138話 在りし日の貴女はかくも遠く 後編
―― ヨーミ ――
画面の中で繰り広げられている光景が信じられなかった。あーしの親友、佐藤のり子が素顔を晒して配信画面に映っている光景を。
あーしが観ているのは確かに、バーチャルYuTuberのタレント事務所、YaーTaプロダクションの公式配信である。その配信画面の中にバーチャル要素なんて一切存在しない。剥き出しののり子が画面内に立っていた。「素顔を晒せよ」なんて野次を入れていた荒らしリスナーも、まさか本当にさらけ出すとは夢にも思わなかっただろう。
『皆さん。突然の配信で驚かせてしまってごめんなさい。私はYaーTaプロダクション所属の紅焔アグニスです。左右の両名は同じくYaーTaプロ所属のルルーナ・フォーチュンと帝星ナティカとなります』
のり子の紹介に応じて深々とおじぎをするルル団長と六条姐さん。リスナーは驚きのリアクションに夢中すぎてまともな日本語も打ち込めないままだ。
『はじめに皆様へお伝えいたします。ただいま配信している状況についてですが、カメラや配信ソフトの不調ではありません。私たちタレントとYaーTaプロダクションのスタッフ一同が話し合い、みんなの意志によってこの配信を始めております。繰り返します。これは私たちの意志による配信となります。その前提だけ、皆様にご理解をお願いします。
まず最初に皆様へ謝らなくちゃいけないことがあります。いっぱい、いっぱい、あります――』
のり子らしからぬ弱気な声で彼女は謝罪を始めた。
不用心な配信環境により配信事故を起こし、リスナーへ大きな失望を抱かせ、応援していただいた企業の方々に迷惑をかけてしまったこと。
長期間、ファンに対して音信不通となり、心配をかけさせてしまったこと。
自分の精神が不安定になって『家出騒動』を起こしてしまったこと。
その事件がきっかけでルル団長と六条姐さんの素顔を晒させてしまい、リスナーへ更なる失望を重ねてしまったこと。
のり子はYaーTaプロが起こした数々の『迷惑』を、ただひたすらに謝り続けた。普段の元気さの欠片もない淡々とした語り口で。それは配信者として正しい姿、正しい対応なのだろう。理不尽な状況下の中、誠意を以て問題に対応する親友の姿が誇らしく見える。
だけど……いくらなんでも、素顔で話したら駄目だろうが! 紅焔アグニスの配信じゃなくて、佐藤のり子の配信になっちまうじゃねえか!
「そんな……さっきまでたくさんの人が庇ってくれていたのに……」
顔面蒼白となった夏美が嗚咽を漏らした。視線はコメントに釘付けとなっており、釣られて自分も視線を移す。
「畜生……!」
自分からも思わず声が漏れる。配信準備中に蔓延っていた罵詈雑言など比較にならない、言葉で表現するのもおぞましい、濃縮された悪意。心ない言葉の群れがコメント欄を占領していた。のり子たちの破滅を願う者。素顔を見せられて夢を壊されたと責める者。素顔を見せるのはやりすぎだと、正直すぎる姿勢を責める者。低姿勢なのり子のみならず、不安をかき立てる配信をしたルル団長と六条姐さんに対しても非難の声が上がっていた。もちろん擁護の声も多いが、それを上回るペースでネガティブなコメントが場を掌握していく。
恐れていた事態が起こってしまった。
「せめてコメント禁止にしてくれよ……荒れることくらい、分かりきってただろうが……」
これ以上、見ていられない。タブレットの電源ボタンに手を伸ばそうとした、その時。腕を掴まれた。ゴツゴツしたペンだこを携えた男の手だ。
「進さん。あーしはとっくに限界だ。いくらなんでも酷すぎる」
「分かるよ。顔がそう言っている。でも駄目だ。ここで目を塞いだら、きっと君は、あのお嬢さんに会えなくなる」
進さんは椅子を近づけ、あーしの近くに座り直した。
「俺はのり子お嬢ちゃんのことをよく知らない。だがルルーファ団長と灯社長ならよく知っているよ。団長は言わずもがな、何事においても聡明な御方だ。そして灯の奴は、無責任な決断は絶対にしない。そんなふたりが何の打算もなしに素顔配信なんて許可する訳がねえ。だから俺はYaーTaプロダクションを信じるよ。君も信じて見守ってくれねえか?」
進さんを見る。進さんは至って真剣な口調だった。自分の言葉に責任を持った、大人の男の顔だ。
シズを見る。すごく不機嫌な表情ではあるが反論もせずにタブレットの画面を見つめている。不機嫌の理由は、この配信を許したYaーTaプロに対してだろうか。それとも、逃げ腰なあーしに対してだろうか。
夏美を見る。今にも泣き出してしまいそうなほどの辛さに耐えている表情だ。同じ配信者としては一番見たくない光景だろうに。強いな、夏美は。
画面の中を見る。六条姐さんは夏美と似たような様子だが、その眼力は力強い。ルル団長は無表情、しかしながら自分の袖を必死に握りしめ、今にも画面を叩き割りそうなほどの怒りを必死に抑えているように見える。
そしてのり子。彼女は画面を直視できないまま、時どき何かへすがりつくような視線を向けている。必死なのだろう。自分から湧き上がってくる、恐怖という感情を抑え込むことに。
きっと佐藤のり子は戦いの真っ最中なのだ。
「……すんません」
あーしは手を引っ込めて、代わりにベッドの掛け布団を握りしめた。
また逃げてしまった自分が恥ずかしい。でも、孤独だった昔とは違う。その恥ずかしさを受け入れ、怒ってくれる友達がいる。だったら耐えられる。そのはずだ。
『――以上が一連の出来事になります。YaーTaプロダクション1期生を代表し、この場を借りて改めてファンの皆さまへ、深くお詫び申し上げます』
謝罪を終えた1期生3人が深く礼をする。その3人に対し、罵倒は容赦なく浴びせかけられる。
頼む。顔を上げてくれ、のり子。こんな悪口ばかりのコメントに負けないでくれ。
「え」
あーしの願いはすぐに叶い、思わず声が出た。のり子は顔を上げたのだ。怯えや怒りといったネガティブな表情は一切見えない。先ほどの逃げ腰な表情ではなく、確かな強い意志を持って、画面へ真っ直ぐ向き合っている。リスナーたちも、のり子の様子が変わったことを察したのか、困惑のコメントが徐々に現れ始めた。その混乱した場へ滑り込むように、ルル団長が口を開いた。
『失礼。少しだけ出しゃばらせてもらう』
その凛とした響きは、場を支配するには十分だった。
『リスナーの皆様は疑問に思われているのではないだろうか。謝罪が目的の配信にもかかわらず、なぜ我々は素顔を晒しているのだろうか、と。なぜアバターを使った配信をしないのか、と』
同意のコメントが急激に加速する。ネガティブなコメントがあからさまに少なくなった。糾弾をものともしないルル団長の揺らがぬ精神が成せる業なのだろう。
『これから紅焔アグニス嬢が語る物語は演者の彼女自身が歩んできた人生そのもの――そして、これからの彼女が目指す夢の話となる。その話をアバターというノイズ無しで聞いてもらうため、あえて素顔を晒して配信させてもらった』
コメントが再びざわつき始める。自分たちはYaーTaプロダクションの活動を見に来たのであって、紅焔アグニスの自分語りを聞きに来たのではない、と。
『君たちの意見はもっともだ。だが、これから話す紅焔アグニスの話は、これからのYaーTaプロダクション1期生が掲げる活動方針そのものとなる。だから聞いてほしいんだ』
『アイドルの世界に憧れた、ひとりの少女の物語を』




