16話 エンザ 1
聖良はお玉を持って振り返り、床で寝そべる竜と魔獣とエルフ達を見た。
人間の姿をしていない竜達はともかく、エルフ達が床に混ざっていると、もの悲しくなった。
エルフというのは家の中で火を焚くストーブなどの文化がないらしく、温かい部屋に夢中になって、ここに居着いてしまった。
土足禁止にしているので、毛足の長い暖かいカーペットを敷き詰めたのがいけなかったのか、それ以来、ここは人外魔境の家となった。
皆に寝てもらうためにカーペットを買ったのではないのだが、ここは彼等の寝床になっていた。
楽しんで選んだカーペットの上に彼らが敷き詰められている様を見ると、聖良はいつも悲しくなる。
「お母さんとロヴァンはともかく、ラゼスさんまで……」
「上よりも居心地が……」
ネルフィアの頭部を腹に乗せたラゼスがのんびりと言う。
「いいなぁ、人間は。簡単にこんな物を買えて」
「これは高級品だから、人間だから簡単に買えるわけじゃありません」
聖良は簡単に言うラゼスの勘違いを訂正する。
「じゃあ、アディスはまだ小さいのに金持ちだなぁ」
ラゼスはロヴァンを尻尾でからかっているアディスを見る。
アディスは尻尾を引っ込めて座ると、首をかしげた。
「お金なら竜血草でも売ればいいじゃないですか?」
「珍しいから本物だって奴が少ないし、そんなものを知識のある人間に売ってたら、自分が竜だって宣伝するようなものだよ。神殿の近くの村はまだしも、この国だと怖いんだ」
「ああ、なるほど。商売相手がいないんですね。あんな物を売買できるほどの商人は、簡単に知り合うのも難しい」
アディスは納得したらしく、再び尻尾をぺたぺたと動かす。
「あれは神殿が独占しているから、下手に大量販売すると睨まれるよ。神殿でこそやっちゃダメだ」
神殿に提出するレポートを書いていたユイが顔を上げて忠告する。
まるで冬休みの宿題をする学生。神子も大変らしい。
「私は知人経由でレンファさんに卸す予定なのですが」
「ああ、あの人なら大丈夫だと思うよ。世界有数の商業国だから、神殿もおいそれと口を出せないんだ。お金の力は偉大だよ」
さすがは王が社長をしている国だ。金の力とは信仰にも拮抗するのである。
「なるほど。ああ、そうそう、人間のアディスが関わっていることは内密にお願いします。
別人に変装して関わっているので」
「別人?」
「ええ。ユイ達に隠しておくと、墓穴を掘りそうなので告白しますが、人間のアディスはあの術を使っていろいろと表沙汰に出来ない活動をしていました」
「活動?」
「魔術研究目的の結社を作ったりと。
レンファさんとは、そこの魔薬部門で取引をします。
国内で売るのではなく、国外で売る分には、クレアの目がこちらには来ませんから。
純粋な研究資金のためなので、内緒ですよ? クレアは怖いんです」
ユイは素直に頷いてくれた。
彼はミラが人間らしくしていれば、大概の事には目をつぶる。
「アディスは活動的だなぁ。そういうところはネルフィに似たのかな」
「…………」
純粋な父の言葉に、アディスは困ったように尻尾を丸める。
どちらにも似ていないが、ネルフィアの行動力と同じにして欲しくはないようだ。
「そうですね。アディスはそういうところ、お母さんに似てるかもしれませんね。
強引だったり、我が道を行くところとか」
ネルフィアが不機嫌にならないよう、聖良がフォローをしておく。
しかし彼女はよほど気分がいいのか、まったく気にしていない。
カーペットの上でごろごろするのは、それほど気持ちがいいようだ。
「アディス、食事の準備が出来たから、ハーティを呼んできてください」
「どこにいるか分かりません」
アディスが行き先を知らないのは珍しい。
彼女は出ていく時も報告してから出ていくのだ。
「いつ帰るか聞いてます?」
「さあ。ダイエットだそうですよ。最近はずっと大人しくしていたからと」
聖良は衝撃を受けた。
竜ですらダイエットしているのに、聖良は作って食べて寝ての毎日。
心なしか下腹が出てきたような気がする今日この頃。これでは女として終わってしまう。
「わ、私もっ」
「ダメです。寒くなって餌が無いから、魔物も気性が荒くなっています。セーラが外に出たら、襲われますよ」
「うう……」
それが問題だった。
部屋の中はこの調子で、ストレッチをしようにも、場所がキッチンしかない。
「それに、セーラは今ぐらいがちょうどいいんです。もう少しぽっちゃりしても可愛いですよ」
「幼児体型がいいだけでしょう。私はくびれとか、そういうのが欲しいんです!」
「ちょっと下腹が出てるぐらいの方が可愛いのに」
出たのだ。他人が見て分かるほど出たのだ。くびれが無くて下っ腹が出てるのだ。
「ミラさん、午後からはお散歩行きましょう」
「寒い」
聖良は断られて少しだけショックを受けた。
「あ、魔術かければいいじゃないですか。ミラさん、このままだと鈍っちゃいますよ?」
「ん……」
「太りますよ。太ったら、今のように動けませんよ」
「んん……わかった」
ミラを説得すると、聖良は満足して昼食をテーブルに並べた。
スープとパンに野菜とキノコとベーコンを炒めたものを挟んだだけだが、田舎を通り越しているここでは、これでも十分なご馳走である。
「冬になって、食料調達が大変になりましたね。小麦に頼るから、小麦の消費が早いです」
ハムやベーコンはユイとハノが作ってくれたものがある。小麦もたくさん買ってくるが、二人だけならともかく、人数が多いので半月も持たない。街に行くたびに買ってくると、他の物が買えない。
「フレアが運んでくれればいいんですが。しょっちゅう来るのに、気が効かない」
「彼がそんなものを買ってたら目立ちますよ。
ハーティはダイエットなら食べないかも知れませんけど、戻ってきてお腹がすいてるなら余ってるパンとスープを食べてもらってくださいね」
聖良は床に座って言う。人数が多いので、低いテーブルを作り直したのだ。椅子を使っていたら、邪魔でしょうがない。本当はコタツ風にしたいのだが、そんな物を作ったら、本当に誰も動かなくなる。ヘタをすれば争奪戦か。
転がっていた皆はのそのそと動きだし、ロヴァンは床の餌を入れた皿に向かう。彼もすっかり飼い猫だ。犬というほどの忠義はないので、猫の方が近い。
「じゃあ、いただきま……」
ドアが開いた。
ハーティが帰ってきたかと思って見れば、派手な女装の赤毛、フレアだった。
「あら、良い匂い」
「寒い!」
アディスの一喝で、フレアはドアを閉めた。
「私も食べるぅ」
「じゃあ、これをどうぞ」
聖良は自分のパンを譲った。
動きもしないで食べては太るだけ。
「セーラのじゃないの?」
「太ったんで」
「あら、セーラはそれぐらいで可愛いじゃない」
「なんでアディスと同じこと言うんですか」
「可愛いものは可愛いの。同じに決まっているわ」
聖良はため息をつき、自分の食事を差し出す。狭い部屋がますます狭くなった。
「でも、食欲が失せました。スープは夜の分も作ったので、たくさんあります。どうぞ」
聖良は自分のスープをつぎ直し、カーペットの上に戻ると、鶏肉でダシを取ったスープを飲む。
「で、フレア。今日は何をしに来たんですか?」
「もう、アディスったら冷たい。用がなきゃ来ちゃいけないの?」
「平日の昼間から理由もなく来ているなら叩き出します」
フレアはぶぅと頬を膨らませる。
「レンファが、飛行船に乗らないかって言うから、誘いに来てあげたのに」
「行く」
全員が口を揃えて言った。ネルフィアまでもだ。
アルティーサなど意味が分からず行くと言ったのだろう。
「トロアが言ってた空飛ぶ船だろ。乗りたい!」
珍しく子供のように目を輝かせてラゼスが言う。
「貴方、飛べるじゃない」
「それとこれとは別。人間は歩けるけど馬に乗るだろう」
フレアは腕を組む。
「アーネス達を呼ぼうと思ってたのに、全員来るの? どうする? そっちの三人は顔知られてるから、アーネスの知り合いですってのは無理があるし。
かといってアディスを連れていけば、竜達をどう説明するか。
エルフなんてもっと部外者だけど……この前興味を持っていたから、どうかしら?
ご近所さんってのに嘘はないし」
「そうですね。どうし……」
アディスはミラとネルフィアの視線で口を閉ざした。二人の視線は、喉元に包丁を突きつけられているような脅迫感を覚えるのだ。
「トロアさんはこの前一緒にいたし、トロアさんの幼馴染み一同ということで。
アディスも竜に関わっているのは知られていますし」
アディスは一瞬で折れた。あの二人相手では仕方がないが、もう少し抵抗してみればいいのにと聖良は思う。
「参加人数多いわねぇ。私入れて十三人。ロヴァンは……さすがにお留守番ね。どうせただ住み着いているだけだし」
「アーネスも誘う予定だったのなら、クレアは参加しないのでしょう。
最悪の人物が来ないのなら、なんとか」
「そうねぇ」
「問題があるとすれば、セーラの事だけです。それほど愚かとは思いませんが」
「そうねぇ。でも男女の事となると人が変わる人もいるのよねぇ」
フレアは訳知り顔で頷く。
その化粧された綺麗な顔を見て、聖良は兄とは仲直りしたのかとか聞きたくなったが飲み込んだ。そのかわり、もう一つの疑問をぶつける。
「フレアさんは男装女装、どっちで行くんですか?」
「アディスに合わせるわよ」
フレアの方が気楽に楽しめそうだが、エリオットで行くようだ。
「ああ、往復だけでも一週間以上かかるから、準備はしておいてね」
「ちょっと遊覧するだけじゃないんですか?」
「本国との往復だそうよ。そっちはどうせ暇だから良いでしょ。
どうしても嫌なら少し乗ってから帰してあげるけど、アディスとセーラは最後までいた方がいいかしら。今後のためにも」
確かに彼等は暇だった。生活する以外していない。とても暇なのである。
フレアはそれをよく知っている。
「また旅行か。確かに旅行になると……不安だな。この前は神殿だから大人しくしていたけど」
トロアがネルフィアを横目で見た。
彼女の事が一番心配だった。ミラも心配だが、彼女には絶対的なストッパーが存在する。よっぽどの事がなければ大丈夫だ。
「なら、ちょっと乗ったら帰ればいいじゃない。
どうせトロアは疑われているから、セーラの事もあるし竜だとバラしたほうが得策じゃないかしら」
「確かに」
ヘタに隠すとボロが出る。トロアぐらいは隠さなくても良いだろう。彼は人間にしては奇行が目立つ。
「それが一番だと思う」
ラゼスがネルフィアを気にして頷いた。下手に連れていくのも恐いし、乗せないのも恐い。
そんな本音がかいま見える言葉だ。
「僕らまでいいのかな? 途中で帰るにしろ、母さんが人里に行くなんて……」
今まで黙っていたアルテが不安そうに尋ねる。エルフは帽子をかぶれば人間にしか見えない。
その耳での不安はないだろうが、鈍い天然母を持つ彼は、とても心配そうにしていた。
「君は良いですよ。先方がリーザさんを見てみたいようでした。もちろん毛皮を剥ぐとかとういう理由ではなくて、国では神聖な存在とされているようです」
アルテはきょとんとするリーザを見た。
「アディスはこれからどこに行くの?」
リーザの問いに彼はテーブルに置いた皿とカップを動かした。
「皿がこの大陸、ここに竜の島があるでしょう。それよりも向こう……この辺りにあるエンザという島国ですよ」
その説明で、聖良にもおおよその位置関係が分かった。
グリーディアの東南東にあるようだ。
「エンザ……母さん、確かリーザが生まれた国だよね」
「そうだったかしら?」
「そうなんだよ」
尋ねたはずの息子は言い切った。
母よりも息子の方がよく覚えているようだ。
時々忘れてしまうのだが、彼の方が兄なのだ。
妹が生まれた頃を知っているのは当然である。
「お父さん、生きているのかな?」
「さぁ」
「……」
親子の会話は空回っていた。
アルティーサとの会話は、聖良も疲れるのだが、息子でも同じように疲れるらしく、沈痛な面持ちで額を押さえた。
「前から気になっていたのですが、あなた方はなぜこの国に? エンザにいたのなら、どうやってここまで……」
ついに、アディスが謎の多い親子に尋ねた。
聞きたくても聞きにくい雰囲気で、聖良も聞いた事がなかった。
「鳥に乗ってきたんだ。本当はお父さんも一緒に暮らすはずだったけど、やっぱり気になるって。しばらく危ないからここに住んでいろって出ていったきり、戻ってこないんだ。
ここは人間が来る事はないし、魔物ならリーザがいれば寄ってこないし。それからずいぶんたつから、お父さんは死んだんじゃないかって。
僕はともかく、実の娘もいるから、捨てられたなんて思いたくないから」
アルテはエルフとの子だ。どういう経過で子持ちのアルティーサがリーザの父と出会ったのかは不明だったが、母親とその気質を受け継ぎ気味の妹はのほほんとしているので、一人しっかりした彼だけが深く悩んでいる。
真面目すぎると損をするのは、どんな種族も同じようだ。
「じゃあ、いっそのこと、一緒にお父さん捜しでもしたら?
帰りたければ私が送るわよ。何か事情があるかも知れないし、ないならないで、未練が残らないように現状を知っておくべきよ」
フレアがまともな提案をしてた。
彼は父親にも恵まれていない。だから他人の父親の事が気になるのだ。
「父親か。心配だねぇ。あたしらも手伝うか?」
戻る事に異論を唱えていなかったネルフィアが、唐突に大きなお世話な事を言い出す。
「成竜が来たら、情報を仕入れようにも、出てきてくれる者も出てきてくれなくなるわよ」
フレアが心なしか青ざめて首を横に振る。
「肝の小さい男だね」
「情報を持っているのが男とは限らないけど、警戒心が強いのは当然じゃない。
私だって、知らない竜に近づくのはいやよ。食べられるかも知れないもの」
竜は知能の近い生き物を食らうという面もある。ネルフィアの場合、いかにも無差別に食べそうだ。
「とりあえず、帰ったらレンファに聞いておくわ。あとで妖精を寄越すから」
「妖精!?」
聖良は驚きのあまり腰を浮かせていた。
「妖精なんているんですか!?」
「いるわよ」
「ど、どんな?」
「妖精なんてピンからキリまであるわ。例えば、地面に同化して通りかかる人を食べちゃう形のないのも妖精扱いされているし。
わけの分からないものはみんな妖精」
聖良は夢を即座に投げ捨てた。
謎の生命体とは出会いたくなどない。
「メッセンジャーにするには、形のない妖精が向いているの。
支配して裏切れないようにしないといけないから、メッセンジャーは少ないのよ。
召喚が得意でも、支配できないと意味がないし、召喚主以外が支配しても、また同じ個体を召喚できなければ意味がないわ。
ちゃんと繋がりを作れないと、同じものを召喚できないの。
しかも相手は竜。生半可な妖精じゃ怯えて自らの身を裂いて支配から逃れたり、自滅しちゃうわ。
だからクレアがここに連絡を取れないのよ」
聖良はへぇと感心した。
「ああ、もちろん私なら妖精ぐらい送り込めるわよ。でも、直接来た方がセーラに会えてお得だもの。ただ、連日ってのはきついから」
聖良は妖精を想像して、首をひねった。
「セーラ、妖精っていうのは、普通の生き物ではないんだ。
魔力は空気みたいなもので、それに匂いが混じるようなものなんだ。
刺激のある匂いって、目も痛くなったり耐え難い場合もあるし、そんな感じみたいだよ」
悩む聖良にユイが教えてくれた。しかしますます理解できなくなった。
「神子の支配を受けているとだいぶマシみたいだけど、竜を支配している人は妖精の類に怯えられたりするよ。足の速い妖精は弱い場合が多いから」
「なるほど」
誰もこの場所に詮索に来ないのは、そういう理由もあったのだ。
この世界でも、遠距離との連絡手段が全くないと言うわけではなかったらしい。
可愛い妖精はやはり諦めるしかない。世の中、そんなに都合よくできてはいない。
生活の苦労もなく、欲しい物は手に入り、旅行にまで行ける幸せを自覚して、大きなロヴァンを撫でるのだけで我慢をする事にした。
それでも、大きな子も可愛いが、小さな子も欲しいな、などと思ってしまう。
なんて贅沢なのだろうか。




