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囚われ神奇譚  作者: 下山 辰季
第五部・旧家

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31/40

31・黄昏合戦

 ふいに日が陰る。

 いや、これは曇ってるんじゃない。

 夕方の色だ。まだ日が暮れるには早すぎる時間だってのに。


 公園事務所の方に視線を向けてもそこにはない。のどかな田畑だ。もちろん公園内の貸し農園とは別物。


「アンタさぁ……。うだうだごねて星澪沙(せれさ)をわずらわせないでくれる?」


 稲門昏(いなかどくら)(まり)の朱に染めた髪が幻想の西日を浴びて、燃えるように輝いている。

 すっきりとしたタイトワンピースにハイヒールの靴。


「その星澪沙さんがあなたの勝手な行動に困ってましたよ」


「は? 口ごたえの上に私に説教? 状況理解してる?」


 ケモノの臭気が鼻をつく。

 鎌や熊手で武装した農民風の人影が音もなく集まってきた。全員、キツネの面で顔を隠している。異様な人々の間にゆれるのは紫の炎。


「皆さんすごい迫力ですね」


 俺が今持ってるのなんて、虫を逃がす時に使ったティッシュ一枚だよ。


「ザコにはしみったれた白旗がお似合いでしょ」


「そんなつもりはないんですけどね」


 鞠のあおりは気にせず俺はティッシュを剥いでちぎって小さくした一片をつまみ上げた。へろへろと頼りないそれは、微弱な風を受けてふわりと浮かぶ。手を離せば、そのまま舞い上がって夕焼けの入道雲の方へと吸いこまれるように消えていく。


 うん。手ぶらになっちゃったけど、これで良し。


「どうするの? ザコ庶民。ひざまずいて謝れば袋叩きは勘弁してやっても良いけど?」


「何についての謝罪ですか?」


 鞠のキツい目つきがいっそう険しくなる。

 まわりで俺を取り囲むキツネ面たちも威圧的に武器を突きつけた。あと少しで俺を打ち据えられそうな位置で、使いこまれた金属製の農具をこれ見よがしに動かしてくる。


「……人の良い星澪沙につけ入って、無理難題をふっかけた。アンタが逃がした化け物の分だけでも大損だってのに、これ以上さらに解き放てって……? 冗談じゃない。連れ出した化け物をこっちに返せ」


 お姉さんを化け物呼ばわりしやがったな。


「お断りします。五尺三寸の糞袋(にんげん)のお嬢さま」




 鞠が合図し、キツネ面たちをけしかける。

 四方八方からせまる鎌に鍬。


 ぽつ、と最初の雨の一粒が落ちた。


 農具が激しくぶつかり合う音を俺は頭上で聞く。

 ケダモノ並みに姿勢を低くし、農民たちの足の間をすり抜ける。


 俺を狙って振り下ろされた農具の柄が、誰かの地下足袋(じかたび)を強打した。

 大柄な中年農夫が尻もちをついて、後ろにいたキツネ面の仲間を巻きこんだ。


 野良犬同然にほったらかしにされていた子ども時代の身のこなしを俺の体がまだ覚えてる。

 それに加えて、人間離れした身体能力。お姉さんのおかげだ。ここのところ俺はずっと挽霧(ひきり)さんが作ってくれた朝食を食べている。


 鞠のもとまで一気に距離をつめる。


 むこうも俺とやり合う気だ。

 あでやかな唇からふっと息が吐かれ、ネイルで彩られた手の中に紫の火が生み出される。雨の中でも燃え盛っている。


 ビンタの動きとともに乗せられたキツネ火を体をひねってかわす。

 続けざまの殴打をかいくぐり、鞠の背後に回りこむ。

 タイトスカートに包まれた膝裏。そこの関節を低い位置からの膝蹴りでぐいっと押しこんでやった。


 雨降りの地面に鞠は転倒。このくらいは仕方がないと思う。


「先に手を出したのはそっちなので」




 空が鳴る。雨がさらに強まって、滝のように降りしきる。

 この猛烈な夕立は挽霧さんによるものだ。姿こそ敵の前にはさらさなかったが、最初から俺といっしょに鞠の異空間に入っていた。


 さっき俺がティッシュを飛ばしたのは、確認のためだ。鞠の支配する空間内でもお姉さんが風や雨といった気候をあやつれるかどうかの。


 湿った上昇気流が大きな雲を作って、どしゃ降りの雨を呼ぶ。すでに地面は浅い川のようなありさまだ。


 キツネ面たちが鞠に加勢し、農具を突き出して俺の動きをけん制する。


 その間に鞠が立ち上がる。

 牙を剥き出した口が、だんだんとイヌ科らしい長い鼻面になっていく。

 爪の先にラメをつけたままバキバキと鋭く伸びる。肉球つきの毛の生えた手は、霊長目(れいちょうもく)の器用さと食肉目(しょくにくもく)の力強さを兼ね備えているようだ。心底邪魔くさそうにヒールの靴を脱ぎ捨てる。

 人間的な体型をあるていど維持しつつ、その骨格は明らかに人間のものじゃない。

 高級そうなタイトワンピースの下で、鞠の全身が赤みをおびた金色の毛に包まれた。こんなに雨に濡れてなければ、きっとふわふわの上等の毛並みなんだろうな。


「これぐらいで勝ち誇らないでくれる……!?」


 変化した体で鞠が猛然と襲いかかってくる。豪雨の中こんなに泥だらけになってまで頑張るなんて。ロクな性格じゃないけど友情にだけは厚い人なんだなぁ。

 だから何だって話だ。


「これだけの頭数相手にいつまでも調子に乗っていられるわけ……」


 キツネ面の農民たちがざわついている。

 鞠や俺の勝負よりも、もっと重要なものを気にかけているようす。


「は? 何がどうしたの、アンタたち」


 このキツネ面たちがそわそわしている理由は俺にもわからない。

 一人が鞠に近づいて何かをささやいた。


「はぁ!? 私の命令を放り出して、田んぼなんかを見に行きたいわけ!?」


 鞠の癇癪(かんしゃく)にビクつきながらも、キツネ面の農民たちの不安げな視線は水路と田畑にそそがれている。


『なんだ、理解できないのか? この者たちを()べる立場でありながら』


 大雨の水煙のむこうに挽霧さんが姿を見せた。

 キツネ面たちの間に畏怖(いふ)と動揺が深まる。


『好き好んで水神を敵に回したい百姓(ひゃくしょう)がいるものか』


 この空間にはキツネたちの日々の暮らしがあるようだ。尋常じゃない増水は田畑の害になる。


 勇気ある農夫が、俺たちとの(いさか)いを止めるよう鞠に直訴した。鞠との話し合いが難航すると見るや、一人のキツネ男がこっそりとこの場から離れようとする。それをほかの村人に気づかれて、激しい(ののし)り合いに発展。(あぜ)を壊して、自分の田畑だけ難を逃れようとしたのであろう、なんて声が聞こえた。


 いくら鞠が叫ぼうが暴れようが、もはや村人たちを統率できない。

 語気を荒げる鞠の口から吐き出された炎は、雨の勢いですぐに弱まった。


 事態を静観する俺とお姉さんのもとに、息を切らせた星澪沙が駆けつける。


「……おっ、遅れましたっ! ごめんなさい。今、何がどうなってますか……?」


「空は大荒れ、村も大いに割れていますね」


「鞠ちゃんっ!!」


 星澪沙が鞠を叱りつけ、この事態を収束された。

 そのころには挽霧さんが招いた豪雨も降りやんで、永遠の夕暮れが続くこの村に赤い太陽が戻ってきた。

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