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12話 恋する乙女8

 目を開くと暗い部屋にいた。知らない部屋。

 いや、彼の知っている部屋だ。

「……兄さんの部屋だ」

 エリオットは周囲を見回し呟いた。

 自分は天才という態度を隠そうとしない性格のためか、アディスは優遇されてリビングと寝室がある広い部屋を使っている。

 エリオットは自分の格好を見ると、服も化粧もフレアのままだった。

 アディスがアーネスというのは、夢ではない。では、突然竜に化けたのも現実か。

 再び気が遠くなり、彼は頭を振って起き上がる。

 隣の部屋からは、セーラがキャンキャンと吼えるように、子供扱いするなとアディスに怒鳴っている。

 いつもの二人だ。

 ベッドから抜けだして、そっと覗く。

「ん、エリオット、起きたのか」

 すぐディアスに見つかってしまった。

 先ほどと同じ面子が、彼の知る姿に戻って並んでいた。セーラはアディスに抱えられている。彼女の定位置は、あそこなのだ。

「さすがに野郎一人は重かったんだぜ。

 さっきのは現実だけど、覚えてるか?」

 ディアスに問われ、エリオットは無言で頷き、ドアの陰に隠れながらアディスを見る。

 目が悪いので、裸眼では顔の作りが分からない。幸い、ここは明るいので背丈と髪型と色と雰囲気から分かる。

「兄さんがアーネスで、竜に化けてたの?」

「合ってるけど、化けたんじゃない」

 先ほどは知らない男の姿をしていたから緊張したが、今はいつものディアスだ。ただ、いつものディアスをこのぼやけた視界で見る事など滅多にないから違和感がある。

「化けたんじゃない?」

「元の姿に戻ったんだ」

 倒れそうになると、ジェロンが支えてくれた。

「とにかく座ろうか」

 珍しく優しい言葉をかけられ、素直に従う。ハトラに椅子を勧められて、彼は沈み込むように座った。

 アディスは相変わらずセーラで遊んでいる。しかしエリオットがアディスを見ると、すぐに顔を上げて、綺麗な銀の髪をかき上げた。

「ハーネスの術の中で、一番有名なのは?」

 有名と聞いて、さすがに思いついた。

「りゅ……竜を乗っ取ったの? どうして!?」

「竜の前足で掴まれて、無傷の人間なんていませんよ。身体を捨てなければならなくなる傷を、簡単に負います」

 不運な彼は、誘拐されて、瀕死で、一か八かの賭に出た。

 普通の相手なら否定したが、否定できないのがアディスという男だ。実力的にも、不運っぷりにも。

「自分が誘拐しようと思っていた竜に食べられかけて仕方なく乗っ取った!?」

「……そうです」

「自業自得すぎ」

「ほっといてください。そのおかげでセーラはこうして生きているんです。彼女も連れてこられた時には瀕死でした」

「セーラは何もしてないのに、かわいそう」

 セーラはどこをどう見ても善良な一般市民だ。召喚されるのは、世間からの必要性が薄く、いなくなっても不審がられない存在だ。その設定に異世界に澄んでいたセーラがたまたま引っかかってしまっただけで、彼女に罪はない。性別や能力まで設定できるのなら、ハーネスは役に立ちそうな人間をたくさん召喚していたはずだ。しかし実際の所は、高度な設定をすれば間違いなく失敗し、何が出てくるか分からない。

 ハーネスのように生き延びることに慎重な男は、国を滅ぼしかねない事はしなかっただろう。

「ずっと疑問だったの。普通、女の子が兄さんにここまでされて素直になれないなんてって。

 素直になる以前の問題だったのね。

 ロリコンの挙げ句に諸悪の根源だったなんて」

 どれだけ優しくされても、反発してしまうのは無理もない。ロリコンに、子供のように扱われれば、どれだけ顔が良くても、どれだけ優れていても、どれだけ愛されていても、無理なものは無理なのだ。

「そ、そんなこと、セーラはもう気にしてません。ねぇ、セーラ」

「気にしてます。私はそれを我慢出来ますが、忘れません。執念深いですから」

「ううっ」

 冷ややかな声音にアディスは低く唸る。

「まあ、それはいいとして、お前はとりあえず化粧を落として、着替えなさい。髪は染めているんですか?」

「違う」

 髪に掛けていた幻術を顔に移す。それで顔の模様が完全に隠れる。

「お兄さまの幻術。私の魔力で維持しているから、隠す場所も変えられる」

 気を失っても、兄が生きている限りは解けない。自力でも出来るけど、やっぱり兄は長く生きているだけあって上手いので任せている。

 洗面台を借りて化粧を落とし、髪をといて後ろで一つに結び、前髪で顔を隠す。服もアディスの物に着替える。昔は身長差がかなりあったのに、今ではアディスの服をほとんど違和感なく着られる。

 部屋に戻るとセーラがお茶とバスケットに入った軽食らしき物を出していた。

「夕飯食べていないから、お腹すきませんか? これ美味しいですよ」

「セーラが作ったの?」

「違います。あのバーにいた女の子達です。今日は食堂に行く気力もなさそうだから、作ってもらいました」

 眼を細め、食べにくいので眼鏡を掛ける。女の子らしい綺麗に飾られた朝食だ。

「眼鏡、嫌いなんじゃないんですか?」

「外でするのが嫌いなだけ。この眼鏡は兄さんが……」

 アディスにもらったものだ。レンズも高い物らしい。外に出たがらない彼のために、視力を調べたり、レンズの度を調べる道具をわざわざ一式借りてきてくれた。

 秘密結社のボスでロリコンで竜になった不運な人だとしても、嫌いになれるほど浅い関係ではない。

「まったく。

 エリオットに戻ったとたん、可愛いことを」

 アディスが苦笑いしながらセーラの髪を弄っている。

「私はそろそろ戻らないと、母が心配して探しに来るので、明日には帰りますが」

「母!?」

「母はいるに決まっているでしょう。私はこの姿をしていますが、本当はゼロ歳児なんですから」

「そういえば……」

 中身が二十四歳のゼロ歳児なのだ。

「ロリコンロリコンと言われますが、セーラよりも年下なんで、何の問題もありません」

 それは事実なのだが、エリオットには納得できなかった。セーラもそう思っているようで、無表情でアディスの手を払う。

 原因が分かると、彼女の行動は無理のないことばかりだった。

「まあ、それはともかく」

 アディスは払われた手を寂しそうに見つめながら言葉を続ける。

「ばれてしまったものは仕方がないですから、遊びに来たいなら好きに来なさい」

「え……いいの?」

「人形師さえ連れてこなければ。ロヴァンも元気にしていますよ。最近は寒くてずっとうちのリビングで丸くなっています」

「うん」

 やはり、アディスは好きだ。

 セーラも好きだ。

 どちらに対して、どんな好意なのか、よくわからない。

 アディスは格好良くて、セーラは可愛くて、男とか女とか、大人とか子供とか関係なく、アディスとセーラが同じほど好きなのだ。これも恋と呼んでもいいのだろうかとエリオットは首を傾げた。

「恋するって、複雑ね」

「何か言いましたか?」

「美味しい」

 アディスには適当な言葉で返し、よく知らない女の子……下手をしたらアディスの愛人が作った夕食を目の前にして、ため息をついた。

 複雑だけど単純で、単純だけど複雑。

 楽しいけど辛いけどやっぱり楽しい。

 楽しいと思っているのは、この二人の組み合わせだからだ。

「あ、遊びに来る時は、新鮮なミルクとか生クリームも持ってきてください。ミルクは日持ちしないから、少ししか持って帰れないんです」

「いいよ」

 セーラらしい発言が、とても楽しい。

 アディスが竜になったのはショックだが、すぐに死んでしまわないと思えば嬉しい。

 物事を捉える向きにより、楽しくも辛くもなるのだ。






 エリオットは明るい部屋で目を覚ました。しかし自分の部屋では無い事に気付き、横を見ると、セーラの顔が目の前にあった。

 驚きのあまりベッドから落ちる。

「そうだ。あのまま兄さんの部屋に泊まったんだった」

 セーラとアディスが同じベッドで寝ていることを知って心配になり、別々の部屋で寝るべきだと言ったらなぜかお泊まりが決定していた。

 アディスを挟んでいたのだが、彼は寝相が悪いのか、丸まって寝ているため、セーラの腕に抱え込まれている。

 少しうらやましい体勢だ。

 今日はずいぶんと冷えているので、冷えてしまう前に慌ててベッドに戻る。部屋は火石を置いているので外よりははるかに暖かいはずだが、それでもパジャマだけでは寒い。

 エリオットは手を伸ばして眼鏡取り、よく眠るセーラを見る。

 寝ていると安心して顔を見られる。こんなにはっきりと間近で彼女の顔を見るのは初めてだ。静かな寝息がとても可愛らしい。ぷっくりとした唇が少し開いて前歯が見えている。

 片肘をついて上半身を起こし、彼女に手を伸ばす。

 頬に触れるとぷくぷくでつるつるだ。生きた女の子の温かい肌だ。

 フレアの時に、勇気を出してキスをした柔らかいほっぺた。

「こぉら」

 肩を掴まれ、気付けば仰向けに押さえつけられていた。寝起きで半眼閉じて視線の定まらないアディスの顔が目の前にある。

「おは、おはよう、兄さん」

 セーラに抱えられていた彼は、あっさりと抜けだしてエリオットに馬乗りになっていた。

 自分で聞こえるほど、心臓が暴れている。

 いきなりだったから驚いた。しかもこんな体勢と距離。

「なぁにを悪さしようとしていたんですか」

「悪さなんて」

 頬に触れていただけだ。それ以上しようとしたわけではない。起こしてしまったら、せっかくの幸せな時間が台無しになるから。

「そんなに欲求不満が溜まっているなら、この兄が相手をしましょうか」

 アディスはエリオットの頬を両手で挟み込み、目の前で笑う。必死で目を逸らすが、ちらちらと『男』の顔をしているアディスが見えてしまう。兄ではなく、大人の男の顔。

 昨日の朝までは、彼がこんな顔をするなど知らなかったのに。

「きょへっ」

 隣から、素っ頓狂な声が上がった。

 セーラが起きて、二人を見比べる。

 アディスに押し倒され、キスでもされそうなエリオット。

 それを見てセーラは頬を赤く染めた。

「どうぞ、続けてください。向こうから見守ってますから!」

 セーラはいそいそとベッドから抜けだして、椅子にかけてあったぶかぶかのガウンを羽織りながら隣の部屋に向かおうとする。

「セーラっ、待って!」

「そうです。向こうに行っているだけならともかく、なぜ見守るんですか!?」

 エリオットとアディス、二人の感情には大きな差があるようだ。

「え、だって、ちょっとだけ興味が」

「そんなものに持たないでください」

「いいんです。偏見はありません。ロリコンよりずっとマシです。好きなだけどうぞ。エリオット君なら、本気で女装すれば同性カップルに見えませんし、とってもお似合いです!」

 彼女は親指を立てて見せ、それから再び部屋を出て行こうとする。

「待って セーラ、助けてっ」

 セーラが足を止めた。

「た、助けてっ」

 彼女は振り返る。

「アディス、無理矢理はダメですよ。無理矢理は。ああ、泣いてるじゃないですか」

 セーラが意外に逞しくアディスの脇腹を蹴り転がす。

「冗談なのに」

「冗談で泣かせてどうするんですか」

 エリオットは眼鏡を外して鼻をすする。

 アディスのことはまだ好きだが、それとこれは別だ。

「顔を合わせただけで泣くなんて、人生はこの先長いのにどうするんですか」

「い、いいもん。大人になったらここにはいられないし、フレアとして生活するから」

 大人になって、年を取れなくなったら、さすがにここにはいられない。悪魔関係者は本来ここにいるのは避けた方がいいのだ。彼の兄は元からここに住んで、ほとんど魔術師になっているから黙認されているのだ。親に捨てられ、兄を頼って来たということになっているはずなのに、こんな悪魔が近づいてはいけない場所の中枢で生活している彼の今が間違っている。

「えと、人形師さんと一緒に?」

「そ……そうなる」

「人と会うだけで怯えるようになりません? 人に触るのも恐くなったりとかしません? 本当に大丈夫です?」

「たぶん、大丈夫」

 セーラは心配して見つめてくる。

「…………」

 彼女はため息をついて、顔を上げて窓を見て固まった。この部屋はアーネスのものだったため、贅沢な透明度の高いガラス窓だ。それをじっと見つめて、窓を開ける。

「雪降ってますよ!」

「げっ」

 アディスもベッドから這い出て窓のことを見る。

「うう、火石を置いてるのに寒いと思ったら……。

 んー、すぐに止みそうな雰囲気ですね」

「でもさすがに帰れません。私、寒いのいやです」

「昼まで待って、晴れなかったらもう一泊しましょう。あまり遅くなってもお母さんが心配して様子を見に来そうですから、最悪の場合は私だけで先に帰ります」

 セーラが頷いてまだ空を睨んでいる。

「セーラは雪が嫌い?」

「嫌いです。新聞配達するとき、台風と雪は最悪です」

「そんなことしてたの?」

「学費を稼いでたんです」

 セーラは小さな身体に似合わず、高学歴だ。学者に聞くと、女性でそれだけ学んでいるのは珍しいと言われた。学ぶことに恵まれていても、女性は買い物に必要な計算しか覚えず、別のことを学びたがるのだ。この国では魔術があるが、他の国では本を読む程度のことしか覚えない。

 自発的に勉強するセーラは、とても熱心なのだ。

「二人とも、今日はどうするの?」

「そうですねぇ」

 アディスはつるつるの綺麗なあごに触れる。いつもなら寝起きはヒゲが生えているのに、今日はまったく生えていない。それが生々しく現実を突き付けてくる。

「大人しくしているつもりですが」

「どこにもいかないの?」

「雪が降っているんですよ。寒いじゃないですか。止むとも限りませんし」

 雪が嫌いなセーラを寒い中、歩かせるなどとんでもないと気付いた。

「しかし憂鬱ですね。対策はしてありますが、森が雪景色になっていたらと思うと、今すぐ帰りたいぐらいですよ」

 アディスも空をにらみ付ける。もしも降り続けたら大変なことになりそうだ。

「……じゃあ、僕が送っていこうか?」

 屋敷の付近に彼らがいたのも、人目の付かない場所から飛び立つためだったのだ。わざわざ人に見られる危険を冒すよりも、その方がずっといい。

「送るって……出来るんですか、転移」

「できるよ。建物の中に入り込むなんてのは無理だけど、ひらけた場所になら出来る。ちょっと遠いけど、国内だったらまだ大丈夫。前に行ったとき、立地の確認はしているからお兄様がいなくても往復できる」

「ここに戻る時は、どこに出るんですか?」

「僕の部屋の前にある庭。あそこは暗いし広いから。それにあそこなら突然現れても結界に反応しない」

 城は結界が張り巡らされているが、庭までもすべて覆っているかと言えば、違うのだ。そこに窓から足で向かい、人目のない場所で転移する。戻ってきたときも同じ場所に出て、足で窓から部屋に入れば誰にも気付かれない。

 窓から入るのを見られても、寝付けなかったから散歩していたとでも言えばいい。

「そうですか。ではお願いしましょうか。場所はどこまで移動しますか?」

「暗くなった頃に街の外まで出ればいいと思うよ。いきなり消えたりしなければいいんだし。僕は頃合いを見て転移するから」

 エリオットはただ送るだけで、一緒に外に出てはまずい。半引きこもりなので、外に出るだけで目立ってしまう。

「分かりました。じゃあ、夕方にお願いしますね」

 アディスがいつものように微笑む。これが実は竜など、誰も思わない。思う方がどうにかしている。

「エリオット君、重量制限とかあります?」

「どうして? セーラぐらいなら軽いよ」

「暖かい服とか毛糸とか布とかできれば小麦とか牛乳とか少し多めに欲しいです」

 セーラが真剣な表情で、現実的な物を欲しがる。

「…………食べ物は今度、持っていってあげるから」

「本当ですか? 嬉しいです」

 セーラはとても可愛いが、口を開けば神秘性が崩れる生活感を放っているのが、少しだけ惜しいと思った。



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