137話 在りし日の貴女はかくも遠く 前編
―― 峰夏美 ――
あの誘拐から数時間が経った。すでに陽は沈みきっている時刻である。
観照退先生こと朝倉進さんが龍堂たちを虫の息になるまで叩きのめしたところで、シズさんお抱えの警備会社の人たちが保護してくれた。現在はシズさんの財閥が経営する病院へ移され、ヨーミさんが受けた頭の傷を診察していただいた状況だ。命に別状は無いし後遺症も残らない、比較的軽い怪我だったことは不幸中の幸いだった。大事を取ってヨーミさんと私は相部屋の個室をあてがってもらって、今夜は病院で過ごさせていただくことになった。
ただ、そんな不幸中の幸いが今の私たちにとっては何の慰めにもなっていない。なぜなら、目の前に置かれたタブレット――その画面内で起こっている状況が私たちを落ち着かせてくれないからだ。
「なんでだよ。なんでまだこんなに荒れてるんだよ……おとなしく待てねーのか、このアホンダラ達は!」
私たちが見ているタブレット内の画面を見ながらヨーミさんは叫んだ。
起動しているアプリは動画配信サイトのYuTub。そして映しているのはYaーTaプロダクションのチャンネル、その生配信の待機画面である。
私たちの心境を詳しく説明するよりも、この待機画面のコメントを見ていただければ手っ取り早く状況が伝わるだろう。
・・・・・
・・・
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Ya-Taプロダクション【公式】
Ya-Taプロダクション1期生から大事なお知らせ
119万人が視聴中 チャンネル登録者数 142万人
:待機
:配信待機
:頼むから最後の待機コメにはさせないでくれ
:登録者数爆増でめでてえのに不安がデカすぎて笑えねえ
:スパチャはさすがにオフか ていうか収益化ってまだ息してる?
俺は永遠に待ちわび続ける:待機
:↑さすがの兄さんも普通に待機か
:どう考えても最後の配信だろ
:むしろまだ配信を続けようという面の皮の厚さパねえわ
:非公式の擁護運動が続々立ち上がってる しょうがねえよ、あの緊急配信は熱すぎた
:残ったところで、お騒がせしすぎたせいで業界ハブられるだろ
:企業としてアウトライン越えまくってる さよならヤタプロ
:つーか顔出しはやり過ぎ 萎えたわ
:事務所一同の引退宣言わくわく
:俺のYuTubホーム画面、YaーTaプロ関連なのに実写サムネばっかり上がってくるんだが
:TwisterのトレンドがYaーTaプロ解散とLUFAまみれで草すら生えねえ
:団長=LUFA説は囁かれてたけど現実になって脳が焼かれた
:女神表現は営業だろ……そう思っていた時期が俺にもあった いやあれは女神だわ
:そりゃ地上波でもいじられるよ 中の人いじりはタブーと分かっていても
:てゆーか団長って銀狐仮面ですよね
:お騒がせが過ぎるんだよなあ
:↑迂闊な妄想は組織から消されるぞ
:団長の美しさで隠れがちだけど、ナティ姉も大概だからな?
:あの可愛さ満載な童顔と巨大オパーイで27は間違いなく詐欺 なんで事務所はその設定を信じられるんだ?
:↑事実だからだろ……免許証や保険証でいくらでも証明できるわい
:景気づけに紅焔アグニス伝説のグロ配信の切り抜き見てきたわ 後悔した
:ブ◯ ◯ス ブ◯ ◯ス ブ◯ ◯ス ブ◯ ◯ス
:どうせ引退するなら、素顔ご開帳しながら頼む
:サブ垢ブロックされたわ さすがク◯運営
:みんなー! 祭りの時間だぞー! 煽れ煽れー!
:↑のお嬢アンチども全員まとめて通報したわ
:今日はガチで通報をがんばる 荒らしは駆逐する 徹底的にだ
:アンチは掲示板にリアルタイムで名前晒すね
:↑自治厨がいたので通報しました
:気持ちは分かるが全部運営に任せたほうがいいぞ熱狂紅民たち
:ヤタプロの解散を回避するためのデジタル署名がバリバリ集まってるって噂で聞いてるけど 荒らしもようやるわ
:荒れてんよなあ……
:頼むから早く開始してくれ、完全に戦場だこりゃ
:つらい さすがに
:それでも待機 YaーTaプロを信じる
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・・・
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どのような内容の配信を行うのか、YaーTaプロダクションからの説明は一切ない。突如として枠が立てられ、待機画面のまま現在に至っている。そんな宙ぶらりんな状況を悪意のあるリスナーが囃し立てて大戦争が繰り広げられているのだ。私はくやしい。どうしては私はYaーTaプロダクションの応募に合格できなかったのだろう。合格して会社の一員になっていたら、事務所とのり子さんの状況も詳しく知ることができたのに。そんな後悔ばかりが私の胸を締め付けていく。
『しばらくお待ち下さい。』とシンプルなフォントの文字が書かれた待機画面。その横を、目で追いきれないほどな大量のコメントが上から下に流れ落ちていく。病院のベッドに座るヨーミさんと、その横に座っている私は、タブレット越しに様子を見守ることしかできない。こんなに待機時間が苦痛と思った配信は初めてだ。
「いっそのことコメント無しで配信してくれよ。頭プッツンの前に、胃に穴が空きそうだぜ……」
「でもきっと朗報だよ。だって配信の形を取ってるんだから。解散だったら公式サイトに声明文を出してしまえば済む話でしょう?」
「活動継続だとしても、そこに紅焔アグニスがいなかったら話になんねーよ。少なくともあーしにとっては」
のり子さんの安否は未だにはっきりとしないままだ。進さんとシズさんが確認を進めている真っ最中である。ルルーナ団長がTwisterで無事だと仰っていた。だから間違いなく死んでいない。でも推測できるのはここまで。
早く結果をルルーファさんから受け取って戻ってほしい――そう願った矢先だった。その願いが叶ったのは。
「失礼。入りますわよ」
「シズさん! 進さんも!」
「YaーTaプロダクションが生配信を始めると聞いてな。慌ててすっ飛んできたぜ」
「肋骨にヒビが入ってらっしゃるのに。間にあわせの応急処置でもいいから、ちゃんと治療を受けてくださいと言っているんですけど、ぜんぜん聞かないのよ」
「原稿の修羅場明けにはちょうどいい気付けだよ。むしろあの程度の打撃に自分の身体が耐えられなかった、そっちの恥のほうがデカいぜ……うし、配信には間に合ったみたいだな」
メリケンサック付きの拳を受けてヒビだけで済んだ耐久力に驚けばいいのか、少しだけズレている論点を指摘したほうが良いのか、進さんにどう話しかけるべきか咄嗟に思いつかなかった。
シズさんと進さんは近くに置いてあったパイプ椅子を回収し、私たちから少し離れた場所に設置して腰をおろした。
「のり子お嬢さんについて伝える。彼女は無事だ。おそらくこの配信にも出演するだろう」
「出演って――あいつは少なくとも瀕死の重傷だろう!?」
「団長が治してくださっている。むしろ今のヨーミちゃんより元気なはずだ」
「ルルーナ団長には治癒能力があるんですって。ファンタジー世界の回復魔法を想像してもらって結構ですわ。次に会う機会があったらヨーミも頭の傷を治してもらいなさいな」
ふたりから語られた衝撃の真実を聞き、私とヨーミさんはお互いに顔を合わせて驚きあっていた。狂言でないことはふたりの真面目な表情で判断できるけど、へーそうなんだ、とはすんなり納得できない。
「薄々お気づきかもしれませんが、団長様の御力は世に出回ってはいけない代物です。ですから本件に関してはわたくし達に箝口令が敷かれております。それもわたくし達HTSホールディングスすら及ばない権力の者から。
申し訳ないけど、のり子とわたくし達の誘拐は無かったことにされますわ。団長様の御力無しでは、のり子が無傷となったことに説明がつきませんから」
「のり子お嬢さんは世間からの誹謗中傷に耐えかねて、保護元から脱走して家出騒動へ発展。家出の心配をした団長とナティカ姐さんが緊急の実写配信を行い、その甲斐あってかお嬢さんは何事もなく無事に保護された――表向きのでっちあげはこんな感じだな」
「無論、今回の件に携わった方々への保障は、わたくしから全力を尽くさせていただきます。権力を持つ者として当然の務めですから」
シズさんは自分と同年代とは思えない、大人が見せる真剣な表情だった。話を聞く限りだと私とヨーミさんに選択権は無さそうだ。
「あーしはシズの話には了承できる。夏美は納得、大丈夫か?」
「何も文句なんて無いよ。だって皆が一番安心できる提案だから」
特にのり子さんとルルーナ団長にとっては申し分ない状況にできるはずだ。
「今は結果に喜びましょう、ヨーミさん」
「そうだな。のり子が助かったんだったら野暮は無用だな」
過程はどうでもいい。のり子さんの無事が分かった。その結果があれば十分じゃないか。
シズさんが改めて視線をタブレットへ向ける。そうだ、配信を待っている最中だった。
「世論はYaーTaプロ擁護の流れだ。団長とナティカ姐さんの契約解除は逆にマイナスイメージを持たせちまうだろうから、この配信は十中八九YaーTaプロダクションの復帰配信だろうな。荒れているとはいえ、そいつもすぐに引っ込んじまうだろうぜ。楽勝が確定した消化試合だ」
「だからもっと肩の力を抜きなさいな、ふたりとも」
「……シズと進先生がそこまで言うなら大丈夫かな。ところでおふたりさん」
ヨーミさんは、私たちと距離を取るふたりに対して、少し呆れた表情をしながら言った。
「もうちょっと近くで見ていいんじゃないですか? このタブレットだって、たいした大きさじゃないんですから」
「年の離れたオッサンがすぐ後ろにいたら落ち着かんだろ」
「私はこの不憫なおじさまの付き添いをしてあげますので、お構いなく。声が聞こえれば十分ですわ」
進さんはシズさんを、そしてシズさんは私をちらりと見てから答えた。その返答に対しヨーミさんは「ならいいスけど」とやや不満そうに呟く。
気まずい空気だ。普段のシズさんなら、ヨーミさんが気遣わずとも私たちのすぐ後ろに陣取るだろう。でもやらない。あからさまに距離を置かれている。進さんはきっとむしろ逆。シズさんの付き添いをしてあげているのだろう。
原因は分かっている。私とシズさんだ。シズさんはのり子さんを見捨てるような決断をしてしまったうえ、私たちを誘拐事件に巻き込んで気まずい。私はシズさんがのり子さんを見捨てるような決断に対して認められなくて気まずい。どちらかが譲歩して謝れば済む話なんだと思う。だけど簡単に譲ることはできない。たぶん、お互いに。
「っ! もうすぐ始まりそうですわよ」
シズさんのひとことで全員の視線がタブレットの画面に集中する。そうだ。今は私たちの問題なんて考えている場合じゃない。忘れよう。
さて、待機画面が開けたその先には――。
「え!?」
衝撃の光景を目の当たりにして、私は驚きを隠しきれずに小さく声を上げていた。
「はぁあ!?」
先生もまた声が裏返るほどに驚いている。
「あのお馬鹿……」
位置的に見えないけど、シズさんはきっと頭を抱えているだろう。
そしてヨーミさんは。
「何――考えてんだ、馬鹿のり子ぉぉオオオオ!!!?!?!?」
全力で叫んでいた。
なぜなら、画面には紅焔アグニスはおろか、ルルーナ・フォーチュンも、帝星ナティカさえもいない。
画面右にはルルーファさん。画面左には帝星ナティカの演者さん。そして真ん中にのり子さん。
この三人がアバターに隠れることもなく、ありのままの姿で並んでいたのだから。
YaーTaプロダクション、まさかの実写配信であった。




