120話 切先を向ける先は何処
―― ルルーファ・ルーファ ――
俺とせつな嬢、そして詩子の三人がお嬢の家へお邪魔したその日。お嬢の地元では2つの大きな事件が起こった。
ひとつはお嬢への大規模な憎悪犯罪だ。バイクを駆り颯爽と登場した彼らは、「恨むならスカーフェイスを恨め」とキャッチフレーズを謳いながら、お嬢の地元各地で暴行などの犯罪行為を行った。その結果、器物破損や傷害などの軽犯罪事件が多発した。
もうひとつは、そのヘイトクライムを阻止するべく、俺自らが救助して回ったことだ。各地の暴動を片っ端から鎮圧して回り、お嬢へのヘイトクライムを起こす暴徒どもの尽くを追い返す俺の姿は、狐の仮面をかぶった俺の姿にあやかり、人々は俺を『銀狐仮面』と呼ぶようになった。
結論を言うと、『銀狐仮面』の役割を演じたことは、全て俺の思惑通りに事が進んだ。
狐面をかぶった銀髪の女が市街を駆け回る姿を目にした市民は話題作りも兼ねて情報を投稿。変装した俺の姿はSNSの大海を通じ、瞬く間に拡散していった。『スカーフェイス』の悪名を圧殺する勢いと共に。
暴動を鎮圧した俺が次に採った方針はヘイトクライムのさらなる風化である。お嬢には一旦俺の家に移って休学してもらい、俺はお嬢の家を中心に居座り正体を隠しつつ銀狐仮面としてパトロールをする。これによりスカーフェイスの名前の風化と銀狐仮面の浸透はより強固なものとなるはずだ。
かくしてお嬢の悪名は極限まで希釈され、彼女の名誉は守られたのだ。完璧に俺の思惑通りである。
……いや、少し語弊があるか。『完璧』ではなかったな。お嬢の旧家屋に設置された、仕事用デスクトップパソコンと繋がったヘッドセットから聞こえてくる怒鳴り声がその証拠だ。
「まだ怒ってんのか、灯。いや悪かったって。思ったよりも銀狐仮面サマの受けが良かったし、人助けも出来たしで、俺もついはしゃぎすぎたというか……舞人の奴からも厳重注意もらいまくって、もう耳タコだよ。勘弁してくれ。万が一バレに繋がってもタレント活動ができる程度の人助けに留めている。ギリギリ公序良俗の範囲内の活動ではあるから問題にはならん……そのはずだ。俺もさっさとこの役割を切り上げたいよ。このままでは銀狐仮面の模倣が出現しかねん。私的逮捕の助長だなんて厄介事は御免被るよ……そろそろ切るぞ。まだ少しお嬢の家でカンヅメになりそうだ。各案件やコラボの件は、すまんが引き続き舞人と協力して日程調整をよろしく頼む。ではな」
未だにガァガァと捲し立てる灯との通話を無理矢理断ち切った。自主謹慎がいつ解除されるのかと俺の様子を聞くために向こうから通話をかけてきたのだが……残念ながら前向きな返答など言えない状況である。
ヘイトクライムを企んだ者たちの嫌がらせは小規模ながらも続いているのだ。スプレー缶で描かれた悪口という悪戯ではあるが、それでも看過できるものではない。落書き内容はもちろん例のフレーズ。「恨むならスカーフェイスを恨め」。また行動を起こしてくる可能性を示唆している。迂闊には動けない。
「やれやれだ。もうそろそろルルーナ・フォーチュンの謹慎が解けそうだったってのに」
「七海ナナミの件に続き、災難続きッスねぇ……」
背後から聞こえてきた声に対し、お嬢御用達のゲーミングチェアを回転させて視線を向ける。その先には慧悟の部下である小室千代巡査が座布団の上に座っていた。
ゲーミングチェアから離れ、ちゃぶ台を挟んで千代の対面に座る。彼女とは慧悟を通して付き合いも多くなったので、すっかり見知った顔になってしまったな。
「人生には楽があれば苦もある。今が苦境の時期ってだけだよ」
「よくもまあ他人事みたく、お気楽に言い切れますね」
「誰も死んでないからお気楽に構えられるんだ。死んでいなければ汚名をそそぐ機会なんていくらでもあるさ」
そう言うと、千代は苦笑いと共に言葉を失い押し黙ってしまった。いかんな。戦争を経験していない若者には共感しにくいか。
「……あの。失礼を承知でひとこといいッスか?」
「なんだい」
「もうちょっと自分に優しくして良いと思いますよ」
ん。ム。
「話を聞く限りじゃ、ルルーファさんは貧乏くじを引いてばかりじゃないですか」
「君もその話をするかい」
「ああ、やっぱり言われてましたか……」
「関係者のほぼ全員から注意されたよ。放っておいてくれるのは進と慧悟くらいなもんだ。言っても無駄だと分かってるからな。むはは」
「さすが銀星団の元同僚ッスねえ。理解が深い」
ここ直近でかけられた怒りの声を想起する。可愛い声ではあったが姫にまで怒られてしまったのは少々ショックだったぞ。
「俺だって貧乏くじなんぞ何度も引きたくないさ。だが引かねば、もっと恐ろしい事態が起こってしまうのなら致し方なしだ。七海ナナミの件、そして銀狐仮面の件。これらの選択に微塵も後悔しとらんよ。責任取りや揉み消しに奔走している方々には悪いがね」
「佐藤のり子……そして紅焔アグニスにはその価値があると」
「俺にとっては守るべき日本の至宝のひとつだよ」
彼女を守るためなら貧乏くじ如き、百万本だろうと躊躇いなく引ける。おかげで紅焔アグニスが現在も配信を続けられているという現状があるのだから、掛け金に対する見返りは十分に得られているのだ。
さて。
「意思表明が伝えられたところで、そろそろ本題に入ろうか」
「やっぱりやらなくちゃ駄目なんすか?」
「天結の島にいる慧悟が自由に動けていて、俺との連絡網が通じていたのならば、君にまで迷惑をかけずに済んだのだがね」
小室巡査が俺へ接触した理由。それはヘイトクライムの捜査状況を俺に共有するためである。長期化を不安に思った俺に対し、慧悟が融通を利かせてくれたのだ。警察と政府の上層部、双方の許可を取ったうえで。捜査状況を共有することで、俺が過剰に介入することを防ぐ目的である。捜査情報の漏洩にあたるので本来ならば犯罪にも等しいのだが……現場を荒らされるよりは有益と判断されたようだ。
そのメッセンジャー役に抜擢されたのが、異世界事情に詳しく、慧悟のお気に入りである小室巡査だ。たとえ世間にバレたとしても、巡査という身分ならば比較的足切りは容易いと判断されてしまったようだ。世知辛いな。
「奴からも言われているだろう? この共有に対して君に問題が起こったなら、責任は後江慧悟とお偉いさんが取るし、俺も全力でアクションを起こすよ。……周囲に盗聴の気配なし。遠慮はなく、しかし嘘は無く。話せる範囲で頼む」
「貴女の前で嘘をつける勇気なんて無いですよ……」
千代は一度おおきく溜め息を吐いてから、引き締めた表情となった。覚悟はできたようだ。バレたら懲戒免職まったなしだから気持ちは分かるけどな。
「では始めよう。お嬢の件、解決の糸口は?」
「依然変わらず、進展無しッスね。むしろ捜査人員を減らすかもしれないとも言われました」
「やはりか」
「初犯の被害があまりにも少なかったんです。そのためにコストは割けないと突っぱねられました。ルルーファさんの要望は、警察側から見れば、ライターの火を消すためにスプリンクラーを導入しろと言っているレベルなんスよ」
「銀狐仮面が活躍しすぎたな。もう少し奴らを暴れさせて警察の関心を引き出したほうが賢いやり方だったのだろうが」
「本来なら喜ばしい状況なんですけどね……」
「いや、納得の判断だ。日本の至宝と言えども、所詮は一介の女子高生。大組織の警察としては、彼女のために大勢の組織人を導入するわけにはいくまいて」
「プラス、相手のやり方も利口でした。今回に限っては」
そう前置きを言ってから、千代はこの事件がいかにして起こされたのかを簡単に説明してくれた。
「ヘイトクライムの実行自体は、ネット掲示板で募集された違法な求人募集によるものでした」
「いわゆる『闇バイト』というやつだな」
「本来ならこの依頼から発信源を辿っていけば元凶まで辿り着けるんですが……問題は、依頼方法をデジタルからアナログに途中で手法を変えてるってところなんです。そのアナログの伝達手段が厄介でして」
「厄介というと?」
「タイムカプセルってご存知ッスか? 地中に思い出の品を埋めて、後年になってから掘り返すってヤツなんですけど……あの方式で、都内各所で指令書と前金が埋められていたんスわ。で、ネットで募集された犯人たちは、指定されたタイミングでそれを掘り返して指令書通り実行するだけって感じですね。『恨むならスカーフェイスを恨め』と言いながら暴れまわれ、と」
「なんと。案外幼稚な手法なのだな」
「ですが逆に捜査が難航してるッス。タイムカプセルを埋めるのなんて、それこそいつでも出来ますからね。仮に一ヶ月も前に埋めたとすれば証拠なんて残らないし、目撃者がいたとしても、その状況を覚えている人なんかほぼ皆無ッス」
「それに犯人はお嬢へのヘイトを集めることが目的だ。開始時期に関係なく、お嬢の地元で暴れさえすれば目的は達成される」
「ネットで実行指示を出したのも、海外の個人事業者を通してだったりと、恐ろしく回りくどいやり方を取っています。デジタル捜査にしろ、アナログ捜査にしろ。とにかく捜査コストがかかるんすわ、この案件は」
「犯人側もだいぶコストをかけているな。話を聞いているだけでも完全に採算度外視だ」
これはお嬢に相当な恨みを持っている者の犯行と見た。かける金に対して出せる成果が釣り合わなすぎる。もちろん警察側もその結論に至っており、お嬢の暴行事件を含めた関係者を中心に捜査が進められているものの、決定打には至っていないようだ。
「容疑者のリストを共有してもらえないか?」
「すんません。私の権限ではデータそのものが渡されていないッス」
「つまり渡せない、ということか」
「リストが渡れば最後。きっと貴女は自発的な調査に踏み切るでしょう。現代社会では勘弁願いたいッス。容疑者も守るべき国民には間違いないですから」
「……妥当な見解だ。俺の性格をちゃんと把握している……いや、今の提案はダメ元で言ってみただけなんだ。気にしなくていいぞ」
そもそも令和という世界を知らなかったならば、俺は躊躇なく警察や政府の上層部に直訴して無理矢理介入しているだろうな。もちろん、介入により迅速な解決に導く自信はある。だが間違いなく俺は自由を失う。代償は計り知れないものとなるだろう。
「ままならんな。今この瞬間だけは、アイドルVtuberよりも警察という仕事が魅力的に見えているよ」
「すんません、ご期待に添えなくて」
小室巡査に犬の耳と尻尾が生えていたのなら、間違いなく最大限に垂れ下がっているだろう。そう錯覚するほどに落ち込んでいた。
敵の正体が分かるのであれば、相手が世界一の犯罪組織であろうが、いくらでもやりようはある。しかし相手が見えないのであればどうしようもない。屍山血海の名前が泣いているな。
無力な立場を捨てられないもどかしさを痛感し、大きく溜め息を吐くしかできなかった。
やれやれ。俺はいつになったらルルーナ・フォーチュンへ戻れるのだろうか。




