28・オ魔モリー手くん
堤我組にほど近い川で、挽霧さんは流れる水面に音もなく降り立った。
お姉さんの役割は堤我組周辺での警戒。稲門昏鞠を退けたり、その他のトラブルに備える。
『水にかつての記憶を思い出してもらうとしよう』
川にうっすらとした霧があらわれはじめた。
霧の発生条件は高い湿度と温度差。暖かい空気と冷たい水という組み合わせでも霧はできる。豊かな湧水が流れこんでいたころは、夏でも川の水はキンと冷たかったのだろう。
挽霧さんが呼び起こした霧は、無関係の通行人や車には特に害はない。視界を覆いつくすほどの濃さじゃないしね。
このおぼろげな霧に霊力を通し、堤我組へ向かう意思を持つ者だけを道に惑わせる。これで星澪沙との会話に邪魔は入らない。
『……伊吹。お前はいわば敵陣に乗りこむのだ。無事を祈る』
お姉さんと別行動で、俺は堤我組に機械腕の御幣を持っていく。
「ここが……」
堤我組を囲むのは、自然の岩を低く積んだ石垣と美しいシルエットのキャラボクの生垣の組み合わせ。造園会社の腕を発揮しまくっている。
敷地内に複数の建物が見える。
道路に一番近い和風モダンの平屋に堤我組の看板が出ている。ここが造園会社の事務所か。
さらに奥には二階建ての大きな家や巨大なガレージ兼倉庫もあるようだ。ガレージの大きさが半端ない。4tトラックだって入るんじゃないか?
看板の出ている事務所に近づく。
直前に名刺に記された電話番号に連絡して、俺が訪れることはしらせてある。
星澪沙が言っていた棒付きのピロピロらしきものを見つけた。こちらの都合ですまないが一刻も早くこれを手放したい。というような内容を丁寧な言葉で告げた。
「ごめんください。先ほど連絡を差し上げた綱分です」
事務所のガラス戸をカラカラと開く。
クーラーの冷気が俺の汗ばんだ肌をなでる。整理整頓が行き届いた空間だった。和を感じさせる色使いの壁紙や観葉植物に、機能的で洗練されたデザインの机や照明が、チグハグにならずに調和している。
「あ、ああ、綱分さんっ。お待ちしてました。どうぞどうぞ……。ご足労いただいてすみません」
星澪沙があわててパソコンの前から立ち上がった。
ほかの従業員や職人の姿は見当たらない。
事務所内の応接間に通される。
出された冷たい麦茶に口をつけないまま、俺はローテーブルの上に白い紙箱を置いた。切実な顔を作って、用意してきたウソをつく。
「趣味の散策中に、野外の不法なゴミ溜めのような場所に出てしまって。そこで偶然見つけました。入れ物は俺が用意したものです」
箱の中身を星澪沙が確認する。SFチックな灰色の御幣がそこにあった。
「あなたに頼まれたからゴミの山から回収して、こうしてお届けにあがりました。でもこれ……いったい何なんですか?」
俺は畳みかけるように言葉を発していく。
「これを拾ってからですよ。妙な物音や気配に悩まされるようになったのは。体調だっておかしいんです。ずっと肩が重くて悪夢も見るし……」
全部ウソだ。
星澪沙に罪悪感を植えつけるための。
「ええっ、そ、そんなはずは……なんでぇ……? あっ、重要なお話を遮ってすみませんでした。続けてください……」
腰が低すぎて卑屈な印象を受けることもあるが、星澪沙の言動には育ちの良さがあらわれている。
「……あなたからあんな風にお願いされなければ、こんな怪しいものを拾おうなんて俺は思いませんでした。……俺の身に起きた災難がこの拾い物と本当に関わっているのかは証明できません。謝罪の言葉や、ましてお金をもらおうなんてつもりはないんです」
沈痛な面持ちで星澪沙は俺の話に耳を傾けている。きっと善良な人なんだと思う。だから俺みたいな人間に簡単に騙される。
「俺に不幸を呼んだと思われるこの奇妙な道具が、いったい何なのか。あなたとどう関わっているのか。ただそれをしりたいんです」
暗い表情で星澪沙が口を開く。
「……信じられない話かもしれませんが、これは人々の安全のために私が作ったものなんです」
そう前置きして御幣について明かした。
人に祀られていない、野放しにされたこの世ならざる者たち。それらを封じて管理することで、理不尽な災いが人に振りかからないようにする。
「小学生のころ、家族同然に私を可愛がってくれていたおじいさんが亡くなりました。切れば災いをもたらすってウワサされてる古い木をどうしても誰かが切らなくちゃならなくて……」
過果野生のオニグルミだ。そう気づいたが俺は黙っていた。
「オバケってズルい。そう思いました。人間が人間をあんな風に殺したら、法で裁かれるのが正義ですよね? でもあやふやな存在を取り締まってくれる警察なんていませんし……。神社やお寺の人も、あの木にはお手上げだったみたいで……」
「だから自分でやろうということですか……? お坊さんでも太刀打ちできないような怪異を封じこめるような道具を作り出すなんて、よくそんなことができましたね」
祟りだのオバケだのが出てくる話をすぐに鵜呑みにはしない。首をひねりながらも話を聞いて、星澪沙の偉業には興味を示す。そんな姿勢で俺は情報を引き出していく。
「それはですねっ。……あ、えっと……私の志に賛同して協力してくれる人がいたおかげで、このオ魔モリー手くんシリーズを完成させることができたのです」
この町の怪異を制圧した不気味な御幣の正式名称はオ魔モリー手くんというらしい。
そのインパクトで一瞬俺の気がそれたけど、星澪沙が何かをごまかすそぶりをしたのは忘れていない。協力者がいたのも事実なのだろう。でも、それだけじゃないはずだ。
「オ魔モリー手くんは本来は綱分さんの身に起きているような不可解な異常……そういったことが起きないようにするはずの道具なんです。……うーん、故障でしょうかね」
星澪沙が機械腕の御幣をチェックする。御幣の前で手を広げた。
じゃんけんの手を出して動作確認をするのかと思いきや、違った。
あれはパーじゃない。もっと高い位置に手を掲げている。ハイタッチのポーズだ。
マズい。こんな操作があったなんて、俺はしらない。イヤな予感がする。
灰色の御幣が蛍光グリーンの光を灯して反応する。
星澪沙と御幣の手が、パチンとハイタッチをかわした。
紙垂の表面に何か、記号か文字のようなものが浮き上がる。
あれって、もしかして……。
シリアルナンバー。同じ形式の機械を識別するためにつけられた、固有の番号なんじゃないのか?
当然、挽霧さんのいた保存室にあった御幣と、星澪沙が泉の近くにしかけた御幣は番号が違う……。
「……綱分さん。残念です」
こういう表情は子どものころに何度も見た。
まっとうで良識ある人が、そうでない厄介者を仕方なく排除する時の顔だ。




