プロローグ
オレはかつて街だった場所を歩く。空は澄み、太陽の光はこれでもかというほどオレの肌を刺す。蒸し暑い空気が体にまとわりつき、首筋からは汗が流れた。
ざっ、ざっ、ざっ、と砂粒を踏みしめる。足元に目をやると、『シエラニアへようこそ』と書かれた看板が粉々になって地面に横たわっていた。落とした食器のように割れたその看板は、強い日差しを受けて変色している。これを見るのは初めてではなかった。
この街に、一人を除いて人は住んでいない。あるのは何年か前まで人が住んでいた形跡と、人々の生活の抜け殻――廃墟だけだ。近くの森が焼失した影響で、時々狐狸がこの顔を出すのを見ることがある。しかし、最近ではそれもめっきり減った。
目的地にたどり着く。乾いた砂漠には似つかわしくない、豆腐のような白い立方体の建物。オレは建物の入り口のドアノブに手を掛け、中に入っていく。
灯りもついていない真っ暗な室内に、外の光が射しこむ。部屋の中には物が雑多に溢れかえっており、一見するとまるで物置小屋だ。人が住んでいる気配もない。しかし、ここには確かに人が暮らしている――正確には、この建物の地下に。
部屋の奥に設置された本棚から、革製の本を一冊取り出そうとする。本を途中まで取り出して放置すると、たちまち本棚が揺れ始め、ゴゴゴゴ、と音を立てて動き出す。道を譲るようにして横にずれる本棚。元々棚が陣取っていた場所の床には、地下への階段が顔を出した。
これは彼女が作った装置らしく、本がスイッチになって通路を隠しているようだ。人一人通れるくらいの階段を降りていく。
長い廊下を進む。地上は汗がでるほど蒸し暑いのに、ここはいやに寒い。無機質な石造りの壁が続く真っ暗な廊下の先は部屋になっている。
「……久しぶりだな、博士。3か月ぶりくらいだろうか」
オレは暗闇に向かって声をかける。廊下の先、彼女の部屋から青白い光が漏れ出ている。カタカタ、と音楽を奏でるように機械的な音が聞こえてくる。
「ええ。正確には2か月と23日18時間32分5秒ぶりね」
モニターに向き合っていた青髪の女性は、椅子をくるりと方向転換し、こちらを見る。
30歳とは思えないほど、衰えを見せない美貌。海のように透き通った青色をした長い髪。雪のように白い肌の女性は、かけていた眼鏡を外し、白衣のポケットに入れた。
彼女こそがワタナベ・マツリ博士。オレは他でもない、彼女に会うためにこの街に再び足を踏み入れたのだ。
「その正確ぶりを見るに、あなたはお変わりないようだ。こんなに暗い部屋に籠っているようだから心配していたんだ」
「そう言うあなたはまた痩せたんじゃない? 髪も短くなって、最初に会った時と雰囲気もすごく変わった」
「博士、申し訳ないが世間話はまた今度にして欲しい。単刀直入に言おう、アレは完成したのか?」
「……ええ。完成しているわ」
博士はそう言うと、席から立ちあがって棚の引き出しを開けた。中からなにかを取り出し、両手で抱え上げてオレに持ってきた。
「……これが例の!」
「『タイムマシン』よ。あなたに頼まれてから3年……長かったけれど、こうして完成した」
オレは博士の手からタイムマシンを受け取る。それは頭に取り付けるもののようで、真っ黒な楕円形の輪っか。ドームのように、円形のふちから線が伸びて頂点に集まっている。
「これを使えば……過去に戻れるのか!?」
「そうね。ただ……絶対に成功する保証はないわ。普通ならこれから何百回と試験を行うところだけど……」
「やらせてくれ。オレは今日のために人生をかけてきたんだ」
博士の言葉を遮り、食い入るように答えた。オレにとってこれ以外に選択肢はなかった。
博士はそれを聞いて、ため息をつく。
「……わかったわ。今すぐにあなたを過去に飛ばすから、頭にタイムマシンを装着して、そこにある椅子に座って」
オレはすぐに頭に機械をはめ込み、椅子に座る。博士は電極のようなものを頭の機械に繋いでいく。
「……本当にいいのね」
作業が終わると、博士は最後の確認として、心配そうな表情でオレに聞く。
思えば本当に長かった。ここ数年で世界はすっかり変わり、荒廃してしまった。人類は激減し、残された人類も明日も生きられるかどうか、というような生活を強いられている。
「……ああ。頼む!」
ようやく、オレが世界を変えられるのだ。
「了解。ただいまより時間軸転送装置を起動する――」
博士がボタンを押すと、オレの体の周りに白い光が発生する。
「対象:テレサ・カリーノ。移動先――」
光が力を強め、オレは周りが見えなくなる。激しい突風を受けているような衝撃を受ける。
「10年前のシエラニアへ」




