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囚われ神奇譚  作者: 下山 辰季
第五部・旧家

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34/40

34・天赦日

 怪談サイトにも恐怖体験がつづられた夜の常杜(とこもり)(さと)公園。

 すっかり人気(ひとけ)のなくなった古民家園に異郷への出入り口が開く。




 星澪沙(せれさ)が統治する世界は、終わることのない朝ぼらけに彩られていた。サイバーパンクと和の情緒がカオスに融合したオーロラ色の都市の中には、いたるところに清潔な水路が走る。


 この世界の住人はカワウソ面をつけた技術者たちのようだ。街にも住人にも活気があって賑やかだが、整然とした秩序も感じられる。

 星澪沙を見つけて、カワウソ面が親しげに手を振って挨拶した。同行する俺たちに対してもフレンドリーだ。


『良い街だ』


 挽霧(ひきり)さんの表情も明るい。




 立派な建物の中へ。

 豪華で奇妙な部屋で堤我(ていが)稲門昏(いなかどくら)の二人は塩来路(しおらいじ)の到着を待っている。

 水滴や卵を思わせるツルンとしたなめらかフォルムのソファに、星澪沙は緊張したようすで腰かけ、鞠は腕組みして来客用の出入口を睨み続けている。


 ハスやクロモジの香るルームフレグランスに混ざって、水の消毒に使う薬品っぽい臭いもかすかに漂っていた。

 ここには室内にも水がある。その上に張り巡らされているのは、クリアな素材のパネルの床だ。

 ゆらぐ水面のやわらかな光の反射が壁や天井に投影されてキラキラしている。それが、なんだか近未来の映像技術に見えてくるから不思議だ。普通の光の物理現象なのに。堤我家の和サイバーパンク水流都市に、俺は圧倒されているのかもしれない。


 天赦日(てんしゃにち)の夜。本来なら神霊たちの霊力を奪う三旧家の宴がおこなわれるはずだった。

 でも、星澪沙も(まり)もそんな用意はしていない。二人のそばに従者としてひかえる数人のカワウソとキツネらも、主の決断を受け入れているようすだ。


 俺は、小さな通用口の影にかくれて状況をうかがっていた。本来は使用人の立場のカワウソ面たちが利用するドアなんだろうが、星澪沙の通達で不要な出入りは一切ない。

 挽霧さんも気配を消して俺の近くにいる。


 旧家同士の話し合いが穏やかに進んで、互いの妥協点を見つけられれば俺とお姉さんの出番はない。話がこじれた時に備えて待機している。


 俺たちが出ていく事態にならなければ、それに越したことはないよね。


 寅之助との交渉のために、星澪沙は資料をまとめて準備していた。マジメで誠実な人だと思う。その努力や想いが報われてほしいと願う。

 彼女は挽霧さんに敬意を払ってくれたから、俺も星澪沙のことはわりと好印象だったりする。




 革靴の足音が水流の広間に反響する。

 ついに来た。

 コイツが塩来路寅之助(とらのすけ)


 まさに社会的信用がスーツを着て歩いているような中年男性だった。

 背が高く、威風堂々とした恵まれた体格。

 高いスーツとは無縁の俺にも、それが上質な生地を使ってオーダーメイドで仕立てられた一着だということが伝わってきた。当然、靴も同じくらいの品質かそれ以上のものだろう。

 柔和(にゅうわ)でありながら隙のない表情。

 口とアゴの黒々としたヒゲは毎朝きちんと整えられているらしく、粗野な印象は皆無だ。むしろ余裕と風格を感じさせる。


 その背後に影のようにつき従うのは、やはりスーツ姿の牛面の従者たち。


 稲門昏のキツネたちには豊かな農村の底力や人間模様が感じられた。場合によっては鞠に逆らう決断もできる。


 堤我のカワウソたちは技術の恩恵を楽しみ尽くしていた。それぞれが好きなことを追及しつつ、ルールやまわりへの気遣いも大切にしていて、とても平和。


 塩来路の牛たちは……元気がなく、自我も極限まで抑えこんでるんじゃないかって雰囲気だ。個々の命というよりは、大きな機械の部品のようにそこに存在している。俺の目にはそんな風に映った。


『霊力を集めることに固執(こしつ)しているわりには、回収の準備がされていなくとも少しも動じないのだな』


 挽霧さんのささやき声が耳元で聞こえる。


『ふむ……。たとえば、霊力によって誰かの命を繋いでいるといった欠かすことのできない用途ではないということか……?』


 大切な誰かの命のためっていう可能性を真っ先に想定していたあたり、お姉さんの善性がにじみ出ている。

 そうみたいだねと頷いて、俺たちは旧家三人の話のなりゆきをうかがった。




「宴の準備がまだのようですね。何かトラブルでも?」


 寅之助はソファに座りながら、ゆったりとした身振りで尋ねる。


「……霊力回収システムについて、見直しのご相談をしたく……」


 歯切れの悪い星澪沙を応援するように、鞠がソファから立ち上がった。寅之助相手にも臆することなく、いつもの高飛車な態度で言い放つ。


「アンタはいつもいつものらりくらりと星澪沙の話をあしらってばかり。無茶な要求を押しつけてないで、こっちの意見も聞きなさいよ」


「あいかわらず手厳しいご指摘をありがとうございます、稲門昏さん。僕としてはお二人を軽んじる気持ちは欠片もないのですが、そんな風に思わせてしまったのならこちらの落ち度でございます。優れた技術者である堤我さんとは、今後も良好な関係を維持していきたい。お話、拝聴(はいちょう)いたします」


 仏頂面(ぶっちょうづら)のまま、鞠がストンと腰を下ろす。


「こ、これ以上の怪異の捕獲は止めて、悪霊の封印だけ続けませんか……? すでに囚われの怪異たちも、人に悪さをしないものは解放していって……ですね……」


 この提案が寅之助にとってメリットがないことは星澪沙も百も承知だ。


「う、ええと、そのっ……研究費用をお金で返すことは、やはり受け入れていただけませんか……? それがご不満でしたら、私が持っている特許の中からお好きなものを権利ごと譲渡(じょうと)することも考えています。塩来路家の手がけるビジネスにお役に立つものもあるかと……。こ、これが資料です!」


 星澪沙、特許持ってるのか。しかもそれって発明者以外の人にあげることもできるのか。

 俺のしらない世界だ……。


 カワウソ従者が差し出した資料に、寅之助は目もくれず返答する。


「残念ながら、あまり心惹かれる申し出ではありませんね」


「で、では、こちらはどうです? 私が新しくご希望の発明をいたします」


 これはすごいぞ。未来からきた青いアニマルロボットから、ほしい道具を一つプレゼントしてもらえるようなものだろ?

 寅之助もこれには興味を引かれるんじゃないか? 俺だって、挽霧さんとずっと一緒に幸せで暮らせるような超常発明品がほしいよ。


「そもそも、このあたりにはもう捕まえられる化け物もいなくなってきたでしょ? 潮時じゃないの? 人間さまの害になるヤツらだけ閉じこめておいて、ほかのは元いた場所にうっちゃっちゃえば?」


 うっちゃる……。だいぶ都市化の進んだこの町だけど、地元のお年寄りや農家の人の間に残る方言だ。捨てるって意味。

 怪異たちへの敬意のない言い方だけど、発言の内容としては蔵に捕まえている者たちを自由にしてそれぞれの住処に帰そうというものだ。

 

 鞠の気だるげな援護射撃も寅之助には通用しない。


「設置範囲を広げてください。それに、ここ近辺でもまだ努力できることはありますよ。地域の人々に信仰されているからといった理由で、神社や(ほこら)には手をつけてはいませんでしたよね? 神主が不在の小さくさびれた(やしろ)なら、神霊を捕らえるワナをしかけてもバレずに済むんじゃないですか?」


 星澪沙はもちろん、鞠でさえも言葉を失った。


 ダメだ。

 話し合いなんてできる相手じゃない。


 人間たちの数々の身勝手にも寛容(かんよう)で優しかった挽霧さんが、ゾッとするような冷たい眼差しを寅之助にむけた。

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