腕を解いてくれた。そしていつもの柔らかな笑顔に戻ると、「大丈夫か」と聞いてくれる。
あまりにも自然な笑みと、その距離の近さに焦った私は、早馬のことはすっかり忘れ真っ赤になってしまった。




