140話 わたしのほのお 後編
―― 佐藤のり子 ――
「私の顔が全世界に配信されてしまった瞬間。私の心にはもう何も残っていませんでした。Vtuberという唯一の希望を握り潰されて。紅焔アグニスを応援してくれた人たちから見捨てられて……顔を削られたとき以来の絶望が、確かにありました」
「これからの私は顔に指をさされて馬鹿にされながら生きていく。これからの紅焔アグニスは化け物が演じていたんだと笑われながら生きていく。その耐え難い苦痛が、一生私に付きまとってくるのです。世界の全部が敵になったんです」
「事務所の皆からの慰めも。家族からの慰めも。仲間からの慰めも。友達からの慰めも。誰からの言葉も、事故当時の私には届きませんでした。元気を出したってもうアイドルにはなれない。戻る場所なんてどこにも無い。何度も死のうとして、周りの皆が何度も命がけで止めようとしてくれて……そうでなければ、今ここで私が立っていることは無かったでしょう」
「『死にたい』という波が過ぎて、もう生きる気力さえ無くなって――でもやっぱり絶望な状況に耐えられなくて部屋を飛び出してしまった後――私は知ったんです」
「紅焔アグニスを応援してくれているファンの方々も居ることを」
「顔の醜い私を応援してくれる人が残っていることを」
「私はまだ見捨てられていない。紅焔アグニスをまだ続けることができる」
「嬉しかった」
「そして、ようやく自分がバカな思い込みをしていたのだと反省しました。私が自分から皆を遠ざけていただけだったんです」
「応援してくれる皆さんの期待に応えたい。そう思った私は、すぐに復帰を決意しました。でも同時に怖くもなりました」
「紅焔アグニスが復帰したとしても、私の傷が受け入れられなかったら? 最初は好意的でも、受け入れの波が過ぎて否定的になって拒絶されてしまったら? そもそも、嫌われてしまう恐怖を胸の中にしまいながら、私は皆さんの望むアイドル活動を続けることができるのか?」
「皆さんには好かれたい。でも嫌われるのが怖い。どっちつかずの板挟みです。答えの出せない宙ぶらりんな状態が少しの間だけ続きました」
「本当に少しの間です。迷った時間は少なかった」
「なぜなら、迷っている私に対して、仲間がすくにアドバイスをくれたからです」
「内容はとてもシンプルな質問でした――」
どうしてアイドルをやりたいのか?
「――私は、ルルとナティ姉、三人で一緒にアイドルを続けたい」
「応援してくれる人のために、トップアイドルになりたい」
「……答えはそれだけだったんです」
「私は――私たちは、まだアイドルらしいことをほとんどやれてない。ライブもしていない。曲も出していない。コラボで活動を盛り上げたり……グッズだって発売してみたい商品が山ほどあります。そんなアイドルとしての当たり前を、私たちはまだやっていない」
「私たちの活躍を願って応援してくれる人がまだ沢山いるのに。もし引退してしまえば、頑張って支えてくれた人たちへの希望を潰すことになる。そんなの嫌だ」
「私はまだ何も返せてない。私はまだ何も応えられていない。今のままじゃトップアイドルなんて絶対に名乗れない。一人前のアイドルとして応援されるまで、夢を諦めきれない!」
「私はトップアイドルになるんだ!」
「傷で馬鹿にされたって構わない! 私はこの傷と一緒に! 紅焔アグニスと一緒に! 私はトップアイドルを目指すんだ! こんな傷なんかで夢を諦められない! この傷だって私なんだ!」
「私を応援してくれる人がいる限り! 私を受け入れてくれる人がいる限り!」
「私はまだ紅焔アグニスをやりたい!」
「暗闇しかなかった私のこころを照らしてくれた、藍川アカルたちのように!」
「もっと素敵なアイドルになって、輝いて! 皆を幸せにしたい!」
「だから! 私はっ!」
「みんなと一緒にっ! アイドルがやりたいっ!」
水が飲みたい。喉がカラカラだ。私の言葉は伝わっただろうか。最後のほうはまるで絶叫だった。上手く話せた自信がない。マイクを壊していないか心配だ。
もう画面を見る勇気はない。そして配信を進められる気力も、私には残っていなかった。
ルルにアイコンタクトを送る。勿論、ルルが私の気持ちを汲み取らない訳がない。ルルは優しく微笑みながらマイクに向かって語った。
「傾聴、大いに感謝する。以上が紅焔アグニスの物語であり、今後の我々が掲げる活動理念となる。改めて俺からも宣言させてもらおう。
我々YaーTaプロダクション1期生はアイドル活動を継続する。三人でトップアイドルを目指すという理念と共に。
これからも君たちと一緒に歩んでいけたら嬉しい。きっとお互いに、とても幸せなひとときとなるだろうから」
ルルはマイクをオフにして私に語りかける。
「お嬢。もう言いたいことはないか? ありのままの君がさらけ出せる、最初で最後の配信だ」
この実写配信は、もちろんアーカイブには残らない。後ほどYaーTaプロが公式に活動再開の声明を発表すれば、一連のお騒がせ騒動は全部おしまいとなる。ルルの言葉通り、完全実写スタイルの配信は最初で最後だ。
でも、もう言いたいことは全部言った。あとは祈るしか、私には残っていない。
「じゃあ、配信を閉じようか」
ルルは簡単な締めくくりの言葉をリスナーに送ってから、配信停止のボタンをクリックした。停止の操作をするルルの表情は――。
「眼に映る光景がね。俺にはちょっと、眩しすぎるかな」
とても、とても。穏やかだった。
安未果さんの様子を知るために視線を移そうとした瞬間、猛烈な勢いで抱きつかれてしまう。まったく泣き止む様子はない。でも私を包み込むその力は、かつての顔バレ配信で感じたような不安な気持ちがまったく起きなかった。
私は安未果さんを抱きとめつつ、自分の涙を拭いながらパソコンのモニターに向かう。誤操作を起こさないように気をつけながらマウスを操作し、残されていたコメントを目で追っていく。
めいっぱいの優しい世界が、私の前に広がっていた。




