クライマックス(2)
笠松が尋ねる
「先生、思い付きましたか?」
川瀬は軽い調子で答えた。
「あっち向いてホイ?」
「よそ見をさせて武器を奪うつもりですか?」
「じゃあ、シンプルにジャンケン。十本勝負とか」
「申し訳ありません。大前提として、私は灰皿から手を離したくありませんので、手を使うゲームは遠慮させて頂きたいです」
「そうなると、大分種類が限定されますよね」
「わがままを言って、すみません」
「じゃあ、にらめっこ?」
「私がいつも笑っているから勝てると踏んだのですか? すみませんが、にらめっこでは勝敗の結果が不明瞭なので却下します」
「言葉遊びが良いですかね?」
「例えば?」
「しりとり」
「意外と細かいルールが必要になりますよ? 固有名詞はありかなしか、一人しか知らない言葉が出た場合はどうするか、そして、一度言った言葉を忘れてしまい、言った言わないの口論になる可能性があります。やめておきましょう」
「じゃあ、連想ゲーム?」
「どうやって遊ぶものですか?」
「いわゆるマジカルバナナです。バナナと言ったら卑猥、卑猥と言ったらピー、って交互に言い合う遊びですよ。詰まったら負け」
「ああ。参考例が酷いですが、どういう遊びかは分かりました。しかしそれも、しりとりと同様に言った言わないの論争になりそうですね」
「じゃあ、古今東西」
「ゲームの名前は聞いたことありますが、どういうものですか?」
「別名山手線ゲームですよ。例えば、古今東西サバイバルホラー小説のタイトル、って宣言したら、交互にサバイバルホラーのタイトルを言い合うんです。詰まったら負け」
「提案されたゲームの中では比較的マシですかね。しかし、お題によっては不公平になるでしょう。特にサバイバルホラー小説のタイトルというお題では確実に私の負けです」
「じゃあ、数字遊び。二十を言ったら負けってやつは?」
「交互に一から順に数字を三つまで言って、二十を踏んだら負けというゲームですね? 確かそれは、先攻が必ず勝つという方法がありませんでしたか?」
「ご存じでしたか……」
「さりげなく入れてきますね」
「じゃあ、脳内将棋。棋譜を言い合って頭の中の将棋盤で勝負するんです。5三歩、5一玉、5二歩大手! って感じで」
「急に難易度が上がり過ぎです。それに、先生実は将棋のこと詳しくないですよね?」
「……バレました? じゃあ、脳内チェスで」
「無理ですよ」
「じゃあ、脳内恋愛シミュレーションゲーム」
「もう意味が分からないです。まじめに考えて下さい」
「考えていますよ。何でもかんでも否定するだけで、笠松さんこそ何も考えていないじゃないですか」
「はあ……」
「何か、一つでも良いから、提案してみて下さいよ……」
笠松は眉間に皺を寄せ、うつむき加減に黙り込んだ。
川瀬は悩んでいる笠松を見て心の中で笑った。
静寂が漂う。
その時突然、笠松の背後で音が鳴った。
『♪包み 包んで 包む時
あなたの心も包みます…………』
枝島ラッピングの社歌だ。
笠松は驚いて反射的に振り返った。
その隙に川瀬は身を乗り出した。
ラッピィのアラームの初期値は零時零分になっている。川瀬はラッピィのアラームをセットする振りをして、時計の時間を二十三時五十五分にしていたのだ。つまり、セットから五分後にラッピィは歌った。
しかし笠松は、時計に何かしらの細工がされていることに薄々気付いていたようだ。彼は一瞬後ろを向いたが、すぐに灰皿を強く握り締め、川瀬のことを睨んで叫んだ。
「ハハ! 引っ掛からないですよ!」
その瞬間、室内を白く染めるほどの強い光が瞬いた。
川瀬は樫木のカメラを握っていた。
フラッシュを直視した笠松は目を閉じた。暗闇に目が慣れた状態であれほどの光を浴びれば、しばらく何も見えないだろう。
彼は闇雲に灰皿を振り回した。今この状況で何も見ることが出来ないのでは、とてつもなく恐ろしいに違いない。
川瀬は灰皿が当たらないように体を大きく反らして距離を取り、モーニングスターよろしく、紐を握ってカメラを笠松の頭に向けて振り下ろした。
カメラは直撃した。だが、殺傷能力が低かったようだ。彼はさほどダメージを負っておらず、苦しそうな顔をしながらも灰皿をヘルメットのように被った。
アホだ。先程、守るべきものは左手だと自分で言ったことを忘れているのだろうか。
川瀬は冷静に笠松の左手めがけてカメラを振り下ろした。二度、三度と叩く。しかし手を離す気配がない。なかなかしぶとい。あまり時間を掛けていては視力が回復してしまう。
川瀬はカメラを置いて、灰皿に手を伸ばした。
それは、いとも簡単に奪い取ることが出来た。灰皿を握る手に力が込められていなかったのだ。おそらく彼は継続的に左手を攻撃されるとでも思い込んでいたのだろう。
灰皿をガッチリと握る。その時、気が付いた。笠松の目が微かに灰皿の動きを追っている。急げ。
川瀬はもう一度視力を奪ってやろうと、笠松の顔面に向けて灰皿を振った。
鈍い音がする。しかし直撃はしていなかった。灰皿と笠松の顔面の間には、彼の右手が挟まっていた。
もう一度、同じ場所めがけて灰皿を振る。笠松の指は不自然な形に反り返った。
もう一度。
もう一度。
「すみません! 許して下さい!」
笠松が叫んだ。
「……先生、お願いです! 左手、左手を離しますから、とどめを刺さないで下さい!」
川瀬は灰皿を止めた。
「笠松さん、そんな言葉を信じると思いますか? 本当に手を離す気があったら、とっくに離していますよねえ? そんなに右手が潰れた状態で、まだ生き残ろうと策を講じるのはさすがですね」
「嘘ではないです! これはただのゲームです! 手を離したって死にはしませんよ! 手を離します! だから!」
そう言ってはいるが、手を離す気配は感じられない。
川瀬は残酷な笑みを浮かべ、親切に、不親切な解説を施すことにした。
「笠松さん、さっき笠松さんは、いわゆるサバイバルホラーの展開を僕に聞きましたよねえ? あの時、僕は教えないと答えましたが、最期に答えてあげますよ。サバイバルホラーではクライマックスで必ずと言って良いほど登場する展開があるんです。それは……」
「そ、それは?」
「『逆転劇』です。これは決まっていたことなんですよ」
笠松は唇を震わせて絶叫した。
「このクソガキがぁぁぁぁぁ!」
「死ね」
灰皿を縦にして笠松の頭めがけて振り下ろす。
装飾の突起部分が頭頂部をとらえ、骨の砕ける音が響いた。灰皿がめり込んで、手にその感触が伝わってくる。それは、灰皿自体の重さも相まってか、思いのほか軽い感触だった。生卵を割った感じに近い。
灰皿を引き抜くと、卵の白身のような粘度の高い何かがそこから流れ出た。
そして笠松は、天井を見上げるように、左手を離してソファの背もたれに倒れた。
川瀬はわずかに浮かせていた尻をソファに再び沈めた。
息を吐き出しながら呟く。
「あとは……」
川瀬は三人掛けのソファに腰を掛けていた。ゲーム開始当初、窓側の席に成宮が座っていたので、川瀬は真ん中の席に座っていた。
川瀬は右を向き、こう言った。
「あとは、もう一人殺すだけだ」
「私も……」
ずっと、『私も……』とばかり発言していた男、サンボの達人が、ニヤリと笑った。
サンボ。それは旧ソビエト連邦で開発された格闘術である。関節技を中心とした総合格闘技の一つで、今現在においても軍隊で使用されているほど実用性が高い。
コキリッ。
川瀬の首から音が鳴った。同時に激痛が走り、視界は暗転した。
意識が途切れる直前、川瀬は思った。
強引などんでん返しが近年の小説の流行り……





