17話 神子と悪魔6
子供は可愛いとアディスは思った。
セーラも可愛いし、エスカも可愛い。アクセサリーと聞いて、少しうんざりした様子のマデリオも可愛い。
「にやけちゃって」
「温かく見守っているだけです」
まとわりつくフレアに、冷めた目を向ける。
絡んでくる彼も楽しげだ。彼は知り合いとこうして外を歩く事が滅多にない。一緒にいられる外の知り合いは、魔女達しかいないようだから。
「思えば兄さんって、これぐらいの子供がいてもおかしくない歳だものねぇ」
「それでいうなら、お前もそろそろ子供がいてもおかしくない歳ですよ」
「私はまだ十七だもの。半悪魔の十七なんて、子供みたいなものよ」
アディスなどゼロ歳児からやり直しだ。
「そういえば、神子って遺伝しないんですよね。
結婚したら奥さんとか子供ってどうなるんですか?」
セーラが振り返り、アディスの隣にいたユイに聞いた。
「人質にされるだけだから、ほとんどの神子は結婚しないよ。
自分よりも早く死んでしまうから、望んで子供を作る事はしないんだ。
だから婚姻で相手を縛る事もしない」
それに驚いたのがエスカだった。
「お嫁に行けないの?」
「まあ、神殿の神子はお嫁にはいけないよ。
神子に自由はないから、婿をもらって、聖都に住む事になるんだ。
危険だからという理由で、別れるまでは絶対に街から出る許可が下りなくなるけれど。
だから内緒の恋人を作るのが精一杯だね」
悪人に神子の身内と知られれば、それを捕らえて脅迫の材料にされる可能性がある。そのために、親とは一切の縁を切らされ、幼い内に引き離される。
だから身内を守るためという理由は本当でもある。
「エスカが結婚する場合は、婿に来てもらう事になるから、ここにいてもお嫁に行くというのは正しくないな。
もちろん、大人になって強くなったら旅行の許可は下りる」
アスベレーグがフォローを入れた。
神殿との一番大きな違いが出るとしたらそこだ。
神殿は脅迫。
エキトラは機嫌を取ってのお願い。
洗脳したとしても、悪魔が知恵をつけて違うと思い始めたら、どうなるか分からない。洗脳しようとした連中が、殺される可能性が高い。
だから洗脳に近くはあるが、自分達を好きでいてもらうため、まっとうな子に育てる必要があるのだろう。
「お婿さんはもらえるの?」
「そうだ。ただし、ろくでなしだったら止める」
ただでさえ、寿命の違いという大きな壁がある。
寿命だけなら、悪魔のマデリオと契約させればどうにかなるのだが、彼は嫌がるだろう。彼はエスカの事を女の子として好きなようだ。その好きな子が、誰かを好きになって、協力してやるような、自分を殺せる大人しい性格ではない。
神子の命令には逆らえないが、嫌がる相手にそんな事を強要すれば、人間関係は崩壊する。
エスカも大人になれば自分の立場を本当の意味で理解するだろうが、今は神殿の神子に比べれば自由があるのを分かっていればいい。
人は自分よりも不幸な境遇の誰かがいれば、自分はまだマシだと思う事ができる。
悩む事すら自由なのだ。
「エスカをこのように育てようと決めたのはどなたですか」
「妃殿下だ」
アディスの問いに、アスベレーグは迷いなく答えた。
この国は一夫一妻。側室はいないので、紛れもなく王の妻である。
アディスはクレアを思い出した。
警戒すべきは、その女だろう。
「一度お会いしてみたいですね」
「非公式な訪問だから、私的な謁見になるが」
「何の問題が?」
今まで顔を合わせた国の官僚は、アスベレーグの息のかかった者だけだ。
彼らは『アーネス』を見定めている最中であり、時期尚早と思われても仕方がない。
「無理にとは言いません。まだ一度目です。
継続して教える気があると判断できたら、用意をすればいい」
ユイのこともあり、全面的に信じるには時期尚早。
こちらは焦ってはいない事を示しておけば、自分達で判断する。
これだけの事をする連中なら、そう遅くない時期に決断するはずだ。
敵対者になら強引に攻めるべきだが、友好的な関係を望むなら、大らかに待つのが肝心だ。
と、その時だった。
「魔物よっ、魔物が出たっ」
アディスは耳を疑った。
「えぇ、こんな町中で?」
フレアが顔をしかめて声の上がった方に歩いて行き、それをアスベレーグが追い越して走っていく。
アディスもここがグリーディアならそうしているが、他国なのでよほどの事がない限りは傍観する事にした。
「って、マデリオっ!」
任せておけばいいのに、走り出すマデリオ。
町中に現れる魔物などたかが知れている。
凶悪生物であれば、もっと早くに騒ぎになっているからだ。アスベレーグに任せておけばいいのだが、男の子ならではの冒険心か何かを発揮してしまったらしい。
「仕方がない」
マデリオは大丈夫だが、何かをしようとして回りに迷惑をかける可能性がある。彼のためにもそれは良くない。
慌てて追うと、ついてこなくてもいいセーラまでついてきた。しかし今追い返すと、彼女が襲われる危険性がある。
いや、彼女なら間違いなく襲われる。きっと口に咥えられて誘拐される。
今まで繰り返してきたドタバタを思い返し、アディスは彼女を抱き上げようかと悩んだ。
「そっちに行ったぞっ」
「きゃぁあっ」
聞こえてくる声は必死だが、絶望感のようなものは含んでいなかった。
やはりあまり危険な生き物ではないらしく、人々はただ逃げ回っている。
人間が怯えて騒ぐから、魔物の方が必死になって逃げまどっているのだろう。
「あ、可愛い」
現れた魔物を見て、セーラが呟いた。
冷静に見れば、小柄で愛玩用に向いた魔物だと分かる。
グリーディアにも、魔物を飼っている好事家は少なくない。
アディスは逃げまどうそれに声をかけた。
「待て」
力を乗せれば、弱い魔物などは簡単に従う。
それはびくりと震えて動けなくなり、その隙にアディスは首根っこを掴んで持ち上げた。
「まだ子供ですね。お前、どこから逃げてきたんですか」
魔物はアディスを見上げてふるふると震えた。
「怯えずとも、とって食ったりしませんよ。
まったく、魔物を脱走させるような飼い方をするなど、物騒ですね」
小さくても子供でも、魔物は魔物。
見た目は大きめの猫だが、何らかの力を持っているだろう。
「この国では魔物を飼う事は禁止されている」
アスベレーグが大人しい魔物を警戒しつつ言った。
「では、飼い主は現れませんね。どうします」
腕に抱いて喉を撫でると、それを受け入れて喉を鳴らす。
「可愛いです。私も私も」
セーラが子供のように目を輝かせて手を伸ばした。
「だめです。魔力を持っているから危険です。火か何か吐くかもしれません」
「でも子猫でしょ? ロヴァンよりもうんと小さいです」
「まあ、そりゃあ」
もっと大きなロヴァンも、人に懐いてしまえば襲う事もなく安全な生き物だ。
「どうぞ」
「ふわふわっ! 可愛い!」
「ああ、わたしもぉ」
エスカまで抱きたがる始末。
アディスがいる以上は、身体が竦んでいるので、下手な動きはしない。
「アスベレーグ、この子の飼い主は探してください。
子供を攫ってきたのならともかく、親までいたら大事になります。
子供だからこの程度の被害ですが、親は人を殺せますよ」
「わかっている。しかし……どうしたものか」
魔物だから処分すると言ったら、二人とも嫌がるはずだ。
野に帰すにしても、親がいないのでは生きていけない。
そうと知ったら、エスカはこの魔物を支配しようとするかもいれない。支配する魔物は厳選すべきだ。少なくとも、この魔物が大人になって使えると判断してからでないといけない。
躾けて言う事を聞くなら、そもそも支配する必要もない。
「とりあえず、この場を離れましょう。こんな魔物を連れては買い物も出来ません」
「ああ」
エスカが可愛いと思ってしまった以上、ここで下手な事は出来ない。
子供の心を傷つけてはいけない。
「この子、どうするの? 飼ってだめなの?」
エスカは聡い子だ。適当な誤魔化しをして不審を抱かれれば、離反される畏れがある。
「飼ってダメだと言われたら、私が預かりましょう。
我が家では似たような魔物を飼っています。
最低限躾けてから、エスカに返す事も出来ます」
ちゃんと大切に扱うと言う意味で、そう言った。
「本当に?」
「ええ。そのことで、国の偉い人とも話さなければなりませんが」
エスカは魔物を従える神子。
だから子供の内から育てるのは悪くない。
「うん、飼い慣らすだけというのも悪くはないよね。
マデリオがいるから、その方が安全かもしれない」
ユイも賛成した。エスカに神子とは関係なく魔物使いになれと言っているような物だ。
「おれ、どうすればいいんだ?」
役に立ちたいマデリオがアスベレーグの袖を引いた。
「簡単に決められる事ではないからまだ分からない。
ちゃんと陛下に許可をもらわないと」
「そっか。陛下は許可をくれるかな?」
「くれるさ」
アディスとしては、ぜひ試してみたい面白い手だった。もっと別の場所に、魔物を飼う施設を作る。それをエスカの砦にしてしまえばいい。
ほどほどの地位を与える事になり、将来を考えると悪くない。
騒動が早急に治められて肩透かしを食わされたマデリオは、もうそれを忘れて明日の事を夢見始めた。
彼をアディスの目論む方向へとそそのかすのは簡単そうだ。エスカのためであるのは間違いないのだから。
動きは早かった。
アディスが帰る予定の前日、いきなり国王夫妻との昼食会。
この国では、他人を招いて行う大切な食事会をする時は昼食なのだそうだ。
「素晴らしい会食にお招きいただき光栄です。フラッセカ様は才媛とうかがっておりましたが、これほど若く美しい方とは、本当に驚きました」
子供も大きくなったおばさんだと思っていれば、彼女はまだ二十代にしか見えなかった。
「口がお上手ね。私も魔術結社の長だと聞いていたから、もっと年配の厳めしい方を想像していました。侍女達が騒ぐのも無理はありませんわ」
アディスの知らないところでは、騒がれていたらしい。常識として、本人の目の前で騒がないのは当然であり、彼等の耳に届かなかったのだ。
「クレアさんも若くて綺麗だけど、フラッセカ様はもっと若いですね」
セーラが洩らした。
「クレア?」
「グリーディアのクレア妃のことですよ。彼女は最強の魔術師でもあるため、護衛もつけずに街に出てくる事があって、運が良ければ間近で見られるのです」
事実なので、クレアを間近で見た事のある子供は多い。
アディスはその時、護衛ではなく荷物持ちだった。
夫一筋だが、顔のいい若い男を侍らせているのは気持ちがいいらしい。
「一度お会いしたいものだわ」
「彼女が国外に出れば、悪魔がこぞって説得にやってくるので難しいですね。
知識の保存を悪魔達は望んでいるようです」
それで一度、国に逃げ帰ってきた事がある。
国外に簡単に出ていたハーネスは、悪魔達から『信頼』されていたのだ。
「アーネス殿はどのような魔術を操られるのです?」
「一通り、浅く広く扱えます。苦手分野がないからこそ、何かに秀でた者達がついてくるようです」
困ったら頼れる便利な長、という扱いをされている気もするが、それで個々の能力が伸びるならいい。
有能であれば、どんなに醜い男でも、可憐な美少女より優遇している。
そうでなければ、長など勤まらない。
アディスが特に可愛がっているシファとロゼは、優遇される実力があればこそだ。
それから組織の当たり障りない内情や、国、魔術について質問を受け、それに答えた。
話すのはフラッセカばかりで、王はただ聞いているだけだった。
ちなみにセーラはいつものように食べる事に夢中である。
味や盛りつけなど、しっかりと確かめながら食べて、知らない食材があれば控えていた料理人に聞く。
それはアディスの身の回りの世話をするための知識を吸収しているとも言え、いじらしく愛おしい姿だった。
「お弟子さんはお料理が趣味だそうですね。
冷たい菓子を私も頂きました。とてもおいしゅうございました。
あのような菓子を気軽に作れるだけでも、魔術というものが羨ましいですわ」
「フラッセカ様には、エスカとマデリオがいます。
来年には好きな時に食べられるようになっているでしょう。真夏は毎日食べても飽きませんからね。
子供は甘い物のためなら、一日一度ですむ習慣を忘れません」
セーラの作るケーキも、保冷あってこそさらに美味しくなる。生ぬるいよりも、冷たい方が美味しい物は多い。
「楽しみか危険を与える事が、集中を産み人間に成長を与えます」
「アーネス殿は危険でしたの?」
「そのどちらも」
向けられる目に殺意が混じる事もあった。
事故と見せかけて殺そうとした連中がいた理由は、今なら理解できる。
「もしもハーネスが存命であれば、私はハーネスになっていたでしょうから。
こうして異国まで来て、高貴なるお方とこうして話を出来るのは、私にとって奇跡の積み重ねです」
クレアには感謝していた。彼女がいなければ、アディスの心は存在していないはずだ。
「その上、神子の教育など、実に面白い」
「面白い、ですの?」
「面白いと思わなければ動きません。
したくない事は誰に頼まれてもしない主義です」
例外はクレアとセーラとネルフィアだけだ。
「私は既に多くの弟子を育てましたが、悪魔と神子のような逸材は未だかつてありません。実に面白い。
なぁ、マデリオ」
笑みを向けると彼は頷いた。
なにが面白いのか分かっていないが、雰囲気に飲まれて頷いたのだ。
「マデリオが貴方のような方を見習って育ったら、さぞいい男に育つだろうな」
言葉少なかったマリス王が初めて名乗りと相づち以外で口を開いた。
「楽しみだ」
男色の気でもあるのか、稚児趣味か、マデリオを息子のように見ているのか、温かい目を向けた。
「光栄です」
それ以外に言葉が出なかった。
そしてなぜか沈黙が落ちた。アディスは気まずさを隠し、組織の長らしく気取ったまま唇を引き結ぶ。
「こ、これ美味しいですよ」
沈黙を破ったのは、無邪気な振りをして、笑いながら袖を引っ張るセーラ。アディスは彼女に笑みを向けて、頭を撫でて場を和ませた。
「ああ、美味しいね」
今回は突っ込んだ話しをせず、その程度の会話が続いた。
「陛下は、マデリオを我が子のように慈しんでいらっしゃる。
亡くなられたご息子と少し似ているから」
会食後の、アスベレーグの言葉でアディスが少しだけ安心したような顔を見せた。
聖良はアディスの膝の上で撫でられている。
アディスがこうするのは、退屈な時かストレスを発散させる時が多い。
「陛下はいい人だ。ちょっと無口だけど。ララも飼っていいって言ってくれたし」
マデリオが言うのだから、いい父親をしているようだ。
ララは最初に提案したとおり、最低限の躾をアディスが引き受ける事になった。それで人を襲わないのであれば問題ないのだそうだ。
「そうですか。それはよかった。慕われる保護者がいるのは、子供にとってよい事です」
男色疑惑、ショタコン疑惑はほとんど晴れて、アディスは適当な事を言う。
この国の王が幼い悪魔に懸想するほど愚かでないと、聖良は信じたかった。
エスカは大きい子猫のララと遊んでいる。しばらく会えないからと、一緒にお風呂に入ろうとしたほどだ。
もちろん止めた。
ペットと主は適切な距離を取らなければならない。
「ユイくん、ララはどれぐらい大きくなるの?」
「個体にもよるけど、ロヴァンよりも大きくなるような……。
一般家庭で買うのは難しいなぁ」
さすがに正確なサイズなど知るはずもなく、曖昧な答えだった。
「そんなに大きくなるの!? すごいね!」
エスカは嬉しそうだ。
「でも、賢いから懐けば噛んだりしないし、可愛いよ。悪魔がいれば間違いなく従うし」
「最初の躾が大切って事ですね」
聖良は餌の事や、トイレの躾けなどについて考えた。外は寒いし、家の中で飼う事になる。しっかりと躾けないといけない。冬場にカーペットの洗濯はしたくないのだ。
「一通りの躾けとなると、一ヶ月ぐらいはかかりますね」
「では、一ヶ月後にまた来ましょう。それまでには使えるように仕込んでおきます」
心配なのは、ロヴァンが苛めたりしないかどうかだ。
ロヴァンはアディスが怒れば素直になるので、まず間違いはないが、子猫が相手なので心配だった。
「モリィ、餌の事なら大丈夫ですよ。魔物ですから、もう肉も食べられます」
「そんな事は心配していません」
「え、しかし君が悩む事と言ったら……」
「トイレの躾けに悩んでるんです! 何で全部食べ物に結びつけるんです!?」
アディスがああと頷いた。
「そんな事は私に任せていればいいんですよ」
子猫を脅して言う事を聞かせるつもりなのだ。
緊急性のあるトイレだけは、それにも目をつぶる事した。
それ以外はロヴァンと同じようにするだけだ。
「俺に何かできる事はないのか?」
マデリオがアディスに尋ねた。何かとは、エスカのため、ララに出来る事だ。
「マデリオは森にでも行って魔物に慣れてくるのもいいのでは?」
悪魔相手だからこそ言える言葉だった。
「出来るからと油断するよりは、体験してくれる方が身に付きます」
「そっか。楽しそうだな」
「楽しめるのは良い事です。魔物を気配だけで従わせるほどの魔力の使い方が身に付けば、悪魔としても質が上がります」
マデリオは特訓内容が気に入ったらしく、嬉しげに頷く。良識ある大人達は、そんな提案をした事がなかったのだ。
良くも悪くも、彼らはマデリオを子供として扱っていた。
聖良の目から見たら、アディスにとっては都合がいい事だ。
教えることで尊敬という影響力を残しておける。
そういう打算含めて、アディスは教育をする。
そういう運だけは、恵まれているのがアディスだ。それなりにいい結果となるのだろうと、何をしても不運な聖良は、少しだけふてくされながら思うのだった。




