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14話 空からの訪問者 5

5


 招かれたそこは、聖良に恐怖をもたらす光景が広がっていた。

「どうです、セーラさん。今夜の準備でごたごたしていますが、置かれている品は美しいでしょう」

 並べられたグラス、食器。それらを女性がチェックして回っている。

 ごたごたしているというのは本当だ。それが聖良には恐ろしい。

 全部高そうなのだ。

 通路には高そうな壺が置いてあるし、床にはこれから飾るのであろう絵のような包みが壁に立てかけて置いてある。

 それらの間を抜けるため、聖良は緊張した。

「こ、恐くて足が震えます」

 聖良は運が悪い。少し動いただけで皿を割ってしまうなどという事は珍しくない。

「セーラ、これだけ距離があるのに何を言っているんですか。セーラが転んだとしても、小さなあなたがテーブルまで飛んでいく事はありませんよ」

 それはそうだ。大男なら危ないが、聖良は小柄だ。届くはずがないと分かっている。

「でも、私、昔から食器屋さんが恐いんです。壊しそうで。弁償も出来ないし。ああ、なんか気持ちが悪く……」

「セーラ……だっこしてあげますから、怯えないで下さい」

 アディスに抱き上げられて、聖良は大人しく彼にしがみつく。

 イヤな事ばかり思い出す。

 そんな聖良を、アディスの後ろに立ったミラが、不思議そうに覗き込む。

「セーラ、心配しすぎ」

「でも、うっかり転んだら思うと」

「私の方が壊すの得意」

 それはそうだ。彼女は破壊神で死神のようなものである。殲滅の悪魔なのだから、彼女ほど破壊が得意な人間はそうそういない。

「うっかり壊すならともかく、わざと壊すのはご遠慮くださいね、ミラさん。ミラさんの事は、しっかり監督をお願いいたしますよ、ユイ様」

 レンファがユイに釘を刺す。

 彼女が危険人物だということは調べればすぐ分かる。もちろんユイとハノは彼女が反射的に暴れないよう、常に彼女の手を握っている。ミラは両手を握られ、間違っても暴れないようにされているのでストレスが溜まっている。それでも我慢するのは、美味しい物を食べさせてくれるからに過ぎない。

 もう一人心配なトロアだが、出会い頭以外では暴れないので、ミラよりは信頼できた。聖良が言い聞かせたせいか、割れ物に興味は持っても、触ろうとはしていない。

 昨日まで一緒にいたハーティは、ディアスとどこかに行って帰ってこない。箱庭だろうと、アディスは気にしていない。聖良はハーティが無理矢理何かされそうになるのを恐れたのだが、アディスはその点でもディアスを信頼している。

 万が一の時、さすがのハーティも無抵抗ということはない、抵抗したら人間の力では勝てない腕力があると分かっているから心配する必要はない。

「手、邪魔。暴れない。離せ」

 ミラは両脇の二人に文句を言い、聖良は苦笑した。自分の力で人間にとけ込んだしっかり者のハーティよりも、目の前にいるミラの方がずっと心配だ。

 ミラがいなくなったのなら半狂乱になって探さなければならないが、ハーティなら大丈夫だ。

「セーラさんは前に何か壊した事があるんですか」

 レンファがくすくすと笑いながら問う。

「…………とりあえず、まだ取り返しのつかない壊し方はしていません」

「今日を取り返しのつかない日にしないように気をつけましょうね」

 アディスはレンファが何か言う前に話に切りをつけた。

 人の事を言えないくせに笑っている。

 彼は才能と金運にすべての運を持っていかれているため、物を壊して破産なんて事にはならない。だからこそ彼は余裕を持っている。

 レンファが笑みを顔に貼り付けながらも、不思議そうに見ているが、勝手に想像していればいい。彼の中に『ただ運が悪いだけ』という発想は出てこないだろう。

 危険地帯を抜けて別の部屋に案内されると、聖良は生きた心地を取り戻す。ただし、壁には高そうな絵があったり、高そうな壺に豪勢な花が生けられたりと、危険はまだ存在する。

 薦められるがままに椅子に座ると、さらに落ち着く。

「セーラ大袈裟。たかがガラス」

「たかがガラスが高いんですよ。あんな安いガラスなんてありませんよ」

 聖良が言うと、ミラは首をかしげた。

 壊れやすくて役に立たない物だと思っているのだ。

 安物の焼き物と同列に考えているのだ。

 聖良の生まれ育った日本では、安いガラス製品はたくさんあったが、いいものになるとやはり高かった。この国ではもっと高い。

「誰か、お客様がいらっしゃった。あれをお持ちしろ」

 レンファが手を叩いて命令する。

 聖良達が入ってきたのとは別のドアから、カートを押した女性が入ってくる。化粧は濃いが、見栄えのいい女性だった。背は高く、すらりとしている。この国の好みに合わせて連れてきているのだ。

 アディスは彼女には目も向けず、並べられた香辛料を眺める。

 原型をとどめた物と、粉にした物がセットで置いてあった。

 それらをすべて並べ終えると、今度は別の男性が料理を運んできた。試食用なのに、飾り付けはしっかりとされている。料理のほとんどはシンプルな前菜風や炒め物だ。

「他に人はいないんですね。もっとたくさん人が来るのかと思っていました。」

「はい。皆様方ともう何組かは商談のためにお早めにお招きていますが、本番は夜ですので。ああ、他の客人達は部下が応対しています」

 部下に丸投げしてまで聖良の気を引きたかったと。

 好かれるのは悪い気はしなかったが、人妻でも諦めないのは少し重い。

「こちらの料理は、この国にはない物で作られたものです。少し癖があるかもしれませんが、宮殿の料理長はあなたなら斬新な方法で口に合う物にするだろうと推していましたよ」

 城の料理人達とは親しくしている。色々な料理を教えてもらったり、教えたり。知り合いだから大袈裟に話したのだろうが、それが聖良を招く立派な口実になってしまったようだ。

 戸惑っていると、レンファは聖良のために料理を皿に分けてくれた。

 料理にはまったく罪はないし、料理長が恥をかかないためにも、恥ずかしい事は出来ない。

 香辛料の掛かった肉を口に入れる。

 肉は美味しい。それ以上に、驚いた。

「ぴりぴりします。美味しい」

「それはこの香辛料ですね」

 さじを受け取り、手に乗せて舐める。

 胡椒と唐辛子の中間の辛みが美味しい。水を飲んで、他の香辛料も味見をした。同じ辛い香辛料が使われた料理を他にももらい、嬉しくなる。

「何にでも合いそうですね。これ、凄く好きです」

「ええ、こちらは貴重な香辛料で、この国では国王陛下のような方の口にしか入らないでしょう」

「どうりで見たことがないと思いました」

 喜んだつかの間だ。

 胡椒のような物はあるが、唐辛子のような物がないため期待したのだが、高いならだめだ。安価でなければ、新作料理を作るのも恐い。聖良は貧乏性なので、ケチってろくな料理にはならない。

「辛みが強くてお安い調味料はありませんか?」

「セーラさんは珍しい方ですね。辛い物がお好きですか。この大陸ではこういった辛味のおいしさを理解する方は少ないのですよ」

「慣れていないからですよ。慣れれば半分ぐらいの人は好きになりますよ、きっと」

 中華やカレーはどの国でも、ある程度受け入れられるはずだ。

「そうでしょうか」

「だから徐々に慣れていかないと」

 アディスは高い香辛料を舐めて顔をしかめている。

「ほんと、辛い物は慣れていないみたいですね。お料理の方は控え目で美味しいですよ」

 アディスもトロアも料理は普通に食べれたので、やはり控え目なら食べられる。トロアなどは刺激が気に入ったらしく、ミラと料理の奪い合いを始めたので、聖良は慌てて二人を止めた。

 均等に分けていたとき、くすくすと女性の笑い声が聞こえた。

「良い匂いがすると思ったら、アディス様、お楽しみのようですね」

 水を飲んでいたアディスは、女性に名を呼ばれて振り返り、少し驚いた。

 聖良も皿を置いて振り返ってみると、いつものブティックの支配人の女性のエリータがいて驚いた。

「どうしたんですか、こんなところで」

「わたくし、生地を見せて頂に参りましたの。晩餐会に招かれていましたし、運んでもらうより、こちらに出向いた方が早いでしょう。生地よりも、デザイン画の方が軽いんですもの」

「商売熱心ですね」

 エリータはええ、と笑みを返した。

 いつもの仕事着ではなく、仕立てのいいスーツだ。スカートは長いが、動きやすそうで彼女に似合っている。

「そちらは本当に食べるのがお好きですね。今食べ過ぎると、せっかくのディナーを食べられなくなるのでは?」

「私は底なしなので大丈夫ですよ。セーラは調味料目当てですからそれほど食べません。残る人たちは知りません」

「まあ、相変わらずですこと」

 彼女は口元に手を当てて笑い、それから聖良に向き直る。

「セーラ様、お試しいただいているあれの調子はいかがですか」

 あれとは、下着の事だ。

「えと、やっぱり素材とか織り方の差かホールド感がなくて肩が凝りますけど、今まで売っていた奴や、していないよりはずっといいです」

 今までブラジャーらしきものがなかったわけではない。あの形がなかったのだ。

 パーツごとに織り方を変えるのは理解してもらった。

 合成繊維ほどのストレッチを持つ素材はないだろうが、それでもストレッチ素材が無いわけではない。

「セーラは小柄だから、よけいに苦しいようです。たくさん儲けて、開発資金を作って下さいね」

「ええ、もちろんですわ。これでファスナーの量産も出来ます」

 試しに作ってみたことは知っていたが、量産するのだ。

「アディス様も、これで懐に入ったお金はたっぷりとうちの商品につぎ込んで下さいね」

「これで?」

 今まで黙っていたレンファが疑うような目をアディスに向けた。

「セーラさんの発案だと聞きましたが、なぜ夫でしかないあなたが?」

 彼の国は、お金の事に関する男女差別があまりないようだ。日本でも、配偶者の物は自分のものと思いこんでいる人はいるが。

「発案者はセーラ様の身内の方だそうですの。その方はもうお亡くなりになっているらしくて、代わりにアディス様との契約になりました」

「なぜセーラさんとの契約ではないのですか?」

 レンファは疑わしげにアディスを見ている。

 ロイヤルティをもらっている事は知っていたし、身内が発明家とか言っておいたとも言っていたが、事前説明とか詳しい事をまったく聞いていないのは本当だ。

 疑われても仕方がない。

「セーラは私と結婚するまではこの国に戸籍がありませんでしたからね。契約は婚前の事でしたから。今は役所にも届けたので彼女も立派なグリーディア人ですが」

 婚前の事だ。

 結婚したという自覚が全くないので忘れそうになるが、婚前の事だった。

 結婚していたことにメリットはあった。デメリットはまだない。

 だから結婚したのは間違いではないはずだ。

「まあ、それがなくとも私はセーラの我が儘なら何でも聞きますが、悲しい事に最近のお願いは食べ物の事ばかりで、私が無理矢理用意しないと、可愛い服も着てくれません」

「だって、汚れるじゃないですか。本当は町中で着るのも嫌なんです。とくに雨とか、雨上がりは馬車から出たところで水を引っかけられるに違いないんですから」

 今日も雨が降っている。本当は外に出たくなかったが、幸いにもブーツと靴下に水がかかっただけだった。

「セーラ、汚されるの上手い。私がいても汚される、不思議」

「ミラ、そういうのを上手いとか……。

 本人が一番気にしているんだから、そういう事言っちゃだめ」

 哀れまれる方が嫌だったので、聖良は気にせず試食を続けた。

 とくに辛い香辛料を試した。試食を食べて香辛料を試す。

「あ、これいい」

 豆板醤のようなものがあった。炒めものに使われていて、辛くて美味しい。うまみもあって、コクがある。

「辛い」

 ミラは気に入ったようでもう一口食べる。先ほどトロアと取り合っていたのも、辛味のある料理だった。

「甘党の辛党なんですね。私と一緒です」

「セーラと一緒」

 ミラは満足げに頷いた。

 味覚に差がないのは良い事だ。ただ、子供舌のアディスがいるから、辛くないのも作らなきゃならないだが、自分だけのために特別な味を作るよりはやりがいがある。

「今度、これで美味しいもの作ってあげますね」

「うん」

 こういう時のミラは可愛い。楽しみにされると聖良も嬉しくなる。

 とろみを付ける片栗粉らしきものと、豆板醤みたいなのと甘みのある味噌がある。豆腐っぽいものはこの国にあるので、これだけあれば麻婆豆腐に近い物が出来る。

 いつかカレーも作りたいと思ったが、それにはウコンっぽい物が必要だ。あとクミン、コリアンダー、唐辛子。それ以外は分からない。同じ材料があってもハードルは高いのに、記憶が薄れかけた今、再現は困難だ。

 忘れたなら忘れたでいいのだが、いつか似たような物を作りたいと思った。

「そういえば、レンファさんの住んでいるエンザは、どんな気候なんですか?」

「エンザは南北に延びた菱形の島国で、北と南では大きく違います。都だけなら、この国とそれほど違いはありませんが、漁業が盛んで食文化は全く異なります」

「お魚。美味しいですよね。赤身のお魚大好きなんです。

 そういえば、醤油とかあるんでしょうか」

 日本風の醤油があったら、完璧だ。この国にも似たような物はあるが、高いし魚醤なので臭みがある。

「ええ、あります。次に用意してあります。種類が多いですから」

 カートに別の皿が用意してある。あれだ。

「本当ですか? 嬉しい」

 これほど嬉しい事が他に有ろうか。

 醤油こそ日本人の味。あの素材の味を引き立てる旨味を再び味わえるのかと考えると、聖良の胸は熱くなる。

「この国には滅多に出回っていないのに、よくご存じでしたね。セーラさんは本当に食通でいらっしゃる。独創的な料理を作られると聞きました。何かよいアイデアでも浮かびましたか?」

「え、まあ、はい。試してみたいことがたくさんあります」

 輸入品なら高価だ。無駄には出来ない。無難な料理ばかりになるが、それでも煮物を食べられるかと思うだけで、喜びだ。

「セーラ、今度は何を作るんです?」

「この前作った魚の節でお出汁をとって、お野菜を醤油と砂糖で味付けして煮込むんです。旨味が出て美味しいんですよ。そういえば、料理長にお願いされて節を持ってきたから、ここでも食べられるようになるかも知れませんね。ただ、魚になれていないと臭いかもしれませんけど」

 手前味噌の下手くそな節だが、それでも十分美味しかった。

「へぇ。それは楽しみです」

「おこちゃま舌のアディスには、旨味なんて分からないんでしょうけど」

「夫の味覚は母が育て、妻が育てるんです。私には味覚を育ててくれる母がいなかったから、セーラが育てるんですよ」

 聖良は肩をすくめた。

 竜の味覚を育てる。

 何を食べても美味しいと思ってくれるなら、別に育っていても育っていなくてもいいのだ。

 鈍感なぐらいの方が、楽で良い。

 それでも育ったら育ったで、可愛いものだと思えるかも知れない。



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