5 闇の中の記憶
明久が倉本豊後という人間に初めて不審を抱いたのは、家族が死に笹雪家当主となったその時だった。明久は父と母、そして妹と四人家族だったが、とある事件により彼ら全てを亡くしていた。
家族が死ぬきっかけとなったのは、明久の父である笹雪秋鷹の失態だと彼は倉本から聞かされていた。
秋鷹はとある半妖の討伐を倉本に命じられていた。彼は最初、言われた通り半妖を追い詰め斬り合ったが、そこで何があったのか半妖を見逃したというのだ。
当然このことは倉本に知れ、秋鷹は叱責を受けしばらく謹慎するように言われていた。この時明久はまだ十六歳であり、彼は笹雪家の長男であるものの深く家のことに関わっていたわけでも関心があるわけでもなかった。
明久はこの時すでに、父から半ば強制的に学ばされた一色流のそれなりの使い手であったが、それ以外は普通の学生と変わりがなかった。
笹雪家を継ぐことも考えておらず、高校で部活にいそしみ、ある意味では日々を怠惰に過ごしていたとも言える。
そんな時に、事件が起きた。その日は部活が長引き、もう夜二十時を超えた頃に帰宅した明久は、家の異常を感じた。
明かりはついておらず、人気の無い自宅。母と妹が出かけているとしても、謹慎を命じられた父は家にいるはずである。
不審に思いながら家に入った彼は、普通の学生として過ごしてきた今までに一度も嗅いだことがない匂いに、表情を歪めた。
それは血臭だった。その匂いに吐き気を覚えて明かりをつけると、惨劇の跡が彼の目に飛び込んできた。
その光景は決して忘れらないと感じながら、明久はできれば思い出したくないことだと封じて来た。
なます切りにされたとしか思えない父の死体。明らかに一太刀のもとに切り捨てられたと思わしき母と妹の死体。残忍な光景に発狂しかけた己の失態。
そこから先のことはほとんどおぼろげだった。父の死体のすぐ傍には、父を殺したと思われる何者かが立っていた。闇に包まれたようにその姿は思い出せないが、その者が家族を殺した張本人のはずだ。
父の傍らにあった刀を手にし、半狂乱でその者に斬りかかった事は覚えている。しかしその後のことは全く記憶になかった。
次に覚えているのは、痛手を負って布団に寝かせられているところだった。そこは倉本家の寝室で、明久は倉本豊後に助けられたのだと言う。
倉本が語るには、今回の件は秋鷹が逃がした半妖によるもので、秋鷹を逆恨みした半妖が明久を除く彼の家族を斬り殺したということらしい。しかしその半妖は、直後に現れた明久に斬りかかられ、死闘の末明久が討ち取ったと言うのだ。
当然明久にその記憶は無い。痛む体を見ると確かに斬り傷があちこちにあった。
そして明久は家族を失った混乱のまま、倉本にこう告げられた。
「若年ながら家族を斬った半妖を討ち取るとはすばらしい。明久、お前は亡き父秋鷹の後を継ぎ、笹雪家当主となって退魔のために剣を振るえ」
こうして明久は名実ともに笹雪家当主となった。しかし彼の心の内には、ある疑惑が芽生えていた。
――話がうまくいきすぎている。
それは覚えのない半妖の討伐により生まれた疑惑だった。本当に自分は家族を殺した半妖を斬ったのか? そもそも本当に犯人は半妖だったのか?
記憶におぼろげな犯人の姿かたちは……どこか老人のようではなかったか?
その体に刻まれた刀傷も、彼の疑念を助長していた。彼の傷は体の左右前後のあちこちにあり、まるで数人に同時に斬りかかられたとしか思えないのだ。
だが明久は、その疑惑、疑念を、全てのみ込み心の奥底に封じていた。そうでもしなければ……倉本豊後という人物を信頼しなければ、この若さで退魔の者として生きていくことは不可能だったからである。
明久に根づいた疑念は、今もまだ、心の奥底に眠っていた。




