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19話 子育て1


 カラン。人間。八歳。背丈から十歳は越えていると思っていたのだが、八歳であった。たとえ化け物のように強くても、八歳の子供である。

 だから聖良は思う。

 子育ては大変だ、と。

「カラン、ちゃんと髪を拭かなきゃダメです。じっとしててね」

 カランは気付けば風呂から上がり、湿った髪をそのままに、コタツの中でぼーっとしていた。

 水差しの水を飲み、真っ赤な頬を少しだけ緩ませている。

「後ろに座りますよ」

 聖良は洗濯物を畳むのを中断し、彼の背後に座ってその髪をやさしく拭いた。ある程度乾くと、呪文を唱えてドライヤーのように熱風を当てて乾かす。少しだけ油も塗ってクシを通す。

 癖っ毛なため絡まるが、それを丁寧にとく。

 髪が完全に乾いた頃に、『アーネス』の姿をしたアディスが戻ってくる。

 聖良は元に戻ったが、彼はそのままで過ごしている。

 今の彼にとって、どちらの姿も化けているのに変わりないから、カランを引き受けたときのまま姿の方がいいだろうと言っていた。

「アディス、カランの髪をちゃんと拭いてください。人間の子は風邪引きやすいんですからね。忘れてそうだから言いますけど」

 大切な預かり子だ。大切に育てなければならなかった。

「平気なのに……」

 聖良が口うるさくする様を見て、カランが呟いた。

 彼は今まで劣悪な環境にいたため、普通の子供よりは頑丈に出来ているのだ。

 それを本人が自覚している。

「セーラ、過保護」

 ミラも呟いた。

 ミラは幼い頃から『殲滅』出来るほどの実力者であり、風邪も引いた事がないらしい。

 聖良は小さく笑った。

「世の中何があるか分からないんですよ。

 まだまだ寒いんですから、身体を冷やしちゃダメなんです。

 あんなにお肌もボロボロだったじゃないですか。はい、次は手です」

 竜血草という最高級の薬草でずいぶんと綺麗になった固い手に、たっぷりとクリームを塗る。

 子供の手とは思えない、固く、分厚い皮膚の手だ。

 竜血草の湯にたっぷり浸かって、それにクリームで蓋をする。

「次は顔です」

 宣言しないと彼は警戒する。

 宣言すれば触れられるのにも耐える。

 かさかさしているが、皮膚の下には子供らしい瑞々しさを持つ頬に、聖良の化粧水をしみこませて、さらにクリームを塗る。

「はい、終わりです」

 荒れてはいるが、手入れをすればまだ子供なので綺麗になる。

 竜血草の美肌効果があれば、卵のようにつるつるな肌になるはずだ。

「ありがとう」

「いいえ。温かいお茶、飲みますか?」

「あ、いります」

 カランの隣に座り、へらりと笑って言うアディス。

「アディス、私はカランと話してるんです。横から口を挟むなんて、お行儀が悪いです」

「……すみません」

 もしも礼儀を知らない子に育ててしまい、ウルが気に入らなかったら、危険なのはアディスだというのに、自覚のない男である。

「セーラは本当に過保護だね。意外と教育ママになりそうだ」

 ユイが蜜柑を食べながら笑って言った。

 実の子であれば、無事に大きくなればそれでいい。

 預かっている子だからこそ気合いが入るのだ。

 それは口にせず、聖良はお茶を用意するために立ち上がった。

 アディスが本棚の前に立ち、下の方に並べられた本をいくつか手にする。

「さーて、今日はどの絵本にしましょうか」

 聖良が言葉を覚えるために買った絵本の中から、男の子が好みそうな話を選ぶ。

 カランは文字を読む事が出来ない。今までは暗号ですんでいたのだ。

 どんな生活をしていたのか、誰も聞かず、話さず、ただ教えている。

 しかし彼に教えるのは、勉強だけではいけない。

 常識も礼儀も普通も普通に生きる知恵も、すべて教えねばならない。

 ウルやあの悪魔や泣き虫竜が、そんな事を教えるとは思えないからだ。

「さあ、この絵本を読んでください」

 カランは渡された絵本を目の前にして、ゆっくり、静かに、ぽつりぽつりと朗読する。

 何度も間違えては読み直し、つっかえつっかえ読み進める。

 こうして徐々に徐々に、難しい本になっていく。

 この調子だと、近い内に彼のために買い出しに行かねばならないようだ。

 言語から学んでいる聖良よりも、カランの方が学習速度が上だからだ。

「街に行きますか」

 アディスの呟きに、皆は顔を上げた。

 聖良は自分と同じ事をアディスが考えていた事に驚いた。

「もう少し先でもいいんじゃないですか?」

「今夜、確かフレアが来るような事を言っていました。

 厚手の春物はありますが、春夏物を用意していないと、いきなり暑い日になったら困ります。

 それにそろそろ魔術の教材が欲しいですね。

 セーラと違い、本格的に学ばせるわけですから」

「なるほど。どちらで手に入れるの?」

 アディスかアーネス。どちらのツテで手に入れるかで、カランの扱いが少し変わってくる。

「箱庭ですよ。だからこの姿をしているんです。さすがにあちらには……」

 アディスはため息をついた。

 人間の『アディス』がいる場所には、カランのような異分子を、連れて行く事は出来ない。

「じゃあ、私着替えてきますね」

 寝室で聖良はモリィの姿になり、可愛らしい枯れ葉色のワンピースを身につけた。

 金髪を三つ編みにまとめて、手袋と帽子とバッグを持ちリビングに戻る。

「……着替えで、身体まで変わる」

 カランがぽそりと洩らした。

「これは特殊だから気にしたらだめだよ」

 ユイに諭され、カランは頷いた。

「僕たちは行けないから、セーラ……モリィ達の言う事を聞くんだよ。

 あと危ないから刃物禁止」

「…………」

 カランがまっすぐユイを見つめた。

 カランもミラと同じで、刃物を持たないと精神不安定になるのだ。

「ふぉ……スプーンで我慢しようね」

 カランは頷き、ユイからスプーンを受け取る。

 聖良には理解しがたい光景である。

「ついでにカランの服をたくさん用意させましょう。せっかく可愛い顔をしているんです。気品に満ちた魔戦士を目指しましょう」

 アディスがカランの頭を撫で、楽しげに言った。

 彼は教えるのが趣味である。教えがいのある生徒が可愛くて仕方がないのだ。

「ハーティも準備をしておきなさい。一緒に可愛い服でも買いましょう。貴女の服は地味すぎます」

「は……はい」

 ハーティは頬を赤く染めて笑みを浮かべた。

 彼女はアディスからの贈り物であるなら、あめ玉の一つでも喜ぶが、それが可愛らしくなるための服であれば、その内心の喜びは一入である。

「セーラは可愛い春物のワンピースでも買いましょうか。

 真っ白なワンピースに、可愛らしい帽子と日傘」

「白いワンピースはどうせ一日で汚れるから嫌です」

「よそ行きですよ。どうせすぐ使い物にならなくなるなら、私の趣味で選びます」

「……変な服じゃなきゃ別にいいんですけど」

 使い物にならなくなるのが前提である事には触れず、聖良は諦めて認めた。

 彼は幼い子供に変な服を着せて喜ぶタイプの変態ではない。

 可愛い可愛いとひたすら見て、触れて愛でる変態だ。

「カラン、欲しい物があったら言いなさい。武器以外は買ってあげます」

「じゃあいらない」

 ミラとそっくりな少年を見て、皆はため息をついた。

 だが彼はまだ子供である。まともに育て直せる範囲だ。

「玩具も買いませんか? 本人に選ばせるのは無理そうだから、適当に」

「ああ、遊びを教えるのは悪くありませんね」

「カードやボードゲームなら知的ですし、みんなで遊べますよ」

「色々買いましょう。色々」

「はい」

 カランを普通の子供にはできずとも、普通の大人を装える人間に。

 そのためには、様々な事を経験させねばならない。

 その第一歩は、他人と交流を持つ事。次に他人と遊ぶ事である。






 迎えてくれた可愛らしい少女二人は、見慣れぬ子供を見て目を輝かせた。

「新しい子ですか! 可愛い!」

「黒髪同士で親子みたいですねぇ」

 親子呼ばわりしたロゼは、アディスに抱き上げられた。

「せめて兄弟と言いなさい」

 険がある笑顔を浮かべてアディスは言うが、ロゼは満面の笑みを浮かべる。

「はぁい。アーネス様お久し振りです。最近来てくださらなくて寂しかったぁ」

「雪でなかなか外に出られなくてね。冬場に翼を広げるのは苦痛なんだよ」

「ああ……」

 モリィを竜だと思っている彼女達は、訳知り顔で頷いた。

 カランは酒場をキョロキョロと見回す。

「こういう店に来たのは初めて?」

「うん」

 フレアに問われ、カランは頷いた。

「この子はうちの子になるんですか?」

「いえ、預かっているだけです。カラン、ロゼとシファです。分からない事があれば彼女たちに聞きなさい」

 カランはしばし二人を見つめた後、こくりと頷いた。

「皆、聞きなさい」

 従業員達も手を止め、アディスに向き直る。

「この子はカランです。この子の背後には、決して黙って近づかないよう通達しなさい」

「え? どういう事ですか?」

 シファの問いに、アディスは肩をすくめた。

「手癖がなかなか治らなくて、背後に立つと切られたり、骨を折られますよ」

 まるで子供が指をしゃぶって困る程度の気軽さで言うアディス。

「き、切るんですか?」

「特殊な育ちでね。やたらと強いので気をつけるように」

「はい」

 アディスはカランの手を引いて、奥へと向かう。

 もう片方の手をフレアが掴み、下手に動けないようにしていた。

 後から付いて行こうとした聖良だが、少女二人に袖を引かれて足を止めた。

「ね、ねぇ、何なのあの子」

 アディスの言い方は奇妙であった。そう思うのも仕方がない。

「頼まれたんですよ、育てろって」

「誰に」

「聞かない方がいいですよ。どうしても知りたいというなら教えますけど」

「えー、知りたぁい」

 ロゼに甘えるように抱きつかれ、聖良は腕を組んだ。

 他の従業員達も好奇心から意識を彼女たちに向けている。可愛い。

「後悔しますよ」

「しないよぉ」

 知りたがったら教えればいいと言われている。だから問題はない。

 預かっているのがアーネスなら、知られてもいいのだ。

 聖良は二人だけに聞こえるよう、声を潜めた。

「神子ってわかりますか?」

「まさか……神殿が魔術を?」

「一人だけ神殿から外れている神子を知っていますか」

 二人の顔が引きつった。

 アディスの弟子、博識の二人は事態をそれだけで理解した。

「脅されて、断れなかったんですよ。

 神殿だったら怖くもないので断っています」

「そ……そうよねぇ」

 二人はカランが消えた先をチラと見た。

 ウルの手下を育てる。手を抜けば危険なのはアーネスだ。逆に上手く育て上げる事が出来れば、ウルの心証はよくなる。

「本当に後ろに立つと切られますから気をつけてくださいね。

 今はスプーンを持たせていますけど、何も持たせないで知らない人の多い所にいると、情緒不安定になります」

 そのような血筋であるとしか言いようのない悪癖である。

 周りが注意するしかない。

「とってもいい子ですけど、それとこれとは別なので。

 育ちが複雑で、すり込まれてるんです」

「わ、分かったわ。伝達しておく」

「あと、教科書も用意してください」

「わかったわ」

 それだけ言うと、聖良は皆を追いかけた。

 いつもの談話室では、カランが興味津々と置物に触れていた。

 珍しい物ばかりが置いてあるため、手にとってはひっくり返して眺めている。

「どうですか。秘密基地という感じで恰好いいでしょう」

「わからない」

 カランは素直に首を傾げた。

 秘密基地は子供心に憧れ、大人になっても童心を呼び起こす単語である。

 アディスはふっと笑う。

「秘密基地が珍しくないということですか」

「うん」

「なるほど。では今度、珍しい所に連れていってあげましょう。

 人形屋敷なんか珍しいのでは?」

「うん」

 無責任な発言をするアディスの耳を、フレアが引っ張った。

「勝手に人の家の訪問を決めないで頂戴」

「いいでしょう。どうせ人形師は暇なんです。男の子だから余計な心配もありません」

「そうだけど、普通子供に見せる?」

「これから見ていく物に比べれば、綺麗なものでしょう。」

「少なくとも、綺麗には綺麗だけど」

「今はとにかく、どういったことで感情を動かすか知りたいんです。

 中途半端なことでは、この子は驚きはしないでしょうから、手っ取り早くいきます」

 フレアはため息をついて肩をすくめた。

「そういうことなら、確かにうちぐらいじゃないと、大きな反応しそうにないわよね。

 分かったけど、また今度ね。確認してからにしないと」

「ええ、また今度の機会。カラン、お茶が冷めますよ」

 カランはアディスに言われて椅子に座り、出された茶を観察し、少し舐めて時間をおいてから再び表面を舐める。

「毒なんて入っていませんよ。普通に飲みなさい」

「うん」

 カランは言われるがままに普通に飲んだ。

「それを飲んだら今夜はもう寝ましょう。明日はカランの買い物です」

「何を買うの?」

「日用品です。服、靴下、肌着、他に気に入った物は武器以外ならなんでも」

「どこで買うの?」

「色んな店で」

 ミラとの会話よりは会話になっている。

 だが、話し方は離れて育ったとは思えないほどよく似ている。

 それを見て聖良が笑うと、カランはそれに気付いてじっと見てきた。

「カランは何か欲しい物はないんですか?」

「別に」

「好きな色は?」

「…………くすんだ色」

「どうしてですか?」

「暗いと見えない」

 聖良は腕を組んだ。思考が普通ではない。

 普通ではないからこそ、荒療治がいい。

「カランにこそ、真っ白な服を買いませんか?」

 白い服を汚さないように生活をさせる。それだけで彼はずいぶんと普通になるはずだ。

「それは素晴らしい案です」

「他は春らしく萌葱色とか、爽やかにブルーとか、カランの好み以外の色」

 カランは首を傾げた。

「目立つ?」

「目立つ服に慣れましょう」

「どうして?」

「社会生活には必要なんです。

 君のご主人様だって、すごく派手な格好しているでしょう」

「ウル様は守られる方だよ」

 聖良は困ってアディスを見た。アディスはくすりと笑い、カランを指さした。

「そのウルに見合う恰好をする事も、闇に紛れるのと同じほど大切です。

 人の中であれば人に紛れる。そのためには、ごく普通の人間の真似を出来なければなりません。

 執事のまねごとも、あの悪魔より完璧に出来るように教えましょう。

 私は何事も完璧でなければ気がすまない質なんですよ」

 笑うアディスを見て、カランはこくりと頷いた。

「そういう場合は『はい』とでも返事をした方がいい。『うん』では品がない。あと『お願いします』とか、何でもいいから続けましょう。あまり短い言葉ばかりでは、愛想がありません」

「……はい……お願いします」

 カランは言葉に困ったように黙った。

「まずはおしゃべりの練習ですね。モリィは相手が黙っていても察してしまうから、他の人間達とたくさん話をしましょう」

「はい。たくさん話す」

 カランは襲いかかったり背後から近づかなければ、大人しくて素直な少年である。

 命令には絶対服従、とも言い換えが可能なため、そこを聖良は直したいと思っている。

 自衛以外の自発的な欲望といった、当たり前の物が彼にはない。

 それを自覚し、抑える術を知らずに大人になるのは不幸だ。

 それらを教えるのが大人の役割である。



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