辺境の街.1
朝、まだ慣れないベッドで起きた私は一階へと降り、裏口から出て井戸へ向かう。
この井戸は数軒の家が共有していて、二軒先に住んでいるアマンダさんが先に水を汲んでいた。
「おはよう。寒いねぇ。この気温にはもう慣れたかい?」
手袋を嵌めた手を擦り合わせ、白い息を吐きながら声をかけてくれる。
「おはようございます。朝は寒くて起きるのが辛いですが、暮らしには随分慣れました」
「前にも言ったけど、台所は好きに使ってくれていいからね」
それだけ言うと、アマンダさんは水瓶を抱えて立ち去っていった。雪をきゅっきゅと踏む足音が遠ざかる。
私が働くお店の名前は「アマンダ」だった。
捻りも何もなく、アマンダさんの名前だ。
そう名付けた旦那さんは料理を担当していて、料理長と呼んでくれと言われている。
店で出すお昼のメニューは、パンとスープと今日のおすすめのみ。どちらかと言えば夜に重きを置いている。
というのも、この辺りは鉱夫が多く住んでいて、お昼はお弁当持ちで鉱山に潜っているらしい。
水を汲んでいると、ジゼルさんが「おはよう」と眠そうにやってきた。手には水瓶と洗濯盥を持っている。
「今日は早いですね」
「なんだか目が覚めちゃって。ついでだから溜まっていた洗濯物もしようかと思ったんだ」
夜遅くまで働くジゼルさんが目覚めるのは、大抵昼前。よいしょ、と置かれた盥の中には、色鮮やかな服が入っていた。
ここの井戸はポンプ式で、持ち手を上下させれば蛇口から水が出る。
私はもう水を汲み終えたので、ジゼルさんに蛇口をゆずる。ついでだから、ポンプを上下させてあげれば、ありがとうと笑いながら手で水を受け顔を洗った。冷たい、と悲鳴が続く。
吟遊詩人をしているときはばっちりお化粧をしているけれど、素顔は童顔で可愛いく、私より若く見える。
すっかり仲良くなった私のことを、妹のように気に掛けてくれている。
「ここに来て二週間かぁ。順調?」
「仕事はまだおぼつかないですが、生活には慣れました」
「そうじゃなくて、フォードだよ」
「フォードさん?」
何のことだろうかと首を傾げた私に、ジゼルさんは目をパチクリさせたあと、大口ではははと笑いだした。喉の奥まで見えるような豪快な笑いに呆気に取られていると、私のところまで来たジゼルさんに肩をバシッと叩かれる。数歩よろめいた。
「あれから毎晩来ては、カウンターに座ってルーシャを口説いているじゃないか」
「あ、あれは。お話をしているだけです。お互いこの街に来たばかりだから、情報交換しているというか」
何を言い出すのかと思えば。
確かにこの一週間、フォードさんは毎晩やってきた。
ディン様が一緒の日もあれば一人のときもあるけれど、大抵十時頃までいてジゼルさんの演奏が終わった頃に帰っていく。
お店は十一時ま開いててるけれど、私はジゼルさんの演奏が終われば部屋に戻っていいように言われていた。
「えー。だって騎士寮はここから馬で三十分のところにあるし、寮では夕食だって出るんだよ。それをわざわざアマンダに食べにくるなんて、何かあると思わない?」
「思いません。あるとすれば、料理長の食事が気に入ったんですよ」
男女の機微に疎いけれど、口説き文句がなんたるかぐらいは分かっている。
甘い視線に甘い言葉、やたら触ってくる男には注意しろとビオラさんが教えてくれたもの。フォードさんは紳士的で、純粋に私を心配してくれているだけだ。
「そうかなぁ。まぁ、いいけれど」
ジゼルさんはぼやきつつ、洗濯をし始めた。
今日は店の定休日なので、「ではまた明日の夜に」と言いながら水瓶を持つと、ジゼルさんはいつものニカッとした笑顔で「リクエストあれば聞くよ」と親指を立てた。
裏口から店に入り、調理台の横に水瓶を置く。
水瓶は大きなものがふたつと小さいのがひとつ。お店がある日は全部に水を張るけれど、今日は小さい水瓶だけで充分だ。
いつも朝食は昨日の残りで済ませている。昼と夜の食事つきと聞いていたのに、これでは三食お世話になっているも同然だ。
お金を払わせて欲しいと頼んだけれど、アマンダさんは「いつも余り物があると限らないから」と受けとってはくれなかった。
今朝は、白パンふたつと干芋、トマトスープだ。
スープは暖炉の火で温めていただく。
暖炉の上部にはフック状の金具が付いていて、そこに鍋をひっかけられるようになっている。
朝起きてすぐに暖炉に火を入れたので、長い金棒で鍋を引っ掻け、ついでに火の周りにパンを置く。こうすれば、スープが温まったころにパンもカリッと仕上がると昨日発見した。
バターやジャムは好きに使っていいと言われているので、今朝はクランベリーのジャムを小皿に取り分ける。これで立派な朝食のできあがりだ。
「おいしい」
甘酸っぱいジャムがいい仕事をしている。
このジャムは私が作ったものだ。仕込みは手伝わなくていいと言われているけれど、食事のお礼にとジャム作りを申し出た。
パンが食べ放題のこの店にジャムは欠かせなくて、五種類を常備している。
季節や手に入る食材によって種類はまちまちだが、マーマレードは絶品で一番人気だ。
ふたつパンがあるなら、片方はマーマレードにすればよかったと思いながら朝食を終えた私は、部屋の掃除に取り掛かる。
水瓶の水をバケツに移し、まずは自分の部屋、それからお世話になっているお礼に廊下と階段も拭いた。それが終わったら玄関前の雪かきだ。
スコップを持って外に出ると、白い息を吐きながら馬から降りるフォードさんと目が合った。ぱちり、と二人揃って瞬きをする。
「おはようございます。どうしたのですか?」
ここ数日は、配布された騎士服を着ていたけれど、今日は私服なのでフォードさんも休みなのだろうか。
「やっと休日がもらえたので、身の回りの品を揃えようと思って。ルーシャも必要な物があるだろうから一緒にどうかと誘いにきた。今日は定休日なんだろう?」
「はい、私も出かけようと思っていたところです。ここは以前暮らしていた場所より寒いので、マフラーや手袋を欲しいと思っていました。誘ってくださり嬉しいです」
いつもしていたマフラーは、持って来れなかった。名前知らずの誰かがくれたマフラーは、気に入っていたのに残念だ。
「防寒着もだが、カップや酒も仕入れたい」
「私も、いつまでもお店のマグカップを借りるわけにはいかないので、欲しいです」
辺境の地は広い。ベルサートの街はその一部で、鉱夫が多く住み飲食店が軒を連ねている。ちょっと奥まった場所に行けば、レティシアさんが経営しているバーもある。
お酒や食材は豊富だけれど、服や食器となれば少し離れた街に行かなくてはいけない。
巡回している辻馬車に乗ればいいと教えてもらったけれど、まだ足を運べていなかった。
そうとなれば、用意をしなくては。
「辻馬車の出る時間まで、まだ余裕がありますよね。身支度を整えるので少し待ってください」
「い、いや。馬で……」
何か言いかけていたような気もするけれど、ドアの閉まる音で聞こえなかった。
暖炉の火を消してから、階段を駆け上がり、束ねていた髪を解いてブラシを通す。
髪の上半分だけをすくい上げジゼルさんのようなお団子にして、残りはふわりと垂らす。
服は今着ているものしかないので、汚れていないかざっと目を通した。
「あれ、私、なんか浮かれている?」
壁に立てかけた姿見に映る私の顔が、いつもより明るい。
きっと買い物ができるのが嬉しいんだと、自分自身にくすりと笑った。
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