121話 徒花より出づる種
―― 麗奈 ――
『コンクールでいちばんよ! がんばったわね! おめでとう!』
『お前は自慢の娘だよ。今日はうんと美味しいご馳走を食べよう!』
満面の笑みを浮かべた両親がアタシを拍手で出迎えてくれた。親バカを隠そうともしない両親を、アタシは低い視点から見上げている。
懐かしい。小学校の時、ピアノのコンクールで優勝した時だったか。立っている場所もコンクールの会場のようだ。刑務所あがりとなった今じゃ無縁の光景だな。この両親も、アタシがワルを好んでやらかす犯罪者へ育つとは思っていなかっただろう。
今じゃ底辺を這いずる下等生物にこそ落ちぶれちまっているが、これでも神童なんてチヤホヤされた時期はあったのだ。この頃の生活はまあまあ好きだったかね。悪くなかった。
だが満足には至らなかった。周囲のご機嫌を取るためにいつも作り笑いで良い子ちゃんを演じるのは苦痛だった。結果を残せば褒められる。その結果に快感を得た記憶はあまり無い。
笑顔で拍手を送る両親から視線を逸らす。視線の先には一組の母娘。
『ごめんなさい、ママぁ……』
『よく頑張ったわね。次はケガを治して再チャレンジしましょうね』
アタシのすぐ近くで悔し涙を流すライバルの出場者。その情けない姿を見て、我ながら汚らしい微笑みこぼれてしまう。あのライバルのケガも、アタシが裏で暴漢をけしかけて襲わせた結果であった。
自分の成果より他人の不幸。他人を蹴落として得る一番の快感のほうがアタシにとってはご馳走だった。
歪んでいたのは自覚している。でも愉しいことを我慢するだなんて、人生を損させるだけだろう?
だからアタシは堕ちる道を選んだのだ。他人の不幸という快楽をより身近で味わえる道を。
『ヒュウ♪ さすがはオレ達のボスだぜ。悪いことさせたらピカイチだ♪』
『外道の花道突っ走ってる総長、やっぱ伊達じゃねえッスね!』
『あんたからは逃げられねえんだろうなァ……逃げようとも思わねえケドよォ』
気がつくと、先ほどまでコンサートの会場だった場所が、いつの間にかクラブのダンスホールへと上書きされていた。波瑠窮理亜御用達のアジトのひとつである。アタシの両親や観客はいつの間にか消え去り、代わりに仲間たちが馬鹿笑いをしながら、酒とタバコに入り浸りつつ踊り狂っている。いつの間にか、アタシ自身も当時の年齢へと成長していた。夢だから、これくらいのご都合主義は許されるか。
絶頂だった。
何百人もの不良たちを従わせる快感。他人を躊躇なく蹴落とせる権力。遠慮や道徳など関係なく己の欲望を曝け出せる仲間たち。
これがアタシの青春。これがアタシの成果。これがアタシの生き様。
なんて心地良い。
『ぎゃああああ!?』
その恍惚は、ホール内に木霊した、断末魔と聞き間違えんばかりの絶叫でかき消された。
吹き飛ばされていく人体。飛び交う血しぶき。骨の折れる音。断末魔のような絶叫。それら全ての地獄絵図は、たったいま侵入してきた、ひとりの小さな怪物によって作り上げられたものだ。
クラブのダンスフロアに集まった波瑠窮理亜の精鋭たち――屈強な名うての喧嘩自慢たちが、その肩書を披露する間もなく蹂躙されていく。悪夢と呼ぶには冗談が過ぎるほど異様な光景だった。
アタシは動けないでいた。逃げたら真っ先に追いかけられそうで怖かったのだ。そのうちバテて誰かが隙をついてくれる。そう祈りながらフロアの奥で縮こまっているしかできなかった。バカな判断だった。
気が付けばアタシ以外の連中は誰ひとり動かなくなっていた。その怪物は顔と拳から血の雫を垂らしながらアタシへゆっくりと近づいてくる。アタシに分かっていた。その滴る血は倒れた男たちによってつけられたものではなく、元からついていた顔の傷と、男たちの返り血によるものだと。
恐怖が極限まで達し、体裁も捨てて逃げ出す。だがもう遅かった。駆け出す間もなく床に叩きつけられ、怪物はアタシの上に飛び乗りマウントポジションを取る。みしりと音を立てて拳が作られ、そしてその拳が――。
「!!!!!!!!!」
振り下ろされる寸前。口の中をアイスピックでかき回したかのような強烈な痛みを奥歯に感じて飛び起きた。洗面所に直行し、水で口の中を勢いよく洗う。口の中で血の味が広がる感覚。しかし吐き出された水に赤色は混じっていなかった。実際に口の中で怪我などしていない。ただの思いこみだ。
「……気分良いまま起こせってんだ」
乱れた息を整えるべく水を飲んで落ち着かせ、寝汗まみれの服を着替えてから、安物のパソコンデスクに座った。そしてデスクの引き出しを開け、龍堂から支給されたスマホを取り出して着信履歴を確認。履歴があったので折り返しを行う。機密性の高い独自規格の通信ソフトを使っているので盗聴の危険は無い。こそこそ密会しなくていいぶん、犯罪計画も気楽になったもんだ。
コールはキッチリ3回。鳴り終わった直後に相手が応答した。
『よっ。お疲れちゃん』
「……おう」
相手はもちろん龍堂である。最悪の寝起きで気分が悪いところにこの能天気ボイスは苛立つな。夢で聞いたばかりってのも最悪のプラスワンポイントだ。
『なんか機嫌わるそうじゃん。オンナノコの日?』
「ターコ。お前、女の機嫌が悪い日は馬鹿の一つ覚えみてーに全部その単語使ってねえ? だから頭の悪い女しか相手にしてもらえねえんだよ」
『頭が悪くても、その他が上等なら十分だよ』
「で。連絡を寄越したんだから何か伝えるコトがあんだろ?」
『当然スカーフェイス絡みだ』
「退学でもキメたか?」
『いや全然。スカーフェイスの話題はもうパッタリ途絶えちまってるよ。世間は『銀狐仮面』サマしか見えてねえ』
「チッ。その単語を聞くと忌々しい気分になるな」
銀狐仮面。テレビ放送が始まったばかりに登場した昭和レトロな古くせえヒーローみたいな肩書きのコイツは、アタシが仕掛けたスカーフェイスへのヘイトクライムと同時に、そして同地域に現れやがった。
アタシら陣営に対し、神出鬼没に現れてはアクション映画のヒーローみてえなトンデモムーブでアタシらを一掃し、理不尽な暴力に怯え戸惑う地元住民たちを救助していったのだ。その変態じみた動きは、まさしく八面六臂、電光石火の言葉に尽きる。それでいてアタシたちに直接の被害を出していないときた。まさに完璧な正義の味方の誕生である。
おまけに見た目も目立つ特徴ばかりで構成されていたためか注目度も抜群。抜群のボディスタイルをライダースーツみてーな服に閉じ込めており、そして流れるような銀糸の長髪を靡かせ、その顔を隠すのは和風の狐面ときた。まるでラノベアニメから飛び出してきたかのようなコスプレである。こんなもんが街を疾走してたら絶対に振り向くだろ。卑怯だこんなもん。
こいつのおかげでアタシら陣営はロクな働きもできずに撤退。そして自重を知らない奴の活躍はネットや地上波で瞬く間に拡散し、日本全国にその名前を轟かせていったとさ。
そんな狐女は、未だにスカーフェイスの地元に残ってヒーロー活動を続行しているらしい。おかげで奴の地元はちょっとしたホットスポットとなっている。
『アレはしょーがねーよ。あんなマジモンのローカルヒーローが出てくるなんて諸葛孔明でも読めねーよ。東京に大隕石が落下して壊滅したってほうが現実味あるくれーだぜ』
「同感しかねーコメントありがとよ」
『でも、お前の足切りが早かったのは救いだったな。銀狐仮面サマの第一報を聞いた瞬間に順次撤退命令は大正解だったと思うぜ。警察に逮捕されたのは直接関係のない末端だけだ。依頼未達成になったから追加の支払いもほとんどをキャンセルできた。おかげで資金の流出も想定以上に少ねえ。そんでもってスカーフェイスはヘイトを買うのを恐れて地元から逃げてやがる。本来の目的は果たせたし、結果はそう悪いもんじゃねえだろ』
「てめーは能天気で楽しそうだな。あの狐女のせいでアタシら割とヤバいって自覚しとけよ」
『何でだ? 銀狐ちゃんの活躍で被害が少なかった分、警察もオレらまで大々的にマークしてねえだろ?』
「警察はな。だがあの狐女はアタシの思惑にたぶん気づいてやがる」
『そうなの?』
キッチンの換気扇をつけてからタバコをふかす。
「過剰なまでに目立つことでスカーフェイスへのヘイトを極限まで薄めた――そうアタシは睨んでる」
『だからまだスカーフェイスの地元近くで悪ガキ雇って、しょーもない嫌がらせ続けてるんだな』
「まあな」
嫌がらせと言っても本当に小規模なものだ。スカーフェイスの自宅からかなり離れた場所で、スプレー缶で落書きして回らせているだけである。小さな牽制。されど牽制だ。狐女の活動範囲がスカーフェイスの地元から離れていない以上、おそらく効果は出ているはず。続けすぎれば狐女か警察に足がつくから長くはできねえけど。
『オレたちが事を起こしたから、ヒーローとして有名になるチャンスだと思ったんじゃないの? あの地域って不良ばかりだから、暴力事件には不足しねえし』
「かもな。どっちにしろ警戒だ。無駄遣いかもしんねーけど継続させろ。
話を戻すが、スカーフェイス絡みの情報は?」
『東京で目撃情報があった。情報元を送る』
通信ソフトを介して龍堂からURLが送られる。飛んだ先は共有フォルダ内の画像ファイルだ。朝方の通勤通学ラッシュに紛れてコンビニで買い物を済ませているガキの姿が写っている。深く被ったフードのせいで顔はほんの一部しか写っていないが、十中八九スカーフェイスだ。
『すぐに電車に乗って見失っちまったから住所の特定まではできてねえが、東京に潜伏してる可能性が大ちゃんだぜ』
「なんでワザワザ人の多い東京を選ぶかねえ。あんな酷えツラのガキ、そう居ねえから目立つってのによ。他に分かったコトは?」
『悪ぃがここまでだ』
「しけてんな」
『警察でも秘密組織でもねーからな俺ら。情報収集なんて素人の範疇までしかできねーよ』
「オーライ。とにかく次の大花火まで引き続き資金調達と情報収集を頼むわ」
『オウ。チームの解散時に、俺もスカーフェイスには十分世話になっちまったからな。喜んで協力するさ』
それから数分ほど雑談をしてから通話を切った。大した話題じゃない。獄中で読んでいた漫画のネタでバカな話をしただけだ。
時刻を確認する。もうすぐ出勤の時間だ。200人のワルを取り仕切っていたレーナ総長はもう居ない。今は最低賃金の清掃バイトを真面目にこなす、ただのレーナである。刑務所に上がったばかりで表立ってワルをするのは自殺行為に等しい。埋伏の時である。支給のスマホはプライベートの使用はできないので元の場所に戻し、外出の準備を始める。
「そんじゃま、今日も真面目に働きますかー」
同じ東京住まいなら、スカーフェイスとでもすれ違わねえかな。
・・・・・
・・・
・
大手ショッピングモールの清掃員。底辺学歴なバイト初心者でも人当たりさえ良ければ仕事を貰える優しい職場だ。アットホームな雰囲気に加えて労働環境も整っている。元お嬢様からの都落ち、そして学生ギャングのリーダーからの転落とはいえ、案外悪くない。
だが、この仕事はスリルと刺激が欠如している。毎日同じノルマをこなして充実感を得たような顔をする同業者には内心ウンザリ気味だ。真面目に働くことで警察から疑われないようにする名目とはいえ、なかなかの苦痛である。
「アラ、どうしたのレーナちゃん。暗い顔よ?」
「大丈夫ッス。心配かけさせてすんません。ちょっと気分転換してきます」
休憩時間の最中、親切に声をかけてくれた同僚のオバちゃんから離れて地下の喫煙所へ向かう。社会に群れるとタバコを吸うのも満足にできやしねー。また派手に悪巧みした生活に戻りてえよ。
「クソが……」
アタシの人生設計は間違いなく順風満帆だった。裏の社会でのし上がり、やがては名を轟かせる……その未来は確実に近づいていた。
だが、たった数分間の悪夢が、アタシが積み上げてきた全てを奪い去っていった。心の拠り所も。威権の象徴も。波瑠窮理亜という青春の集大成を。
悪の花道を走っていた仲間たちも、もう二度と悪さはできないと怯え、真っ当な道へ進んで落伍者となった者は多い。アタシを評価してくれていた組織も完全にアタシを見限っている。
もうあの絶頂期には戻れない。スカーフェイスは、アタシが築き上げた花道を――人生そのものを奪っていったのだ。絶対に許せるもんじゃねえ。
喫煙室に到着する。先客として、アタシよりやや年上くらいのスーツ姿の男がいた。匂いが少ない電子タバコがお気に入りのようだ。アタシは軽く会釈をするが、両耳にワイヤレスイヤホンをつけてスマホに熱中しているせいで気づいていない。イラつくな。蹴り飛ばしてやろうか。
事を起こしたところで警察に目をつけられるだけだ。我慢して隣に陣取り、紙巻きタバコを取り出す。せめて匂いで嫌がらせしてやれ。
隣に位置した関係で、村谷のスマホ画面が目に停まった。ゲーム実況の動画のようだ。二頭身くらいのマスコットキャラが大勢ひしめき合ってわちゃわちゃしながら、回転する棒や動く床が設置された障害物競走をしている。ゲーム画面の隅っこで、ゲームとは別にアニメのような3Dキャラが蠢いていた。龍堂の部下が話題のコンテンツだって言ってたな――確か。
「Vtuberだっけか」
「うわぉ!?」
アタシが思わず呟いたところで、村谷クンはようやくアタシの存在を認知したようだ。慌ててスマホ画面を隠して後ずさる。動いた拍子で片耳につけていたイヤホンが落ちてしまった。
「すんません。驚かせちまって」
「いや、勝手に驚いたのはこっちだから。ごめんね」
落としたイヤホンを拾い上げる。甲高い女の叫び声がイヤホンから聞こえてくる。なかなかの大音量で聞いてやがるな。
「……あ?」
どこか聞き覚えのある声――そう違和感を憶えた瞬間、アタシはイヤホンをつけずにはいられなかった。
「ちょっと君!?」
タバコを吐き捨て、踏んで火を消す。そしてイヤホンの声に集中した。
『よーしいいぞいいぞー……紅焔ちゃんお上手ですぞー……ふははは、これ1位あるんじゃなーい? もうちょっとでゴーr――ぬあああ!? てめっ……よくも邪魔しやがったな! てめぇの名前憶えたからな! 覚悟の準備をしろよ! 開示請求待ったなしじゃコラァ! ……あ、いやホントにはしないからね。紅焔ちゃんはクリーンなアイドルですから。ジョークですぞ紅民たちよ』
記憶違いなどではない。紛れもなく聞き覚えのある声であった。忘れるはずがない。あの悪魔の声を。
「いやーすんません。あまりにも元気で可愛らしい声だったんで、つい聞きたくなっちまいました」
「あ……ああ、そうなの。それはしょうがないね」
もう確認は終わったのでイヤホンを返してやる。
「これ、生放送ッスかね? だとしたら邪魔してごめんなさい」
「いや大丈夫。切り抜き動画だから。彼女を気に入ってくれたならファンとして嬉しいよ」
「名前はなんていうんです?」
「紅焔アグニス」
「あー、それっぽい感じのキャラですねえ。ちょっと一緒に見させてもらっていいですか? アタシ、いまスマホを持ってなくて」
「もちろん! ファンが増えるのは歓迎ですから! 彼女は一晩で登録者100万人を成し遂げたアイドルVtuberで――」
同じサブカルに興味を持ってくれたと勘違いしたのか、早口で説明を始めるスーツの男。そんな熱意を、アタシは右から左へ聞き流していた。
まさかこんな簡単に見つかっちまうなんて嘘だろオイ。雲隠れするどころか、堂々と晒してやがるじゃねーか! こんな滑稽な見つかり方するなんて夢にも思わねーよ! 笑いこらえるのに必死だぜぇ!
今日のバイトは早退だ。さっさと帰って作戦会議しなくちゃならねえ。どんな方法で潰してやろうか。出所したばかりだからってビビってられねえ。この最高のビッグウェーブ、逃しやしねえよ。すぐにでもアクション一択だ。
スカーフェイス――いや、紅焔アグニスだっけか? 今のうちにせいぜい楽しんでいろよ。
笑うのは、このアタシだ。




