16話 エンザ10
アディスが地下に到着すると、エリオットがイーリンを揺り起こしているところだった。
「エリオット、どうしました」
「この人がここで倒れてて」
倒れているイーリンの姿を見て、レンファが狼狽してアディスを押しのけ前に出た。
「イーリンは無事ですかっ」
「薬で眠らされているみたい。でもセーラはいなくて、行方を聞こうと思うんだけど」
エリオットもかなり冷静さを失っている。繊細な魔術が苦手だから仕方がない。
アディスは呪文を唱えながらイーリンに駆け寄った。
エリオットの苦手な解毒魔術をアディスがかけると、イーリンは小さく呻いて瞼を振るわせた。
「……ん……ここは……ワニっ、ワニは!?」
イーリンが奇妙な事を口走って飛び起きる。
「あれ……生きてる」
「ど、どうしました。セーラは一緒ではなかったんですか?」
「セーラ! 大変! セーラがワニに、ワニが変質者になってっ」
意味がさっぱり分からない。
ワニという単語が理解できなかった。
「ワニとは何ですか」
「ワニって……ワニって……トカゲのゴツイ奴です。それがゲームのモンスターみたいに天井に張り付いてて、落ちてきて、人間になったんです。裸の変質者」
意味が分かるような分からないような、微妙な線だ。
「トカゲが人に……まさか、鱗人が?」
「鱗人とはなんですか?」
驚いたアルテに、その単語の意味も知らなかったアディスは尋ねた。
トカゲ人、リザードマンという意味か。それにしては、イーリンの言葉が理解できない。
「鱗人っていうのは、獣人の爬虫類版みたいな感じです。獣人とはすごく仲が悪くて……それがどうしてセーラを。僕らの誰かならまだ理解できるのに」
ならばセーラはその種族にはまったくが関係ない。獣人と似た生物が、魔術師を誘拐する意味も分からない。
ではなぜ、執拗に狙われ、誘拐されるのか。
「そ、そういえば、あのワニ……変質者……りんじん? 達は、セーラの事を知っているようでした。恩人がどうとか」
恩人。
アディスはセーラがそんな種族に恩を与えたという話しは知らない。人の姿をしていてたとしても、恩人とまで言われるほどの事をしていた記憶はなかった。
「傷を治してもらったようなことを言っていました」
セーラは目の前で誰かが怪我をしていたら手当ぐらいはする。人としての常識だ。
「ひょっとして、あれじゃないかな。グリーディアの」
ユイが指立てて、気まずそうに言う。
「グリーディアの?」
「ほら、ミラに腕切られた人。どうやって国に入ってきたか問題になってたけど、人間でなかったら方法はいくらでもあるよ。鱗人なら、知り合いの使い魔にいるし」
どんな種族かアディスにはよく分からなかったが、魔物に関してユイの見立てはかなり信頼できる。彼の組織では、ありとあらゆる魔物が飼われているのだ。
悩んでいると、レンファが何かに気づいて床を調べる。
「濡れている」
「鱗人さんは水辺に住んでいるものねぇ」
アルティーサがいつもののんびりした調子で口を挟んだ。
「その水が問題なのですよ。ここは地下です。ここ数日はずっと晴れていて、これほど濡れるような要素はありません」
レンファが水をたどろうとしたが、さすがにしたたった程度の場所はもう乾いていた。濡れていたのは、留まっていたと思われる場所だけ。
「そうかしらぁ。水が近くを通っているから、濡れてもおかしくないと思うの」
アルティーサが壁を見ながら言った。
「水が近くに?」
「水の流れる音がするもの。川の音」
「ここからつながっている?」
耳の良いエルフの言葉だからこそ、信頼性があった。彼女が水音がすると断定するからには、近くに水が流れているのだ。
レンファは牢屋の通路を奥へと走り、突き当たりの壁を確かめる。そこにはセーラが作ったらしき光りがあるので、よく見えるはずだ。
「湿って……鍵が開いている」
レンファが一番奥の牢屋に入ったので、アディス達も追った。牢屋の前に来ると、アディスは光りを作った。するとより濡れた場所がよく分かるようになって、レンファがその辺りを探った。
「ここか」
彼がそう言うと、隠し扉がひらいた。
ここは王宮。万が一の時、逃げるために隠し通路ぐらいはあるのも不思議ではない。
「レンファ様、ここは?」
イーリンがレンファの後ろから覗き込んで問う。
「水路です」
「水路? それがどうして牢屋とつながっているんですか?」
「脱出用の水路ですが、ここにも出入り口があるとはしませんでした。この地下牢は元々あまり使われていませんでしたから、何か別の思惑があって作ったのかもしれません」
水路を明かりで照らし、地下を流れる水を見る。
「出口は?」
「この水路は町中を通り、海に出ます。この水路の中の事は詳しく知らないのですが、迷路のようになっているそうです。ハーネス殿が生きていた時代のグリーディアに頼んだと聞きました」
「うわ、最悪っ!」
それに近い下水道を利用している、その複雑さを最もよく知るエリオットが天を仰ぐ。
「脱出のための基本的なルートだけは、一度下ったのですが、道の見方を知らなければ、普通なら迷って死ぬでしょう。水を好む鱗人だからこそでしょうか」
「これだけびしょびしょなら、泳いで来たって事だよね。船はないの?」
エリオットが問うと、レンファは頷いた。
「あります。おおよその場所は分かります」
「兄さん、壁を見ていて。これがグリーディア式なら、どこかに簡易的な地図が隠れているから。複雑な物じゃないから、兄さんなら見えると思う」
「分かりました」
レンファについて水路脇の道を歩く。
エリオットが眼鏡を掛けてすぐ脇の壁を見ていたので、アディスは反対側を見た。
「ここの船はやつらに使われているようですね」
レンファが足を止めて、船をつないでいたらしき場所に触れる。ここまでは水がしたたっている。
「でも地図があったよ」
エリオットが指さした場所を覗き込む。
この水路とは別に、下水道もあって、かなり複雑な迷路になっている。
誘拐犯もおいそれと地上には出ることはないだろう。地上では検問がある。
「マンホールは鍵がないと開かないみたいだけど、内側からなら壊すの簡単だからな……。
穏便に町から出ようと思ったら、出口は限られてくるね。ここと、ここと、ここ」
このような地図を見るのは初めてで、アディスには指されても理解できない。
「地図がここにあるんですか?」
「ああ、鍵がないと普通の人には見えないのか。
これで見えるよね」
首をかしげるレンファのために、エリオットが鍵穴に触れた。すると注意して見なくても、はっきりと見えるようになった。
「なるほど。鍵はこのような使い方も出来るのですか」
レンファは地図と、懐から取り出した方位磁石を見比べる。彼は町中なのに、実に妙な物を持ち歩いている。
「鱗族だから、海に出る可能性もありますね。近くに別の船があるようですから、そちらを使いましょう」
「レンファさんはここまでです。地上から軍なり警察に指示を出してください」
非戦闘員を長く連れ回すわけにはいかない。足手まといだ。
「そ、そうです。レンファ様、あいつら、あの壁の原料とか機密性の高い物を盗んでいったんです。警察も大々的に動かせるはずです。そこの部屋に運べなかった物が少し残っています」
「そうですか。イーリン、よく知らせてくれました」
国の機密を盗まれたようだ。セーラ一人のためではない。ならば借りばかりではなくなる。
「あとこれを」
「これはセーラさんのペンダント?」
「目印です。エリオットを帰す時の」
彼はそれだけで理解して頷いた。
「首にかけて、天井の高い場所にいて下さい」
「天井?」
「この子は転移は出来ますが、遠見の力はありません。分かりやすい目印があったとしても確実に何もない空間が必要です」
エリオットを見ると、嫌そうにしながらも頷いた。彼にとっては命がけだ。もしもセーラのためでなければ、絶対に引き受けなかったはずだ。
「頑張るけど、天井の低い場所には絶対にいないで。可能な限り椅子に座って、ドアを出る時は匍匐前進」
「匍匐前進、ですか?」
「もしもその時に移動したらどうするの。僕は死ぬよ。僕は同時に色々出来るような技術はまだないの」
公に練習出来ない上、失敗すれば命に関わるので、練習をしたくても出来ないらしい。
「わかりました、可能な限り、動かないで指示を出します」
「戻って指示出したら、とりあえずトイレに行っておきなよ。座っててもトイレに出るとか嫌だよ」
「そうですね」
レンファは顔を引きつらせて頷いた。
「ひょっとしたら地上に逃げてるかもしれない。マンホールはこれぐらいで、人が落ちたら死んじゃう高さだから、気をつけるようにお触れを出しながら情報を集めるといいよ」
「わかりました。では、私はこれで……ところで、この方は?」
アディスも今まで気にしていなかったが、知らない男が混じっていた。
アディスよりは小柄だが、エリオットよりも少しだけ背の高い、長髪のキザったらしい男。
「事情を説明したらここまで案内してくれたお兄さん」
「そうですか。ここから先は危険なので、戻りましょう」
帯剣しているが、邪魔と判断したのか、レンファは笑みを向けて言う。
「ああ、お気になさらず。まったくの部外者ってわけでもないんで」
男は手を差し出した。その手に変化が起こる。見る見る間に毛が生えたのだ。
「獣人……」
「ああ。これ以上は服が破れるからやらないが」
「なぜ獣人が」
「この獣人のお嬢ちゃんも言ってたけど、鱗族の匂いがしたんだよ。夜中にでも調べようと思ったら、これだろ。ほっとけなくてさ。可愛い子もいるし」
彼はちらとエリオットを見た。
今のエリオットは、いつもの女装よりはよほど可愛らしい。エリオットは無言で眼鏡を外し、表情一つ変えずに明後日の方向を見ていた。
「とりあえず、水路でも匂いの流れは分かるから行くよ。鱗人の匂いは、ガキの頃に覚えさせられから、分かりやすいんだ」
リーザが驚いて、くんくんと鼻を鳴らした。
「分かりました。お願いします」
レンファが頭を下げ、イーリンを連れて走って戻った。当たり前のようにアルティーサもいるが、目当ての獣人が見つかった今、帰れとは言いにくい。
ようは、セーラさえ取り戻せればいいのだ。この獣人が使えるなら、それでいい。




