83話 夜雲薙ぐ凶星は暁と共に
―― 『数』エージェント 大師『5』 ――
予期せぬ半年ぶりの帰国だった。
滅多に発令されない緊急招集の理由は、我々がマークしているルルーファ・ルーファが宣戦布告してきたからとの話だ。いずれ敵対すると予想していたので驚きは無いが……任務中の呼び出しは勘弁してほしかった。
総帥への帰還報告を終えた俺は、地下に設置されている作戦指令室の扉を開いた。
「失礼します。エージェント『5』、帰還しました」
「ご苦労、5。こんな夜間の到着とさせてすまないな」
「いえ。命令ですので」
作戦指令室で出迎えてくれたのは、足の怪我により杖をついた司令官と、その部下たちであった。司令は我が国を亡命した16の直属の上司でもある。
「君が前線へ出る状況になるとは思えないが……ある意味、君は絶対王者『1』よりも強い存在なのだから」
「買いかぶりすぎです。ちょっと兵士が上手いだけの男ですよ」
「それだけ総帥閣下は警戒なさっていると考えよう。君の仕事場は迅速に作動できるよう、準備を進めておく。指揮の補佐を頼む」
「はっ」
彼の横に並び、情報の羅列したモニターを眺めながら司令に問いかける。
「司令。集合状況は」
「数の幹部8割といったところだ。『1』から『10』で言えば君が最後だよ」
「日本どころか米国空海軍とも正面から戦えるじゃないですか。それも圧勝だ。たったひとりの人間に過剰でしょうに」
「相手が全力を出した情報が届いていない以上、戦力の予測はできんよ。16からの報告含めた情報では、ターゲットが前世で死亡した年齢が70ほど。対して漫画はまだ30代だ。空白の40年間に関して、我々の誰にも情報が降りていない。慢心は禁物だ」
16……やはりか。
「かつての教え子に裏切られて意気消沈かね?」
「いや。あの子の技量は優秀でしたが、諜報員にしては優しすぎた。こうなる結末も見えていた」
「確かに、我が国で開発した『10』シリーズは優秀だ。しかしなぜ問題児の彼女まで数に編成したのか……未だに総帥の考えは分からん。彼女をルルーファ・ルーファの監視役にあてがった真相もな。
……到着早々で君も疲れがあるだろう。娘たちの声を聞いて肩の力を抜いてこい。夜通しの演習になると伝えているから起きているはずだ」
「はっ」
司令室内に設置されているコンソールの前に着席する。コンソールを操作し、通話ソフトを立ち上げる。そしてとある施設の人物へコールをした。
コールを行うことしばし。コールに応えた相手がコンソールに映し出される。
『16』を幼くしたような顔立ちの彼女は、モニターの前で敬礼をして出迎えてくれた。
『おかえりなさいませ、大師『5』』
「ただいま子ども達。元気にしていたかい?」
『差し支えなく』『大姐、誰とお話してるの?』『大師帰ってきたの?』『こら、報告のジャマだぞ』『大姐だけおしゃべりずるいー』『大師! あたし銃の組み立て上手くなりました!』『葉っぱさん、いっぱい育ちました!』
「あはは。意味のない質問だったね」
大姐と呼ばれた少女の背後では年少組が元気よく話しかけてくる。そして皆同じような顔つきをしている。
彼女たちは俺の血縁者ではない。そして16の血縁者ではない。ましてやクローン人間でもない。我々の諜報活動に従事させるため、世界各地から拉致され、我が施設で遺伝子改造や整形手術を行われた子ども達である。子ども達はこの施設で諜報員として教育され、やがて世界各地へと派遣されていく。16も彼女たちと同じ施設の出身である。そして俺は彼女たちの教育係であった。
『大師もお変わりなく。本日はどのような要件で?』
「ごめん、要件は無いんだ。ただ帰還のついでに君たちの顔が見たくなってね」
彼女たちを特別懇意にしているのではないものの、機会があれば交流を図るようにしている。彼女たちの忠誠心を上げるためには、こうしたちょっとした関わりは意外と侮れない。とはいえ、過度の感情移入は厳禁である。今は可愛らしくても、いずれは駒として扱われる運命なのだ。
『お心遣い、ありがとうございます。しかし聞いていた時期よりもだいぶお早い帰還ですね。他の幹部様の帰還報告も相次いでお聞きしています。大規模演習と伺っておりますが』
「その通りだ。だから今夜は決して施設の外に出てはいけないよ。巻き込まれる可能性があるからね」
大姐たちと雑談しながら、16の昔を思い出していた。
16は常に無表情で何を考えているのか分からない子だった。与えられた課題を淡々とこなし、着実に成績を残していった。諜報員としての技量だけなら疑いはない。
一方、普段の素行の奇抜さや、忠誠心の薄さ、諜報の世界には無用な優しさも散見されていた。故にエージェントとしては大成しないと予想していたのだが……よろしくない形で予想が当たってしまったな。
「そろそろ持ち場に戻るよ――」
[報告! ターゲットより入電!]
「来たか。任務に戻る。夜中の演習になるが、良い子でいてくれよ」
通話ソフトを落とし、司令の横に並んでモニターへ視線を向けた。「SOUND ONLY」と表示されている。音声通話のようだ。
「通話を各位に繋ぎます。司令、応答をお願いします」
「準備できている。繋げろ」
『――ごきげんよう、天結の皆さま』
数日ぶりに聞く16の声は、相変わらず抑揚に欠けているものだった。しかし何故だろうか。少し嬉しそうに聞こえるのは。
「息災だな、16」
『おかげさまで。貴方がたに怯える必要がありませんのでピンピンしています。
連絡が遅くなってしまい申し訳ありませんが、つい先ほど、ルルーファ様がそちらに向けて発進しました。まもなく天結の領土へ突入されるでしょう』
「ルルーファ『様』か。完全に懐柔されたな」
『おっとしまった、コードネームで呼ばなければでした。さて、時間がありません。ルルーファ様改め老兵1より伝言を賜りましたので、お伝えします。
我、到着と同時に滑走路を粉砕す。よって総員、滑走路より退避すべし。聞き入れられぬ場合は諸君らの生存を保証せず――以上です』
「爆撃予告か。これは親切にどうも」
相手からの通告を受けた司令の反応は失笑であった。無理もない。こちらの空戦力はステルス戦闘機が3機、非ステルス戦闘機および軍用ヘリコプターがそれぞれ10機となっている。くわえて対空と対艦準備も整えている。どれだけの戦力で攻めてくるのか不明だが、そう安々と突破できるような戦力ではない。到着前に撃墜されるのがオチだ。
[レーダーに反応あり! モニターへ転送――え? 何だこれは?]
『あら、もう圏内まで来てしまったのですね。流石です。私はロートル1の誘導という大切な使命がありますので、これにて失敬』
16との通信が切断される。しかし室内の誰もが切断に気づいていなかった。レーダー担当より上がった狼狽の声があからさまに異常だったからだ。
「どうした。報告は正確にしろ。モニターはどうした」
[れ……レーダー、映しますっ!]
モニターにはレーダーの映像が映し出された。機影は1つ……1つだと? それも異常に速い……いや、速すぎる!
[航空機反応、確認できません! しかし飛行物体を感知しております!]
「どういうことだ!? 爆撃機ではないのか!?」
[分かりません! 推定速度……マッハ6.5!?]
「何を言っているんだ貴様は! 我が国が誇るステルス戦闘機の約3倍の速度ではないか! 計算し直せ!」
「いや、その必要はありません、司令。俺から見てもその程度の速度は出ていますっ!」
「大陸間弾道ミサイル……いや、極超音速滑空兵器か!?」
「いくら非公式の侵攻になるとはいえ、平和主義の日本が大量殺戮兵器を撃つとは思えません! 世論で潰されるリスクを負うはずがない!」
[目標の到達時間まで8分――いえ! 目標、更に速度を上昇! 残り予想時間5分!]
[地上カメラより異変を確認! モニターに出します!]
地上の映像が映し出される。暗雲広がる西の空に、金色の光点が不自然にまばゆい光を放っている。
[発光は西方、9時方向より確認!]
「迎撃はどうした! 海上艦の地対空ミサイルで撃ち落とせ!」
[駄目です! 目標をロックできません! 対象が小さすぎます!]
[望遠カメラ、未だ機影確認できず! 繰り返す! 未だ機影確認できず!]
どれだけ小型でも、航空機ならばロックオン機能は通用するはずだ。そしてステルス戦闘機だとしても、最大速度はせいぜいマッハ2程度である。なおかつ、望遠レンズでも機影を捉えられない。
俺は冗談みたいな結論を出してしまった。
「航空機ではなく、ルルーファ・ルーファ本人による単独飛行……」
「馬鹿な! 人体で音速飛行ができるものか! 漫画の世界ではないのだぞ!? 錯乱したか『5』!」
「現実を見てますよ! そもそも相手はコミックスの住人だ!」
場にいる全員が状況を想像し、そして戦慄した。
もし、マッハ6を超える速度で島へ突入されてしまったら。その衝撃に相手が耐えられるとしたら。
一瞬で室内全員の心が一つとなった。
司令がマイクを掴み、叫んだ。
「司令より各位に伝達! 総員、滑走路上から退避! 敵の狙いは滑走路の破壊だ! 航空機の発進準備をしている者がいたら急いで離脱せよ! 繰り返す! 総員、滑走路より全力で退避しろっ!」
「空襲警報発令! 急げ!」
警報が鳴った数秒後、先ほど子ども達と会話をしていたコンソールが鳴り響いた。彼女たちからの緊急コールだ。煩わしさのあまり一度だけ舌打ちをしてからコンソールの前に座り、再度子ども達との通信に応答する。
『大師! 何故警報が発令されているのですか!? 今日の演習は一体何なのですか!?』
先程交信していた少女が、警報を聞いて焦った表情でこちらを見ている。下手に動かれては面倒だ。
「答えられない! とにかく皆を地下のシェルターへ!」
「艦隊! 対空戦急げ!」
[対空砲、駄目です! 目標が小さすぎて機能しません!]
『大姐、見てー! 西のそら、きれいー』『西からお日様のぼってるー』『ばかだなあ、あれは流れ星だよ』『いや、彗星だよーあの大きさは』『ずっと光ってるし、願い事し放題だ!』『ねがいごと!』
[海上防衛ライン、突破されました! 目標、高度上昇!]
[進路変更! 本土への接触コースです!]
『大師!? いったいどんな状況なんですか!? 教えてください!』
「答えられないと言った! 早くしろ!」
[望遠カメラ、目標を捉えました! あれは……強化外骨格――いや、全身鎧!?]
[目標、更に加速! 推定速度マッハ10!]
[衝撃備えぇぇ!]
避難では間に合わないっ! ああくそ、帰国早々に散々だ!
「避難は中止! 全員今すぐ床に伏せろ! 死にたくなければ、床にふせてそのまま動くなああ!」
『願い事はもちろん分かってるよね? せーの――』
『われら天の民が、幸福へみちびきますように!』
子ども達の無邪気な声が聞こえた直後。
地を揺るがす衝撃が、島全土を襲った。




