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3話 異世界の醍醐味 9

 手直しできる服を手直しして貰い、借りた服よりは身体に合うようにしてもらった。もともと多少の伸縮性がある布なので苦しくない。手触りはいいし、不思議な繊維だ。

「今日も昨夜の所に行くんですか?」

 彼のアジトに。

「行きませんよ。毎日行くのは危険です。あれでも秘密結社ですから」

 彼は歩きながら腰を曲げ聖良の耳元へと囁き、再び背を伸ばす。

「そうなんですか」

 では、安心して眠れる。

「今夜の夕食は子供達と食べましょうか」

「……はい」

 大勢がいる所での食事は久しぶりだ。学校で机を集めて弁当を食べるのは、あまり好きでは無かった。しかし一人で食べると目立つ。

 城が近づき、聖良はアディスの手を握った。城は聖良の知らないアディスの知り合いが多いので、少し不安になる。何も分からない場所にいれば必死になるが、アディスがいるという安心感があるからこそ、自分が知らない場所であることに気が向いてしまう。アディスが子供達と話していれば、聖良は一人だ。

「ん……どうかしました?」

「何でも……」

 何でもないではおかしい。そう思い、彼女は気になっていた事を尋ねた。

「昨日……あの男の人が言っていた女の子はどうなるんですか?」

「どうもしませんよ。セーラがいるのに新しい子をもらうわけがないでしょう。今の私にとっては、セーラが一番大切な女性なのですから」

「嘘くさい事を言わないでください。今までどれだけその顔に頼って生きてるんですか?」

 誤魔化すために、聖良の意図と違う言葉を返してきたアディスを睨み上げた。

 彼は聖良が見ていなければ買っていた。聖良がへそを曲げたから彼は買わなかった。そして質問の答えにはなっていない。

 聖良も最初からこの顔で、ロリコンである事を知らなければ、流される女になっていたかもしれない。しかし聖良は知っている。彼が実は年端もいかない少女が好きで、おしゃべりで、文句が多い、変態な駄目男である事を。

 だから何を言われてものぼせ上がる事は無い。

「可愛い顔してさらっと言いますねぇ。まあ、セーラのそういう所も気に入っていますよ。馬鹿な子も可愛いですが、私は小聡い子も好きです」

 彼はそこまで言うとちらとよそを見て、誰かに話しかけて手を振った。知り合いらしき人が離れると、彼は再び言う。

「私が買わなければどうなるかは分かりませんよ。娼館に売られるのが妥当でしょうね」

「小さな子を?」

「私の所には、売りに出せないほど小さな子は来ませんよ。小さな子は、将来使い物になるかどうかで判断しますから、ああいった魔術の使えない商人から買う事はほぼありません。箱庭は魔術結社なんです」

 聖良は話がずれていくのを感じて、こめかみを押さえた。

「じゃあ、その子は娼婦になるんですか?」

「さあ。運が良ければ金持ちの愛人。最悪の場合は剥製にされるとか、生きたまま食われるか」

 聖良は足を止めて固まった。

 アディスの言葉を反芻する。

「…………人食文化があるんですか?」

「あるわけが無いでしょう。

 ただ、いるらしいんですよ。どうしようもないのが、何人か。

 若い娘を人形にしてしまう究極の変態や、若くて美しい娘の胆を食らう鬼婆とか」

「え……ちょ、ど、どうしましょう!?」

 アディスには買って欲しくなかったが、そんな狂気の世界に罪の無い少女を放り込みたかったわけでは無い。

「だから、最悪の場合ですよ。

 女の子にとって一番条件のいい客がうちだったのは間違いありませんが、私が断ったからといって、いきなり最悪の所には行きませんよ。セーラが気に病む事はありません」

「……そんなのが野放しになってるんですか? 犯罪じゃ無いんですか?」

「犯罪ですが、裏の世界の事ですからね。うちは裏とは言っても研究的な意味での裏ですから、根っからの犯罪者の事はよく分かりません」

 根っからの犯罪者で無くとも、赤の他人を餌にするような事をしてしまうのだから、聖良の目から見ると大差は無い。

「でも、アディスのどこが一番いい条件なんですか? 最悪ではないみたいですけど」

 少なくとも殺される事は無いという意味で。

「そりゃあ、無理強いもしなければ、傷を付けたりもせず、教育までしてもらえます。

 それに主はハンサムな方がいいに決まってるじゃないですか」

「まあ、そりゃあそうですけど」

 好色ジジイなどに比べれば、アディスの方がはるかにマシである。もしこれが、本人の口から出ている言葉でなければ、もっと納得できただろう。

「無理強いなんてしたことはないですし、嫌がったら絶対に何もしませんし、用無しになったからとまた売られる事もないですし、大きくなっても使えるように育てますからね」

「……昨日の、あの女の子達もですか?」

「ロゼとシファですか」

「名前は知りませんけど、愛人の二人」

 子供なのに、どうすれば世の中を上手く渡っていけるのか知っていそうな、あの二人の少女の事だ。

「その可愛い口から、そんな言葉を発しないでください」

「事実は事実でしょう。自分の幻想を押しつけないで下さい」

 彼は後ろ頭をかいてため息をつく。

「これ以上は、今夜も私の部屋で寝るんだったら、その時にゆっくりお話ししましょうか。発言する度に腰を曲げているのも疲れます。

 セーラは暗いところに一人でいるのが苦手なんでしょう。初めから言えば一緒に寝たのに水くさい」

「……そうですね」

 話す時間はいくらでもある。二人にはどれだけでも時間がある。嫌でも一緒にいなければならない。当面は聖良がいないと彼は困り、聖良はずっと彼がいないと困りそうだ。

 しかし聖良は、アディスがいなければ、何が出来るわけでも無い。

 悪いのはアディスだが、そうだとしても良くしてもらっているのは事実だ。

「どうしたんですか? いつもなら、小さくて悪かったですね、って食ってかかる所なのに」

「っ……なんでもありません」

 聖良は拳を握り締めた。

「何でもないのに、そんな風に力を入れたりしないでしょう。

 そんなに不愉快でしたか?」

「いいえ。個人的なことです。アディスの趣味にとやかく言うつもりはありませんし」

 これは個人的な悩みだ。

 誰かに依存などしたくないが、今はどうしようもない。特技もなければ、賢さもない。アディスに文句を言う事しか出来ていない。

 自分が何も出来ない駄目人間である事に呆れ、ため息が出る。

 もう少し自立できるように、何か特技を見つけようと心に決めた。

 それにはまず己を知ることが大切だ。

「アディス、帰ったら距離を測りませんか?」

「距離?」

「ほら、離れると魔力が届かなくなんでしょう? だったら一定距離ごとに試しておいた方がいいかなって。お互いのスペックを知らないと、いざという時に使えませんから」

 アディスにとっては役に立つ知識のはずだ。

「それもそうですねぇ。でも、あの森で距離を置くと危険ですよ」

「あ……うーん……崖の高さを計れば距離は計算できると思いますけど」

 巣のある場所でなくても、そこそこの高さがあればそれなりに安全だ。

「計算?」

「…………えと」

 アディスが魔術馬鹿なのか、数学は特殊な分野なのか、そもそも聖良が習ってきた数式は存在するのか。

「個人的に気になるんですけど、経緯儀とかってあるんですか?」

「けい……?」

「三角測量とかしますか」

「測量はしたことがないからよく分かりません。セーラはそんな事をしていたんですか?」

「いや、無いですけど常識として」

「常識なんですか?」

「…………なんでこんな知識がいるんだろうとは思いますけど。

 すっごく長いヒモとか縄とかでいいです」

 五十か百メートル置きぐらいに計った方がいいから、長いヒモを使う方が効率がいい。

 少しだけ疑問に思っただけだ。この世界の水準を知らなければ、いらない恥をかくことになる。

 少なくともアディスのようなタイプが分からないのであれば、測量技術やそれに必要な数学の知識がこの世界に有る無しは置いておくとしても、それが常識でない事が分かっただけ収穫である。

「帰ったら、色々と聞いていいですか? 私の常識非常識と、こちらの常識非常識を知らないと生活に差し障りがありますから」

 ネルフィアの庇護の下に一生あそこで過ごすなら別だが、竜と言えどもいつかは親元を離れる。それから考えているのでは遅い。

「セーラは熱心ですねぇ」

「恥をかくのはいやですし、何かしないと不安ですよ」

 一芸を身につける前に、まずは常識を身につける必要がある。アディスの言葉を信じるのなら、聖良は常識外れに長生きする事になる。いつまでもアディスの世話になれるかは分からない。もしものためにも、一人で生きていける自信が欲しかった。それが身に付く程度の時間は一緒にいるだろう。

 こうして学ぶ機会があるのは運がいい。誰かに売られないのも運がいい。

 何も知らずに一人でこんな所にいたら、きっと何も出来ずに暗がりで立ちつくしていただろうから。






 書かれた数字を見て、聖良は懸命に頭を働かせる。

 十進法なので数字を覚えるだけでいい。文字を覚えるのは大変だが、数字と単位だけに絞れば簡単だ。

「セーラちゃん、数字も読めないと不便だろ」

「もう覚えたから不便じゃないですよ」

 理解するのには時間が掛かるだろうが、あとは物価を把握すれば騙されることもない。

 聖良が持参した鞄からメモ帳を取り出し数字と単位を書き写す。書き慣れていないので下手だが、とりあえず大切なのは覚えて慣れることだ。

 アディスがいるからか、聖良が珍しいだけか、子供達がわらわらと集まってきているのでかなり緊張する。

「その変なペンなぁに? 可愛い」

「シャープペンのこと? この細い芯をこうやって押し出して書くんです」

 可愛いと言ったのは、上についているキャラクタのことだ。アルバイトをしていた新聞屋の奥さんが、保険に入ったら貰ったらしい。仕事に使うには可愛すぎるので、日頃から金銭的に苦労していた聖良にくれたのだ。

「どうなってるんだそれ?」

 聖良はシャープペンを可能な限りバラして見せてやる。バラしたところで分からないだろうが、好奇心は満足するだろう。

「エリオットにーちゃんも見てみなよ」

 部屋の隅の方で静かに本を読んでいた少年が、子供に呼ばれてびくりと震えた。アディスとは違い物静かな、常にうつむいているため暗い雰囲気の、度のきつそうな眼鏡が印象的な少年だ。彼は目を合わせないように視線をそらしながら聖良のボールペンを手にした。しばらく観察してから自分の手に円を描く。

「何これ」

「ボールペンです。先端にボールがついていて、それが回転してインクを紙につけるんですよ」

「これインク?」

 彼は振ってもびくともしないインクを見て呟く。

「粘度が高いインクです」

「ふぅん。こんなの売ってるんだ。どこの国の言葉だろう」

 側面に書かれた日本語を見て彼は目を細めた。

 この国の主流は万年筆のような物で、羽ペンをインクにつけるなどという不便極まりないことはしていないらしい。あれとは原理が違うので珍しいのだろう。

「こちらの押し出しのペンも面白い。この黒いのはなんだろう」

「確か黒鉛です。鉛筆とかはないんですか? 作り方は違いますけど、あれと似たようなものです」

「君の鉛筆見せて」

「はい」

 聖良の筆袋の中に、一本だけ鉛筆が混じっている。美術などで絵を描くときは、鉛筆の方が便利だ。

「芯がとれない……どうやって出すの?」

「木ごと削るんですよ」

「使い捨てなのか。書きやすい。いいな」

 彼は喜んで鉛筆を見つめた。他の子よりも大きいのに、その様子がずいぶんと可愛くて、思わず顔を覗き込むと、彼は後ずさって顔を背ける。

 照れているのなら可愛いのだが、どちらかというと本気で嫌がっていた。

「セーラちゃんごめんな。エリオットにーちゃん対人恐怖症気味だから、人と目を合わせるとパニックになるんだ」

 暗いどころか対人恐怖症だった。

 その割には人の多い場所で生活している。つまりは軽度ということだろう。目を合わせなければいいのだ。

「エリオット、それはセーラにとって大切な物です。欲しがるのではなく、自分で作りなさい」

「分かった」

 アディスにクギを刺されると、エリオットはちらと聖良を見て、再びうつむいた。作るにしても参考にする物が欲しいのだろう。

 簡単に複製ができるとは思わないが、大切な物でもない。それに彼が持っているのは鉛筆だ。シャープペンならともかく、すぐになくなる物なのでケチケチしていても仕方がない。

「一本しかないですけど、よければどうぞ」

「…………ありがとう」

 彼は鉛筆で机に試し書きをした。突き詰めていけばあのような形になるのではないらしい。

「書きやすいし、綺麗に書ける。

 その紙はずいぶんと薄いんだね。それに手提げも変わっている」

「…………見たければどうぞ」

 許可を出すと、エリオットは鞄を手にして、決して視線は合わせずに少し離れて中身を見る。

「入ってるのは教科書ばっかりですけど」

「学生だったんだ。読めないけど何の本?」

「それは数学です」

「他所の国なら、やっぱり魔術はないよね」

「ありません」

 エリオットは残念そうにため息をつく。しかし教科書は持ったままで、ぺらぺらとページをめくる。

「そういえばセーラはどんな事を学んでいたんですか? 女性なのに数学なんて珍しい」

 アディスに尋ねられ、聖良は首をひねった。

「誰でも知ってなきゃいけない基礎的なものですよ」

「測量とか習うんでしょう。基礎的なことなんですか?」

「測量の方法は習いませんよ。ただその考え方の元となる事は勉強します。でもつまらないんですよね。それが何の役に立つか教えてくれないんです。で、必要になったときにああこれはここで使うのかって気付いて、その時には忘れててまた勉強をし直すんです」

 だから意味がない。どんな時に使うのか知らないし、使い道が分からないのに教えられるのだ。

「測量って……どんな風に?」

「いえ、私にできそうなのはただ三角形を使ってやる単純なのですよ。正確に角度とか測れれば基辺の長さだけで距離が出ますから」

 なぜか社会科の先生が教えてくれた知識だ。それでようやく数学で習う知識の意味を知った。それまでは考えたこともなかった。考えてみればわかりそうなものだが、考える事すらしていなかったのだ。聖良はテストの点数さえ取れればよかったからだ。

「そんな事を習っていたんだ。アディス兄さん、どこからこんな子連れてきたの」

「誘拐してきたみたいに言わないでください。強いて言えば私並についていない女性です」

「…………兄さん並み。小さいのにそんな苦労を……」

「ディアス達の一つ下ですよ。つまり、エリオットよりも年上の女性です」

 アディスはにやりと笑って言う。

「……冗談でしょう」

「本当ですよ。人よりも成長が早く止まってしまったんです。いい年の女性なのに、お人形さんみたいで可愛らしいでしょう」

 心の底から悪気のない微笑みを向けられ、聖良は反論するのもむなしくなりため息をついた。エリオットは聖良を横目で見ていたが、たまらなくなって彼へと顔を向けると視線は外された。

「ここには住まないの?」

 エリオットは視線を逸らしたまま言う。

「彼女のお母さんは心配性でね。私も数年は彼女の実家に居なきゃならないから、次に遊びに来るのはしばらく先です」

「兄さんまた行くの? どうして?」

 子供達には説明した事だが、彼は参加していなかった。聖良が居たからか、人がたくさんいたからか。

「ちょっと身体に問題が発生しまして、彼女の母君の所にいなきゃいけないんですよ。自然以外何もないところですが、命は惜しいので」

「何があったの?」

「まあ、色々と。詳しくは話せないんですが、こうしてここにも帰れますし、不自由はしていません」

「……兄さん、さすがに今回は色々とですませられる内容じゃないと思うけど」

「いいじゃないですか。国内にはいますから。それとも一緒に来てみたいですか?」

「い、行かない」

 やはり外に出るのは怖いのだろう。世間一般で言う引きこもりという奴だ。幸いにもここが住居兼職場らしく、ニートというものにはなっていない。

「明後日まではいますし、来週にはまた来ますよ」

「この子と一緒に?」

「ええ」

「ふぅん」

 そう言って、彼は聖良の鞄を持って近くの席に着く。近すぎず離れすぎない微妙な距離。電卓など気になることがあると近寄ってきて、説明を聞くとまた離れて。それを繰り返す内に日が暮れた。

 大勢での食事は、苦痛では無かった。



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